12/04/03 20:55:49.66 lFI15RQm
カーネーション最終回を観る会(ええ話)
URLリンク(www9.nhk.or.jp)
(司会) 安田さんはいかがですか?商店街を通られたりとか…
(安田) 私は撮影に入る前に(コシノギャラリーに)行きました。(2回に展示されている)写真がたくさんあったので、写真をいっぱい撮ってきて「こういう家族やったんや」と思って。
ほかにもコロッケ屋や小学校など(コシノファミリーの)ゆかりの地をめぐってすごく楽しい場所でした。
ただ、「カーネーションギャラリー」は これから自分が出演するということで入る勇気がなくて、遠目に見ていたんです よ(笑)。
(司会) 安田さんは50代・60代のシーンでは何か扮装で工夫などされていたんですか?
(安田) ちょっとだけ「ほうれい線」を描きました。あとは自分の声が高いので、ちょっと落としたり、落ち着いてしゃべろうとかしましたね。
(夏木) 〔糸子がイギリスの母の日3/26に亡くなって白いカーネーションに囲まれて棺に眠っていたところに聡子がカーネーションを持って帰ってくるシーンについて〕
あのお話は事実に基づくもので、ロンドンで母の日に聡子が…あ、(モデルであるミチコさん)ご本人がいらっしゃるんだから…
(ミチコ) あれはまったく事実で、私がロンドンに帰ったあくる日、家に帰って座ったとたんに「リーン」って電話が鳴って「(綾子)先生が亡くなりました…」って。
それで 翌日チケットを取って戻るときにスタッフの方が「今日は母の日だから持って行ってください」ってカーネーションをくれたんです。
それでそれをきれいにドラムケースに入れて持ってかえってお母ちゃんが寝ているところに入れた、それが本当にカーネーションだったんです。
(安田)
ありがとうございました。 こんなに終わってほしくないと思った、15分間は初めてでした。 不思議な感覚でしたが、ほんとに、おかあちゃんは、そばにいて、岸和田にいて、 今もここにいるんやなと感じました。
カーネーションは終わってしまいましたが、 ずっと心の中に続いていると思います。
今日、この時間をみなさんと過ごして、 おかあちゃんと直子と、応援してくださったスタッフのみなさんと一緒に感謝しています。(涙)
会場を埋めた参加者も最終回を観て涙し、感極まった出演者の涙にまたもらい泣きし、会場全体が深い感動に包まれました。