12/07/27 23:32:28.69 omFAUtsk0
>>827
盛根監督は宮古→那覇商→浦添商→南部商→中部商と異動して、今年の3月で定年退職を迎えて福岡第一の監督に就任。
宮古時代の1977年夏と78年夏は2年連続で県大会決勝に進出している。
77年夏は宮古の平良中から沖縄本島に野球留学した下地勝治(元広島カープ)を擁する豊見城に4-0で敗れ、
78年夏は沖縄が生んだ偉大な天才打者・石嶺和彦(元オリックス、現DeNA打撃コーチ)を擁する豊見城に同じく1-0で完封負けを喫して甲子園にあと一歩というところまでいきながら敗退。
盛根監督は当時、25歳ぐらいだったが、監督としての指導力はあの当時から際立っていた。
盛根監督は、沖縄の高校野球を全国レベルに引き上げた最大の功労者といわれる故栽弘義氏(元沖縄水産監督)と同じ中京大の出身で、大学では中京商時代に全国制覇を達成した滝正男先生から指導を受けたことでも知られる。
那覇商時代にも九州大会に出場、97年夏の甲子園では浦添商をベスト4に導き、その指導力は県内外から高く評価されていた。