12/04/21 21:16:54.88 E+UtfYJE0
高松宮最愛の人だった佃定雄さんは5年前に103歳で亡くなったけど
晩年は海軍時代に高松宮から貰った契りの品々を喜久子妃に渡し、
妃からは両殿下の銀額写真やら遺愛の茶碗やらを下賜されたようね。
日記が刊行されたときはもちろん佃さんも存命だったわけで、
妃的には、無断(?)で同性愛部分を公刊した罪滅ぼしだったのかも。
佃さんが軍艦で海に出るとき、
宮はこんなラブレターも贈ったようよ(日記未収録)。
凡そ人の一生は諸業(ママ)無常の理りの外ならず。生死も亦定め難し。今は昔と
事かはりて交通もいと繁く便利とはなりしも旅のみ空に花に月に人戀ひしき心は
古きも新しきも變らぬものなり。まして身に務めもつ己れ等、久しき間心ゆくま
で語り語らるゝついでなき事もあらむ。さる折りふしに之とり出して思ひ出の一
つにもし給はれとは思ふなり。雨の日、風の日、事につけて知りたきは友の上な
り。遠く近く海に隔てられし時のさま今想ひても羽(ママ)がゆし。まして我が身
一人はなれてたえなむ時もはかり難き浮世、いと心細う覺ゆるなり。されば在り
し日のかたみともならはとて斯くは記しぬ。
(大正)十三年四月六日 一夜を巡航に出られし君をおもひて
宜 仁