13/01/15 12:16:39.56 /A18UbQG
赤松則英(架空説あり)は関ヶ原で西軍に付き切腹、支流の石野氏(蒼天録では赤松氏と別血縁扱い)が旗本として辛くも存続。
浦上宗景の子で生き残った成宗はそのまま帰農して土着、子孫は酒屋になった。
一方宇喜多秀家は御存知八丈島へ島流し。もちろん泳いで帰ることなどできるはずがない。
結局みんな負け組か………。
『備前浦上氏の研究』を著した浦上元は成宗の子孫だそうです。当然宇喜多氏をぼろくそに貶しているらしい。
でも、読んでみようと思ったらAmazonで59800円って何このプレミア…。