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神に仕える者、修道者による売春は昔からポピュラー
それ以外で売春は本来人がいる土地(いわゆる繁華街)でするもので人が集まらない山奥などでするものではない
山奥にいたビアンカよりもフローラの方が売春に遥かに近い存在
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ヒンズー教のデヴァダシスdevadasis(寺院娼婦)のように、古代の中東の神殿では、娼婦-巫女が女神の恵みを分け与えた。
神殿娼婦は病気を治癒する者として崇められた。
彼女たちの分泌物そのものが医療的効力があると考えられた。スーウィー教徒の「女性の膣には治癒力がある」という諺は今もなおこの考え方を暗示している。
彼女たちの唾液でさえ病気を治すことができた。イエスが唾液で盲人を治す話(『マルコによる福音書』第8章 23節)は、母
権制社会の伝承を模倣したものである。ニネヴェ(古代アッシリアの首都)から出土した粘土の銘板は、眼の病気が娼婦の唾液で治ることを示している。
霊を持つ女性としても知られ、多くの男性と交わった日本の巫女-シャーマンは、「聖なる母たち」と呼ばれていた。
彼女たちは神の花嫁となって神殿に入り、神の霊の乗り移った神主とともに横たわった。
同様の慣習は、天界のみだらなニンフを模倣したインドの寺院娼婦デヴァダシスdevadasisの特徴となっていた。
中世の売春宿は、必ずしも女子修道院と明確に区別されてはいなかった。
異教の巫女たちの集団であるcollegiaの痕跡が両方の組織にまつわりついていた。
ひとつの共同体の中で男性と女性がともに住む初期の「共同修道院」は、ときには神聖な売春婦の宿となった。
数人の教皇はローマに「聖なる売春宿」を持っていた。ナポリ王妃ジョアンナは、ローマ教皇庁があった(1307-99)アヴィニヨンの町に、
「大修道院長」という名の娼婦たちの宗教的な家を建てた。
ヴィクトリア朝時代には、歴史的な先例は忘れ去られたが、娼婦の女主人を、「尼僧院長」と呼ぶ習慣は、一般的なものとしてまだ残っていた。
フローラが修道院で売春している頃ビアンカは山奥で農作物を育て
デボラはルドマン宅で男を寄せ付けずに暮らしてたんだな