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【社説】週のはじめに考える 科学者よ、屈するな(中日新聞 2013年2月24日朝刊)
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「・・・坂田の場合、辞任の理由は明白でした。英国コールダーホール型原子炉の東海村導入をめぐり近隣住民の退避を決める際の放射線量の明示と、
それをどういうふうに決めたかの審議の内容が公開されないままでは国民に責任がもてない、という内容でした。
学者として、安全を保証できない、というのです。(略)積極派は原発推進の政治に同調的でした。(略)
◆政治に負かされたよう
しかし残念ながら、湯川も坂田も辞めるという行動でしか抗議の意思を表明できなかった。その後を見れば、まるで政治に打ち負かされたようにも
思われます。
いくつもの公害の中でも熊本・水俣病はひどいものでした。
住民に、メチル水銀の被害が現れ、1956年に熊本大医学部は原因としてチッソの工場排水に着目した。その3年後、厚生省(当時)の部会が原因は
有機水銀化合物との答申を出す。ところが毒の廃水は海に流され続け、政府の公害認定はさらに9年後でした。
一体、医師は、科学者は何をしていたのか。科学は人の苦しむのを見て見ぬふりをしていたのか。
一体、政治、行政、またメディアは何をしていたのか。科学者の責任だけにしておいたのか。
化学肥料を量産するチッソ水俣工場とは、食料増産を支える国策に違いなかった。しかし、それは苦しむ人々を放置したことにおいて、技術の進歩でも
国家の発展でもなかったといえるでしょう。
原子力は、より大きな国家的目的を与えられてきました。草創期は被爆国ゆえの核の平和利用、オイルショック後には石油の代替、最近の温暖化対策
ではクリーンエネルギーであるというように。(略)
◆科学技術は人のため
しかし、どうでしょう。もし、科学者が日和見になったり、骨抜きにされたら、科学は害悪をもたらすのではないか。
それこそが公害の歴史でした。見るべきものを見逃し、唱えるべきことに沈黙してきたのです。(略)
科学技術とは、人のためにあるべきものです。だから今度こそ科学者が屈することなどあってはならないと強く思うのです。」(以上、記事より引用)