13/03/12 04:17:39.49
>>124からの続き
>ニコライ2世は軍にデモやストの鎮圧を命じ、ドゥーマには停会命令を出した。しかし鎮圧に向かった兵士は次々に反乱を起こして労働者側についた。
>2月27日、労働者や兵士はメンシェヴィキの呼びかけに応じてペトログラード・ソヴィエトを結成した。メンシェヴィキのチヘイゼが議長に選ばれた。
>一方、同じ日にドゥーマの議員は臨時委員会をつくって新政府の設立へと動いた。ニコライ2世は退位へと追い込まれ、ロマノフ朝は崩壊した。
>>10
これを読んで貰えたらわかると思うが、2月革命は、長引く戦争で疲弊した国民が、食糧を求めて「パンをよこせ」をデモをした事から始まった
この革命は誰かが焚き付けたわけではなく、疲弊が余りに酷かった為、人々が集まって互いに不満を述べ合う内に憎しみと怒りが増大して行き
政府に対する強烈な怒りが込み上げてきて、本当に、自然発生的に「戦争反対」や「専制打倒」へと要求が拡大していった。
駄目押しになったのが、警官隊が発砲し、市民に多数の死傷者が出た事だったという
夫や息子を戦地に取られ、あるいは戦死させられ、ひもじい思いまでさせられて耐えてきたのに
食糧を寄越せとデモをしただけで黙れと言って市民を殺すとは何事だ!私達は貴様らの奴隷じゃないぞ!
結局ロシア帝国民はこの発砲で完全にブチ切れしまい、ニコライ2世許すまじ!皇帝一族許すまじ!となって、血腥い革命の火蓋が切って落とされた
FEMAで弾圧などすれば、逆効果で、恐らくその弾圧が、ロシア2月革命における警官隊発砲に匹敵する、革命勃発の引き金になるだろう