13/01/11 22:49:26.87
野口旭:財政政策派に対する不満をもうひとつ指摘すると、彼らももちろんデフレギャップを重視するわけですが、それがなぜここまで拡大し続けてきたかに対する認識が決定的に甘いと思います。
リチャード・クーは、資産デフレで企業のバランスシートが悪化して、企業が投資をせずに借金返済にばかり走っているからデフレギャップが開くんだと主張しています。
でも、資産デフレによるバランスシートだけの問題なら、企業がこれだけ調整を積み重ねるなかで、デフレギャップがこのようにどんどん拡大し続けるはずはない。
デフレギャップは90年代後半のほうが前半よりもむしろ大きくなっている。バブル崩壊の後始末としての過剰債務処理なら、そんなのは97年くらいでとっくに済んでいる。
にもかかわらずデフレ・ギャップがその後も拡大し続けるのは、デフレ経済への本格的な移行のなかで、デフレ期待がどんどん高まっていったからです。
投資を手控え、借金を返済し、キャッシュ・フローを積み重ねるという行動を、企業がその後ますます強めていったのは、このデフレ期待のためです。
だから、とにかく政府が財政支出で需要を支え続けて、企業のバランスシートがきれいになるまで待てばいいという、リチャード・クー流の待ちの戦略ではダメなんです。
というのは、いくらバランスシートを改善しても、デフレ期待が続く限り、企業は投資をしませんし、家計は消費をしませんから。
そして、人々が支出を拡大させない限り、政府は財政赤字をもって膨大なデフレギャップを永遠に埋め続けなければならなくなる。
しかし、小渕内閣のあの超拡張財政をもってしても、結局デフレは止まらなかったわけですから、要するにデフレギャップは完全には埋まらなかったのです。
われわれのような金融政策派が、インフレ目標政策のような金融政策によって、人々のデフレ期待そのものを壊してしまわない限り、自律的な成長経路には決して復帰できないだろうといっているのは、そのためです。