14/01/26 23:52:17.49 hmcCbBLvP
>>589
家康は関ヶ原で約半分の大名を敵に回してかてたおかげで
そいつらの所領を削って譜代や一門衆に分配できたのが大きかった
東軍についた外様を遠隔地に飛ばすのにも使えたし
(加増ってことで納得させられた)
これに比べて秀吉は島津、毛利、長宗我部、上杉、徳川、伊達と
ほとんどの有力大名を存続させた。潰したのは上杉だけ
それだけに弄れる余地が限られたし、一門衆や譜代に分配できる分も多くなかった
つか、そもそも信頼できる一門衆が少なかったし
あと家康が巧妙だったのは中央政界から大領を有する外様はもちろん
御三家や越前松平家まで排除してしまい、領土の狭い譜代大名を老中なんかにつけた
中央政界に絡む大名と強力な独立軍を持つ大名を分離したことで
家康自身が豊臣政権でやったような専横を抑えることができた
(逆を言えば、幕末に最大の外様・島津が中央政界に乗り込んできた時点で
徳川政権の崩壊が確定するんだが)
信長は長宗我部を臣従させる方針から攻める方針に転換したように
国内の有力な外様を武力で一掃するプランだったのではあるまいか
上杉も滅ぼし、毛利も北条も主力軍をぶつけて滅ぼす計画だったのでは
秀吉が外様の降伏を許して統一を急いだのはある意味拙速だったと言えるかもしれないけど
おそらくあれは日本国内の統一はまだ中間点で、大陸進出を見越せば
早めに、戦火少なく統一を成し遂げたほうがいいって考えだったんじゃないかなぁ