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・東京大学文学部仏文科卒
・生粋の共産主義者
・常に遅刻気味で、食パンをパクパク食べながらやって来るのでついたあだ名が“パクさん”
・アニメ監督なのに一切絵が描けない。
・大学卒業後、東映入社。初監督作品は29歳の時の「太陽の王子ホルス」。当時から作業が遅く、制作遅れの責任をとらされ何人もプロデューサーがクビになるが、本人はあまり気にしなかった。
・鈴木Pとの初コンタクトはアニメージュのホルスへの取材依頼の電話。「私がインタビューに応えたくない理由」を電話口で延々一時間も力説。鈴木呆れる。
・東映労働組合の書記長に就任。「みんな辞めずに最後まで戦おう!」と演説するも、本人はそのあとすぐ宮崎駿を連れ退社。「みんなに辞めるなとは言ったが、僕が辞めないとは言ってない。」
・ハイジ制作も当然のように進行が遅く、毎週ギリギリで切羽詰まっている最中「そもそもなぜ毎週アニメを作らなければいけないのか」を担当相手に3時間も議論。駿がキレる。
・ナウシカ制作時に駿からプロデュースを何度も依頼されるも断固として断る。しまいには大学ノート一冊分の「私がプロデューサーにむいていない理由」論をまとめて提出。駿号泣。
・それを見た鈴木がブチ切れるとあっさりプロデューサー就任を承諾。
・ナウシカのヒットで駿に入ったギャラ6000万円を高畑の『柳川堀割物語』に投資するも、半分も制作しないうちに全部使い切る。なぜか駿の家が抵当に入る。
・ラピュタ制作の拠点探しが難航していた時、「いっそ自分たちの会社(ジブリ)を作りましょう」と発案したのは高畑。
・だが、いざジブリができると「クリエイターは経営責任を負うべきではない」と駿と鈴木に全責任を丸投げ。今も高畑はジブリ幹部でもなんでもなく、ただの“ジブリ所属”
・「○○という映画を作るべきだ」と毎回企画を提出するも、「僕が作るとは言ってない」とゴネる。当然のように企画が進まない。
・富野や駿に全く物怖じしなかった庵野曰く「高畑さんはいつもにこやかだが目が笑っていない。怖い。」
・ジブリを常に支えてきた氏家会長は高畑の大ファン。晩年「死ぬまでに高畑の新作がどうしても見たい」と切望するが、本人はとくに気にせずのんびり制作。
・結果、かぐや姫のラッシュも見れず氏家会長逝去。
・かぐや姫を8年前から制作していたのに、2年前から制作しはじめた風立ぬにあっさり追いつかれた挙句、同時公開も叶わず公開が3か月遅れる。