13/11/09 00:42:11.17 0
連合赤軍浅間山荘事件・吉野雅邦
千葉刑務所十工(介護工場)での吉野は実に献身的で前向きな男だった。仕事はもちろん
ソフトボールではキャッチャーとして大きな声を出し、短歌クラブにも参加。卓球では
強姦殺人犯と組み、最強のダブルスチームとして活躍した。父ほどの年齢の爺さん懲役の
車椅子を押す吉野を見ていると、とても全国を震撼させた連合赤軍の闘士には見えない。
散髪で一緒になった際、吉野の頭部にひどい傷跡があったことだ。五分刈りの吉野の頭には
思わず目を背けたくなる様な深い裂傷跡があった。機動隊にやられた跡なのだという。
「なあ、吉野さん、あなたはこんな介護の仕事を嫌な顔ひとつせずよくやりますな。見ていて
いつも感心しとるんです」すると吉野は照れ笑いを浮かべた。
「いいえ、僕はこういう仕事、結構自分にあっていると思うんですよ。それほど苦に思った
ことはないです」「あんたなら、早くシャバに出て、こういう仕事すぐにでもできるんと違う?」
「ハハハ、そうだといいんですが・・・・」「でも、僕は出られないでしょう。そんな気がします」
「いろいろ、昔の仲間のこととかありますしね、でも僕は一生出られなくてもいいんです。
そういう覚悟でなければいけないと思います」
かつて革命を目指した男の心は揺れているようだ。拘置所時代が長かった吉野だが、すでに千葉
刑務所での服役期間は25年を超えた。私は彼があと5年程度で仮釈放されるものと信じている。
(「31年ぶりにムショを出た」金原龍一より)