12/03/19 17:52:30.51 0
稲川総裁は、安藤組解散後も渋谷を離れない目障りな残党(第二期安藤組)の
吸収ないしは懐柔のため、そのトップ格の花田を義理・カネ・盃で引き抜くが、花田が連れてきたのはわずかな人数。
他は西原殺しのしこりや各グループの思惑もあり、名の通った幹部たちは行動を共にしない。
花田の影響力に失望したのは、その後の処遇でわかる。
花田には縄張りを与えず右翼系のそのまた補助組織に配置、大物気分の抜けない花田よりヒラの組員だった若手を取り立てて発奮させ忠誠心を植えつけた。
その前の安藤氏の引退と組解散もその一因は、総裁のやり方を予想したからと妄想。
「世話になったし、これまで親分と思ったのは稲川さん1人だけだ」的な安藤発言は額面どおりに受け取れない。
安藤氏のその後の世渡りのためのリップサービスでは…