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NEWSポストセブン 2021.06.02
あれから23年、「衝撃の落選」がなければカズはもう引退していたか?
「衝撃の落選」から23年が経った─。1998年6月2日、フランスW杯を直前に控えたサッカー日本代表の岡田武史監督(当時)は、合宿地のスイス・ニヨンで「外れるのはカズ、三浦カズです」と三浦知良のメンバー漏れを発表した(同時に北沢豪、市川大祐も落選)。強ばった表情が事の重大さを表していた。
カズは長年、日本のエースとして君臨してきた。1992年のアジアカップでは初優勝の立役者としてMVPに選ばれ、1993年に開幕したJリーグでも初代MVPに輝いた。同年のアメリカW杯最終予選では4点を決め、大会得点王に。勝てば出場の決まる最終戦のイラク戦でも先制ゴールを挙げる。だが、ロスタイムに追いつかれ、W杯出場は果たせなかった。まさかの幕切れは“ドーハの悲劇”と呼ばれた。
雪辱を期した1997年のフランスW杯最終予選、カズは9月7日の初戦ウズベキスタン戦で4ゴールを挙げる大活躍を見せる。しかし、3戦目のホームの韓国戦で尾てい骨を痛め、その後も強行出場したことで、状態は悪化。ゴールから遠ざかり、チームは勝てない。30歳の“ベテラン”カズはバッシングの対象となった。
同年9月に開設されたカズのホームページの掲示板には「引退しろ」「点の取れないFWはいらない」「もうお前さんの時代やない」などの書き込みが相次いだ。10月、管理人が削除した悪質な誹謗中傷は全体の3割にも及んだという(1997年12月22日放送のNHK総合『W杯へ 試練の71日間 ~カズが語るアジア最終予選~』参照)。
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