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コミュニティーニコニコ事典より
西原公園、ケヤキ並木のそばにある古墳。後期古墳時代のものと思われる。栂丘陵にあった多くの古墳は「牛石古墳群」と呼ばれているが、その象徴的なものがこの古墳。
盗掘がひどくて副葬品はまったく出土せず、表面の土もはぎとられて石室の天井石がむきだしになっており、そのかたちが牛の寝た姿に似ているから「牛石」と言われるようになったという。被葬者は須恵器の生産にあたっていた陶工を配下に従えた族長クラスの人物と思われる。
このあたりは昔は人家も少なく、キツネがすむ寂しいところだった。近くの大方池の水が血のような色に濁るのは、何者かがこの石に斧を打ち下ろしたために石から流れ出る血のせいだというような不気味な伝説もあり、あまり人が近づかない場所だったそうだ。牛石から原山大師(現在の原山台3丁付近)に至る道は丑の刻参りが行われた参道であったともいう。