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伽王の信心に同じく般若蜜外道が意の邪見なりしも須達長者が正見に異らず、即ち知ん
ぬ此の法身の本は衆生の当体なり、十方諸仏の行願は実に法身を証するなり、次に報身とは大師の云く「法如如の智如如真実の道に乗
じ来つて妙覚を成ず智如の理に称う理に従つて如と名け智に従つて来と名く即ち報身如来なり盧舎那と名け此には浄満と翻ず」と釈せり、此
れは如如法性の智如如真実の道に乗じて妙覚究竟の理智・法界と冥合したる時・理を如と名く智は来なり。/正嘉二年 三十七歳御作
我が身が三身即一の本覚の如来にてありける事を今経に説いて云く如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如
是報・如是本末究竟等文、初めに如是相とは我が身の色形に顕れたる相を云うなり是を応身如来とも又は解脱とも又は仮
諦とも云うなり