11/08/29 22:07:09.99 fZrrP56r0
>>476
語源の『大学』・『中庸』にあるように、「正鵠(せいこく)を失う」という表現からきています。
この場合の正鵠は「正も鵠も、弓の的のまん中の黒星(『角川漢和中辞典』)」のことで、
射てど真ん中の黒星に当てることができたかどうか、当たったら「得た」といい、はずれたら
「失う」と表現していたのです。
矢で的を射るのは当り前としても、必ずしも的に、まして正鵠に当たるかどうかは
示していない表現が「的を射る」です。たとえば、
“[中庸、十四]子曰く、射は君子に似たる有り。諸(こ)れ正鵠を失するときは、
反って諸れを其の身に求む。(平凡社『字通』白川静著)”と「失する」という表現をしています。
「失」の反対は「得」であり、「射」ではないのです。
そうでなくても、もともと「得」という字には「あたる」という意味があります。
だそうだ。で、俺はそういう説もあるよと言ってるだけな。どっちが正しいと言うつもりは無い。