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新皇位継承「5つの疑問」【全文公開】
週刊文春:2016.08.14 07:00
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〈天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する〉
皇室典範第四条にはこう明記されているが、天皇の崩御以外に皇位継承については想定されていない。
天皇の「生前退位」の実現には皇室典範の改正など法的措置が必要になる。
新しい皇位継承のもとで皇室はどう変わるのか。
■退位した天皇の呼び名は?
天皇が生前退位された場合、第119代の光格天皇以来、約200年ぶりの譲位となるが、先帝となった天皇の呼称はどうなるのか。
「その際の呼び名は皇室典範に規定がなく、近代でも例がありません。歴史的に見ると、『太上(だいじょう)天皇』(上皇は通称)が一番有力でしょう。皇后の美智子さまは『皇太后』になられます。こちらは現行典範にも規定があります」(皇室ジャーナリスト・山下晋司氏)
「太上」の由来を古代史に詳しい聖心女子大学の佐々木恵介教授が解説する。
「語義そのものは『もっともすぐれた』という意味のようですが、本来、太上天皇の称号は、中国で退位した皇帝に奉られる称号の『太上皇』や『太上皇帝』にならったものです。日本の律令制度では、太上天皇は退位した天皇に自動的に付与される地位でした」
日本で最初に生前退位が行われたのは645年。
第35代皇極天皇は、前代の舒明天皇が没後に即位した女帝で、皇后から天皇になったが、「大化の改新」で有名な息子の中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼした乙巳(いっし)の変の後、弟に譲位して、第36代の孝徳天皇が誕生したという。
実は125代の歴代天皇のうち約半数が生前に譲位をしていた。なぜ現行の典範に規定がないのか。
「明治憲法制定の際、旧皇室典範に『天皇より上の地位を作らない』と定めたことの名残です。現行典範は一般の法律として改めて制定されたものですが、旧典範を受け継ぐ部分も多いのです」(日本大学教授・古川隆久氏)
ただし、日本大学教授の百地章氏は、もし認めるとしても、生前退位実現までの道のりは長いと解説する。
「皇室典範第四条の改正ですね。特別措置法で一代限りの例外規定を作るという意見もありますが、これでは何でもできてしまう。本来的に、天皇陛下は安定した皇位継承の制度を望んでおられると思いますし、立憲君主制である以上、典範の改正には慎重でなければならないと考えます」
■秋篠宮は皇太弟に?
「皇太子殿下が即位されれば、秋篠宮殿下が皇位継承順位第1位となります。しかし、現行典範上は皇太子となるわけではなく、皇太子の地位が空白となる。皇太子ではなく『皇太弟』となる、といった風説もありますが、現行典範にはそんな言葉は無い。歴史的に天皇の弟が皇太弟と呼ばれていたことはありました」(皇室担当記者)
現行典範の第八条は、皇太子をこう定義している。
〈皇嗣たる皇子を皇太子という〉
皇子とは天皇の息子を指すため、兄である皇太子が天皇になったとしても、弟である秋篠宮は皇太子とはならないのだ。
「現行典範では親子間の直系継承しか想定していないのです。現状を考えると秋篠宮殿下のために皇太弟の身分を設けるなど制度の見直しが必要なのは明らかでしたが、これまで見送られてきた。東宮家に男子誕生の可能性は常にあるという前提からです」(同前)
ちなみに過去、皇太弟が起こした反乱もある。
有名なのは、天智天皇の子・大友皇子に対し、同天皇の弟の大海人皇子が起こした壬申の乱(672年)だろう。
皇太弟・大海人皇子は1カ月余の戦いの結果、勝利し、第40代の天武天皇として翌年即位した。
■上皇 法皇 権力闘争史
01年11月、参議院で行われた「共生社会に関する調査会」の中で、高橋紀世子議員(当時)の「天皇も人間ですから、天皇自身が望まれたときは退位なされるようにした方がいいと思うが」という質問に、宮内庁の羽毛田信吾次長(当時)はこう述べている。
「(退位を認めていない理由は)歴史上いろいろ見られたように、上皇や法皇的な存在というものの弊害を生じるおそれがありはしないかということと、必ずしも天皇の自由意思に基づかない退位の強制があり得るということです」
>>2へ続く