16/08/03 21:19:15.12 CAP_USER9.net
旭日(きょくじつ)旗や日章旗を手にしたデモ隊が街頭を練り歩く。聞くに堪えない罵声が飛び交う。
「死ね、殺せ」「首を吊(つ)れ」「日本から出ていけ」
憎悪の矛先を向けられるのは、在日コリアンをはじめとする外国籍住民だ。
こうした“ヘイトデモ”は10年ほど前から外国籍住民の集住地域を中心に、各地で見られるようになった。
へらへら笑いながら「おーい、売春婦」などと沿道の女性をからかう姿からは、右翼や保守といった文脈は浮かんでこない。
古参の民族派活動家は私の取材に対し「あれは日本の面汚し」だと吐き捨てるように言ったが、当然だろう。ヘイトスピーチをぶちまけ、外国人の排斥を訴えることでどうにか自我を保っていられる、単なる差別者集団だ。
「本当に殺されるかもしれない」。在日コリアンの女性は、脅(おび)えた表情で私にそう訴えた。デモ隊から「朝鮮半島に帰れ」と罵声を浴びせられながら、じっと耐えている男性もいた。
彼はデモ隊が通り過ぎた後、こぶしを地面に叩(たた)きつけながら泣きじゃくった。
ヘイトデモの隊列は、地域に、人々の心に、大きな傷跡を残していく。
参加者たちはデモを終えれば居酒屋で乾杯し、差別ネタで笑い転げ、「来週もがんばろう」と気勢を上げて、それぞれの生活圏に帰っていく。
まるで週末の草野球にでも参加しているような感覚なのだろう。社会にとって大事なものを壊しているのだという自覚などない。
多くはネット掲示板などで外国人排斥の書き込みに忙しい者たちだ。それだけでは飽き足らず、いつしか街頭に飛び出してきた。高校生から年金生活者まで世代もさまざま、女性の数も少なくない。
なぜ、そんな醜悪なデモを繰り返すのか。半ばケンカ腰で取材する私に対し、ヘイトデモ常連の男性は吐き捨てるように答えた。
「日本は日本人のための国じゃないか。奪われたものを取り返したいと思っているだけだ」
彼だけじゃない。私が取材した多くの者が、この「奪われた感」を訴えた。外国人に土地を奪われ、福祉も奪われ、正しい歴史認識も奪われ、
治安を乱され、揚げ句に領土も奪われ、そのうえメディアや行政をコントロールされている-つまり、世の中に存在する納得しがたい不可解なもの、いわばブラックボックスを紐解(ひもと)くカギとして、
在日コリアンなど外国籍住民の存在が都合よく利用されているだけだ。
彼ら彼女らに憎悪を植え付けるのは、ネットで流布される怪しげな情報だけではない。執拗(しつよう)に近隣国の脅威を煽(あお)るメディアがあり、特定の民族を貶(おとし)める書籍が流通する。
テレビのバラエティー番組で、ヘイトデモに理解を示す“識者”もいた。憎悪の種が社会にばらまかれる。そして人々は差別を“学んで”いく。無自覚のうちにヘイトスピーチを自らの中に取り込んでいく。
憎悪と不寛容の空気は、さらに新たな「敵」を生み出していった。国への補償を求める公害病患者や、震災被害で家を失い、仮設住宅で暮らす人々、生活保護受給者などに、「反日」「売国奴」といったレッテルが貼られる。
私はこの数年間、そうした現場ばかりを見てきた。
そればかりではない。差別主義者、排外主義者にとって、沖縄もまた「敵」として認知されるようになった。
私の網膜には、あの日の光景が焼き付いている。2013年1月、沖縄の市町村長や県議たちが東京・銀座でオスプレイ配備反対のデモ行進を行ったときのことだ。
日章旗を手にして沿道に陣取った集団が、沖縄のデモ隊に向けて「非国民」「売国奴」「中国のスパイ」「日本から出ていけ」と、あらん限りの罵声をぶつけた。彼ら彼女らは、日ごろから外国人排斥運動に参加している者たちだった。
沖縄の人間を小ばかにしたように打ち振られる日章旗を見ながら、沖縄もまた、差別と排他の気分に満ちた醜悪な攻撃にさらされている現実に愕然(がくぜん)とした。
「戦後70年近くにして沖縄がたどり着いた地平がこれなのか」
デモ参加者の1人は悔しさをにじませた表情で話した。
外国籍住民へのヘイトスピーチと沖縄バッシングは地続きだった。
実は、銀座の沿道から罵声を飛ばしていた者たちの一部は、その前年、辺野古にも出向いている。新基地建設反対派のテントに踏み込み、「日本から出ていけ」「ふざけんじゃねえよ」などと拡声器を使って悪罵の限りを叩きつけた。
しかもこれを「愛国運動」などと称しているのだから呆(あき)れるばかりだ。地域を破壊し、分断し、人々の心を傷つけているだけじゃないか。
このような“沖縄ヘイト”は、いま、社会の中でさらに勢いを増している。
URLリンク(www.okinawatimes.co.jp)