13/12/28 17:45:37 ipr2JDDw
前に配られた町内だよりに、いまむかし物語が書いてあって、前に話題性になった町田駅の話が出てる。
町田の町制施行は大正2年4月1日。
江戸時代から開けていた本町田に対して、原町田は二六の市という定期的な市場の開かれる商業地としてだんだんに発達してきたが、
特に明治になり絹の輸出で甲信地方、八王子と横浜を結ぶ絹の道の中継点となり、明治41年の横浜線開通で駅も出来るなどして急速に発展した。
さらに昭和3年には小田原急行鉄道が開通、原町田の西はずれと森野の境に新原町田駅が出来た。
当初計画では小田急線は横浜線原町田駅近くを通ることになっていたが地元の反対で町外れを通らざる得なくなり、そのため玉川学園駅を出た線路は南大谷で大きく左へカーブしている。
従来から栄えていた村落では現代とは異なり迷信などを理由に鉄道が通ることに反対したところは多くその後の鉄道の発展に取り残されたところは数え切れないくらいだ。
省線の原町田駅付近の町内も言ってみればそのようなものであったのだろうか。
昭和30年代以降小田急駅近くへの賑わいの大きく取り残されてしまった感がある。
幸い最近はマンションなどが多く建つようになり南北道路の便もよくなって再びにぎやかさを取り戻しつつある。