14/06/11 23:59:12.22
中本裕之 ねえ、誰か僕に構ってよ、僕の相手をしてよシリーズ
20 :無責任な名無しさん:2014/06/11(水) 21:10:15.47 ID:0IkDp5O2
丸山眞男はこういっています。《地方的郷党感情や家父長的忠誠などの伝統的道徳ないしは
モーレスの組織的動員によって形成された国民の国家意識は、中央への集中力が弛緩すれ
ばただちに自動的に分解して、その古巣へ、つまり社会構造の底辺をなす家族・村落・地方
的小集団の中に還流するのは当然である。このいわば国家意識の動員解除もきわめて急速
起った》(「日本におけるナショナリズム」)
敗戦が国民の国家意識に与えた作用をよく捉えているのではないでしょうか。国家意識は
動員解除されましたので、国民にとって戦争に敗けたことなどもはやどうでもよいことで
す。彼らはかつての村人に戻りました。戦争を起こした政府への恨みを抱くことにはなりま
すが。もともと村人は政府に対していいようには思っていません。《彼等は政府のこととな
ると、何か泥棒の組合ででもあるかのように語る慣わしを持っている》(きだみのる「気違
い部落周游紀行」)。
国家意識が失われたからといって、公共的なものが失われたとはいえません。村人にとって
ムラは公共的なものだからです。そして、クラスや課は「第二のムラ」です。《クラスや課
はムラに匹敵できましょう》(中根千枝「家族を中心とした人間関係」)。クラスや課やムラ
が敗戦によって変容をこうむったということはないので、そこに属している人間の意識が
変わったわけではありません。
ムラは自足的なものです。従って、村人からすれば、政府は「泥棒の組合」のようにしか見
えません。クラスも同じです。担任と生徒の麗しい絆さえあればよいのであって、それがあ
れば政府などいりません。日教組は反政府的ですが、それはクラスがムラだからといえまし
ょう。彼らは反日的などと罵倒されますが、むしろそれが伝統的な意識なのです。
なぜ書かれたのか全く分からない文章の一例といえよう。自分でもわからない。