11/10/13 18:22:26.73 0
満蒙の土:1部・開拓民の記憶/11 暴動 中国人将校が合図 /長野
URLリンク(mainichi.jp)
◇負傷した団長の「楽にしてくれ」という願いに、みんなが首に手をかけて息の根を止めた…
--豊丘村・久保田諫さん
<久保田諫(いさむ)さん(81)=豊丘村在住=が14歳で入植した満州(現中国東北部)の
石碑嶺(せきひれい)河野村開拓団は1945年8月15日正午の敗戦直後、不安のどん底にあった。
多くの成人男性は既に出征し、村には女性や子供計約70人が取り残された。村から約12キロ離れた
満州国の首都・新京(現長春市)では中国人の暴動が起きていた>
<翌16日朝、村に中国人の襲撃はなかった。避難中の開拓民はいったん、村へ戻る>
それぞれの家に帰ったんだが、村内の小作人や、どこからか来た中国人らがだんだんと周辺に集まって
きた。特に何かをするわけではなく、ただじっと見てるだけで、不気味な感じだったなあ。
そこへ中国人の軍の将校だったと思うが、馬に乗って現れ、空に向けて拳銃をぶっ放した。これを合図に、
中国人による暴動が始まったんだ。
16日の昼前だったと思う。中国人は家の中に入って、彼らにとって貴重だった衣類を中心に奪っていった。
窓枠を外して持って行くやつもいた。団員はこん棒でたたかれるなどの暴行を受け、これはたまらんという
ことで、着の身着のまま、山のふもとや学校に逃げた。
<16日夕、更に暴動が続く危険があると、筒井団長の判断で、村を捨てる。危険な新京の街ではなく、
日本海を隔て日本列島により近い東側の吉林(現吉林市)に向け、約90キロの逃避行を始める>
吉林街道(新京-吉林間)沿いの三つの集落を越え、約6キロ歩いたところにあったトウモロコシ畑で
休憩することになった。もう暗くなっていたが、そこにも中国人が来て、衣類を脱げなどと言ってきた。