世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察at WHIS
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察 - 暇つぶし2ch859:世界@名無史さん
11/06/28 21:53:26.59 0
慶長の役の目的に南部4道の領有は掲げていない。

明の征服を止めるとは一度も言っていない。
明まで征服するぞと言っている。

860:世界@名無史さん
11/06/28 23:19:09.25 0
>>858
>目的は敵対勢力の掃討やら朝鮮南岸の橋頭堡の拡張やらの再侵攻の
秀吉の命令を素直に読めば、敵対勢力の掃討と朝鮮南岸の橋頭堡の拡張
ではなく、正しくは、敵対勢力の掃討と朝鮮南部への橋頭堡建設だろ。
>下準備でさらにはもしも明軍を全滅させたら明まで攻め入る、
秀吉の命令のソースは?



861:世界@名無史さん
11/06/28 23:44:30.35 0
朝鮮役に関する欧米人の見解でこんなのを見つけたぞ↓

「六年半という期間、日本軍は大規模な軍事行動を二度起こしたが、彼らはこの中で殺戮と破壊のみに終始した。
日本側の地上軍は、その大部分の戦いで勝利し、朝鮮半島地域の大部分を席巻した。彼らはほとんど敗れることなく、
多くの将軍が子孫末代まで続くほどの名声を得た。こうした観点から見ると、
日本軍が起こした戦争はイピロスのピュロス王やハンニバルが起こした戦争と似たところがある。
ピュロス王やハンニバルともに、彼らが起こした戦争を通じてイタリア半島の広い地域を荒廃させ、
ローマの主導権を脅かし、ほとんどの戦闘を勝利に導いた。しかし結局、戦争そのものには敗北した。
一方、日本と彼らの間には異なる点がある。ピュロス王やハンニバルを倒した相手はローマであり、
その後ローマはギリシャを征服してカルタゴを破壊した。
一方、朝鮮や中国は、日本による征服は退けたものの、戦争に勝ったとは言いがたいのが実情であり、
再び戦争以前の状態に戻ったのである」・・・ウィレム・ブート オランダ、ライデン大学日韓言語文化学科教授

862:世界@名無史さん
11/06/28 23:51:05.52 0
半島をさんざん戦場にして荒廃させて、何百年かあとに再入植して
渾然一体の経済圏ができかけたあたりまでは
むしろ第三次ポエニ戦争のローマが日本だよね

半島出身の議員や将官さえいたし。

863:世界@名無史さん
11/06/29 01:47:39.28 0
>>859
じゃぁ文禄の役の講和条件を理由に、いつの間にか明征服を諦めたことになってるが、
あくまで最終目標は明征服なのかな。
明王朝が元気ならこんな発想はしないだろう、秀吉は明王朝は末期って情報を持ってたのか。

864:世界@名無史さん
11/06/29 03:16:05.10 0
文禄の役後の講和交渉は
秀吉は本意ではないって言ってるよ
秀次を総大将に侵攻するプランもあったし。


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