世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察at WHIS
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察 - 暇つぶし2ch2:世界@名無史さん
10/10/24 09:01:55 0
2get!

3:世界@名無史さん
10/10/24 20:45:11 0
この戦役での明軍の軍費は、
どのくらいだったのだろう?

4:世界@名無史さん
10/10/25 07:54:56 0
日本軍が連戦連敗だったの?

5:世界@名無史さん
10/10/25 11:23:41 O
大局では負けたかもしれんが局地戦は連戦連勝。秀吉の死が大きい。


6:世界@名無史さん
10/10/25 12:02:57 0
秀吉が死ななければ、三路の戦いで数万以上の損害を出し、
逃げ腰になっていた明軍が春からの秀吉の帰朝之衆派遣計画
に対しきるのは不可能。

秀吉も年老いて、秀頼の誕生で明征服どころではなかったろうから、
明軍壊滅後、ある程度日本に有利な条件で戦役を終らせたかもしれない。

7:世界@名無史さん
10/10/25 12:03:57 0
訂正
数万以上→数万

8:世界@名無史さん
10/10/25 14:56:45 0
日本ってこの頃から外交が下手だね。
日露戦争でも戦闘には勝ってたのにね。

9:世界@名無史さん
10/10/25 18:21:23 0
そうか?日露戦争は、戦闘より外交のうまさが際立った戦いだと思うけどな。

秀吉の外交も小西や宗に振り回されてたが、明帝国も沈惟敬一人に振り回されてる
ところをみると相当な外交下手w

10:世界@名無史さん
10/10/25 23:08:28 0
秀吉も内心では、明の皇帝の臣下って自覚があったと思うよ。

11:世界@名無史さん
10/10/26 01:18:57 O
ないない

12:世界@名無史さん
10/10/26 07:39:23 0
>10 おかしい。
日本国王の金印を明から送られて、激怒してるよ、秀吉。

13:世界@名無史さん
10/10/26 17:45:14 0
>>12
明からの書状で勘合貿易の復活を認可されていたら、
秀吉のリアクションも変わっていただろうにね。

14:世界@名無史さん
10/10/26 19:08:39 0
秀吉が勘合貿易を許された場合のリアクションは、この人物が参考になる。

アルタン・ハーン(俺答汗、1507 - 1582)
モンゴルを支配したハーン(在位:1551 - 1582)。ダヤン・ハーンの孫。
1542年には明遠征での功績により、正統ハーンを補佐する次席ハーンとなる。
これにより、内モンゴルの西半分に遊牧するモンゴル右翼3万戸の最有力指導者となった。
1550年にも明に侵攻し、北京にまで迫った。
1551年には正統ハーン位に推戴され、即位した。
その後も明・モンゴルで積極的な活動を続けて勢力を拡大する。

1570年に明と和平交渉を行ない、1571年に和平条約を締結した(隆慶封貢/隆慶和議)。
このとき、明から順義王に封じられ、一族の者や配下にも明の官職が与えられた。
そして朝貢を許され、その地位に応じて年金が与えられた。
1582年に死去した。76歳。長男がハーン位につき、明から次の順義王と認められた。

1542年に山西省に侵攻した際、20万人を虐殺し、200万の家畜を略奪し、8万軒を焼き払った。
1550年に北京に迫った際、明軍を北京に籠城させるまでに追いつめたこともある。
その反面、亡命漢人の官僚、白蓮教徒、生活苦で逃亡してきた農民などを積極的に受け入れ、
彼らの文化を受け入れて多くの都市を建設するという優秀な内政手腕も持ち合わせていた。

15:世界@名無史さん
10/10/26 21:03:43 0
李成梁を利用するべし

16:世界@名無史さん
10/10/27 07:51:14 0
?

17:世界@名無史さん
10/10/27 16:45:28 0
>>14
勘合貿易してねえじゃんw

18:な
10/10/27 17:29:16 0


19:世界@名無史さん
10/10/28 16:00:13 O
歴史的に中国との付き合い方を熟知していた蒙古人と秀吉を一緒にできるか(笑)

20:世界@名無史さん
10/10/28 18:38:42 0
藤原摂関家とか平清盛も宋とかに臣下の礼をとってたらしいよ。

21:世界@名無史さん
10/10/28 21:18:07 O
ああ、だが戦争仕掛けた奴はいないな

22:世界@名無史さん
10/10/31 21:13:23 0
413年前の鳴梁海戦、勝利のカギは「潮流」

戦闘当日の正午、満ち潮から引き潮に変わったのを機に一斉攻撃

朝方の満ち潮時には接近を防ぐため砲撃、夕刻の満ち潮時には後退…戦列を整備

URLリンク(www.chosunonline.com)
Chosun Online | 朝鮮日報

23:世界@名無史さん
10/10/31 22:02:53 0
李舜臣が、その後どんどん後退して制海権が日本側に移った事実は書かかないの?

24:世界@名無史さん
10/11/02 21:38:07 0
朝鮮征伐

25:世界@名無史さん
10/11/04 12:43:48 O
>>10

どこの国の人ですかwww

26:世界@名無史さん
10/11/04 21:21:09 O
事実として有力大名は当然として、地方大名すら数える程しか死んでない(病死含む)
数年後の関ヶ原ではみんなガチ、朝鮮の役ではあれだけみんな死傷しました壊滅寸前ですって軍監に報告してたのに
関ヶ原では何事も無かったように大軍率いて大暴れ

27:世界@名無史さん
10/11/05 05:33:03 0
\ | /
   ― Θ ―
   / °\
  ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( こ公こ)<  そうだったノカー!
 ( つ  つ  \_______
  〈 〈\ \
  (__)(__)

28:世界@名無史さん
10/11/05 18:16:46 0
秀吉は、なぜ明に臣従する気になったのだろう?

29:世界@名無史さん
10/11/05 19:43:44 0
秀吉はスペイン、欧州のアジア侵略を見据えて先手を打った

30:世界@名無史さん
10/11/05 20:42:04 0
そして、明の皇女を日本の天皇に降嫁してもらい、
自らは日本国王に冊封されて、明の臣下になるつもりだったのに、
明からは朝貢(貿易)を認められず、ブチ切れたわけだ。

31:世界@名無史さん
10/11/05 20:52:43 O
中学生でもわかるしょうもない釣りやめろな。

建前でさえも豊臣が臣従しなかったから戦争起きたのに。

世界史的には明の没落早めたのが主かのう。

ヌルハチにはまったく日本軍との経験が活かせなかったみたいだが。

32:世界@名無史さん
10/11/06 20:00:49 0
文禄の役におけるソウル城防衛戦
慶長の役における朝鮮半島南部での各倭城防衛戦
ともに日本側が明・朝鮮側の攻撃を
恐れて城内に立て篭もった状態での
戦闘だ。日本側の勝率が高いのも
その多くは防衛戦での守備側だったからだ。
大体、日本側が明軍を恐れていたのは
文禄の役の戦略目標が大明国の征服だったのに
慶長の役では朝鮮半島南部の征服に変わったことでも
判る。




33:世界@名無史さん
10/11/06 20:11:21 0
前線で戦ってた兵士と
秀吉の間に入ってた役人(石田三成)が何かやらかして
秀吉の前線に対する手酷い懲罰に失望して士気が失せて撤退したらしいよ

34:世界@名無史さん
10/11/06 22:42:59 0
文禄・慶長の役で日本軍の勝率が高いのは日本軍が明軍より
強いからじゃない。
日本軍の実態は諸大名混成軍であり、それぞれ出兵した諸大名
は将兵から軍資金まで持ち出しで出兵している。
だから名護屋城大本営からの命令であっても、勝敗の覚束ない
戦いは避けるようにするが、明軍の将兵は将軍のその取り巻き
の手勢を除き、すべて皇帝の将兵であり北京からの命令は逆らう
ことが出来ない。だから結果的に勝率に開きが出てしまう。
だいたい日本が明に勝利した戦いはその殆どが倭城を守備する日本側
に対し明軍が攻め寄せている攻城戦ばかりだ。
慶長の役に投入された日本軍は14万以上にもなるのに10万ほどしか投入
していない明軍あいてに倭城の守備に徹しているだけでも日本側が明側
をいかに恐れていたがわかる。


35:世界@名無史さん
10/11/07 02:40:25 O
自分の得意な状況で戦うのが当たり前。
ボクシングでインファイターがアウトボクサーにアウトボックスで血だるまにされたからって、インファイターが「足止めて打ち合わないのはズルい」なんて言っても、アウトボクサーとしては打ち合いに持ち込めないお前が雑魚、としか言えないわなぁ。


36:世界@名無史さん
10/11/09 07:30:55 O
日本軍の方が多いと主張する馬鹿チョン再び沸いたのか。

どうでもいいが軍事的にみれば単純に日本が勝ってたのは明白。

攻め込んでたからな。

たんに維持する価値がなかっただけ。



37:世界@名無史さん
10/11/09 20:21:13 0
維持しようと思えば出来たってのはちょっと過大評価し過ぎじゃないか

38:世界@名無史さん
10/11/10 06:38:22 0
戦争目的を達成できなかった点では日本の敗北だろ
国土防衛できた朝鮮の勝ちは明らか
まぁーあれだベトナム戦争と同じだ

39:世界@名無史さん
10/11/10 07:18:17 0
日韓併合前に朝鮮人は朝鮮討伐の件で日本人を嫌ってたそうだけど
300年経っても相当トラウマが残ってたのだな

40:世界@名無史さん
10/11/10 09:59:29 O
秀吉の朝鮮出兵当時、日本に元寇の復讐をされていると思っちゃう民族だからね、朝鮮人にとって恨みは数百年続くのが常識なんだろう。

41:世界@名無史さん
10/11/10 14:10:52 O
江戸時代の朝鮮って、朝鮮通信使をつかわして侵略国に一方的に挨拶に来て、
国書をはさんでとはいえ臣下の礼をするという、
割合屈辱的な儀礼を行うくらいの現実的な政治感覚あったのに
なぜ西欧の軍事力をみすごしたんだろうか。

42:世界@名無史さん
10/11/10 16:42:53 0
>>38
単なる戦場が物を語るなw


43:世界@名無史さん
10/11/10 17:13:12 0
>>41
朝鮮は今の日本と同じで、宗主国様に軍事的に依存してたからだよ。

でも、日本の方もずっと火縄銃だったわけでね。
西洋では火縄が使われていたのは10年足らずですぐにフリントロックに移行した。
日本の銃は西洋の銃が直接伝わったわけではなく、
いまのマレーシアかシンガポール辺りで大量にコピーされた劣化版がベースになってる。
その後、フリントロックが伝わってもコストや技術的な制約で普及はせず、
逆に火縄銃のまま洗練をかさねて火縄銃としては世界一の性能を持つに至る。
日本のガラパゴス癖はこの頃から、ていうかずっと昔からの持病だよな。

司馬史観の人はよく徳川家じゃなければ銃の進化も違っていたというけど、
西洋が紀元前から積み重ねてきたベースになる技術・理論が日本にはまったく無い。
銃尾をつめるネジ一つ満足につくれなかったんだから、結局コピーしかつくる能力が無く
進化など出来るわけはなかった。

朝鮮も同じように中国に武器開発や所持は厳しく管理されていた。
もって無いわけじゃなかったから、中期から重火器が大量に出てきて制海権を握られたわけだしね。
まあ、その火器も中国と同じタイプの物だから、純粋な西洋火器とは言えないが。


44:世界@名無史さん
10/11/10 21:26:43 0
>>41
そんな寝言、誰に教わったんだ。
朝鮮通信使は完全に対等外交だぞ。

45:世界@名無史さん
10/11/10 22:08:50 O
代替わり毎に挨拶に家に来る奴が主人か家来か考えたことある?
中華は返礼としての使者は出すが基本的に来させてたでしょ。
いろんな外交的に技巧的なことはしたがな。


46:世界@名無史さん
10/11/11 18:03:41 0
朝鮮側は対日外交を対等なものと考えていたし、
幕府も朝鮮に対してそのように接した。いわゆる善隣外交だ。

朝鮮使節の来日を、琉球使節と同じように将軍家のご威光に利用はしていたが、
それは日本側の国内事情であって、朝鮮のあずかり知らぬこと。
異国(朝鮮・琉球・オランダ)からもはるばる公方様に挨拶に来るというのを、
幕府が諸大名や民衆に対する将軍の権威づけに利用したことは事実だが、
朝鮮との実際の外交は完全に対等なものだった。

むしろ、新井白石は朝鮮使節聘礼が厚遇すぎ、日本が謙譲しすぎだと考え、
接遇の簡素化と、大君号をやめて「日本国王」号の使用に踏み切った。
さらに対馬藩の実務レベルでの交渉では、対馬側が属国扱いされている。
(プサンの倭館では、対馬藩の役人が朝鮮国王の名前を書いた位牌のようなものに、
朝鮮側の官員が居並ぶ前で平伏・拝礼させられていた)

47:世界@名無史さん
10/11/13 22:46:48 0
フリントロックが優れているだと・・・
マッチロックと大差ないわ
湿度の高いアジアでは火縄のほうが信頼性が高いから使われたんだろ
後込式ライフルまで五十歩百歩だろ

48:世界@名無史さん
10/11/13 23:08:25 O
>>47
銃の進化については
「順番踏まえろよ派」と
「はあ?遠回りする必要ねえじゃん派」
があるのは聞いた事がある

49:世界@名無史さん
10/11/15 01:37:35 0
>>46
>(プサンの倭館では、対馬藩の役人が朝鮮国王の名前を書いた位牌のようなものに、
>朝鮮側の官員が居並ぶ前で平伏・拝礼させられていた)

朝鮮側の史料を無批判に事実として認めるのはどうかな?


50:世界@名無史さん
10/11/15 02:19:16 0
>>47
いや、かなり性能違うだろ。
集団射撃に向いてるし、多少の雨なら傘を使わずに撃てる。
しかも連射性能がいい。
日本でフリントロックが使われなかった理由は3つ。
国産のフリントがあまり良質ではなく輸入しなければならなかったコスト面。
日本には集団射撃という戦術概念が無かった点。(武田騎馬隊を全滅させた3段構えは後世の創作)
そして鉄砲鍛冶の加工技術が低く、信頼性がマッチロックに劣ったため。

ヨーロッパでも、フランスのような加工精度が低い国では不発率が問題となりマッチロックに戻そうとした事がある。
結局ドイツの高い技術が導入されてうやむやになったが。


51:世界@名無史さん
10/11/15 02:24:21 0
>>50
>日本には集団射撃という戦術概念が無かった点。(武田騎馬隊を全滅させた3段構えは後世の創作)

そういう説があるだけだよね。

52:世界@名無史さん
10/11/15 02:34:46 0
>>51
実際に集団密集射撃が行なわれていたのだとしたら
その後の戦争に戦術的な大改革が行なわれていたはず。
そのような傾向は無いし、何よりも集団射撃は当時の火縄銃では不可能。


53:世界@名無史さん
10/11/15 02:56:49 0
>>52
>実際に集団密集射撃が行なわれていたのだとしたら
>その後の戦争に戦術的な大改革が行なわれていたはず。

局地的実態が他に必ずしも伝播するとは保障されない。
ネットがある時代じゃないよww

>何よりも集団射撃は当時の火縄銃では不可能。

という説があるだけ。ツールに不備があっても人は知恵を出して埋め合わせるものなんじゃないかな?

不明確な事柄を断定しすぎてるように思う。
ま、俺だって根拠なんてないけどねww スマソ。 おやすみ~

54:世界@名無史さん
10/11/15 11:20:11 0
>>52
火縄も雨の中撃てるように改良されましたが


55:世界@名無史さん
10/11/15 12:35:40 0
改良?
子供の工作みたいな不格好なでかい箱を上にかぶせただけだろw
あんなもん改良でもなんでもないわ。
金属の加工技術が低い、
雷汞をつくるような化学の土壌がない、
ライフリングする意味を理解する物理学の基礎も無い、
だから300年も変化しなかった。

銃そのものの進化の話はただの題材なんだよ。
本質は、借り物の技術だったから発展性が無かったてこと。


56:世界@名無史さん
10/11/15 12:42:08 0
>>49
その情景(「粛拝」といい、漢城の王様を遙拝するもの)を描いた絵がある。
日本側にも、対馬藩の武士がクレームをつけた記録がある。
位牌に平伏して拝礼するのはともかく、左右に朝鮮の官員がズラッと居並ぶのは、
まるで朝鮮の官員に平伏してるみたいだからやめてほしいと要求して却下された。
対馬は貿易の実利があるから、この儀礼を受け入れざるをえなかった。

詳しくは田代和生の「倭館」を読め。

57:世界@名無史さん
10/11/15 18:20:54 0
>左右に朝鮮の官員がズラッと居並ぶのは、
>まるで朝鮮の官員に平伏してるみたい

李朝官人の「倭人」に対するはげしい蔑視感情と、
朝鮮役での侵略に対する意趣返しみたいなものかね。

58:世界@名無史さん
10/11/15 18:50:48 Q
世界史的意義としては、この時の侵略は実は日本の朝鮮の植民地支配や泥沼の日中戦争への大きな時代の流れの伏線だったのかもしれない…
元寇→倭寇→戦国時代と来て日本はだいぶ国力に自信をつけてきたのだろう
戦国時代―南蛮貿易 明治維新―黒船の来航、を比較しても面白いと思う。


59:世界@名無史さん
10/11/15 23:43:42 0
伏線と呼べるレベルだったかは解らないが、
「チョンもチュンも大した事ネエな、西洋の連中に比べりゃ子供だわ」
という意識が生まれたのは確かだろうね。

60:世界@名無史さん
10/11/15 23:51:34 0
朝鮮通信使の来日時の日本側知識人たちの状況からは、
そんな傲慢な意識はカケラも見られないけどな。

通信使の接遇を簡素化して、朝鮮側から嫌味を言われた新井白石にしても、
あくまで対等外交という視点から、手厚すぎる接遇を是正したにすぎない。
まあ、内実は財政上、経費節約の必要があったからでもあるが。

61:世界@名無史さん
10/11/16 00:03:46 0
>>55
オスマン厨
イスラム科学厨
アンチギリシャ厨
ニーダム厨の誘蛾灯のようなレスだw

62:世界@名無史さん
10/11/16 06:00:54 0
>>59
古代の日本では渡来人のもたらす先進的で高度な文明をお手本にしたりして
中国や朝鮮の人々は見下すどころかむしろ尊敬する対象だったのに・・・何時からこうなった?

63:世界@名無史さん
10/11/16 09:05:34 0
中国には畏敬の念を持っていたかもしれんが、朝鮮は無いわw
じゃないと、古代から朝貢を要求したり攻め込んだりしないw

64:世界@名無史さん
10/11/16 22:50:13 O
新羅が半島を統一したから、日本は現在に到るまで半島を侮蔑し続けている。

65:世界@名無史さん
10/11/18 22:55:56 0
>>63
ところがどっこい、そうじゃないんだな。
儒学者はじめ、江戸時代の文人墨客など知識人(当時は漢学が必須教養だった)は、
朝鮮通信使が来日すると、一行のゆく先々で宿舎に押しかけて学問の教えを受けたり、
詩文の応酬や揮毫を求めたりして、文化交流や交歓をしてたんだよ。

ちょっと調べればわかる程度のことも知らないで、レイシストみたいなこと言うなよ。

66:世界@名無史さん
10/11/19 00:50:19 0
>65
それ、若い奴らは蘭学に夢中で儒学が流行らないと朝鮮人に愚痴る奴だっけ

67:世界@名無史さん
10/11/19 09:30:32 0
>>65
当の日本人たちは、その朝鮮通信史を「朝貢」として受け取って
いたんだがwそもそも、一方的に挨拶しに来る関係を対等な関係と
見るほうが無理あるw
その超先進的な朝鮮通信使たちの日本の感想(日東壮遊歌)

1764年1月22日 大阪
100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。 凄い。
大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、
銅の屋根で、黄金の内装である。 この贅沢さは異常だ。
都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。
信じられない。 中国の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。
ソウルの繁華街の10000倍の発展だ。 北京を見た通訳が通信使にいるが、
「北京の繁栄も大阪には負ける」と言っている。 穢れた愚かな血を持つ、
獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させて
いる。 嘆かわしく、恨めしい。
1764年1月28日 京都
街の繁栄では大阪には及ばない。 しかし倭王(天皇)が住む都であり、
とても贅沢な都市だ。山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が
無限に広がっている。 この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。悔しい。
「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。 悔しい。
この犬のような倭人を全て掃討したい。この土地を朝鮮の領土にして、
朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。


68:世界@名無史さん
10/11/19 10:36:30 0
>>67
今の半島人の負け惜しみと本質は同類で、非常にほほえましいwww

69:世界@名無史さん
10/11/19 20:41:09 0
>>67
また、レイシストかよw
外交交渉にあたった新井白石にしても雨森芳州にしても、幕府の要人にしても、
誰もそんなこと思ってないのに、何がなんでも「朝貢」と思いたいヤツがいるなw

江戸初期の幕府の朝鮮との国交回復交渉や、その板挟みになった対馬藩の苦労、
その後の幕府と朝鮮の間で交わされた国書の書式やら、その他もろもろ調べれば、
朝鮮側は強気だったし、幕府側もそれに配慮した「対等外交」だったことは明白。

いい加減、思いこみで朝鮮を蔑視するのはやめろよ。

70:世界@名無史さん
10/11/19 21:01:37 0
秀吉は大東亜共栄圏構想の先駆者。偉大なり!!

71:世界@名無史さん
10/11/19 22:26:47 0
>>66
江戸時代は漢学全盛の時代だよ。
教科書なんかでは蘭学とか自然科学のことばかりが強調されているが、
武士や知識階級の間では漢学がすべての学問の基礎教養としてあって、
その上で蘭学とか国学を学んでいた。
本居宣長も村田蔵六も福沢諭吉もみんなそうだった。

また、近世の漢学はイデオロギー的な儒学(朱子学など)だけではなく、
文芸としての漢詩文を創作することが大流行していた。
幕末の志士や明治の政治家や知識人が漢詩を多く作っていたことからも、
その風潮はうかがわれる。

通信使は、国を代表する使節だから一流の学者・文化人が選ばれていた。
その宿舎には大陸での最新のトレンドを知りたがった人々が押しかけ、
さかんに文化交流が行われていた。

中国王朝と直接交流する機会が多い李氏朝鮮の科挙官僚(知識人)たちは、
日本の知識人たちが大陸の最先端の学問や文化のトレンドを知る上で、
もっともうってつけの存在だったわけだ。


72:世界@名無史さん
10/11/19 22:46:41 O
>>50
>日本には集団射撃という戦術概念が無かった点。

織田勢と一向宗との戦闘は無視ですか。

73:世界@名無史さん
10/11/19 23:04:53 O
>>72
日本の集団射撃は「集団狙撃」に過ぎないって>>50は言いたかったのかも
前レスのアンカをたどると、日欧の銃の発達についての話題みたいだし
斉射での制圧・牽制が、日本ではヨーロッパほど重要視されなかったって事なんじゃね?

74:世界@名無史さん
10/11/20 01:07:27 O
日本の民衆は朝鮮通信使を朝貢使節だと思っていたようだ。
朝鮮側にも日本側から朝貢使として見られているという自覚があったが摩擦を避けるために問題にはしなかったようだ。


75:世界@名無史さん
10/11/20 11:33:13 0
まあ当時の日本人も朝鮮人見て気味悪がってただろうな

76:世界@名無史さん
10/11/20 11:54:49 0
好奇心と善意で暖かく接しようとした日本人。
序列と面子にこだわってあるがままを受け入れる眼を閉ざし、
>>67のような侮蔑と憎まれ口を残し、ニワトリを盗む絵のモデルとなった朝鮮の高級官吏。

徳?礼節?教える?ははは。

77:世界@名無史さん
10/11/20 12:09:45 0
琉球使節と朝鮮使節は待遇的にどちらが上?
薩摩への遠慮から琉球が上だったりするんだろうか


78:世界@名無史さん
10/11/20 13:17:08 0
まあ、後世のおまえらがいくら「朝貢」だのなんだの言い張ったところで、
当時の幕府はそんなこと全然思いもしてなかったのは紛れもない事実だけどな。

国内政治の都合で、無知な民衆相手に「公方様のご威光」をアピールする宣伝効果はあったが、
ただそれだけのこと。
対馬藩の役人はもとより、通信使接遇に携わった幕府の要人や饗応役の大名、実務官僚たちは、
みんな朝鮮国王と日本国大君(徳川将軍)との関係を「対等外交」と認識していた。

各地の知識人たちも、朝鮮使節に対して、2chの書き込みでありがちの蔑視感情などなかった。
中国での学問・文化の最新のトレンドを学ぶため、友好的な姿勢で交流していた。
学問上の質問をしたり、漢詩文の応酬をしたり、その添削や揮毫を求めたりしていた。

79:世界@名無史さん
10/11/20 13:22:35 0
>>75
イヤ?貢物持っての来日ってイベント扱いだったよ
鎖国の時分に異国情緒なんてないから、行く先々の住人が揮毫(サイン)ねだったり
土産欲しがったりしてうざがられてるのが>>67の日東壮遊歌にもあるし
琉球使節も「朝鮮通信使と同じ様にもっと異国っぽい格好で来るように」ってお達しが出たくらい

80:世界@名無史さん
10/11/20 13:35:26 0
>貢物持っての来日ってイベント扱いだったよ

それこそ、>>78で言っている
>国内政治の都合で、無知な民衆相手に「公方様のご威光」をアピールする宣伝効果はあったが、
>ただそれだけのこと。
ってことだろう。

無知な民衆のレベルでそういう認識があったにせよ、そして幕府がそういうPR効果を狙っていたにせよ、
現実の外交の担当者や多くの知識人・文化人は、「対等外交」「善隣友好」の認識だった。
幕府は朝鮮を対等な国として接し、徳川将軍と朝鮮国王は儀礼上、対等の関係だった。


81:世界@名無史さん
10/11/20 14:00:10 O
将軍と朝鮮国王を対等な関係に設定することで日本(天子を戴いている)>朝鮮(中華に冊封されている)という力関係を明確にした

82:世界@名無史さん
10/11/20 14:06:48 0
>>75
使節がやってくると当時のDQNが集まってきて
「朝鮮人に気合入ってる所見せてやれ」
とかいって印地合戦をはじめたりしたらしい。

83:世界@名無史さん
10/11/20 14:41:39 0
家康以降、幕末の開国までは、天皇は外交には無関係のカヤの外の存在。
また、江戸幕府は中華王朝とは国交を持ってないから、中華皇帝云々は関係ない。

単に日朝二国間の関係において、日本の事実上の主権者、君主である徳川将軍(大君)と、
朝鮮国王が対等であるというだけのこと。
新井白石が一時、大君号を「日本国王」号に改めたのも、中華の冊封体制とかと関係なく、
徳川氏が日本の事実上の王であるから、国王号を名乗る朝鮮とのバランスを取っただけのこと。
(大君は朝鮮では王子より格下の王族の称号なので、日本側が謙遜したようにみえるから)
もっとも、吉宗は細かいことは気にしなかったので、大君号にもどしたが。

84:世界@名無史さん
10/11/20 18:07:20 0
近代以降のイメージで、漢学は古くさい、旧弊というイメージができあがったけど、
江戸時代においては漢学や中国文化は、現代日本での英語やアメリカ文化に相当するもので、
文章で漢語的表現を多用するのは、いまの人間が英語や横文字使うような感覚だった。

明治以降、国文学では漢文学が軽視され、和歌とか俳句、小説とかが重視されるようになったが、
江戸の知識人にとって「文学」とは漢詩文だった。
漢文の読み書きは現代人にとっての英語の読み書きにあたり、知識人には必須の教養だった。
漢詩文は古くさいものではなく、当時としてはハイカラでオシャレな教養だったのだ。

85:世界@名無史さん
10/11/20 20:46:04 0
今でも中国の古典は教養としては重要視されてるな
元号からして中国古典からとってるし
ネトウヨは平成って元号に文句いわねえのか

86:世界@名無史さん
10/11/21 00:09:18 0
で、結局、征伐したことで朝鮮は日本を否応無く、対等の国と認めるに至ったんでしょ?
倭だなんて、侮蔑した名称を日本に対して使わなくなったとかの効果はなかったのかな。


87:世界@名無史さん
10/11/21 08:10:02 O
対等になんか見てないよ。小中華様だぜ?日本も清も欧州も野蛮人にしか見えてないさ。

88:世界@名無史さん
10/11/21 20:35:22 O
>>73
日本のマッチロックは狙撃が出来る程精度が良く、少人数の部隊単位で運用出来たのだが
ヨーロッパの銃は精度が悪く当たらなかったので、大部隊で固まって近付き撃たないと当たらなかった。
ヨーロッパではそこから射撃速度を追求してフリントロックになったが、日本では射撃精度を落としてまでフリントロックを必要としなかった

89:世界@名無史さん
10/11/21 21:34:31 0
>>87
そういう腹の底のホンネのことではなくて、国交での儀礼上のことだろ。
>>86
李氏朝鮮の王が日本の将軍(武家政権の主)を対等な交渉相手として交際していたのは、
江戸時代からではなく、室町時代からのことだ。
日本国王(足利将軍)と朝鮮国王の関係は、日本国大君(徳川将軍)と朝鮮国王の関係同様、
対等の儀礼での外交だった。
まあ、腹の底では見下してたから、守護大名のことを陰で「巨酋」なんて呼んでいたけど。

90:世界@名無史さん
10/11/22 05:21:31 0
>>89
本音と建前を使い分ける文化は朝鮮にはないだろ。
今だって天皇を日王と呼ばないと気がすまないんだから。

91:世界@名無史さん
10/11/22 06:44:09 0
すくなくとも「ウチと外での使い分け」を行う文化はあるな。

92:世界@名無史さん
10/11/22 08:36:34 0
>>88
逆だよ。
ヨーロッパの銃は、フリントロックにしたから命中精度が落ちた。
命中精度よりも火線の集中の方が戦術的に重視されたから。
平坦で広い大陸の地形と、遮蔽物の多い日本では求められる性能が違う。

93:世界@名無史さん
10/11/22 09:59:13 0
プライドだけ高くて実力がともなってないのが朝鮮

94:世界@名無史さん
10/11/22 12:55:17 0
>>91
敬語の体系が日本のような相対敬語(「田中(=課長)はただいま外出しております」)
から絶対敬語(「田中課長様はただいまご外出中でいらっしゃいます」)、
すなわち身内でも自分より上位ならよそに対して尊敬語の対象にする敬語に変化している点で、
日本のウチとソトの文化とは異質だがな。

95:世界@名無史さん
10/11/22 13:36:31 0
幕府の本音と建前
建前
大君=朝鮮国王

本音
通信使を民衆から見ると将軍に朝貢する使節団と思わせ幕府の権威を高める事。
だろうね。

そもそも日本側(幕府側)に朝鮮と対等という意識(というか概念?)はあったのか?
通信使を江戸城の大手門から入れず平川口御門から入城させたり
将軍の代替わりに朝鮮に使節団の派遣を望むが、朝鮮国王の代替わりは無視してるし。
特に江戸幕府の初代将軍を祀る日光東照宮に朝鮮通信使を参拝させたことなんて通信使から見たら
屈辱以外の何者でもないじゃない?

96:世界@名無史さん
10/11/22 16:08:22 0
「対等外交」といくら連呼しても全く説得力ないな、日本側の建前ということで全て説明がつくw
重複するが、本当に対等なら日本も朝鮮国王が変わる度に同規模の返礼の使いを出してるさ。
対等じゃないからこそ、朝鮮は清にも朝貢してる貧乏財政であるにもかかわらず、さらに多額の費用をかけて
日本へ使節を出さざるを得ないし、鶏泥棒まで働く体たらくになる。
それと>>67をレイシストとか、頭わいてるわな。
>>67の朝鮮人の記録こそレイシズムの見本だし、いまだに「倭」館、「倭」人の蔑視表記をスルーする奴が言うことじゃない。
朝鮮人のレイシズムは今も昔も滑稽なのは事実だけどなw


97:世界@名無史さん
10/11/22 16:33:27 0
あれ?日本はほんとうに返礼使を出してないの?
自分に都合の悪い歴史だから朝鮮通信使のことだけ記録に残しているとか…

98:世界@名無史さん
10/11/22 17:20:24 O
どう都合が悪いの?

使節は敵情視察も兼ねてるから朝鮮側は日本人に朝鮮国内を見せたく無かった。それだけの話でしょ。

99:世界@名無史さん
10/11/23 00:22:26 0
>>98の言うとおりだよ。
朝鮮国王の代替わり云々とか返礼使云々とか言って、日本上位を強弁してる「朝貢厨」は、
秀吉の侵略があったから、朝鮮側は日本人を釜山の倭館から外に出したくなかったっていう、
至極簡単な理屈くらい理解できんのかね。

100:世界@名無史さん
10/11/23 00:30:06 0
>>96の文章からは、朝鮮への憎悪と蔑視のレイシズムが滲み出てるなw

その情熱をもっと建設的なことに生かせよw

101:世界@名無史さん
10/11/23 00:34:00 0
返礼使って言うか徳川も使いなら出してるけどトンネか釜山で足止め。漢城への上京は不可
秀吉軍に三日で都攻略された記憶があれば当然の処置だろう
文禄慶長前は出入りしてた日本人商人も都への立ち入り禁止になったし

>>96
一次史料はともかく二次史料すら読まずにいるようなバカは東ア板にでも行けば?

雨森芳州が通信使と話した時に「<倭>は蔑称だろ、止めてくんない?」と言ったが、
逆に「お前達が中原王朝を<おおから>として朝鮮を<から>と呼ぶのは蔑みではないのか?
滅ぼされた旧王朝の<高麗>と言ったり<こま>と言ったり朝鮮を朝鮮と呼ばないお前らは何なの?」
と返されて雨森がご尤もと黙り込む一面がある。

恐ろしいのはこの「雨森が意見した」という部分だけがピックアップされて
嫌韓厨が持て囃す呉善花なんかもここだけを紹介して朝鮮側の言い分を無視してるとこ。
編集が削らせたんだか本人が空気読んだのか知らんが、そういう抜粋を更に厨はコピペだけして
原典すら確認せずに「真実の歴史」とかつけて延々と広めてる。
こんなことやってりゃいつか足元掬われるわ。

102:世界@名無史さん
10/11/23 05:12:54 0
まあ、昔から日本人はこんなだよ。
だから朝鮮出兵とか太平洋戦争とかおっ始めて、
始めてから「こんなはずじゃなかった・・・」って後悔するわけでね。

103:世界@名無史さん
10/11/23 05:17:14 0
なにいってんの?

104:世界@名無史さん
10/11/23 05:26:34 0
明側は万暦の三大征の一つと言う認識だから、普通に勝利した戦争だと評価してる。
その同盟国である朝鮮も同じ認識な訳で、
朝鮮が「敗戦国」の日本にへりくだる理由は何一つないわな。

105:世界@名無史さん
10/11/23 08:23:26 0
英語版の朝鮮出兵の項目のウリナラファンタジーひどすぎw
どうやら朝鮮極右組織vankが24h体制で修正してるらしい。
書き直すとあっという間に修正されるw
朝鮮民族のエヴェンキ族との文化的類似性も書き込むのと同様。

URLリンク(en.wikipedia.org)(1592%E2%80%931598)#cite_note-turnbull50-1-9

106:世界@名無史さん
10/11/23 10:45:19 O
国の公式見解と本音は別物だろ

107:世界@名無史さん
10/11/24 00:07:12 0
>>95
で、結局はその幕府の思惑は功を奏してるわけね。
イギリス人リチャード・コックスが1617年8月31日付の日記に

「ある人々(それは庶民であるが)は、朝鮮通信使が来たのは臣従の礼を表し、
貢物を献上するためで、もしそうしないと将軍は再び彼らに対して戦争を仕掛けた
であろうと噂している」
と記してる。幕府は朝鮮との摩擦を避け、表面上「対等」を装っているが
実際は自分たちの権威を高めるため朝鮮を利用してるだけなんだね。

15代将軍徳川慶喜なんてフランス公使ロッシュに向かって
「朝鮮半島は歴史的にも日本の領土の一部だ」(スエンソン「江戸幕末滞在記」)と発言してるし
本音と建前をうまく使い分てたんだろうね。

108:世界@名無史さん
10/11/24 01:18:42 0
そうかねえ・・・?
実際には支配できてないわけで。
あそこは本当は俺のもんだけど、いまはちょっと人に取られてるよって言ってるわけでしょ?
逆効果じゃないか?聞いた方は「スネ夫かよっプッ」てならんか?


109:世界@名無史さん
10/11/24 23:47:56 0
まーある意味ありがちだから流してくれるかもね…
んで明治にうまく立ち回って実行できた、バンザーイと思ったら
ずるずる後引きまくる事態になったがそれもありがちといえば
ありがちか

110:世界@名無史さん
10/11/29 00:45:20 0
>>101
まだ原典を削ってでも使う辺り知性の一欠片を感じる。
日本の大手メディア様も同様の手法を多用するし

原典の1次資料も2次資料も何もない
嘘で塗り固めた妄想を書き殴ってるアジアのマスコミに比べたら水準は高いよ
(と言うアジアは学術論文ですら愛国無罪)

文系分野だけど、アカデミックですら無残な状況なんだから
そりゃ分野が違えど科学系ノーベル賞の受賞の道も遠いだろうね。
社会の雰囲気全体が「国益、民族益に敵えば大ウソも方便」が地で奇麗事すら言わない。


111:世界@名無史さん
10/12/02 16:16:45 O
日本の将軍は朝鮮を見下してはいたけど
露骨に蔑ろにはしなかったよ
だって大切な流通におけるパイプでありパシリだもん
朝鮮自体を偉大だなんてこれっぽっちも思ってないけど
朝鮮経由で渡ってくる物がほしかった
だから朝鮮人に「もう日本なんて関わらねー」
っていう選択肢を選ばせない程度の礼儀は尽くしてたよ


要するに日本の将軍や大名の朝鮮に対する対応は
朝鮮経由の流通の価値に比例してた

112:世界@名無史さん
10/12/02 17:41:30 0
>朝鮮経由で渡ってくる物がほしかった

             ____
           /      \
          / ─    ─ \
        /   (●)  (●)  \   
        |      (__人__)     |     ないない
         \     ` ⌒´    ,/
 r、     r、/          ヘ      当初主要な貿易品だった木綿も朝鮮人参も江戸中期には
 ヽヾ 三 |:l1             ヽ     国産化したし、清国の物品は直接長崎に入るし、むしろ朝鮮が
  \>ヽ/ |` }            | |     大砲とかの南蛮産品を日本でこっそり買い付けていってるな。
   ヘ lノ `'ソ             | |
    /´  /             |. |
    \. ィ                |  |
        |                |  |




113:世界@名無史さん
10/12/11 19:59:20 0
>>111
朝鮮がパシリの役割を果たしたのは
新羅が朝鮮を統一するまで。
それ以降は仲も険悪になってダイレクトに中国と交流してるし
敵の敵は味方の論理で日本は丁度、渤海とで新羅を挟撃して牽制する形を取ってた訳だし
交流先でも主要な貿易ルートですら無かった



114:世界@名無史さん
10/12/28 20:59:08 0
【韓国】『日本に伝えた学問・技術』~韓国国立晋州博物館(朝日新聞)[12/21]
ソース:朝日新聞(佐賀)
URLリンク(mytown.asahi.com)

イムジンウェランとは朝鮮を侵略したものの朝鮮各地での義兵の決起や、明の援軍によって敗れ
海上では忠武公李舜臣に敗れて制海権を失った倭軍が
ほうほうの体で逃げ出しながら大量の捕虜を捕まえて日本に連れ帰った戦争







なんて不思議な超絶世界

115:世界@名無史さん
10/12/28 23:28:02 0
李舜臣の最後ってどうだったんだっけ?
日本艦隊を打ち破ったけど、戦死とか?
ならネルソンみたいなもんか。

116:世界@名無史さん
10/12/28 23:55:22 0
日本艦隊なんてない。小西軍の撤退を妨害しようと待ち伏せていた明・朝鮮水軍が
島津や立花率いる本来陸上部隊の救援隊が急遽編成した水軍に苦戦し明水軍副将鄧子龍
や李舜臣を討ち取られ、その間に小西行長に撤退されてる。

陸戦しか経験がないような島津軍(しかも少数)に苦戦し、待ち構えていた側の明・朝鮮水軍
になんらいいことがなかったのが露梁海戦。ネルソンをこんなと一緒にしたらイギリス人は怒るよ。

117:世界@名無史さん
10/12/29 10:43:55 0
そもそも李は朝鮮の特権階級から睨まれ、暗君であった当時の国王への讒言により
戦後の処断がほぼ確定してたのも朝鮮の人民は忘れているようだね。
最後の戦で戦死した方が英雄扱いになり、むしろ良かっただろう。

陸路の補給は滞って、釜山に軍事物資が山済みで腐っていたという話はあるが、
名護屋から釜山の補給が滞った話なんてないのに名提督扱いは如何な物か。

因みに太平洋戦争時は、海軍が通商破壊とシーレーン防衛に関して全く配慮していなかったので、
インドシナで獲得した物資を本土に輸送できず、港で文字通り腐っていたというのはある。

118:世界@名無史さん
10/12/31 16:43:00 O
本土どころか南方戦線にも送れず(ryだもんな。
帝国陸海軍には兵站という概念がなかったのだろうか…

119:世界@名無史さん
10/12/31 17:42:47 0
日清日露の頃は兵站重視だったはずなんだがなあ。

120:世界@名無史さん
10/12/31 20:29:39 0
>>118
牟田口のような阿呆を除いて陸軍には兵站の概念は無論ある。
まず、日々兵を喰わせんと始まらないからな。兵站能力の多寡は
また別だが。

他方、海軍は兵站の概念なんぞ限りなく希薄。そもそも艦に食料・燃料満載で
出かけて、無くなれば帰ってくるというのが基本だから、飢えるということを
知らない。兵站線の維持という観点にも欠ける。南方の惨状は陸軍が
悪者にされている場合が多いが、ガダルカナル始めそもそもは海軍の無謀な
進出が引き金だわな。

121:世界@名無史さん
11/01/14 02:25:01 0
朝鮮出兵ってほとんど日本が勝ってるね。 秀吉軍すごい。

122:世界@名無史さん
11/01/16 01:40:35 0
当時の日本風の戦争しか知らん戦国武将じゃ
大陸の焦土戦やそれに伴う組織的な反抗に対応仕切れず
文禄じゃ餓死、病死、凍死にて大損害を被った

慣れて対応出来ればまた違ったのかもしれんが
信長や正宗みたいな特例を除いて
日本は戦国時代と言えども甘い世界だったから
それこそ、戦乱のたびに清野作戦にて占領軍に飢餓状態の農民をぶつけるなど
総人口が数分の1に激減する中華大陸の戦争を知らなかった。



123:世界@名無史さん
11/01/17 21:33:24 0
>日本は戦国時代と言えども甘い世界だったから

意外とそうでもない。特に戦国後期~安土桃山時代は皆殺しや奴隷取引が
凄まじく(ちなみにインディオ以降黒人奴隷以前に世界で最も多く取引された
のは日本人)、清野作戦も普通に行われた。ちなみに越前、加賀、越中の
住民は清野作戦で全て殺されるか奴隷として売られ、今の福井県、石川県
の住民は殆ど移民。その他、本能寺の変で明智方について殺されたのは
軍民合わせ十万以上、秀次事件で連座して命を失ったのも数万と見られて
いる。今では安土桃山時代の人口減少率はどう贔屓目に見積もっても太平洋
戦争期を上回ることは確実とみられている。

124:世界@名無史さん
11/01/17 23:27:51 0
マジかよ
当時の日本人はそんなに殺してたのか

125:世界@名無史さん
11/01/18 01:17:39 0
戦国時代も後期になると戦闘の進め方もシステム化して庶民は弁当片手に戦見物なんて光景も畿内ではみられた

>124
朝鮮系のスレでは創作作文を好んで書き込む奴がいるから書かれていることをマトモに受け取らないのが2chの常識
アジールとかの用語で検索してみたらどうだろうか、大名側も一次作物からの税収よりその種の収入の方が実入りが良いとか
最近誰かが論文で書いていた希ガス

126:世界@名無史さん
11/01/18 21:39:27 0
>>124
マジ。なお、戦国時代最大の死者を出した大阪の役は推定30万と言われて
いる。その他、空地になった例は他に島原の乱も有名で、南島原、天草は
無人地帯になった。(もちろんその後移民が行われたが。)

残虐さでも中国、朝鮮の引けを取らない。荒木村重の妻子21人は、京都で
生きたまま車裂きの刑にあったのは有名な話だし、その他壮絶な処刑の
話も後を絶たない。江戸時代の島原の乱以降も、慶安事変(由比正雪の乱)
で連座し処刑されたのも万単位。そんな日本が中国、朝鮮と違い、残虐性が
封印されたのは、皮肉にも徳川綱吉の生類憐れみの令だったりする。それ
以降、残虐な処刑や大量処刑は余りなくなった。

余り、というのは、実は幕末にあった。一番凄いのは天狗等事件で、連座し
処刑されたのは数万。おかげで茨城県は幕末~明治にかけて、ぺんぺん
草も生えない人材の枯渇振りだった。後は会津若松城下での虐殺も万を
超えると言われている。

127:世界@名無史さん
11/01/18 22:08:35 0
情弱ゆとりのだまし方講座?(・∀・)

128:世界@名無史さん
11/01/21 09:03:06 0
豊臣秀吉は、朝鮮征伐の後、関東仕置と同じ措置をとるつもりだった。
かの折、徳川家康に関東、織田信雄に東海地方への移封を命じたように、
遠方にして不毛の僻地、朝鮮半島への移封を命じるつもりだったのだ。
関東仕置の際、家康は移封に従ったが、信雄は逆らって改易されている。
家康が朝鮮転封の命に逆らえばその時点で改易または討伐の口実になる。
秀吉からすれば、自身の存命中に、禍根である徳川家を潰す好機である。

129:世界@名無史さん
11/01/21 10:44:55 0
キチガイしかいねえのかw

130:世界@名無史さん
11/01/22 01:49:31 0
ちなみに朝鮮征伐の際に小西行長が基督教伝えたらしい

131:世界@名無史さん
11/01/23 22:45:52 0
中国なんて政権が変わる度に人口半減じゃ済まなかったような
三国志の時代なんて
後漢末5000万人→三国時代末1000万人ぐらいになってたような

>>123
一向宗に対する相当数の虐殺が有ったのは事実だけど。あと、キリスト教ね。
北陸の人間が消滅したってソースが欲しい


132:世界@名無史さん
11/01/27 22:47:59 O
>>

133:世界@名無史さん
11/01/27 23:02:35 O
>>123
ないない
土地が狭くすでに斜面まで耕されてる日本で奴隷だけ大量にさらってきても仕方ないだろ
一体その膨大な労働力はどこで働かせるんだ?
歴史上、奴隷が大量に生ずるのは新大陸開拓のときだ
広大なフロンティアを開拓するために労働力が不足するから奴隷を欲するんだよ
だから日本のすでに隅々まで開墾されてて地主と小作人がいて生産体制が整っているところに大量の奴隷を持ってきても意味ないだろ


134:世界@名無史さん
11/01/28 19:21:54 Q
スレリンク(mnewsplus板)

135:世界@名無史さん
11/01/28 20:23:31 0
>>133
そうでもないぞ
日本戦国時代では開墾はまだ中途だ
ごく一部の大名がそれをやっていたに過ぎず、江戸時代になるにつれて
開墾は大規模になっていく
実際に江戸時代には開墾は大きく進められ、日本の石高は大幅に上昇してる
日本が戦国時代に既に隅々まで開墾されていたなんて空想もいいところだな

136:世界@名無史さん
11/01/28 20:28:24 0
>>125
>最近誰かが論文で書いていた希ガス
お前の空想かよ

137:世界@名無史さん
11/01/29 00:44:34 0
>>135
それでも朝鮮から陶工は連れてきたけど
農民を奴隷として連れてくることはしなかったんだよな。
そこら辺が奴隷制のなかった日本人の発想じゃないかな。
大陸からは技術や知識を求める。


138:世界@名無史さん
11/01/29 06:50:48 0
>>137

日本でキリシタン弾圧が行われた背景には、ポルトガルやスペインの奴隷貿易が深く関わっていた。
ポルトガル宣教師が黒人奴隷を信長に献上した事実、
天正遣欧少年使節がヨーロッパで酷使される日本人奴隷を目撃してショックを受けた記録など、
当時の世界貿易の主要品目に奴隷の占める割合がかなり高かった。

刈田狼藉と言う戦場での略奪行為が当たり前だった当時の日本は、アフリカと並ぶ一大奴隷輸出国、
南米などの銀山に送り込まれて命を落とした人も大勢いた。

当然、朝鮮出兵時においては軍用金確保のため、捕虜にした朝鮮人を奴隷として転売した。

139:世界@名無史さん
11/01/29 17:16:08 0
どの国でも奴隷は価値があった、特に女は
どんな時代でも若くてプリプリしてるオマンコの価値は普遍。

日本国内でも捕虜の売買は当然のように行われてる
そういう意味では信長や正宗のような根切りは当時じゃ珍しい行為だった。
売った方が金になるし。

刀伊の入寇といい新羅の入寇といい
昔から国内外含めて奴隷にしたりされたりが当たり前


140:世界@名無史さん
11/01/29 17:50:45 0
>>137
>それでも朝鮮から陶工は連れてきたけど
>農民を奴隷として連れてくることはしなかったんだよな。

虜にした朝鮮農民も、奴隷輸出する以外に出兵で不足した国内労働力の
穴埋めとして使役してるぞ。
まぁ、農奴も喰わせんといかんので、余剰耕地に乏しい日本ではその数は
自ずと不足分の補完程度に限られるわけだが。



141:世界@名無史さん
11/02/05 19:53:47 0
侵略した上、奴隷も取ったのか日本最悪だな。

142:おれは日本人だパカヤロー
11/02/06 00:47:29 0
奴隷なのにウリナラより生活良かったんで、帰れるようになっても帰らなかったんだよね


143:世界@名無史さん
11/02/06 01:21:38 0
>>125
俺も北陸焦土作戦のソースが欲しい。
この方面は専門ではないので、検証可能な発言をして欲しい。

wikipediaにも戦国時代に関する発言があるが、殆ど出典がなく困っている。
私もwikipediaを編集しているが、最低限出典はつけるように努力している。

そうしないと、厨房の発言と勘違いされても仕方が無いよ。

144:125
11/02/06 01:34:47 0
>143
ん?俺に↓のようなことは無いことの証明を求めているのか
>越前、加賀、越中の住民は清野作戦で全て殺されるか奴隷として売られ

145:名無しさん@お腹いっぱい。
11/02/06 01:35:43 0
近代の奴隷制度ならヨーロッパやアメリカの黒人とイスラム圏の白人+黒人奴隷が有名。

イスラム教徒がつい最近まで地中海を海賊が走り回り
スペイン~ギリシャのキリスト教圏を襲撃しては奴隷狩をしていた、
塩婆の本を読むまでは中世以降の地中海の海賊の話は全く知らなかった、
この本を読むと世界観がかなり変化する。

146:世界@名無史さん
11/02/06 02:19:17 0
>>144
アンカミスか、まあ知ってたら教えてよw

あながち嘘だとは思わないから、むしろ>>123にあったことを証明してみて欲しいね。
学術論文だったら、検証済みだから、むしろ問題ないでしょう。

147:世界@名無史さん
11/02/06 02:40:41 0
>学術論文だったら、検証済みだから、むしろ問題ないでしょう
……

148:国技は火病
11/02/06 08:23:20 O
【裁判】 君が代大嫌い先生 「『君が代』歌えと命じられ、憤りでめまい起こすほど血圧上昇。通院が必要になった」…東京地裁結審★9[the_academy_of_god@mail.goo.ne.j(略)]
少し考えればわかることだが、朝鮮は世界一貧乏だっただけでなく、技術も資源もなにもなかったのだから日本の力なしに急成長などできるわけがない。なにもなかったのに借金だけあったから併合を望んだのだ。
木造のあばら家で雑穀を食って風呂に入る習慣も持たない土人のような生活をしていた韓国が、『たった数十年で』ビルが立ち並ぶ街に住み、米を主食に清潔な環境で暮らす国際的にも豊かな国のひとつになっている。
ある意味奇跡的ではあるが、それは日本の努力によるものである。そして日本が敗戦し、併合が終わる。
日本に繁栄させてもらっていた朝鮮半島はすぐに再び貧乏で騒乱の続く廃墟ばかりの国に逆戻りし、しかも独立後すぐに同族での殺し合いである朝鮮戦争が勃発し、半島内は困窮を極めた。
ここで朝鮮政府が恐れたこと。それは国民に、「日本統治時代の方が良かった…」と言われてしまうこと。
当時はまだ日本人として生きてきた朝鮮人たちがたくさんいたので、親日派が現行政府を否定しないとも限らなかったのだ。それを言われては新しい政府の面子が潰れるだけでは済まない。
反政府勢力が拡大して「国家が転覆してしまう恐れ」があるのである。そのような尻に火がついた状況においては、本来なら政府が必死の努力で国力を回復しなければならないはずであるが、本来怠け者の朝鮮政府はもっと簡単な方法を思いついてしまった。
それが『日本は韓国をボロボロにした悪逆非道の悪魔』という嘘をついて 日本を貶めて韓国国民を洗脳するという方法なのである。

149:世界@名無史さん
11/02/07 02:27:34 0
結局>>123はガセでFA?


150:世界@名無史さん
11/02/08 04:38:50 O
越前に本山を持つ幾つかの一向門徒は
親織田として本願寺門徒と戦ってて、
皆殺しの対象ではなかったはず

平定後に配された武将も、ほどなく普通に米の取り立てしてなかったっけ?

うろだから、誰か補強して下さい

151:世界@名無史さん
11/02/08 23:52:37 0
URLリンク(mar.2chan.net)

152:世界@名無史さん
11/02/09 22:55:39 0
>>151
これはマジか?
朝鮮には武具を作る被差別階級はいなかったのか。

153:世界@名無史さん
11/02/10 23:05:50 O
妙珍とか穢多だったの?

154:世界@名無史さん
11/02/12 23:29:32 0
>>142
女はとっくに強姦されてるし、孕まされたのも居た
そんなん帰るに帰れないだろ
幕府が回答兼刷還使に言われて、捕虜まとめて返すから名乗り出ろ、
ってお触れ出したのも相当後だったから
農民なんか自分の田畑は取られてると考えたし(実際にそうだった)
朝鮮生まれってことは覚えてても日本育ちで日本語しか喋れない年齢だっていたし
村が戦場になった人間はもう家族なんか生きていないだろうと諦めてた
そういうのは「敵に捕まって仕えた罪は全部許す」とお触れが追加されても名乗り出なかった

155:世界@名無史さん
11/02/22 15:19:37.83 0
>>154
その可能性は否定しないけど確証がないね。

それに本当に日本で奴隷扱い
朝鮮で常民なら扱いなら土地がないのは日本でも朝鮮でも変わらんし
みんな朝鮮に渡るんじゃないの?
本当に日本で厳しい奴隷生活を続けてるなら
特に初代は言葉の分からん日本に留まる理由がない。


156:世界@名無史さん
11/02/22 17:08:04.45 0
で、甘言に乗せられて朝鮮に帰ったら、釜山で放置プレイだったようだけどな。

157:世界@名無史さん
11/02/22 20:01:05.12 0
そういや通信使が対等なんていってるやついたが
儒教の価値観だとあいさつに行く方が格下
前後の経緯からみて日本の武威に押されて仕方なく通信使を出したとみてよい。
朝鮮の国士様で朝鮮がやや格上みたいな妄想をかたる大学教授もおられたが

158:世界@名無史さん
11/02/26 09:18:25.42 0
散々幕府の権威を誇示するための見世物に使われてたら格上も何もないでしょ




159:世界@名無史さん
11/02/26 09:21:27.17 0
見世物ってことは要するに格下でしょ

160:世界@名無史さん
11/02/28 20:05:25.16 0
将軍に頭さげてたのにねぇ

161:世界@名無史さん
11/02/28 22:16:37.10 0
日本の将軍なり、天皇なりが朝鮮の使節に
三跪九拝してりゃまだ解るが



162:世界@名無史さん
11/02/28 23:19:36.97 0
相変わらず、ネトウヨ的な論調が目立つスレだな。

163:世界@名無史さん
11/03/01 00:08:41.32 0
URLリンク(blog.livedoor.jp)

こいつの仲間がまた沸いたのか

164:世界@名無史さん
11/03/01 00:11:47.10 0
URLリンク(www.youtube.com)

チョンコロ嫌いには
笑える動画

165:世界@名無史さん
11/03/01 00:59:33.94 0
>>155
>>特に初代は言葉の分からん日本に留まる理由がない。

奴隷業用の語彙1000くらいならすぐ覚えたんじゃない?
無文字社会の語彙数の限界が3000くらいだっけ?
字を書けないのは日本人も同じ。

専門家さん、史料にはどう書いてあるの?
若い世代は言葉忘れたと書いてあるが。

166:世界@名無史さん
11/03/01 02:23:33.52 O
どっちに与するつもりもないけれど、虐殺はともかく日本の奴隷貿易に関しては、
戦国板だと上杉批判での頻出話題だから、向こうで聞けばソース得られそうな気がする。

167:世界@名無史さん
11/03/02 18:34:37.82 0
まあ、秀吉も内心では、明の皇帝の臣下って自覚があったと思うよ。

168:世界@名無史さん
11/03/03 22:10:25.35 0
またお前か

169:世界@名無史さん
11/03/05 04:15:35.42 0
天皇いるのに、何で明の臣下とかの話が出てくるんだ?

170:世界@名無史さん
11/03/05 09:39:04.71 0
馬鹿を相手にすんなよ

171:世界@名無史さん
11/03/05 10:20:22.45 0
秀吉が勘合貿易(朝貢形式)の復活を講和条件に入れてたからだろ。

172:世界@名無史さん
11/03/05 14:29:14.77 0
台湾とフィリピン制圧ならよかったのに。
モロ族VS薩摩武士

モロ族に負けるだろうな。

173:世界@名無史さん
11/03/05 14:44:04.03 0
秀吉は明が秀吉を臣下にするなどといったからぶちきれたってのに

174:世界@名無史さん
11/03/05 17:57:15.48 0
貿易が拒否られたからだろ。

175:世界@名無史さん
11/03/05 20:48:26.53 0
島津氏がムスリム大名になったりして胸熱

176:世界@名無史さん
11/03/05 22:54:48.09 0
モロ族ってそんなに強い民族だったの?

177:世界@名無史さん
11/03/06 13:54:31.71 0
ジャングルでゲリラ戦とかやられたらアメリカ軍でもお手上げだったんだぜ?
拠点を落とせば勝ち、みたいな相手じゃないので。

178:世界@名無史さん
11/03/08 10:52:21.43 0
朝鮮水軍の大砲の前になすすべなくやられた日本水軍www
朝鮮侵略しなければ豊臣はこんな恥かかなかったのにww

179:世界@名無史さん
11/03/09 03:16:22.34 0
しょうもない

180:世界@名無史さん
11/03/10 23:49:00.52 0
>>178
バカ?チョンの捏造の犠牲者がここにも。
「名将李舜臣の戦歴」
URLリンク(ameblo.jp)

181:世界@名無史さん
11/03/11 07:57:33.01 0
>>171-173
世界史板的には、ほぼ同時代のモンゴルのアルタン・ハンのケースが参考になる。

182:世界@名無史さん
11/03/11 14:10:32.54 0
>>180
朝鮮の大砲の前になすすべなくやられたのは事実

183:世界@名無史さん
11/03/13 10:08:56.88 0
挑戦水軍の大砲とやらは、どの程度の威力があったんだろう?
弾丸の大きさは? 初速は? 射程距離は? 管制方法は?

ちなみに、これより200年後のナポレオン戦争において、大砲は射程自体は3マイル(約5.4km)に
達するものもあったが、命中率の関係から砲戦距離はせいぜい100ヤード(約90m)、長くても
1ファーロング(約400m)。
弾丸の大きさも、朝鮮海軍の砲とよりはるかに大きいものを使う。

韓国の大ドラマ「不滅の李舜臣」では、1km近い距離からとんでもない命中率で命中させているが、
これは全くのフィクション。
露梁海戦がどのように推移したかはいろいろな説があるが、砲撃はあきらかに決定的な役割を
果たしていない。

184:世界@名無史さん
11/03/13 10:28:18.10 0
>>183
照準が付けられないし、そもそも照準器がついてない件。
大砲も弾も火薬も不均一で長距離の標的にどうしろと?

185:世界@名無史さん
11/03/13 10:32:14.02 0
あのドラマの映像だと、はるか彼方の日本船に次々と命中しているんだよね。w

186:世界@名無史さん
11/03/13 10:51:52.93 0
鳴梁海戦は大砲や亀甲船云々より難所である鳴梁渡に日本の水軍を
誘い込んだ智謀のほうをクローズアップすればいいのに韓国人ときたら馬鹿だからな

187:世界@名無史さん
11/03/13 13:28:47.87 0
>>186
ってか、鳴梁海戦時点では、既に亀船は全没していて存在しない。

188:世界@名無史さん
11/03/13 14:05:17.19 0
>>183
射程は、『壬辰戦乱史』李烱錫・著によれば、天字銃筒 射程距離96m、地字銃筒 同64m、玄字銃筒 同160mという数字。
現物はいかにも加工精度の低い青銅の鋳造砲なので、100m内外というのは妥当なところではないかな。

砲弾は、基本は弾丸ではなく火箭で、大口径のものは火のついた丸太を飛ばすようなもの。散弾を飛ばすこともあったらしい。

照準は、以前エンコリに上がっていた実射再現画像(まともに考証されているのか自体不明が不明)で、砲の傍らで射撃指揮官が
目盛りのついた棒を持った右腕を前方につきだして測距してるのを見たことがあるけど、まぁその程度の精度。

189:188
11/03/13 14:08:53.36 0
>自体不明が不明

大事なことなので・・・^^;チガウ

190:世界@名無史さん
11/03/13 16:19:10.54 0
典型的なコピペミスだろw

191:世界@名無史さん
11/03/14 18:02:33.90 0
>>183
砲弾が届く距離と有効射程距離とは違うってことで
ナポレオン戦争時代の海戦で決戦距離は50メートル程だったらしい。
これは十分銃の射程内でネルソンも狙撃されて死んだ。
李舜臣も狙撃で死んでるんだから朝鮮水軍がアウトレンジ砲撃したとかありえない。

192:世界@名無史さん
11/03/27 23:03:48.55 0
狙撃じゃなくて流れ弾っしょ?
てかトラファルガーを例にあげるんだったら
トラファルガーがネルソン本人が旗艦を戦闘に立てて
縦列でフランス海軍を早期に分断してから料理する、という
非常に攻撃的な作戦をとっていた事をあげなければアンフェアだと思う。
この作戦はいわゆるネルソン・タッチとよばれるもので、
この海戦が大勝利に終わった事から、長く戦史に刻まれる事になったが、
海軍戦史家の多くがハイリスクな作戦であった事を認めており、現にネルソンは戦死している。
まあ、生涯戦闘においては攻撃的な作戦を取り続け、傷を負ったネルソンらしい作戦といえるが
これをもって当時の作戦の水準や常識、戦闘距離を測るというのは難しいと思われる

193:世界@名無史さん
11/03/27 23:55:07.15 0
「乱中雑録」には、李舜臣は日本船の船尾に伏せた兵の一斉射撃により撃ちたおされた
と書いてあるらしいけど。流れ弾になるのか?

194:世界@名無史さん
11/03/28 00:02:12.93 0
流れ弾ってのはネルソンの事ね
李については言ってない

195:世界@名無史さん
11/03/28 01:19:44.63 0
>>193
狙撃ではないだろうが斉射を浴びたわけで
流れ弾とは言わんのじゃないかな

196:世界@名無史さん
11/04/02 22:13:59.09 0
流れ弾というものが発生するほどの射程距離がないしな。
といっても弾が見えるわけはないし、みんななるべく隠れてるはずだから、
パパパパーンと音がして、ふと見てみたら李舜臣が倒れてた、といったところではなかろうか。
それでも朝鮮の船には装甲板があったはずでは?という疑問が残るが

197:世界@名無史さん
11/04/02 23:03:07.76 0
流れ弾云々は、韓国人としてはウリナラ英雄が日本兵にに意図的に討ち取られたとは
ウリナラ的に断じて認められないというだけだろ。

晋州城の金時敏も流れ弾で死んだことになってるしな。まぁ本来、戦闘正面での
銃傷を流れ弾扱いにするなんてのは韓国の他ではあり得ない罠。

198:世界@名無史さん
11/04/05 16:55:34.97 0
この戦役の李舜臣の役割ってなんだ?

名前ばっかり有名だけど、李舜臣が戦局に影響を与えたことってあるのか?
結局存在しようがしまいが、この戦役の結果は変わらない気がする。
閑山島の海戦で勝利したところでわずか1500人の脇坂軍を破っただけの小規模な局地戦
で補給路を絶ったわけでもなし、鳴梁の海戦にしたって先遣隊を破っただけで日本水軍
の本体が到着したら遁走したわけで戦局になんら影響してないしな。

199:世界@名無史さん
11/04/05 23:01:09.84 0
戦局に大きく影響を与えたあちらさんの人物といえば
平壌を奪還して日本軍の防衛線を後退させた李如松が思い浮かぶが
李舜臣よりもはるかに知名度が低いという不思議w

200:世界@名無史さん
11/04/06 07:17:05.23 0
李如松はもっと日本で有名でも良いと思うが、過小評価だね。

201:世界@名無史さん
11/04/06 13:39:21.36 0
そりゃま、同じ李でも明将だから、ウリミンジョクが持ち上げる
理由がないしな。

ってか、如松が評価されれば相対的に救国英雄たる李舜臣の
”功績”がかすむからウリナラ的にはむしろまずいでしょ。

202:世界@名無史さん
11/04/06 19:03:29.37 0
李如松は碧蹄館で日本軍に完敗してるからなあ
そんでその後、武力で日本軍撃退を諦めて和睦方針を推進してるし、
いまいち向こう側としても持ち上げにくい存在だと思う

203:世界@名無史さん
11/04/07 16:02:44.28 0
李舜臣ねえ

204:世界@名無史さん
11/04/11 00:42:10.22 0
>>199
文禄慶長において、明確に日本側を力技で追い出したのって
平壌奪還以外にないんじゃないの?

>>197
鄧子龍も戦死してて、我が軍の圧勝だ!は無い
普通に考えて日本側が相手の布陣を押し込んだ形になってたんだろうと思う。
それとも明、朝鮮側は旗艦が先頭に立ち、しかも将軍が一平卒より前に出る伝統でもあるのかw

一方島津義弘も乗船を乗り換えてるぐらいだから
日本側も大苦戦してたのは事実だと思う。



205:世界@名無史さん
11/04/11 02:33:18.74 0
>>204
島津義弘は乗船を乗り換えてはおらんよ。翌日後続の忠恒と落ち合った際の乗船の
様子は垣立てをことごとく破られて敵の矢が一面に立っているという散々な有様では
あったが。

閑山島海戦の脇坂安治と取り違えてないかい?

206:世界@名無史さん
11/04/13 02:11:19.35 0
あぁ、このときに朝鮮人根絶やしにしてたら(ry

207:世界@名無史さん
11/04/13 15:34:56.06 0
>>194
ネルソンを狙撃してみようって再現実験してみたら狙撃余裕だったよ。
ソースはディスカバリーかヒストリーチャンネル。

208:世界@名無史さん
11/04/13 18:39:42.84 0
>>207
どっちかも不明なんかい
てか上で言われてんのはネルソンが自らネルソンタッチなんていうハイリスク作戦を
とって至近距離戦に持ち込んだ上での戦死という結果で
当時の海戦距離の標準を測ることはできないって事だろ

209:世界@名無史さん
11/04/15 17:20:27.04 0
秀吉は死ぬ直前にこの戦役をどうするのか決めずに死んだんだよな。
何も言わなくても慶長の役の作戦計画である慶長4年からの
本土休息組派遣の侵攻計画が自分亡き後に実施されるとでも思っていたのか?

それとも、秀頼のことが心配でそれどころではなかったのか。

210:世界@名無史さん
11/04/15 20:52:18.32 0
実はもう飽きてた説

211:世界@名無史さん
11/04/18 14:10:38.40 0
飽きては無かったと思う。ただ、国内でゴタゴタが有り過ぎて最重要課題じゃなかったかもね。
結局は慶長の役も冬の居残りは九州勢6万だけで、3路で戦ったのは3万程度だけど、
明、朝鮮3路合計で10数万の大軍を朝鮮南部に誘引して最小の労力で戦って圧勝するって
青写真に描いた思惑通りの展開。

翌年のソウルまでの朝鮮南部制圧計画に向けて順調過ぎるほど順調に進んでた


212:世界@名無史さん
11/04/18 21:39:12.19 0
>>210
豊臣政権は家康が仕掛けた秀次事件による粛清で信頼を失い
事実上崩壊していた。あの後、国内は疑心暗鬼で不穏な空気が
流れ、疑心暗鬼で統制が取れていなかった。その崩壊していた
日本軍に慶長の役でボコられた中国、朝鮮軍はいかに弱かった
かが判る。

逆に、家康は秀次事件を見事成功させたことで、豊臣政権の自滅
を招き、天下人への第一歩を踏み出す。

213:世界@名無史さん
11/04/26 15:05:18.46 0
【韓国】「最も殺したいのは李舜臣、最も茶を共にしたいのも李舜臣」…日本で軍神と崇められる李舜臣、韓国での尊敬は言葉だけ[4/25]★2
スレリンク(news4plus板)l50


214:世界@名無史さん
11/04/26 21:05:03.95 O
秀吉猿は少年の良さが分からない下層農民猿だから好かん

215:世界@名無史さん
11/05/02 14:22:27.62 0
スペインのような植民地帝国を作りたかったのね。

216:世界@名無史さん
11/05/13 22:40:04.79 0
そういえば、この秀吉による朝鮮侵略では
へうげものの甥が戦死しているよね。
このような大物将軍が戦死するくらい日本軍が惨敗していたわけだ。
朝鮮軍には無い大物将軍級の戦死者だ。

217: ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
11/05/14 00:17:41.77 0

   ∧_∧
   <丶`∀´> 
   / ∪ ∪  
   し―-J 


         〃∩∧_∧
        ⊂⌒(  ・ω・) あー、はいはい 大物、大物
         `ヽ_っ⌒/⌒c
             ⌒ ⌒


218:世界@名無史さん
11/05/14 16:44:07.22 0
へうげものの甥は10万石級の大名だぞ!

219:世界@名無史さん
11/05/14 21:46:17.30 0
>>216
>>218
正論ですな。

220:世界@名無史さん
11/05/14 21:53:06.72 0
加藤や島津小西福島も討ち取られてるしな
日本軍壊滅や

221:世界@名無史さん
11/05/14 22:13:53.83 0
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧_,,∧    ∧_,,∧ ウェーハッハッハ
  <=(´∀`)  (´∀`)=>   
  (    )  (    ∪  
  し―-J   し―-J



              
         〃∩∧_∧   朝鮮脳だと、兵3000で大物将軍
        ⊂⌒(  ・ω・)   んで、後方の鷹狩りで暗殺されたら大惨敗か~
         `ヽ_っ⌒/⌒c
             ⌒ ⌒



222:世界@名無史さん
11/05/14 22:15:54.62 0
>>220
>加藤や島津小西福島も討ち取られてるしな

ソースは?

223:世界@名無史さん
11/05/14 22:18:19.45 0
    ,-ー─‐‐-、
   ,! ||     |
   !‐-------‐
  .|:::i ./ ̄ ̄ヽi
  ,|:::i<丶`∀´>ノシ  <呼んだニカ?
  |::::(ノ ウリナラ ||
  |::::i |..ソ ー ス||
  \i `-----'/
     ̄U"U ̄


224:世界@名無史さん
11/05/14 22:28:15.86 0
へうげものの甥が朝鮮軍と戦って戦死

225:世界@名無史さん
11/05/15 01:08:38.54 0
鷹狩り中に襲撃を受けて
帰らぬ人となった中川さんのことか・・・

226:世界@名無史さん
11/05/15 08:22:24.89 0
>>225
だからへうげものの甥が戦死するほど、
日本軍は大苦戦をしていたw

227:世界@名無史さん
11/05/15 12:30:22.46 0
>>222
小西、福島は知らんが、加藤、島津を討ち取ったとマジで信じ込んでる
南朝鮮人は多いみたいね。
加藤清正はキーセンに抱きつかれて崖下に墜死したうっかりさんで、
島津義弘はウリナラ英雄李舜臣が大勝利した露梁で討ち取ったと
思いこんでるらしい。

実際に、前にWikipediaの英語版で島津義弘の没年を露梁海戦の日に
書き換えてたKoreanを見かけたわ。

228:世界@名無史さん
11/05/15 17:30:44.45 0
>>226
鷹狩り中に死んだんだから戦死とは言わない
日本軍の戦死大名は来島通総一人だな

一方の朝鮮軍は名将と名高かった申砬も李鎰も日本軍にぶっ殺され
英雄の李舜臣も返り討ちにあって戦死w 
ちなみに明軍の方も日本で言えば大名クラスにあたる
副総兵を二人、参将を三人日本軍に討ち取られてる

229:世界@名無史さん
11/05/15 19:15:23.06 0
でも、へうげものの甥が討ち取られたのは事実だから
日本軍がかなり苦戦していたのは事実だ。

230:世界@名無史さん
11/05/15 19:57:37.18 0
半島だけにとどまらず、勢い駆って満州まで攻め込んだ加藤清正公
その戦いに恐怖と尊敬を覚えた満州族は、清正公にあやかって後に国号を「清」としたのは有名な話

231:世界@名無史さん
11/05/15 22:09:20.57 0
義経チンギスハン説レベルの話としてなw

232:世界@名無史さん
11/05/15 22:15:12.27 0
>>229
ただ単に中川さんが油断してただけだろ
この敵地での鷹狩りみたいに「無覚悟」による死は本来改易ものの失態
実際、中川家は事実を隠蔽して「戦死した」と報告したことがバレて
秀吉の怒りを買ってるし

233:世界@名無史さん
11/05/15 22:18:17.07 0
山崎の合戦で先手を務めたほどの親父の遺徳があったればこそ潰されずにすんだんだねえ

234:世界@名無史さん
11/05/15 23:34:39.30 0
>>232
うは、Wikipediaの受け売りバレバレだぞ。(・∀・)

235:世界@名無史さん
11/05/16 00:13:48.16 0
>>234
で?

236:世界@名無史さん
11/05/16 05:51:58.79 0
ゆとりの開き直り?w

237:世界@名無史さん
11/05/16 08:16:04.97 0
>>232
でも、へうげものの甥が討ち取られたのは事実だから
日本軍がかなり苦戦していたのは事実だ。

238:世界@名無史さん
11/05/16 10:31:53.85 0
(・∀・) ←まあ、こいつは昔から人の揚げ足取りしかしないキチガイだからな。
wikiの丸写しを見つけてよっぽど嬉しかったんだろ

239:世界@名無史さん
11/05/16 14:15:40.95 0
気違い湧いてるの?

240:世界@名無史さん
11/05/16 14:47:20.02 0
悔しくて泣き叫んでるゆとりは涌いてるな。

241:世界@名無史さん
11/05/16 17:40:01.05 0
武士の存在をファンタジーとして受けとめている欧米人ならまだしも
自分たちの歴史として受け止めるべき日本人が武士にファンタジーを
抱いちゃだめだろ。
たとえば、数少ない国外戦争である文禄の役では朝鮮王国の位置付け
は「仮道入明」すなわち明国までの通り道だ。
初戦こそ朝鮮正規軍(7千人以上)を質量ともに圧倒していたが、
郭再祐を始めとする朝鮮民衆による義兵闘争開始後は、彼らの拙い
(義兵同士の連携も無く、武器も角弓や石礫のみ)ゲリラ戦に苦し
められ、1593年1月の明軍の本格介入により「仮道入明」は破綻
している。
プサンからソウルまで14箇所の御座所を建設(上杉景勝などはその為に
渡海している)してまで朝鮮半島に渡海しようとしていた秀吉も陸での
朝鮮義兵、海での朝鮮水軍の活躍による治安維持の悪化から家康・利家
の反対にあい、ついには北政所おねの斡旋で、正親町上皇や後陽成天皇
からの渡海を諌める勅使が使わされるに至り渡海をあきらめている。

242:世界@名無史さん
11/05/16 22:18:54.60 0
>陸での朝鮮義兵、海での朝鮮水軍の活躍

まず、そういうウリナラファンタジーからはもういいかげん卒業しような。

243:世界@名無史さん
11/05/16 23:28:05.37 0
>>242
じゃあ、なぜ秀吉は朝鮮に渡海しなかったんだ。
プサンからソウルまで14箇所も御座所を築城
したのに。

244:世界@名無史さん
11/05/16 23:37:41.76 0
太閤が 一石米を買いかねて 今日も五斗買い 明日も五斗買い
この「五斗買い」は朝鮮への「御渡海」を掛けたもので、
秀吉自身も渡海をするつもりでいた。
しかし朝鮮での日本軍は兵糧に苦しんでいて、
京童に皮肉られている。


245:世界@名無史さん
11/05/17 09:08:08.63 0
後陽成天皇(1571~1617)が文禄元年(1593)、朝鮮への自らの出兵を強行
しようとした豊臣秀吉を諫めた消息。その渡海を「無勿躰」、朝家のためにも
天下のためにも「遠慮可然」として、必死に思いとどまるよう諭している。
URLリンク(www.emuseum.jp)

246:世界@名無史さん
11/05/17 09:48:10.50 0
太閤が 一石米を 買いかねて
 今日も五斗買い 明日も五斗買い

[意味] 愚かな太閤は明の手前(米)の朝鮮一国(一石)すら手に
入れられず
今日も「御渡海(五斗買い)」明日も「御渡海」と空威張りで命じる
ばかりである。

勢い勇んで緒戦に先走った日本軍は、占領地の統治も後回しにして
朝鮮半島全域を蹂躙したものの、結局は押し戻される結果になる。
やはり無謀な外征は上手くいかず明への進軍どころか朝鮮一国さえも
満足に押さえる事ができなかった。
その様子を揶揄する狂歌が京の都で囁かれたという。

247:世界@名無史さん
11/05/17 09:54:23.82 0
驚くべきことは
100年間年中戦争してた武士が
寸土たりとも得られず平和ボケ朝鮮人や腐り切った明軍に負けたということ
確かに個々の戦闘では圧倒してた面もあったけど戦略的には完全敗北を喫した

248:世界@名無史さん
11/05/17 10:37:46.52 0
イデオロギー入ってるやつは放置するとして、秀吉が生きてたら3度目の攻勢が起きたかな。
明は朝鮮の一部の割譲を認めたかな。

249:世界@名無史さん
11/05/17 10:52:21.97 0
西国大名はそんな体力は既に無いし
家康は動員を断固拒否で秀吉は強制できない
よって不可能

250:世界@名無史さん
11/05/17 12:09:10.65 0
>>249
秀吉が死んで撤退するとき、明朝鮮連合軍は総攻撃をかけたけど
返り討ちにあってボロ負けしたんだろ?3度目の攻勢かけるチャンスじゃん。
その疲弊してたって言ってる西国大名はたったの二年後の関が原の時に普通に大軍を動員してるわけだし。
秀吉生きてたら太閤独裁状態なので家康も逆らえないよ。

251:世界@名無史さん
11/05/17 12:30:07.74 0
>たったの二年後の関が原の時に普通に大軍を動員

国内戦では朝鮮の空手形と違って勝てば確実に恩賞を貰えるからね
しかもこれが最後の合戦になるって大名たちは解っていたし
商人から借金して農民から絞るだけ絞ってでも最大限の動員をかけるのは当然の行為


252:世界@名無史さん
11/05/17 12:46:18.57 0
≫250
そもそも秀吉は朝鮮からの撤退を遺言してないぞ
それなのに撤退したのは家康はじめ大名たちが戦争を
辞めて国に帰りたかったからだろ。
そんな状態でなんで3回目の侵攻をはじめるんだよ!?
>その疲弊してたって言ってる西国大名はたったの二年後
>の関が原の時に普通に大軍を動員してるわけだし。
家康に付くか、反家康に付きかでお家の存亡がきまるんだぞ。
無理してでも動員する。

253:世界@名無史さん
11/05/17 12:48:01.76 0
それは嘘だろ。基本的に西軍も東軍も最初は上杉征伐に出かけたんだぜ?

254:世界@名無史さん
11/05/17 16:05:57.50 0
≫253
>基本的に西軍も東軍も最初は上杉征伐に出かけたんだぜ?
仮にも戦国時代を生き抜いてきた大名達が上杉征伐を文字どおり
受け止めるとは考えられんが?

255:世界@名無史さん
11/05/17 17:49:15.79 0
まあ、とりあえず小西行長は朝鮮ではあれだけ武名高い活躍をしたが、
関ヶ原での戦闘ではさっぱりなのは、
朝鮮で戦力を消耗しすぎたからだとされてるな

256:世界@名無史さん
11/05/17 17:57:17.55 0
>>254
20万石の小大名が西軍というものを組織し、
関が原の合戦というものが起こり、それもたった1日で終わったということを知ってる奴の意見だな。

257:世界@名無史さん
11/05/17 18:29:41.66 0
20万石の小大名が西軍というものを組織し
関が原の合戦というものが起こり

ここまでは誰でも予測してたでしょ
もちろん合戦場所は解らないが

258:世界@名無史さん
11/05/17 18:59:22.51 0
たった一日で終わったってことが重要なんだろ?
最後の決戦になるなんて誰一人分かってなかった。
真田も上杉も毛利も伊達も黒田如水でさえ。こいつら全員戦国乱世の再来を予期してた。
だから疲弊してるはずの大名が普通に4千とか5千とか石高相当の兵力を連れて来たのは
最終決戦になるから借金しまくってむちゃくちゃな動員をした結果という251の主張は嘘。

259:世界@名無史さん
11/05/17 19:11:20.08 0
小早川や宇喜多は張り切って動員したし、徳川はそれこそ全力投球だったり
島津は内紛とかそもそも徳川に味方して留守番するつもりだったとかで全然連れて来なかったり、
それぞれの事情はあるけど、
関が原を見ると第二次慶長の役が可能かどうかといえば可能だっただろ。

260:世界@名無史さん
11/05/17 19:21:59.50 0
へうげものの甥が討ち取られたほどに惨敗しているくせに、
第二次朝鮮侵略が可能だったとは目出度いなwww

261:世界@名無史さん
11/05/17 20:10:06.14 0
>>259
2回失敗した全額自己負担のバクチ合戦なんて誰も参加しないよ
関が原は前に書いたように勝ち馬に乗れば恩賞が確実だから
あれだけの動員を行っただけ

262:世界@名無史さん
11/05/17 20:15:47.06 0
まあ、秀吉も明の皇帝の臣下って自覚はあったと思うよ。

263:世界@名無史さん
11/05/17 20:29:56.82 0
関ヶ原は秀忠が遅れず毛利輝元が陣頭に立てばもっと大人数の戦になった

264:世界@名無史さん
11/05/17 20:39:17.06 0
当時大規模な金銀山を持ってた大名って毛利だけだよな?
残りは豊臣領で

265:世界@名無史さん
11/05/17 20:58:54.27 0
豊臣秀吉は下層階級の出身ながら天下統一を成し遂げた英雄である。


266:242
11/05/17 21:38:01.42 0
>>242-243
京童の戯れ歌とやらを上げてナニを言いたいんだw 当時の世相の参考にはなっても
為政者の意思決定仮定とは全く無関係だろ。


当時の書簡等の一次史料には、渡海延期の理由として義兵やら朝鮮水軍やらに言及したものは
無論皆無で、時季的な風浪の危険を表向きの理由とした家康、利家らの諫止で性急な渡海を
思いとどまったとしかない。

そして秀吉の渡海はそもそも天正20年5月2日の漢城陥落を受けてのものであり、また6月9日付の
浅野長政の書簡ではその時点ですでに渡海延期が決定されていることが判るため、秀吉の渡海が
検討されたのは5月後半の正味半月程度でしかない。

で、その間に義兵は何をしていたかといえば、ようやくあっちこっちでゲリラ活動を始めたかどうかと
いう頃であり、また李舜臣はといえば巨済島周辺で海上移動している日本側の小部隊を襲っていた
頃でしかない。
ちなみに韓国人が世界的大勝利と妄想している脇坂安治との見乃梁の戦い(閑山島沖海戦)は7月7日で、
李舜臣がたった一度だけ釜山浦に攻めいったのはさらに先の8月29日な(笑)。

要するに、義兵も李舜臣も渡海延期とはキッパリ無関係。


しかし、なんで朝鮮脳は超時空と妄想ばっかりで、論理的に時系列で思考するという当たり前のことが
できないのかね~w

267:266
11/05/17 21:40:14.87 0
おっとアンカー間違えちまった。

× >>242-243
○ >>243-244

268:世界@名無史さん
11/05/17 23:04:16.07 0
元寇って韓国の教科書だと日本征伐って表記されてるんだぜ

269:世界@名無史さん
11/05/17 23:56:50.02 0
第二次慶長の役は可能かといえば可能だっただろう。
明史にあるように「勝ち目はなかったけど太閤が死んで戦争が終結した」みたいに
本当に明の士気が萎えていたなら、明にしてみれば猫の額ほどの、しかも属国の土地の一部くらい
で「蛮族」の侵略がなくなるならそうしたかもしれない。

270:世界@名無史さん
11/05/18 00:04:09.00 0
>>266
秀吉は何のために関白辞めたんだ。
秀吉は何のために肥前に名護屋城を作ったんだ。
それは、大明国を征服し寧波から東アジア
を支配するためだろ。
その為に、秀吉自身も家康、利家らと肥前名護屋まで
出陣してきたんだ。
朝鮮半島に渡海するのは当然だろ。
>秀吉の渡海が検討されたのは5月後半の正味半月程度でしかない。
なんてことはない。
事実8月にも渡海を宣言し、その際は後陽成天皇から親書により
渡海を延期してる。
その後も天正2年春に渡海する予定でいたのを戦況の悪化で有耶無耶
なっている。




271:世界@名無史さん
11/05/18 00:07:46.25 0
って言うか秀吉はまさにその三度目の攻勢を計画してたけどな。
朝鮮水軍は無謀な攻撃命令のせいで漆川梁海戦で大敗し壊滅してたし三路の戦いで
明朝鮮連合軍はうそ臭いくらいの大敗して士気が萎えていた。
朝鮮南部で武威を示して領地の割譲を認めさせるくらいいけた可能性はあるよ。

272:世界@名無史さん
11/05/18 00:12:18.78 0
計画したって西国大名はもう一銭たりとも金は出ません
商人もこんなバクチに金は貸せません
石見銀山持ってる毛利家はまだしもね

273:世界@名無史さん
11/05/18 00:26:39.19 0
どこぞの厨房の戯言じゃなく、兵站の鬼の秀吉が出来ると踏んでるのだから可能なんだろう。

274:世界@名無史さん
11/05/18 00:42:56.87 0
>>270
>事実8月にも渡海を宣言し、その際は後陽成天皇から親書により
>渡海を延期してる。
>その後も天正2年春に渡海する予定でいたのを戦況の悪化で有耶無耶
>なっている。

何訳のワカラン捏造してるんだw 文禄2年3月の渡海予定は、天正20年6月に
渡海延期を決定した際からの話(6月2日付秀吉書簡)で、8月にはそれを
予定通り執り行うと再確認しただけのことで、秀吉が8月に渡海しようとしたなんて
いう事実はない。

そして、実際に文禄2年3月時点では、碧蹄館戦後に漢城でにらみ合ってる
情況なんだから渡海なんてあるわけないだろ。

なんにせよ、朝鮮義兵も水軍も無関係なのにかわりないけどな。



275:世界@名無史さん
11/05/18 00:43:25.37 0
朝鮮水軍がアホの上層部のせいで壊滅してなければそうはならなかった。

276:世界@名無史さん
11/05/18 00:59:45.58 0
>274
>秀吉の渡海が検討されたのは5月後半の正味半月程度でしかない。
これは撤回するんだな。(プゲラ)


277:世界@名無史さん
11/05/18 01:05:09.93 0
>>276
阿呆? 実際に渡海の可能性のあった期間を指しているんだが。

読みとれないのは無知すぎだろ。

278:世界@名無史さん
11/05/18 01:13:02.89 0
>277
話をごまかすなよ。
おめえが
>秀吉の渡海が検討されたのは5月後半の正味半月程度でしかない。
ていったんじゃねえか、見苦しい。
>実際に渡海の可能性のあった期間
おめえの話なら
1592年5月~1593年3月まであったんだろ。

279:世界@名無史さん
11/05/18 01:15:48.82 0
日本語が通じないのな~プゲラ



280:世界@名無史さん
11/05/18 06:24:41.97 0
40代ならまだしも晩年の秀吉が「兵站の鬼」とはまた恐れ入った意見だなw
シナの皇帝じゃあるまいし3回目の渡海は絶対に不可能

281:世界@名無史さん
11/05/18 08:40:36.00 0
まぁ実際に名護屋⇔プサン間の補給線を維持してるし朝鮮水軍も壊滅させたしな。

282:世界@名無史さん
11/05/18 09:11:55.58 0
>>266
お前的には秀吉は元々朝鮮に渡海する予定じゃなかったと言いたいの?
または渡海するつもりでいたと考えているの?
その際はいつごろを想定していたんだ?
わざわざ肥前名護屋くんだりまで出てきた秀吉はいつごろ目と鼻の先の
朝鮮へ渡海するつもりとお前は考えているんだ。

283:世界@名無史さん
11/05/18 18:43:14.02 0
秀吉はモンゴルのアルタンハンみたいに、貿易の利を得るのが最終的目的だから、
勘合貿易(明に対する朝貢形式の、朝貢国側に莫大な利益をもたらす貿易)再開と、
朝鮮南半の割譲さえ認められたら、喜んで冊封され明帝の臣下になったよ。

最初に秀吉が家臣たちに示した条件だって、
・明帝皇女の日本天皇への降嫁(いわゆる和蕃公主)
・勘合貿易(明の臣下としての朝貢形式での公貿易)
だからな。

秀吉の真意や、妄想めいたビッグマウスの陰にかくれた本当の目的は現実的なものだ。

284:世界@名無史さん
11/05/20 10:43:43.96 O
秀吉が怒った逸話が嘘になるな。

なんでチョンはすぐバレる嘘つくんだろ。

自分の知能レベルが低いから
『自分レベルの知性』の持ち主を騙せる程度の嘘しかつかんのだな。

285:世界@名無史さん
11/05/20 18:13:39.45 0
あの逸話は、日本外史で頼山陽が脚色しすぎ。
山陽は、現代の大河脚本家や歴史小説家なみに見てきたようなウソを書いてる。

激昂した秀吉が、その場で明の冠服を脱ぎ捨て、冊封の国書を破り捨てたというのは真っ赤なウソ。
冠服はもちろん、国書もきれいな状態で現存している。

286:世界@名無史さん
11/05/20 18:35:47.35 0
大体、「勘合貿易(=朝貢貿易)の再開」を要求していた時点で、
なにをか言わんやだよな。
だめ押しで「明の皇女の降嫁」まで要求してるし。

朝貢と降嫁をはじめから要求してたんだよ、猿関白は。

287:世界@名無史さん
11/05/20 18:37:19.33 0
>>286での「朝貢」ってのは、言うまでもなく、日本から明への朝貢ってこと。

288:世界@名無史さん
11/05/20 19:13:49.19 0
朝貢なんて形式だしな、おだててやれば金もらえるんだから美味しい話さw
足利家も国王を僭称してしてたしな。

289:世界@名無史さん
11/05/20 19:34:19.42 0
勘合貿易と朝貢はちがう。
しかも「降嫁を要求」するというこことは、形式的な臣下としての分さえ放棄しているということを意味する。
ここの点を理解しないで、半可通のボケは止めて欲しいと思う。


290:世界@名無史さん
11/05/20 19:36:22.11 0
つまりどうゆうことだってばよ?

291:世界@名無史さん
11/05/20 19:59:13.98 0
秀吉も当時の東アジアの国際常識として、
明の臣下だって自覚はあったってことさ。

292:世界@名無史さん
11/05/20 20:00:49.54 0
289は、たぶんそうは言ってない。

293:世界@名無史さん
11/05/20 20:53:03.57 0
勝ったのは俺なので朝貢はするけどおめぇに頭下げる気はねぇから。的な?

294:世界@名無史さん
11/05/20 21:48:24.80 0
289だけど。w
秀吉的には、

明っちゅう自称大帝国らしきものが海の向こうにあるらしい。
こっちの天ちゃんと同じように、天下を取ったオイラがちょいと脅して金をやればなんとでもなるだろうな。
一応権威はあるらしいから、オイラ的には面倒だが格好だけはつけてやろう。
そうすれば愚民どもにもアピールするしな。
とりあえずちょいと金をやる話をして、お前の娘をオイラの側女に出せと言ってみるか。

てな感じじゃない?w

295:世界@名無史さん
11/05/20 21:57:49.68 0
ちがうな。
秀吉は堺や博多の商人とも昵懇にしてたから、当時の国際社会の慣習くらい承知している。

国内向けのビッグマウスと、実際の戦略は区別して考えないといけない。
国内の大名や武士どもには大明遠征を呼号しつつも、その実、本当のねらいは中断していた勘合貿易の復活。
その際、日本側の代表者が明に臣下の礼をとる必要や、朝貢形式であることは承知している。
だから、大阪城に明使が来たとき、最初は喜々として明の冠服を着用していた。

激怒したのは、明が冊封(国王任命)のみ許可したものの、肝心の朝貢(貿易)を許可しなかったから。

296:世界@名無史さん
11/05/20 23:24:19.54 0
じゃぁ小西がやったって言う講和条件の捏造もあながち嘘じゃなかったのか。
貿易の復活だけ目指すって言う。

297:世界@名無史さん
11/05/21 02:08:18.66 O
貿易復活が主目的って。

アホかいな。

戦争やってんだから。
相手の怒りを買う事をわざわさやって交渉かい。

そんな高等外交戦術(笑)はこの時代ありえんよ。

領土の切り取りが目的だつーの。


298:世界@名無史さん
11/05/21 02:26:28.84 0
戦国時代が終わりを迎えて、軍事費・軍人がだぶつく、
可能な限りは農民戻すけど、それでも無理な人間は放っておくと反乱分子になるから、
海外権益獲得のための遠征、となるわけでしょ

何を求めるかは何が獲得できるかにもよるけど

299:世界@名無史さん
11/05/21 14:20:25.94 0
そうだよな貿易再開が主目的なら出兵したのはおかしいよな。
あくまで主目的は領土ゲットだよな。

300:世界@名無史さん
11/05/21 17:23:24.58 0
>>294
秀吉は宣教師や倭寇から十分な情報収集をしてた、明のでかさを理解してたし。
しかし中国での倭寇の圧倒的強さ明兵の弱さを彼らから聞かされ
弱卒の明兵など処女の手を握るがの如しと過信し朝鮮に向かった
ただ、実際には宣教師も倭寇も知らない中華の精鋭北辺の騎馬隊
朝青龍みたいなのが何万騎もやってきて前線の小西隊は大混乱する。
結局、朝青龍集団は血祭りにあげたけど、こちらも前に進めなくなって戦線が膠着。


当時から侍が無茶苦茶強いのは知られてたから
食い詰めた中国人も朝鮮人もこぞって倭寇の真似をして自国を荒してた。
実際に山田長政もタイで偽倭寇退治をしてるしさ
日本の物をパクるって今でもお馴染みの事象が当時も行われてた。



301:世界@名無史さん
11/05/21 17:35:24.14 0
あと、朝鮮は土地が痩せ過ぎてて大軍を動員するのが難しい。
明も楊応龍の乱では24万を動員してる。朝鮮の土地じゃその半分も難しい。

当時の朝鮮の国は一種の餓えた野犬しかいない荒野みないなもんだよ。
その過酷な土地ゆえに中華歴代王朝の属国扱いはされても国土に編入はされず
日本が軍事的に弱い時でもその過酷な土地が防波堤になり
日本が中国に攻める時も過酷な土地が邪魔をした


302:世界@名無史さん
11/05/21 18:03:52.77 0
日本の半分くらいの広さで石高は700万石だろ?
そこまでガリガリじゃないんじゃね?むしろ朝鮮が貧しい原因は李朝の腐敗とかかと。

303:世界@名無史さん
11/05/22 00:20:25.51 0
>秀吉は宣教師や倭寇から十分な情報収集
これは何を見ればいい?

304:世界@名無史さん
11/05/26 21:21:46.17 0


当時の女真と日本を比較して、


李如梅 「倭兵30人で女真1人に敵すべからず」

ということらしい。



305:世界@名無史さん
11/05/26 22:33:42.64 O
とりあえず明兵と朝鮮兵が日本兵より弱いことは実戦で明らかだが、
女真に関してはたんに褒美ほしさに明が過大評価してるだけだしなぁ。

実戦ないからよくわからんのだよ馬鹿チョン。

306:世界@名無史さん
11/05/26 22:36:56.36 0
女真=明だろ?
李氏も女真の地域から出ているし
同族を褒めているだけのような

307:世界@名無史さん
11/05/26 23:10:07.48 0
そもそも秀吉の目的は国内大名の力を削ぐ目的もあるからね
豊臣政権は領土自体は大名に気前良く与えた為に立脚基盤は弱かった
そこを貿易や鉱山で補っていたが

308:世界@名無史さん
11/05/26 23:20:26.71 0
家康も出陣予定だったんだよな
兵力は5千人くらいだっけ

309:世界@名無史さん
11/05/26 23:33:10.23 0
>>304
明将・祖承訓「俺は三千の兵で十万の女真を破ったことがある。」
→(明兵1人>>>女真兵33人)

その祖承訓は麾下五千の兵に朝鮮兵三千を加えて平壌をせめた結果、
日本軍1万3千にフルボッコにされ逃走する。
→(日本兵2.6人>>>明兵1人)※明兵のみの場合
→(日本兵1.6人>>>明兵・朝鮮兵1人)※朝鮮兵を加算した場合

つまり祖承訓軍団を尺度にすると
→(日本兵2.6人>>>明兵1人>>>女真兵33人)
→(日本兵1.6人>>>明兵・朝鮮兵1人>>>女真兵33人)

とういう図式が成り立ち

日本兵2.6人>>>>女真兵33人
または
日本兵1.6人>>>>女真兵33人

になり、李如梅の発言とは全く逆の結果が出る。

310:世界@名無史さん
11/05/27 00:27:46.83 0
>>309
ワロタww
確かにいちいち李如梅の発言を持ち出すなら
祖承訓の発言の方も参考にしないとなw

311:世界@名無史さん
11/05/27 23:56:33.78 0
明は女真に勝ち女真は日本に勝ち日本は明に勝つと
三竦みルールが採用されてるだけなんだよ!

312:世界@名無史さん
11/05/28 20:42:04.77 0
>明は女真に勝ち
つサルフー

313:世界@名無史さん
11/05/31 00:35:52.65 0
碧蹄館の戦いを勝利に導いた殊勲者として、小早川隆景より「立花家の三千
は他家の一万に匹敵する」と評された、立花宗茂隊に従軍していた、天野源
右衛門の覚書によると碧蹄館の戦いに際し、明軍の戦闘力について「武辺強き
唐人かな」と 参戦した諸大名皆感嘆したとの記載がある。

314:世界@名無史さん
11/05/31 01:00:17.77 0
>>313
モンゴルや女真をたびたび討伐し精鋭無比を謳われた李家軍と
日本で「立花家の三千は他家の一万に匹敵する」と賞された立花勢
この二つの軍団が激突した結果、見事立花勢が勝利をおさめたというわけだね

315:世界@名無史さん
11/05/31 09:19:11.41 0
>>314
李家軍が精鋭無比を謳われたソースは?


316:世界@名無史さん
11/05/31 11:49:48.46 0
日本は明の国境からはるか遠い辺境で二線級の軍に勝っただけ
歴代中華帝国にはこの程度の苦戦はいくらでもある

317:世界@名無史さん
11/05/31 12:30:52.21 0
李家軍が、他の明軍より優れているのは、
実戦経験が有無だけだ。
軍隊の強弱が実戦経験だけで判断できるわけじゃない。
常在戦場を心掛け、常日頃からの軍事訓練を欠かさなければ
実戦経験のみの軍隊より精強だ。
日々の鍛練を怠らなければ、実戦経験の乏しい鎌倉武士(元寇時)
やプロイセン軍(オーストリア継承戦争時)が経験豊かな元軍や
オーストリア軍に勝利することも可能だ。
戚継光の軍制改革後、明軍が強化されたのは、すなわち『練兵実紀』
などによる軍事訓練を導入したからに他ならない。


318:世界@名無史さん
11/05/31 12:49:14.90 0
将を実戦を積むことで鍛えられるが
兵は実戦のみでは(戦闘による死傷者など消耗も激しい)
鍛えられない。
実戦経験は他の明軍より豊富だが辺境に配置されており
明朝廷から(かつての安禄山のように)脅威とみなされて
いない時点からも明軍最強なわけはない。


319:世界@名無史さん
11/05/31 13:10:43.01 0
国民の生命・財産を守ることを前提とした
国民国家の軍隊なら、国境線に精鋭をそろえて
他国からの侵略に備えることも考えられるが、
君主制の明帝国では皇帝及び皇族を守ることが
すなわち国を守ることになるので当然皇帝や
皇族の住まう首都の禁軍を精鋭化する。


320:世界@名無史さん
11/05/31 22:50:16.01 0
平時の訓練によって士気と練度は向上して、
戦時は戦闘によって士気が下がり損耗による人員の入れ替えで練度が下がるわな
戦闘で士気が上がるよーみたいな妙なことをやったコーエーの罪は重いな

321:世界@名無史さん
11/06/01 02:11:40.27 0
>>315
は?
李成梁・如松親子とその私兵軍団がどう評価されてるか知らないの?

322:世界@名無史さん
11/06/01 09:05:00.70 0
>>321
碧蹄館の戦いにおける勝利の立役者として小早川隆景より賞賛された立花宗茂
とその家来衆のように。
李如松とその私兵集団への当時の明の名将からの評価についてのソースを希望
してるんだが。
それがなければ、当時の明国では珍しい実戦経験のある辺境の軍団としか言い
様がないが。


323:世界@名無史さん
11/06/01 13:11:22.40 0
>>322
「明史 李成梁伝」によれば「李成梁は遼の地に鎮すること二十二年、前後大勝を奏すこと十回に及び」、
「皇上からはすでにして郊廟に祭祀されることが約束され」、
「辺境にあって武功一等とされ二百年来彼を過ぎる辺将は現れなかったとまで讃えられた」。
「明史 李如松伝」には麻氏多將才。人以方鐵嶺李氏,曰「東李西麻」、とある。
つまり人々は鉄嶺の李氏と西方の麻貴一族の軍才を並べて「東李西麻」と称えたということ
少なくとも「実戦経験のある辺境の軍団としか言い様がない」わけではなさそうだね
ちなみに朝鮮役で日本軍と戦った査大受や李寧は、李成梁の代から活躍した李家子飼いの武将

324:世界@名無史さん
11/06/01 13:27:31.25 0
>322
それってお父さんの李成梁についての評価でしょ。
息子の李如松についての評価じゃないよ。
また、
>ちなみに朝鮮役で日本軍と戦った査大受や李寧は、
>李成梁の代から活躍した李家子飼いの武将
についても結局は大将である李如松が彼らの能力を適切
に活用になければ意味ないじゃん。
たとえば、武田信玄なきあとも信玄以来の重臣は生き残っていた
のに彼らをうまく活用できずに長篠で大敗した勝頼のように。

325:世界@名無史さん
11/06/01 13:32:53.29 0
それに大明国は中央集権国家だから辺境の地に
有力な勢力ができることを快く思わんよ。
事実、李成梁は1591年に罷免されている。



326:世界@名無史さん
11/06/01 20:51:45.93 0
>>324
「東李西麻」は李如松伝の記述なんですけど・・・
都合の悪い箇所は見えないのかな?
それと成梁・如松の私兵軍団については「遼東鉄騎」といって
中国じゃ結構有名みたいだよ

参照↓
URLリンク(baike.baidu.com)

三千人前後の精鋭部隊で、
ヌルハチのお父さんとお祖父さんをぶっ殺したのもこの部隊
碧蹄館で査大受が率いた先鋒部隊もこの遼東鉄騎

327:世界@名無史さん
11/06/02 00:31:34.59 O
マジに中国人の書き込みってあるんだなぁ。

328:世界@名無史さん
11/06/02 00:43:05.17 0
なんで中国人扱いされんにゃならんのだ

329:世界@名無史さん
11/06/02 16:56:33.60 0
久々にワロタwww

330:世界@名無史さん
11/06/03 16:41:42.73 0
世界史というか他国にどう影響していったかという視点から考えるなら、
明に軍事費を使わせ、重税が原因で反乱が起き、明終了 順へ
朝鮮征伐に駆り出された東北軍が日本軍に蹂躙され、壊滅
軍事的空白地帯となった満州でヌルハチがしたい放題、ホンタイジが北元を支配
勢いに任せて清建国

って連想したけど中東の歴史が好きな俺には今ひとつ細かい事件とか動きとか流れが思い出せない

331:330
11/06/03 20:14:12.48 0
読み直してみたら言葉が足りていなかった
>明に軍事費・・・←元々重税だったのにさらに追い討ちとして的な意味で書きました
>朝鮮征伐に・・・←(日本の)挑戦征伐(の防衛のため)に駆り出された(明の)東北軍

この地域のこの時代は専門どころかアマチュアレベルにも至ってないので(安土桃山時代らへんは好きですけどね)
勘違い甚だしい可能性大ですので、間違っている点を指摘していただけると大変助かります。

332:世界@名無史さん
11/06/03 20:52:26.46 0
まあ日本軍より魏忠賢のほうが明の滅亡には役だってたろうけどね

333:世界@名無史さん
11/06/03 21:11:07.53 0
高校の日本史すら怪しいネトウヨのレスは
スレの面白さを半減どころか殺してるよね
ホント迷惑なんだけど

334:世界@名無史さん
11/06/03 21:28:40.07 0
マジで中国人の書き込みってあるんだなぁ。

335:世界@名無史さん
11/06/04 00:39:57.78 0
ネトウヨ認定で思考停止、印象操作
今日もお盛んですな
金盾工程は

336:世界@名無史さん
11/06/04 00:45:38.22 0
中国人の書き込みってどれよ?

337:世界@名無史さん
11/06/04 04:05:16.49 0
鬼畜秀吉 鬼畜日帝 鬼畜小泉 鬼畜石原

338:世界@名無史さん
11/06/04 07:28:47.10 0
あの時代のノウハウじゃ海越えて他国を征服するなんて事はできんな

339:世界@名無史さん
11/06/04 09:36:57.43 0
>333ここ世界史板なんだし、日本史が曖昧でも大目に見るべきではないのか?

340:世界@名無史さん
11/06/04 11:40:36.75 0
1569年当時の明軍の国防軍は
84万5,000人いた。
(定員は313万8,300人)
文禄の役では5万人弱
慶長の役でも10万人弱
この程度の戦場への投入で明国が傾くかな?

341:世界@名無史さん
11/06/04 13:47:47.76 0
       ∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
            L::;;,__     ..:::ゝ
          //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
          / ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
         /j/三三三三三三三三三三ヾ、
         l::||::::              |l  
        / ̄\  (●)     (●)  ||  その通り、大明が滅んだのは朕のせいじゃないよ
      r┤    ト::::: \___/     ||   
     /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ   
      |   _( ̄ l―---oo-―'"ヽ__

342:世界@名無史さん
11/06/04 15:28:03.02 0
無能な皇帝ほど統治期間が長いという不運な国


343:世界@名無史さん
11/06/04 17:06:07.40 0
そりゃ有能そうな皇帝はなぜか即位後急死したりするからな

344:世界@名無史さん
11/06/04 19:29:34.43 0
>>340
大した兵力じゃないと思うけど問題は何万人討たれたかだな

345:世界@名無史さん
11/06/04 23:36:30.95 0
サルフの戦いに動員された明軍も10万くらいだったよね
このくらいの兵力が外征に出せる限界だったのかな

346:世界@名無史さん
11/06/05 02:17:42.22 0
そりゃそうだろあの時代に国家の基礎である農民をそんな軽々と動員なんて不可能てかその前に滅ぶ
>>340
こんな数字は無論架空だ

347:世界@名無史さん
11/06/05 02:31:31.73 0
小田原攻めで20万将兵の兵站を余裕で維持した秀吉はマジ補給神。


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