世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察at WHIS
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察 - 暇つぶし2ch171:世界@名無史さん
11/03/05 10:20:22.45 0
秀吉が勘合貿易(朝貢形式)の復活を講和条件に入れてたからだろ。

172:世界@名無史さん
11/03/05 14:29:14.77 0
台湾とフィリピン制圧ならよかったのに。
モロ族VS薩摩武士

モロ族に負けるだろうな。

173:世界@名無史さん
11/03/05 14:44:04.03 0
秀吉は明が秀吉を臣下にするなどといったからぶちきれたってのに

174:世界@名無史さん
11/03/05 17:57:15.48 0
貿易が拒否られたからだろ。

175:世界@名無史さん
11/03/05 20:48:26.53 0
島津氏がムスリム大名になったりして胸熱

176:世界@名無史さん
11/03/05 22:54:48.09 0
モロ族ってそんなに強い民族だったの?

177:世界@名無史さん
11/03/06 13:54:31.71 0
ジャングルでゲリラ戦とかやられたらアメリカ軍でもお手上げだったんだぜ?
拠点を落とせば勝ち、みたいな相手じゃないので。

178:世界@名無史さん
11/03/08 10:52:21.43 0
朝鮮水軍の大砲の前になすすべなくやられた日本水軍www
朝鮮侵略しなければ豊臣はこんな恥かかなかったのにww

179:世界@名無史さん
11/03/09 03:16:22.34 0
しょうもない

180:世界@名無史さん
11/03/10 23:49:00.52 0
>>178
バカ?チョンの捏造の犠牲者がここにも。
「名将李舜臣の戦歴」
URLリンク(ameblo.jp)

181:世界@名無史さん
11/03/11 07:57:33.01 0
>>171-173
世界史板的には、ほぼ同時代のモンゴルのアルタン・ハンのケースが参考になる。

182:世界@名無史さん
11/03/11 14:10:32.54 0
>>180
朝鮮の大砲の前になすすべなくやられたのは事実

183:世界@名無史さん
11/03/13 10:08:56.88 0
挑戦水軍の大砲とやらは、どの程度の威力があったんだろう?
弾丸の大きさは? 初速は? 射程距離は? 管制方法は?

ちなみに、これより200年後のナポレオン戦争において、大砲は射程自体は3マイル(約5.4km)に
達するものもあったが、命中率の関係から砲戦距離はせいぜい100ヤード(約90m)、長くても
1ファーロング(約400m)。
弾丸の大きさも、朝鮮海軍の砲とよりはるかに大きいものを使う。

韓国の大ドラマ「不滅の李舜臣」では、1km近い距離からとんでもない命中率で命中させているが、
これは全くのフィクション。
露梁海戦がどのように推移したかはいろいろな説があるが、砲撃はあきらかに決定的な役割を
果たしていない。

184:世界@名無史さん
11/03/13 10:28:18.10 0
>>183
照準が付けられないし、そもそも照準器がついてない件。
大砲も弾も火薬も不均一で長距離の標的にどうしろと?

185:世界@名無史さん
11/03/13 10:32:14.02 0
あのドラマの映像だと、はるか彼方の日本船に次々と命中しているんだよね。w

186:世界@名無史さん
11/03/13 10:51:52.93 0
鳴梁海戦は大砲や亀甲船云々より難所である鳴梁渡に日本の水軍を
誘い込んだ智謀のほうをクローズアップすればいいのに韓国人ときたら馬鹿だからな

187:世界@名無史さん
11/03/13 13:28:47.87 0
>>186
ってか、鳴梁海戦時点では、既に亀船は全没していて存在しない。

188:世界@名無史さん
11/03/13 14:05:17.19 0
>>183
射程は、『壬辰戦乱史』李烱錫・著によれば、天字銃筒 射程距離96m、地字銃筒 同64m、玄字銃筒 同160mという数字。
現物はいかにも加工精度の低い青銅の鋳造砲なので、100m内外というのは妥当なところではないかな。

砲弾は、基本は弾丸ではなく火箭で、大口径のものは火のついた丸太を飛ばすようなもの。散弾を飛ばすこともあったらしい。

照準は、以前エンコリに上がっていた実射再現画像(まともに考証されているのか自体不明が不明)で、砲の傍らで射撃指揮官が
目盛りのついた棒を持った右腕を前方につきだして測距してるのを見たことがあるけど、まぁその程度の精度。

189:188
11/03/13 14:08:53.36 0
>自体不明が不明

大事なことなので・・・^^;チガウ

190:世界@名無史さん
11/03/13 16:19:10.54 0
典型的なコピペミスだろw

191:世界@名無史さん
11/03/14 18:02:33.90 0
>>183
砲弾が届く距離と有効射程距離とは違うってことで
ナポレオン戦争時代の海戦で決戦距離は50メートル程だったらしい。
これは十分銃の射程内でネルソンも狙撃されて死んだ。
李舜臣も狙撃で死んでるんだから朝鮮水軍がアウトレンジ砲撃したとかありえない。

192:世界@名無史さん
11/03/27 23:03:48.55 0
狙撃じゃなくて流れ弾っしょ?
てかトラファルガーを例にあげるんだったら
トラファルガーがネルソン本人が旗艦を戦闘に立てて
縦列でフランス海軍を早期に分断してから料理する、という
非常に攻撃的な作戦をとっていた事をあげなければアンフェアだと思う。
この作戦はいわゆるネルソン・タッチとよばれるもので、
この海戦が大勝利に終わった事から、長く戦史に刻まれる事になったが、
海軍戦史家の多くがハイリスクな作戦であった事を認めており、現にネルソンは戦死している。
まあ、生涯戦闘においては攻撃的な作戦を取り続け、傷を負ったネルソンらしい作戦といえるが
これをもって当時の作戦の水準や常識、戦闘距離を測るというのは難しいと思われる

193:世界@名無史さん
11/03/27 23:55:07.15 0
「乱中雑録」には、李舜臣は日本船の船尾に伏せた兵の一斉射撃により撃ちたおされた
と書いてあるらしいけど。流れ弾になるのか?

194:世界@名無史さん
11/03/28 00:02:12.93 0
流れ弾ってのはネルソンの事ね
李については言ってない

195:世界@名無史さん
11/03/28 01:19:44.63 0
>>193
狙撃ではないだろうが斉射を浴びたわけで
流れ弾とは言わんのじゃないかな

196:世界@名無史さん
11/04/02 22:13:59.09 0
流れ弾というものが発生するほどの射程距離がないしな。
といっても弾が見えるわけはないし、みんななるべく隠れてるはずだから、
パパパパーンと音がして、ふと見てみたら李舜臣が倒れてた、といったところではなかろうか。
それでも朝鮮の船には装甲板があったはずでは?という疑問が残るが

197:世界@名無史さん
11/04/02 23:03:07.76 0
流れ弾云々は、韓国人としてはウリナラ英雄が日本兵にに意図的に討ち取られたとは
ウリナラ的に断じて認められないというだけだろ。

晋州城の金時敏も流れ弾で死んだことになってるしな。まぁ本来、戦闘正面での
銃傷を流れ弾扱いにするなんてのは韓国の他ではあり得ない罠。

198:世界@名無史さん
11/04/05 16:55:34.97 0
この戦役の李舜臣の役割ってなんだ?

名前ばっかり有名だけど、李舜臣が戦局に影響を与えたことってあるのか?
結局存在しようがしまいが、この戦役の結果は変わらない気がする。
閑山島の海戦で勝利したところでわずか1500人の脇坂軍を破っただけの小規模な局地戦
で補給路を絶ったわけでもなし、鳴梁の海戦にしたって先遣隊を破っただけで日本水軍
の本体が到着したら遁走したわけで戦局になんら影響してないしな。

199:世界@名無史さん
11/04/05 23:01:09.84 0
戦局に大きく影響を与えたあちらさんの人物といえば
平壌を奪還して日本軍の防衛線を後退させた李如松が思い浮かぶが
李舜臣よりもはるかに知名度が低いという不思議w

200:世界@名無史さん
11/04/06 07:17:05.23 0
李如松はもっと日本で有名でも良いと思うが、過小評価だね。

201:世界@名無史さん
11/04/06 13:39:21.36 0
そりゃま、同じ李でも明将だから、ウリミンジョクが持ち上げる
理由がないしな。

ってか、如松が評価されれば相対的に救国英雄たる李舜臣の
”功績”がかすむからウリナラ的にはむしろまずいでしょ。

202:世界@名無史さん
11/04/06 19:03:29.37 0
李如松は碧蹄館で日本軍に完敗してるからなあ
そんでその後、武力で日本軍撃退を諦めて和睦方針を推進してるし、
いまいち向こう側としても持ち上げにくい存在だと思う

203:世界@名無史さん
11/04/07 16:02:44.28 0
李舜臣ねえ

204:世界@名無史さん
11/04/11 00:42:10.22 0
>>199
文禄慶長において、明確に日本側を力技で追い出したのって
平壌奪還以外にないんじゃないの?

>>197
鄧子龍も戦死してて、我が軍の圧勝だ!は無い
普通に考えて日本側が相手の布陣を押し込んだ形になってたんだろうと思う。
それとも明、朝鮮側は旗艦が先頭に立ち、しかも将軍が一平卒より前に出る伝統でもあるのかw

一方島津義弘も乗船を乗り換えてるぐらいだから
日本側も大苦戦してたのは事実だと思う。



205:世界@名無史さん
11/04/11 02:33:18.74 0
>>204
島津義弘は乗船を乗り換えてはおらんよ。翌日後続の忠恒と落ち合った際の乗船の
様子は垣立てをことごとく破られて敵の矢が一面に立っているという散々な有様では
あったが。

閑山島海戦の脇坂安治と取り違えてないかい?

206:世界@名無史さん
11/04/13 02:11:19.35 0
あぁ、このときに朝鮮人根絶やしにしてたら(ry

207:世界@名無史さん
11/04/13 15:34:56.06 0
>>194
ネルソンを狙撃してみようって再現実験してみたら狙撃余裕だったよ。
ソースはディスカバリーかヒストリーチャンネル。

208:世界@名無史さん
11/04/13 18:39:42.84 0
>>207
どっちかも不明なんかい
てか上で言われてんのはネルソンが自らネルソンタッチなんていうハイリスク作戦を
とって至近距離戦に持ち込んだ上での戦死という結果で
当時の海戦距離の標準を測ることはできないって事だろ

209:世界@名無史さん
11/04/15 17:20:27.04 0
秀吉は死ぬ直前にこの戦役をどうするのか決めずに死んだんだよな。
何も言わなくても慶長の役の作戦計画である慶長4年からの
本土休息組派遣の侵攻計画が自分亡き後に実施されるとでも思っていたのか?

それとも、秀頼のことが心配でそれどころではなかったのか。

210:世界@名無史さん
11/04/15 20:52:18.32 0
実はもう飽きてた説

211:世界@名無史さん
11/04/18 14:10:38.40 0
飽きては無かったと思う。ただ、国内でゴタゴタが有り過ぎて最重要課題じゃなかったかもね。
結局は慶長の役も冬の居残りは九州勢6万だけで、3路で戦ったのは3万程度だけど、
明、朝鮮3路合計で10数万の大軍を朝鮮南部に誘引して最小の労力で戦って圧勝するって
青写真に描いた思惑通りの展開。

翌年のソウルまでの朝鮮南部制圧計画に向けて順調過ぎるほど順調に進んでた


212:世界@名無史さん
11/04/18 21:39:12.19 0
>>210
豊臣政権は家康が仕掛けた秀次事件による粛清で信頼を失い
事実上崩壊していた。あの後、国内は疑心暗鬼で不穏な空気が
流れ、疑心暗鬼で統制が取れていなかった。その崩壊していた
日本軍に慶長の役でボコられた中国、朝鮮軍はいかに弱かった
かが判る。

逆に、家康は秀次事件を見事成功させたことで、豊臣政権の自滅
を招き、天下人への第一歩を踏み出す。

213:世界@名無史さん
11/04/26 15:05:18.46 0
【韓国】「最も殺したいのは李舜臣、最も茶を共にしたいのも李舜臣」…日本で軍神と崇められる李舜臣、韓国での尊敬は言葉だけ[4/25]★2
スレリンク(news4plus板)l50


214:世界@名無史さん
11/04/26 21:05:03.95 O
秀吉猿は少年の良さが分からない下層農民猿だから好かん

215:世界@名無史さん
11/05/02 14:22:27.62 0
スペインのような植民地帝国を作りたかったのね。

216:世界@名無史さん
11/05/13 22:40:04.79 0
そういえば、この秀吉による朝鮮侵略では
へうげものの甥が戦死しているよね。
このような大物将軍が戦死するくらい日本軍が惨敗していたわけだ。
朝鮮軍には無い大物将軍級の戦死者だ。

217: ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
11/05/14 00:17:41.77 0

   ∧_∧
   <丶`∀´> 
   / ∪ ∪  
   し―-J 


         〃∩∧_∧
        ⊂⌒(  ・ω・) あー、はいはい 大物、大物
         `ヽ_っ⌒/⌒c
             ⌒ ⌒


218:世界@名無史さん
11/05/14 16:44:07.22 0
へうげものの甥は10万石級の大名だぞ!

219:世界@名無史さん
11/05/14 21:46:17.30 0
>>216
>>218
正論ですな。

220:世界@名無史さん
11/05/14 21:53:06.72 0
加藤や島津小西福島も討ち取られてるしな
日本軍壊滅や

221:世界@名無史さん
11/05/14 22:13:53.83 0
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧_,,∧    ∧_,,∧ ウェーハッハッハ
  <=(´∀`)  (´∀`)=>   
  (    )  (    ∪  
  し―-J   し―-J



              
         〃∩∧_∧   朝鮮脳だと、兵3000で大物将軍
        ⊂⌒(  ・ω・)   んで、後方の鷹狩りで暗殺されたら大惨敗か~
         `ヽ_っ⌒/⌒c
             ⌒ ⌒



222:世界@名無史さん
11/05/14 22:15:54.62 0
>>220
>加藤や島津小西福島も討ち取られてるしな

ソースは?

223:世界@名無史さん
11/05/14 22:18:19.45 0
    ,-ー─‐‐-、
   ,! ||     |
   !‐-------‐
  .|:::i ./ ̄ ̄ヽi
  ,|:::i<丶`∀´>ノシ  <呼んだニカ?
  |::::(ノ ウリナラ ||
  |::::i |..ソ ー ス||
  \i `-----'/
     ̄U"U ̄


224:世界@名無史さん
11/05/14 22:28:15.86 0
へうげものの甥が朝鮮軍と戦って戦死

225:世界@名無史さん
11/05/15 01:08:38.54 0
鷹狩り中に襲撃を受けて
帰らぬ人となった中川さんのことか・・・

226:世界@名無史さん
11/05/15 08:22:24.89 0
>>225
だからへうげものの甥が戦死するほど、
日本軍は大苦戦をしていたw

227:世界@名無史さん
11/05/15 12:30:22.46 0
>>222
小西、福島は知らんが、加藤、島津を討ち取ったとマジで信じ込んでる
南朝鮮人は多いみたいね。
加藤清正はキーセンに抱きつかれて崖下に墜死したうっかりさんで、
島津義弘はウリナラ英雄李舜臣が大勝利した露梁で討ち取ったと
思いこんでるらしい。

実際に、前にWikipediaの英語版で島津義弘の没年を露梁海戦の日に
書き換えてたKoreanを見かけたわ。

228:世界@名無史さん
11/05/15 17:30:44.45 0
>>226
鷹狩り中に死んだんだから戦死とは言わない
日本軍の戦死大名は来島通総一人だな

一方の朝鮮軍は名将と名高かった申砬も李鎰も日本軍にぶっ殺され
英雄の李舜臣も返り討ちにあって戦死w 
ちなみに明軍の方も日本で言えば大名クラスにあたる
副総兵を二人、参将を三人日本軍に討ち取られてる

229:世界@名無史さん
11/05/15 19:15:23.06 0
でも、へうげものの甥が討ち取られたのは事実だから
日本軍がかなり苦戦していたのは事実だ。

230:世界@名無史さん
11/05/15 19:57:37.18 0
半島だけにとどまらず、勢い駆って満州まで攻め込んだ加藤清正公
その戦いに恐怖と尊敬を覚えた満州族は、清正公にあやかって後に国号を「清」としたのは有名な話

231:世界@名無史さん
11/05/15 22:09:20.57 0
義経チンギスハン説レベルの話としてなw

232:世界@名無史さん
11/05/15 22:15:12.27 0
>>229
ただ単に中川さんが油断してただけだろ
この敵地での鷹狩りみたいに「無覚悟」による死は本来改易ものの失態
実際、中川家は事実を隠蔽して「戦死した」と報告したことがバレて
秀吉の怒りを買ってるし

233:世界@名無史さん
11/05/15 22:18:17.07 0
山崎の合戦で先手を務めたほどの親父の遺徳があったればこそ潰されずにすんだんだねえ

234:世界@名無史さん
11/05/15 23:34:39.30 0
>>232
うは、Wikipediaの受け売りバレバレだぞ。(・∀・)

235:世界@名無史さん
11/05/16 00:13:48.16 0
>>234
で?

236:世界@名無史さん
11/05/16 05:51:58.79 0
ゆとりの開き直り?w

237:世界@名無史さん
11/05/16 08:16:04.97 0
>>232
でも、へうげものの甥が討ち取られたのは事実だから
日本軍がかなり苦戦していたのは事実だ。

238:世界@名無史さん
11/05/16 10:31:53.85 0
(・∀・) ←まあ、こいつは昔から人の揚げ足取りしかしないキチガイだからな。
wikiの丸写しを見つけてよっぽど嬉しかったんだろ

239:世界@名無史さん
11/05/16 14:15:40.95 0
気違い湧いてるの?

240:世界@名無史さん
11/05/16 14:47:20.02 0
悔しくて泣き叫んでるゆとりは涌いてるな。

241:世界@名無史さん
11/05/16 17:40:01.05 0
武士の存在をファンタジーとして受けとめている欧米人ならまだしも
自分たちの歴史として受け止めるべき日本人が武士にファンタジーを
抱いちゃだめだろ。
たとえば、数少ない国外戦争である文禄の役では朝鮮王国の位置付け
は「仮道入明」すなわち明国までの通り道だ。
初戦こそ朝鮮正規軍(7千人以上)を質量ともに圧倒していたが、
郭再祐を始めとする朝鮮民衆による義兵闘争開始後は、彼らの拙い
(義兵同士の連携も無く、武器も角弓や石礫のみ)ゲリラ戦に苦し
められ、1593年1月の明軍の本格介入により「仮道入明」は破綻
している。
プサンからソウルまで14箇所の御座所を建設(上杉景勝などはその為に
渡海している)してまで朝鮮半島に渡海しようとしていた秀吉も陸での
朝鮮義兵、海での朝鮮水軍の活躍による治安維持の悪化から家康・利家
の反対にあい、ついには北政所おねの斡旋で、正親町上皇や後陽成天皇
からの渡海を諌める勅使が使わされるに至り渡海をあきらめている。

242:世界@名無史さん
11/05/16 22:18:54.60 0
>陸での朝鮮義兵、海での朝鮮水軍の活躍

まず、そういうウリナラファンタジーからはもういいかげん卒業しような。

243:世界@名無史さん
11/05/16 23:28:05.37 0
>>242
じゃあ、なぜ秀吉は朝鮮に渡海しなかったんだ。
プサンからソウルまで14箇所も御座所を築城
したのに。

244:世界@名無史さん
11/05/16 23:37:41.76 0
太閤が 一石米を買いかねて 今日も五斗買い 明日も五斗買い
この「五斗買い」は朝鮮への「御渡海」を掛けたもので、
秀吉自身も渡海をするつもりでいた。
しかし朝鮮での日本軍は兵糧に苦しんでいて、
京童に皮肉られている。


245:世界@名無史さん
11/05/17 09:08:08.63 0
後陽成天皇(1571~1617)が文禄元年(1593)、朝鮮への自らの出兵を強行
しようとした豊臣秀吉を諫めた消息。その渡海を「無勿躰」、朝家のためにも
天下のためにも「遠慮可然」として、必死に思いとどまるよう諭している。
URLリンク(www.emuseum.jp)

246:世界@名無史さん
11/05/17 09:48:10.50 0
太閤が 一石米を 買いかねて
 今日も五斗買い 明日も五斗買い

[意味] 愚かな太閤は明の手前(米)の朝鮮一国(一石)すら手に
入れられず
今日も「御渡海(五斗買い)」明日も「御渡海」と空威張りで命じる
ばかりである。

勢い勇んで緒戦に先走った日本軍は、占領地の統治も後回しにして
朝鮮半島全域を蹂躙したものの、結局は押し戻される結果になる。
やはり無謀な外征は上手くいかず明への進軍どころか朝鮮一国さえも
満足に押さえる事ができなかった。
その様子を揶揄する狂歌が京の都で囁かれたという。

247:世界@名無史さん
11/05/17 09:54:23.82 0
驚くべきことは
100年間年中戦争してた武士が
寸土たりとも得られず平和ボケ朝鮮人や腐り切った明軍に負けたということ
確かに個々の戦闘では圧倒してた面もあったけど戦略的には完全敗北を喫した

248:世界@名無史さん
11/05/17 10:37:46.52 0
イデオロギー入ってるやつは放置するとして、秀吉が生きてたら3度目の攻勢が起きたかな。
明は朝鮮の一部の割譲を認めたかな。

249:世界@名無史さん
11/05/17 10:52:21.97 0
西国大名はそんな体力は既に無いし
家康は動員を断固拒否で秀吉は強制できない
よって不可能

250:世界@名無史さん
11/05/17 12:09:10.65 0
>>249
秀吉が死んで撤退するとき、明朝鮮連合軍は総攻撃をかけたけど
返り討ちにあってボロ負けしたんだろ?3度目の攻勢かけるチャンスじゃん。
その疲弊してたって言ってる西国大名はたったの二年後の関が原の時に普通に大軍を動員してるわけだし。
秀吉生きてたら太閤独裁状態なので家康も逆らえないよ。

251:世界@名無史さん
11/05/17 12:30:07.74 0
>たったの二年後の関が原の時に普通に大軍を動員

国内戦では朝鮮の空手形と違って勝てば確実に恩賞を貰えるからね
しかもこれが最後の合戦になるって大名たちは解っていたし
商人から借金して農民から絞るだけ絞ってでも最大限の動員をかけるのは当然の行為


252:世界@名無史さん
11/05/17 12:46:18.57 0
≫250
そもそも秀吉は朝鮮からの撤退を遺言してないぞ
それなのに撤退したのは家康はじめ大名たちが戦争を
辞めて国に帰りたかったからだろ。
そんな状態でなんで3回目の侵攻をはじめるんだよ!?
>その疲弊してたって言ってる西国大名はたったの二年後
>の関が原の時に普通に大軍を動員してるわけだし。
家康に付くか、反家康に付きかでお家の存亡がきまるんだぞ。
無理してでも動員する。

253:世界@名無史さん
11/05/17 12:48:01.76 0
それは嘘だろ。基本的に西軍も東軍も最初は上杉征伐に出かけたんだぜ?

254:世界@名無史さん
11/05/17 16:05:57.50 0
≫253
>基本的に西軍も東軍も最初は上杉征伐に出かけたんだぜ?
仮にも戦国時代を生き抜いてきた大名達が上杉征伐を文字どおり
受け止めるとは考えられんが?

255:世界@名無史さん
11/05/17 17:49:15.79 0
まあ、とりあえず小西行長は朝鮮ではあれだけ武名高い活躍をしたが、
関ヶ原での戦闘ではさっぱりなのは、
朝鮮で戦力を消耗しすぎたからだとされてるな

256:世界@名無史さん
11/05/17 17:57:17.55 0
>>254
20万石の小大名が西軍というものを組織し、
関が原の合戦というものが起こり、それもたった1日で終わったということを知ってる奴の意見だな。

257:世界@名無史さん
11/05/17 18:29:41.66 0
20万石の小大名が西軍というものを組織し
関が原の合戦というものが起こり

ここまでは誰でも予測してたでしょ
もちろん合戦場所は解らないが

258:世界@名無史さん
11/05/17 18:59:22.51 0
たった一日で終わったってことが重要なんだろ?
最後の決戦になるなんて誰一人分かってなかった。
真田も上杉も毛利も伊達も黒田如水でさえ。こいつら全員戦国乱世の再来を予期してた。
だから疲弊してるはずの大名が普通に4千とか5千とか石高相当の兵力を連れて来たのは
最終決戦になるから借金しまくってむちゃくちゃな動員をした結果という251の主張は嘘。

259:世界@名無史さん
11/05/17 19:11:20.08 0
小早川や宇喜多は張り切って動員したし、徳川はそれこそ全力投球だったり
島津は内紛とかそもそも徳川に味方して留守番するつもりだったとかで全然連れて来なかったり、
それぞれの事情はあるけど、
関が原を見ると第二次慶長の役が可能かどうかといえば可能だっただろ。

260:世界@名無史さん
11/05/17 19:21:59.50 0
へうげものの甥が討ち取られたほどに惨敗しているくせに、
第二次朝鮮侵略が可能だったとは目出度いなwww

261:世界@名無史さん
11/05/17 20:10:06.14 0
>>259
2回失敗した全額自己負担のバクチ合戦なんて誰も参加しないよ
関が原は前に書いたように勝ち馬に乗れば恩賞が確実だから
あれだけの動員を行っただけ

262:世界@名無史さん
11/05/17 20:15:47.06 0
まあ、秀吉も明の皇帝の臣下って自覚はあったと思うよ。

263:世界@名無史さん
11/05/17 20:29:56.82 0
関ヶ原は秀忠が遅れず毛利輝元が陣頭に立てばもっと大人数の戦になった

264:世界@名無史さん
11/05/17 20:39:17.06 0
当時大規模な金銀山を持ってた大名って毛利だけだよな?
残りは豊臣領で

265:世界@名無史さん
11/05/17 20:58:54.27 0
豊臣秀吉は下層階級の出身ながら天下統一を成し遂げた英雄である。


266:242
11/05/17 21:38:01.42 0
>>242-243
京童の戯れ歌とやらを上げてナニを言いたいんだw 当時の世相の参考にはなっても
為政者の意思決定仮定とは全く無関係だろ。


当時の書簡等の一次史料には、渡海延期の理由として義兵やら朝鮮水軍やらに言及したものは
無論皆無で、時季的な風浪の危険を表向きの理由とした家康、利家らの諫止で性急な渡海を
思いとどまったとしかない。

そして秀吉の渡海はそもそも天正20年5月2日の漢城陥落を受けてのものであり、また6月9日付の
浅野長政の書簡ではその時点ですでに渡海延期が決定されていることが判るため、秀吉の渡海が
検討されたのは5月後半の正味半月程度でしかない。

で、その間に義兵は何をしていたかといえば、ようやくあっちこっちでゲリラ活動を始めたかどうかと
いう頃であり、また李舜臣はといえば巨済島周辺で海上移動している日本側の小部隊を襲っていた
頃でしかない。
ちなみに韓国人が世界的大勝利と妄想している脇坂安治との見乃梁の戦い(閑山島沖海戦)は7月7日で、
李舜臣がたった一度だけ釜山浦に攻めいったのはさらに先の8月29日な(笑)。

要するに、義兵も李舜臣も渡海延期とはキッパリ無関係。


しかし、なんで朝鮮脳は超時空と妄想ばっかりで、論理的に時系列で思考するという当たり前のことが
できないのかね~w

267:266
11/05/17 21:40:14.87 0
おっとアンカー間違えちまった。

× >>242-243
○ >>243-244

268:世界@名無史さん
11/05/17 23:04:16.07 0
元寇って韓国の教科書だと日本征伐って表記されてるんだぜ

269:世界@名無史さん
11/05/17 23:56:50.02 0
第二次慶長の役は可能かといえば可能だっただろう。
明史にあるように「勝ち目はなかったけど太閤が死んで戦争が終結した」みたいに
本当に明の士気が萎えていたなら、明にしてみれば猫の額ほどの、しかも属国の土地の一部くらい
で「蛮族」の侵略がなくなるならそうしたかもしれない。

270:世界@名無史さん
11/05/18 00:04:09.00 0
>>266
秀吉は何のために関白辞めたんだ。
秀吉は何のために肥前に名護屋城を作ったんだ。
それは、大明国を征服し寧波から東アジア
を支配するためだろ。
その為に、秀吉自身も家康、利家らと肥前名護屋まで
出陣してきたんだ。
朝鮮半島に渡海するのは当然だろ。
>秀吉の渡海が検討されたのは5月後半の正味半月程度でしかない。
なんてことはない。
事実8月にも渡海を宣言し、その際は後陽成天皇から親書により
渡海を延期してる。
その後も天正2年春に渡海する予定でいたのを戦況の悪化で有耶無耶
なっている。




271:世界@名無史さん
11/05/18 00:07:46.25 0
って言うか秀吉はまさにその三度目の攻勢を計画してたけどな。
朝鮮水軍は無謀な攻撃命令のせいで漆川梁海戦で大敗し壊滅してたし三路の戦いで
明朝鮮連合軍はうそ臭いくらいの大敗して士気が萎えていた。
朝鮮南部で武威を示して領地の割譲を認めさせるくらいいけた可能性はあるよ。

272:世界@名無史さん
11/05/18 00:12:18.78 0
計画したって西国大名はもう一銭たりとも金は出ません
商人もこんなバクチに金は貸せません
石見銀山持ってる毛利家はまだしもね

273:世界@名無史さん
11/05/18 00:26:39.19 0
どこぞの厨房の戯言じゃなく、兵站の鬼の秀吉が出来ると踏んでるのだから可能なんだろう。

274:世界@名無史さん
11/05/18 00:42:56.87 0
>>270
>事実8月にも渡海を宣言し、その際は後陽成天皇から親書により
>渡海を延期してる。
>その後も天正2年春に渡海する予定でいたのを戦況の悪化で有耶無耶
>なっている。

何訳のワカラン捏造してるんだw 文禄2年3月の渡海予定は、天正20年6月に
渡海延期を決定した際からの話(6月2日付秀吉書簡)で、8月にはそれを
予定通り執り行うと再確認しただけのことで、秀吉が8月に渡海しようとしたなんて
いう事実はない。

そして、実際に文禄2年3月時点では、碧蹄館戦後に漢城でにらみ合ってる
情況なんだから渡海なんてあるわけないだろ。

なんにせよ、朝鮮義兵も水軍も無関係なのにかわりないけどな。



275:世界@名無史さん
11/05/18 00:43:25.37 0
朝鮮水軍がアホの上層部のせいで壊滅してなければそうはならなかった。

276:世界@名無史さん
11/05/18 00:59:45.58 0
>274
>秀吉の渡海が検討されたのは5月後半の正味半月程度でしかない。
これは撤回するんだな。(プゲラ)


277:世界@名無史さん
11/05/18 01:05:09.93 0
>>276
阿呆? 実際に渡海の可能性のあった期間を指しているんだが。

読みとれないのは無知すぎだろ。

278:世界@名無史さん
11/05/18 01:13:02.89 0
>277
話をごまかすなよ。
おめえが
>秀吉の渡海が検討されたのは5月後半の正味半月程度でしかない。
ていったんじゃねえか、見苦しい。
>実際に渡海の可能性のあった期間
おめえの話なら
1592年5月~1593年3月まであったんだろ。

279:世界@名無史さん
11/05/18 01:15:48.82 0
日本語が通じないのな~プゲラ



280:世界@名無史さん
11/05/18 06:24:41.97 0
40代ならまだしも晩年の秀吉が「兵站の鬼」とはまた恐れ入った意見だなw
シナの皇帝じゃあるまいし3回目の渡海は絶対に不可能

281:世界@名無史さん
11/05/18 08:40:36.00 0
まぁ実際に名護屋⇔プサン間の補給線を維持してるし朝鮮水軍も壊滅させたしな。

282:世界@名無史さん
11/05/18 09:11:55.58 0
>>266
お前的には秀吉は元々朝鮮に渡海する予定じゃなかったと言いたいの?
または渡海するつもりでいたと考えているの?
その際はいつごろを想定していたんだ?
わざわざ肥前名護屋くんだりまで出てきた秀吉はいつごろ目と鼻の先の
朝鮮へ渡海するつもりとお前は考えているんだ。

283:世界@名無史さん
11/05/18 18:43:14.02 0
秀吉はモンゴルのアルタンハンみたいに、貿易の利を得るのが最終的目的だから、
勘合貿易(明に対する朝貢形式の、朝貢国側に莫大な利益をもたらす貿易)再開と、
朝鮮南半の割譲さえ認められたら、喜んで冊封され明帝の臣下になったよ。

最初に秀吉が家臣たちに示した条件だって、
・明帝皇女の日本天皇への降嫁(いわゆる和蕃公主)
・勘合貿易(明の臣下としての朝貢形式での公貿易)
だからな。

秀吉の真意や、妄想めいたビッグマウスの陰にかくれた本当の目的は現実的なものだ。

284:世界@名無史さん
11/05/20 10:43:43.96 O
秀吉が怒った逸話が嘘になるな。

なんでチョンはすぐバレる嘘つくんだろ。

自分の知能レベルが低いから
『自分レベルの知性』の持ち主を騙せる程度の嘘しかつかんのだな。

285:世界@名無史さん
11/05/20 18:13:39.45 0
あの逸話は、日本外史で頼山陽が脚色しすぎ。
山陽は、現代の大河脚本家や歴史小説家なみに見てきたようなウソを書いてる。

激昂した秀吉が、その場で明の冠服を脱ぎ捨て、冊封の国書を破り捨てたというのは真っ赤なウソ。
冠服はもちろん、国書もきれいな状態で現存している。

286:世界@名無史さん
11/05/20 18:35:47.35 0
大体、「勘合貿易(=朝貢貿易)の再開」を要求していた時点で、
なにをか言わんやだよな。
だめ押しで「明の皇女の降嫁」まで要求してるし。

朝貢と降嫁をはじめから要求してたんだよ、猿関白は。

287:世界@名無史さん
11/05/20 18:37:19.33 0
>>286での「朝貢」ってのは、言うまでもなく、日本から明への朝貢ってこと。

288:世界@名無史さん
11/05/20 19:13:49.19 0
朝貢なんて形式だしな、おだててやれば金もらえるんだから美味しい話さw
足利家も国王を僭称してしてたしな。

289:世界@名無史さん
11/05/20 19:34:19.42 0
勘合貿易と朝貢はちがう。
しかも「降嫁を要求」するというこことは、形式的な臣下としての分さえ放棄しているということを意味する。
ここの点を理解しないで、半可通のボケは止めて欲しいと思う。


290:世界@名無史さん
11/05/20 19:36:22.11 0
つまりどうゆうことだってばよ?

291:世界@名無史さん
11/05/20 19:59:13.98 0
秀吉も当時の東アジアの国際常識として、
明の臣下だって自覚はあったってことさ。

292:世界@名無史さん
11/05/20 20:00:49.54 0
289は、たぶんそうは言ってない。

293:世界@名無史さん
11/05/20 20:53:03.57 0
勝ったのは俺なので朝貢はするけどおめぇに頭下げる気はねぇから。的な?

294:世界@名無史さん
11/05/20 21:48:24.80 0
289だけど。w
秀吉的には、

明っちゅう自称大帝国らしきものが海の向こうにあるらしい。
こっちの天ちゃんと同じように、天下を取ったオイラがちょいと脅して金をやればなんとでもなるだろうな。
一応権威はあるらしいから、オイラ的には面倒だが格好だけはつけてやろう。
そうすれば愚民どもにもアピールするしな。
とりあえずちょいと金をやる話をして、お前の娘をオイラの側女に出せと言ってみるか。

てな感じじゃない?w

295:世界@名無史さん
11/05/20 21:57:49.68 0
ちがうな。
秀吉は堺や博多の商人とも昵懇にしてたから、当時の国際社会の慣習くらい承知している。

国内向けのビッグマウスと、実際の戦略は区別して考えないといけない。
国内の大名や武士どもには大明遠征を呼号しつつも、その実、本当のねらいは中断していた勘合貿易の復活。
その際、日本側の代表者が明に臣下の礼をとる必要や、朝貢形式であることは承知している。
だから、大阪城に明使が来たとき、最初は喜々として明の冠服を着用していた。

激怒したのは、明が冊封(国王任命)のみ許可したものの、肝心の朝貢(貿易)を許可しなかったから。

296:世界@名無史さん
11/05/20 23:24:19.54 0
じゃぁ小西がやったって言う講和条件の捏造もあながち嘘じゃなかったのか。
貿易の復活だけ目指すって言う。

297:世界@名無史さん
11/05/21 02:08:18.66 O
貿易復活が主目的って。

アホかいな。

戦争やってんだから。
相手の怒りを買う事をわざわさやって交渉かい。

そんな高等外交戦術(笑)はこの時代ありえんよ。

領土の切り取りが目的だつーの。


298:世界@名無史さん
11/05/21 02:26:28.84 0
戦国時代が終わりを迎えて、軍事費・軍人がだぶつく、
可能な限りは農民戻すけど、それでも無理な人間は放っておくと反乱分子になるから、
海外権益獲得のための遠征、となるわけでしょ

何を求めるかは何が獲得できるかにもよるけど

299:世界@名無史さん
11/05/21 14:20:25.94 0
そうだよな貿易再開が主目的なら出兵したのはおかしいよな。
あくまで主目的は領土ゲットだよな。

300:世界@名無史さん
11/05/21 17:23:24.58 0
>>294
秀吉は宣教師や倭寇から十分な情報収集をしてた、明のでかさを理解してたし。
しかし中国での倭寇の圧倒的強さ明兵の弱さを彼らから聞かされ
弱卒の明兵など処女の手を握るがの如しと過信し朝鮮に向かった
ただ、実際には宣教師も倭寇も知らない中華の精鋭北辺の騎馬隊
朝青龍みたいなのが何万騎もやってきて前線の小西隊は大混乱する。
結局、朝青龍集団は血祭りにあげたけど、こちらも前に進めなくなって戦線が膠着。


当時から侍が無茶苦茶強いのは知られてたから
食い詰めた中国人も朝鮮人もこぞって倭寇の真似をして自国を荒してた。
実際に山田長政もタイで偽倭寇退治をしてるしさ
日本の物をパクるって今でもお馴染みの事象が当時も行われてた。



301:世界@名無史さん
11/05/21 17:35:24.14 0
あと、朝鮮は土地が痩せ過ぎてて大軍を動員するのが難しい。
明も楊応龍の乱では24万を動員してる。朝鮮の土地じゃその半分も難しい。

当時の朝鮮の国は一種の餓えた野犬しかいない荒野みないなもんだよ。
その過酷な土地ゆえに中華歴代王朝の属国扱いはされても国土に編入はされず
日本が軍事的に弱い時でもその過酷な土地が防波堤になり
日本が中国に攻める時も過酷な土地が邪魔をした


302:世界@名無史さん
11/05/21 18:03:52.77 0
日本の半分くらいの広さで石高は700万石だろ?
そこまでガリガリじゃないんじゃね?むしろ朝鮮が貧しい原因は李朝の腐敗とかかと。

303:世界@名無史さん
11/05/22 00:20:25.51 0
>秀吉は宣教師や倭寇から十分な情報収集
これは何を見ればいい?

304:世界@名無史さん
11/05/26 21:21:46.17 0


当時の女真と日本を比較して、


李如梅 「倭兵30人で女真1人に敵すべからず」

ということらしい。



305:世界@名無史さん
11/05/26 22:33:42.64 O
とりあえず明兵と朝鮮兵が日本兵より弱いことは実戦で明らかだが、
女真に関してはたんに褒美ほしさに明が過大評価してるだけだしなぁ。

実戦ないからよくわからんのだよ馬鹿チョン。

306:世界@名無史さん
11/05/26 22:36:56.36 0
女真=明だろ?
李氏も女真の地域から出ているし
同族を褒めているだけのような

307:世界@名無史さん
11/05/26 23:10:07.48 0
そもそも秀吉の目的は国内大名の力を削ぐ目的もあるからね
豊臣政権は領土自体は大名に気前良く与えた為に立脚基盤は弱かった
そこを貿易や鉱山で補っていたが

308:世界@名無史さん
11/05/26 23:20:26.71 0
家康も出陣予定だったんだよな
兵力は5千人くらいだっけ

309:世界@名無史さん
11/05/26 23:33:10.23 0
>>304
明将・祖承訓「俺は三千の兵で十万の女真を破ったことがある。」
→(明兵1人>>>女真兵33人)

その祖承訓は麾下五千の兵に朝鮮兵三千を加えて平壌をせめた結果、
日本軍1万3千にフルボッコにされ逃走する。
→(日本兵2.6人>>>明兵1人)※明兵のみの場合
→(日本兵1.6人>>>明兵・朝鮮兵1人)※朝鮮兵を加算した場合

つまり祖承訓軍団を尺度にすると
→(日本兵2.6人>>>明兵1人>>>女真兵33人)
→(日本兵1.6人>>>明兵・朝鮮兵1人>>>女真兵33人)

とういう図式が成り立ち

日本兵2.6人>>>>女真兵33人
または
日本兵1.6人>>>>女真兵33人

になり、李如梅の発言とは全く逆の結果が出る。

310:世界@名無史さん
11/05/27 00:27:46.83 0
>>309
ワロタww
確かにいちいち李如梅の発言を持ち出すなら
祖承訓の発言の方も参考にしないとなw

311:世界@名無史さん
11/05/27 23:56:33.78 0
明は女真に勝ち女真は日本に勝ち日本は明に勝つと
三竦みルールが採用されてるだけなんだよ!

312:世界@名無史さん
11/05/28 20:42:04.77 0
>明は女真に勝ち
つサルフー

313:世界@名無史さん
11/05/31 00:35:52.65 0
碧蹄館の戦いを勝利に導いた殊勲者として、小早川隆景より「立花家の三千
は他家の一万に匹敵する」と評された、立花宗茂隊に従軍していた、天野源
右衛門の覚書によると碧蹄館の戦いに際し、明軍の戦闘力について「武辺強き
唐人かな」と 参戦した諸大名皆感嘆したとの記載がある。

314:世界@名無史さん
11/05/31 01:00:17.77 0
>>313
モンゴルや女真をたびたび討伐し精鋭無比を謳われた李家軍と
日本で「立花家の三千は他家の一万に匹敵する」と賞された立花勢
この二つの軍団が激突した結果、見事立花勢が勝利をおさめたというわけだね

315:世界@名無史さん
11/05/31 09:19:11.41 0
>>314
李家軍が精鋭無比を謳われたソースは?


316:世界@名無史さん
11/05/31 11:49:48.46 0
日本は明の国境からはるか遠い辺境で二線級の軍に勝っただけ
歴代中華帝国にはこの程度の苦戦はいくらでもある

317:世界@名無史さん
11/05/31 12:30:52.21 0
李家軍が、他の明軍より優れているのは、
実戦経験が有無だけだ。
軍隊の強弱が実戦経験だけで判断できるわけじゃない。
常在戦場を心掛け、常日頃からの軍事訓練を欠かさなければ
実戦経験のみの軍隊より精強だ。
日々の鍛練を怠らなければ、実戦経験の乏しい鎌倉武士(元寇時)
やプロイセン軍(オーストリア継承戦争時)が経験豊かな元軍や
オーストリア軍に勝利することも可能だ。
戚継光の軍制改革後、明軍が強化されたのは、すなわち『練兵実紀』
などによる軍事訓練を導入したからに他ならない。


318:世界@名無史さん
11/05/31 12:49:14.90 0
将を実戦を積むことで鍛えられるが
兵は実戦のみでは(戦闘による死傷者など消耗も激しい)
鍛えられない。
実戦経験は他の明軍より豊富だが辺境に配置されており
明朝廷から(かつての安禄山のように)脅威とみなされて
いない時点からも明軍最強なわけはない。


319:世界@名無史さん
11/05/31 13:10:43.01 0
国民の生命・財産を守ることを前提とした
国民国家の軍隊なら、国境線に精鋭をそろえて
他国からの侵略に備えることも考えられるが、
君主制の明帝国では皇帝及び皇族を守ることが
すなわち国を守ることになるので当然皇帝や
皇族の住まう首都の禁軍を精鋭化する。


320:世界@名無史さん
11/05/31 22:50:16.01 0
平時の訓練によって士気と練度は向上して、
戦時は戦闘によって士気が下がり損耗による人員の入れ替えで練度が下がるわな
戦闘で士気が上がるよーみたいな妙なことをやったコーエーの罪は重いな

321:世界@名無史さん
11/06/01 02:11:40.27 0
>>315
は?
李成梁・如松親子とその私兵軍団がどう評価されてるか知らないの?

322:世界@名無史さん
11/06/01 09:05:00.70 0
>>321
碧蹄館の戦いにおける勝利の立役者として小早川隆景より賞賛された立花宗茂
とその家来衆のように。
李如松とその私兵集団への当時の明の名将からの評価についてのソースを希望
してるんだが。
それがなければ、当時の明国では珍しい実戦経験のある辺境の軍団としか言い
様がないが。


323:世界@名無史さん
11/06/01 13:11:22.40 0
>>322
「明史 李成梁伝」によれば「李成梁は遼の地に鎮すること二十二年、前後大勝を奏すこと十回に及び」、
「皇上からはすでにして郊廟に祭祀されることが約束され」、
「辺境にあって武功一等とされ二百年来彼を過ぎる辺将は現れなかったとまで讃えられた」。
「明史 李如松伝」には麻氏多將才。人以方鐵嶺李氏,曰「東李西麻」、とある。
つまり人々は鉄嶺の李氏と西方の麻貴一族の軍才を並べて「東李西麻」と称えたということ
少なくとも「実戦経験のある辺境の軍団としか言い様がない」わけではなさそうだね
ちなみに朝鮮役で日本軍と戦った査大受や李寧は、李成梁の代から活躍した李家子飼いの武将

324:世界@名無史さん
11/06/01 13:27:31.25 0
>322
それってお父さんの李成梁についての評価でしょ。
息子の李如松についての評価じゃないよ。
また、
>ちなみに朝鮮役で日本軍と戦った査大受や李寧は、
>李成梁の代から活躍した李家子飼いの武将
についても結局は大将である李如松が彼らの能力を適切
に活用になければ意味ないじゃん。
たとえば、武田信玄なきあとも信玄以来の重臣は生き残っていた
のに彼らをうまく活用できずに長篠で大敗した勝頼のように。

325:世界@名無史さん
11/06/01 13:32:53.29 0
それに大明国は中央集権国家だから辺境の地に
有力な勢力ができることを快く思わんよ。
事実、李成梁は1591年に罷免されている。



326:世界@名無史さん
11/06/01 20:51:45.93 0
>>324
「東李西麻」は李如松伝の記述なんですけど・・・
都合の悪い箇所は見えないのかな?
それと成梁・如松の私兵軍団については「遼東鉄騎」といって
中国じゃ結構有名みたいだよ

参照↓
URLリンク(baike.baidu.com)

三千人前後の精鋭部隊で、
ヌルハチのお父さんとお祖父さんをぶっ殺したのもこの部隊
碧蹄館で査大受が率いた先鋒部隊もこの遼東鉄騎

327:世界@名無史さん
11/06/02 00:31:34.59 O
マジに中国人の書き込みってあるんだなぁ。

328:世界@名無史さん
11/06/02 00:43:05.17 0
なんで中国人扱いされんにゃならんのだ

329:世界@名無史さん
11/06/02 16:56:33.60 0
久々にワロタwww

330:世界@名無史さん
11/06/03 16:41:42.73 0
世界史というか他国にどう影響していったかという視点から考えるなら、
明に軍事費を使わせ、重税が原因で反乱が起き、明終了 順へ
朝鮮征伐に駆り出された東北軍が日本軍に蹂躙され、壊滅
軍事的空白地帯となった満州でヌルハチがしたい放題、ホンタイジが北元を支配
勢いに任せて清建国

って連想したけど中東の歴史が好きな俺には今ひとつ細かい事件とか動きとか流れが思い出せない

331:330
11/06/03 20:14:12.48 0
読み直してみたら言葉が足りていなかった
>明に軍事費・・・←元々重税だったのにさらに追い討ちとして的な意味で書きました
>朝鮮征伐に・・・←(日本の)挑戦征伐(の防衛のため)に駆り出された(明の)東北軍

この地域のこの時代は専門どころかアマチュアレベルにも至ってないので(安土桃山時代らへんは好きですけどね)
勘違い甚だしい可能性大ですので、間違っている点を指摘していただけると大変助かります。

332:世界@名無史さん
11/06/03 20:52:26.46 0
まあ日本軍より魏忠賢のほうが明の滅亡には役だってたろうけどね

333:世界@名無史さん
11/06/03 21:11:07.53 0
高校の日本史すら怪しいネトウヨのレスは
スレの面白さを半減どころか殺してるよね
ホント迷惑なんだけど

334:世界@名無史さん
11/06/03 21:28:40.07 0
マジで中国人の書き込みってあるんだなぁ。

335:世界@名無史さん
11/06/04 00:39:57.78 0
ネトウヨ認定で思考停止、印象操作
今日もお盛んですな
金盾工程は

336:世界@名無史さん
11/06/04 00:45:38.22 0
中国人の書き込みってどれよ?

337:世界@名無史さん
11/06/04 04:05:16.49 0
鬼畜秀吉 鬼畜日帝 鬼畜小泉 鬼畜石原

338:世界@名無史さん
11/06/04 07:28:47.10 0
あの時代のノウハウじゃ海越えて他国を征服するなんて事はできんな

339:世界@名無史さん
11/06/04 09:36:57.43 0
>333ここ世界史板なんだし、日本史が曖昧でも大目に見るべきではないのか?

340:世界@名無史さん
11/06/04 11:40:36.75 0
1569年当時の明軍の国防軍は
84万5,000人いた。
(定員は313万8,300人)
文禄の役では5万人弱
慶長の役でも10万人弱
この程度の戦場への投入で明国が傾くかな?

341:世界@名無史さん
11/06/04 13:47:47.76 0
       ∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
            L::;;,__     ..:::ゝ
          //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
          / ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
         /j/三三三三三三三三三三ヾ、
         l::||::::              |l  
        / ̄\  (●)     (●)  ||  その通り、大明が滅んだのは朕のせいじゃないよ
      r┤    ト::::: \___/     ||   
     /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ   
      |   _( ̄ l―---oo-―'"ヽ__

342:世界@名無史さん
11/06/04 15:28:03.02 0
無能な皇帝ほど統治期間が長いという不運な国


343:世界@名無史さん
11/06/04 17:06:07.40 0
そりゃ有能そうな皇帝はなぜか即位後急死したりするからな

344:世界@名無史さん
11/06/04 19:29:34.43 0
>>340
大した兵力じゃないと思うけど問題は何万人討たれたかだな

345:世界@名無史さん
11/06/04 23:36:30.95 0
サルフの戦いに動員された明軍も10万くらいだったよね
このくらいの兵力が外征に出せる限界だったのかな

346:世界@名無史さん
11/06/05 02:17:42.22 0
そりゃそうだろあの時代に国家の基礎である農民をそんな軽々と動員なんて不可能てかその前に滅ぶ
>>340
こんな数字は無論架空だ

347:世界@名無史さん
11/06/05 02:31:31.73 0
小田原攻めで20万将兵の兵站を余裕で維持した秀吉はマジ補給神。

348:世界@名無史さん
11/06/05 06:11:41.63 0
小田原陣って最新の研究じゃ従来言われてきたのとは逆に
秀吉軍も相当補給に難渋していて追い詰められ具合は
北条方といい勝負だったらしいね
飢餓に苦しめられる部隊すら珍しくなかったと言うし
本当に余裕だったら”一夜城”なぞで威嚇する必要もないし
朝鮮で補給に苦しむはずも無いやね

349:世界@名無史さん
11/06/05 12:41:05.89 0
篭城ってのは防御側が攻略側の疲弊を狙うものでもあるから
秀吉側も苦しむのは当然なんだがな

なんで篭城の目的は援軍がくるまでの時間稼ぎのみ、みたいな話が流布したんだろう。


350:世界@名無史さん
11/06/05 12:46:13.35 0
>>346
明国の人口は末期には2億人近くいたんだが!

351:世界@名無史さん
11/06/05 16:46:17.95 0
>>349
近代には蒸気船や鉄道があるからじゃね?
一ヶ月からせいぜい数ヶ月もすれば補給切れで撤退、するどころか鉄道や港を整備して補給状態が改善される。

352:世界@名無史さん
11/06/05 17:03:22.66 0
あー、でもコレヒドールなんか日本軍も補給で難儀してたな。
アメリカ軍が先に飢えて降伏したけど。

353:世界@名無史さん
11/06/05 19:47:52.66 0
ナポレオンの時代ですら普通は補給は現地調達が基本だったしな
籠城し続けたら包囲側の食料が先に尽きるパターンのほうが多かったはず

354:世界@名無史さん
11/06/05 19:48:56.66 0
氏康だったら逃げ切ってただろうな

355:世界@名無史さん
11/06/05 21:36:56.95 0
信長の配下の時から秀吉は城攻め兵糧攻めが得意だったな

356:世界@名無史さん
11/06/06 03:08:06.75 O
>>350
兵力は全土の定数
満州に展開可能なのは北京周辺の部隊のみ
朝鮮で消耗したのも北京周辺の精鋭部隊

357:世界@名無史さん
11/06/06 03:53:11.49 O
オスマントルコのコンスタンチノープル包囲戦と比べたら小田原攻めなんか小っちゃいよね

358:世界@名無史さん
11/06/06 04:10:47.63 0
規模はでかいだろうが主将の背は小さいな

359:世界@名無史さん
11/06/06 04:45:59.55 0
5月21日 全国一斉「パチンコ禁止デモ」 【在特会】 

URLリンク(www.youtube.com)
デモ隊 VS 在日ヤクザ?もどきのバトル
4:20~が笑える

平成23年5月21日 パチンコ反対デモにからんでくる在日朝鮮人

URLリンク(www.youtube.com)
これも…


360:世界@名無史さん
11/06/06 09:03:09.65 0
>>356
>朝鮮で消耗したのも北京周辺の精鋭部隊
のソースは?

361:世界@名無史さん
11/06/06 09:29:23.59 0
NHKの『歴史秘話ヒストリア』でも島津兄弟の回で
秀吉の九州攻めに際し、根白坂の戦いに敗れた為、島津義久は
秀吉に降伏を願い出たが、秀吉からは薩摩国以外は没収する旨
沙汰があり、弟の義弘らがこの旧領没収が我慢ならずに抵抗する。
それはゲリラ戦法に近く、地の利を最大限に使った作戦をとり、
戦は長期化する。
その為、秀吉方の兵糧が枯渇してきたため、領地の回復を認めた。


362:世界@名無史さん
11/06/06 09:42:06.48 0
風土病にも悩まされたみたいだね

363:世界@名無史さん
11/06/06 16:43:37.88 0
日本海軍が李舜臣に負けたのは、日本海軍の船がことごとく長期航海向けの船だったから。
日本から半島への航海をこなすために、武装は控えめ、装甲もはれない。
一方李舜臣の船は、迎撃側になるため武装と装甲が強化されている。その一方で鈍重で航海に向かない。
日本海軍が負けるわけだ。

364:世界@名無史さん
11/06/06 16:53:22.36 0
えっ、日本が負けたの?
朝鮮軍の提督みんな戦死してんじゃん

365:世界@名無史さん
11/06/06 17:06:51.02 0
>>364
それは最後の最後。
日本側が船を現地改修して砲載せたから、逆にボコボコにされた。

366:世界@名無史さん
11/06/07 21:30:34.92 0
ま、文禄・慶長通して日本水軍が明らかに負けたといえるのは
見乃梁(閑山島沖海戦)の一戦くらいだな。

367:世界@名無史さん
11/06/08 02:04:20.83 0
>>340
幾ら常備軍が居ても使える兵隊って限られていたんじゃないの?
李如松、陳璘、劉綎、麻貴と、各々守ってる場所は国境線、海岸線と中華の四辺なのに
万暦の三征、サルフと結構色んな場所でこいつら顔を合わせてる
正直、このメンツがオールスターに近かったんだろうと思う
遼寧に居た李と倭寇に詳しい陳が呼ばれるのは解るが
劉綎はビルマとの国境線に居たし、麻貴も西の果てのイスラム教だし
こいつらは明が人材に精鋭に恵まれてたら朝鮮まで来ないでしょ

>>347
朝鮮と関東を一緒じゃないでしょ。
四川で起こった楊応龍の乱じゃ明も24万動員してる。
侵攻前から痩せこけてた朝鮮じゃ精々10万の展開が精一杯じゃないかな


368:世界@名無史さん
11/06/09 19:38:59.50 0
>>367

>>322みたいに日本軍と戦った明軍は精鋭じゃない、
辺境の二軍だとか言い張る奴がいるが
だったら明は寧夏にも播州にも、さらにはサルフにも
その「実戦経験があるだけの」「辺境の二軍」を繰り出したことになるわな
具体的に誰が率いる、どの軍団が一軍だったと思ってるんだろう

369:世界@名無史さん
11/06/09 23:59:19.49 0
>>322は馬鹿な事言ってるなあとは思うけど「辺境の二軍」と言ってるようには見えないが

370:世界@名無史さん
11/06/10 00:05:48.40 0
別の人(たぶん)が「二線級」の軍団と言っていたのを勘違いしちゃったよ

371:世界@名無史さん
11/06/10 23:26:14.34 0
たぶん、明国の最精鋭は北京の防衛を担う侍衛親軍

372:世界@名無史さん
11/06/10 23:51:55.37 O
禁衛・親衛の類いって、装備・血筋・訓練・教育は充実してそう
ほぼ精鋭としての必須条件を備えてるとは思う

でも、辺境の経験豊富な私軍的なゴロツキも強そう

373:世界@名無史さん
11/06/11 00:05:03.45 0
まあ、日本軍と戦った李家軍なんかは軍閥だからね
子飼いの私兵軍団だから徴集兵とは本質的に違う
ところで北京の禁衛・親衛って野戦や攻城にも長けていたんだろうか?
当然防衛に特化していただろうし、地方の軍閥のような汎用性があったのかどうか

374:世界@名無史さん
11/06/11 10:29:51.80 0
李如松軍で強かったのは南方から連れてきた火器部隊で日本軍に負けた時は火器部隊は平壌に置いてきていていなかった

375:世界@名無史さん
11/06/11 11:47:51.34 0
>>374
碧蹄館の戦いには楊元率いる火器部隊も参戦してるんだがな。
開戦時にも大砲や神機箭(ロケット式の矢)が使用されてる
大体、馬軍よりも火軍の方が強いって一体何を根拠に言ってるんだ?

376:世界@名無史さん
11/06/11 13:31:17.41 0
1593年1月に来襲した明軍43,000人の内訳
中軍(李家軍か?)11,700人
左軍       11,500人
右軍       11,500人
遊軍        8,300人
その内碧蹄館の戦い参加したのは
中軍と遊軍のみ即ち2万人
ただし、平壌の戦いなどによる戦死傷者が出ている為
実態は2万人を下回っていたと思われる。
火力主体の南方の部隊は、中軍(李家軍)には余りいなかった。
碧蹄館の戦いの戦場は直前の雨で地面がぬかるんでいたため、李家
軍得意の騎兵突撃がしにくい環境だった。
その為、歴史家の中には火力主体の左軍や右軍をつれて来ていれば
戦局も違っていたというものもいる。


377:世界@名無史さん
11/06/11 13:43:35.77 0
>>火力主体の左軍や右軍をつれて来ていれば

火軍や歩軍は進軍に時間がかかるから騎兵を先行させたんだろ
騎兵主体(ある程度は火器部隊も含まれていた)の編成で突撃した結果
日本軍の先鋒隊二万に大敗。
しかも戦闘終盤には楊元ら火軍の一部も増援として駆けつけてるが
そいつらもまとめて撃破されてる
火軍やら歩軍を連れてのろのろ進軍してたら、日本軍の本隊二万一千まで投入されて
ますます戦況は不利になってたと思うんだが

378:世界@名無史さん
11/06/11 14:08:50.19 0
>騎兵主体(ある程度は火器部隊も含まれていた)の編成で突撃した
>結果日本軍の先鋒隊二万に大敗。
正確にいうと、雨の上がったばかりで地面がぬかるんでる状況で
無理に騎兵突撃を強攻したからだろ。
平壌の戦いの勝利で日本側の強さを侮った李家軍は、火力主体の
左軍や右軍と連携を図らず、李家軍だけで京城を落とせると過信した
その結果の大敗だったといっているんだが。

379:世界@名無史さん
11/06/11 14:15:12.44 0
うん。李如松の油断が大敗の主な原因であってると思うよ
そこに異論はないけど

まあ、侮ったとか地面がぬかるんでたとか敗北の言い訳にもならないけどね
そういうのも含めて計るもんでしょ、軍隊の強さっていうのは
それに「火軍が馬軍よりも強い」などという間抜けな理屈の根拠にもならないw

380:世界@名無史さん
11/06/11 14:27:13.08 0
戦争は結果だな

経験を利用できず国家や人が死んでしまう可能性あるから
内容がよくても意味がない

381:世界@名無史さん
11/06/11 14:27:31.94 0
>まあ、侮ったとか地面がぬかるんでたとか敗北の言い訳にもならないけどね
>そういうのも含めて計るもんでしょ、軍隊の強さっていうのは
上の方で「モンゴルや女真をたびたび討伐し精鋭無比を謳われた李家軍」
として持ち上げられているじゃん。


382:世界@名無史さん
11/06/11 14:33:05.08 0
禁軍ろうがバテレン軍だろうが、ぬかるんだ場所で突撃とかすれば身動きでずに大敗すると思うよ。

383:世界@名無史さん
11/06/11 14:48:28.42 0
>まあ、侮ったとか地面がぬかるんでたとか敗北の言い訳にもならないけどね
>そういうのも含めて計るもんでしょ、軍隊の強さっていうのは
「モンゴルや女真をたびたび討伐し精鋭無比を謳われた李家軍」
として持ち上げられているじゃん。
その割には状況認識が甘いんだが。
李家軍の主将が李如松でなくその父の李成梁だったら戦況は違って
いただろうな。
結局、李



384:世界@名無史さん
11/06/11 23:11:49.39 O
別のスレだけど
「日本の旧軍は強かった。ただ、上層部の連中が無能だっただけ」
「いや、そんな上層部がいる時点で弱いだろ」
って議論があったな、
かみ合わないまま荒れる

385:世界@名無史さん
11/06/11 23:42:34.06 0
>>383
馬鹿じゃないの?勝敗は兵家の常と言うだろ
信玄や謙信だって敗北したことはある
李如松が碧蹄館で手痛い敗北を喫したのは事実だが、
寧夏の平定戦で多大な戦功を上げた名将であることも事実
朝鮮役では平壌を回復して日本軍の防衛線を後退させてる
朝鮮の雑魚武将よりはよっぽど活躍してるよ

386:世界@名無史さん
11/06/12 05:19:39.43 0
李さんちの兵隊は強かったよ。
ただ指揮がまずかったから碧蹄館で大敗したよ。

387:世界@名無史さん
11/06/12 11:37:46.53 0
>>385
平壌を回復したのは決定的な勝利だな

388:世界@名無史さん
11/06/12 18:13:42.05 0
なんか、どうしてでも朝鮮役の明軍を過小評価したがる奴がいるな。
わかるよ、「こんな二線級の雑魚に苦戦した日本軍よわっ!w」って言いたいんだろ?
でも、残念ながら事実は逆で、李如松は明代の著名な名将の一人であり、
彼が率いた遼東兵も当時の第一線級の精鋭なんだな
で、その精鋭と日本軍はガチでやりあって勝っちゃったんだな。残念ながら

389:世界@名無史さん
11/06/12 22:55:41.48 0
日本軍が強かったからではなく
朝鮮半島の日本と似た狭隘な地形が歩兵+小銃の日本軍に有利に働いたらしいね
逆に遼東を越えて満州の大平原で開戦したら騎兵+大砲の明軍に文字通り
殲滅されていただろうね

390:世界@名無史さん
11/06/12 23:11:24.31 0
>>389
どう妄想してるのか知らんが、開平地なら長射程の銃が主力の
日本勢が完全にアウトレンジして殲滅してるだろ。

391:世界@名無史さん
11/06/12 23:15:44.56 0
「成梁だったら」「火軍を連れていたら」「大平原で開戦したら」
いつもたらればの話ばっかだなw
泣き喚いてないで結果を見ろよ。碧蹄館だけでなく
稷山でも蔚山でも泗川でも明軍は野戦で負けてるじゃんw

392:世界@名無史さん
11/06/12 23:21:52.97 0
>>390
徒歩移動の「備」なんて明軍の大砲の集中砲火の前ではいい標的だろうなあ


393:世界@名無史さん
11/06/12 23:22:27.72 0
というか、当時の大砲って炸裂弾ではなくてただの鉄球が主流でしょ
城攻めならともかく、野戦でさほど役に立ったとは思えん
仮に大平原で開戦できたとしても、>>390が言うように
日本軍の火縄銃の餌食になるのでは

394:世界@名無史さん
11/06/12 23:30:51.28 0
野戦では大砲がいかせないね。持ってこれないし、もってくるなら機動性がなくなる
野戦築城も必要。

395:世界@名無史さん
11/06/12 23:34:33.59 0
>>388
李家軍が精鋭なのは同意だが
李如松が名将だあることには異論がある。
従一品太子太保まで昇進した著名な将軍
という意味で名将というんならわかるが、
華々しい戦績を残した著名な将軍という意味
で名将というんなら異論ありだ。
李如松なんて碧蹄館の戦い以前はおろか
以後もたいした戦績を残してない。



396:世界@名無史さん
11/06/12 23:37:59.57 0
>>391
蔚山(城)の戦いや泗川(城)の戦いは
お前の脳内では野戦になっているんだ(笑い)
それに稷山の戦いは日本軍3万人に対し明軍は4千人
なんだが(笑い)

397:世界@名無史さん
11/06/12 23:56:49.31 0
>>391
大体、日本軍が明軍より強かったら
そして、明軍もそれを認識してるなら、
どうして、文禄の役でも慶長の役でも
明軍の本格参入以降日本勢は占領地を
放棄して朝鮮半島南岸の日本海側に撤退
してるんだよ。
朝鮮半島の食糧事情を言い訳にするけど
それなら明軍や朝鮮義兵も条件は同じだろ。
明軍や朝鮮義兵より明らかに強いとお前らが
妄信してる日本軍が一方的に占領地を放棄して
朝鮮半島南岸の日本海側に撤退する言い訳になって
ない。



398:世界@名無史さん
11/06/12 23:58:05.20 0
>>395
とりあえず中国の百度百科には「明朝名将」とあるけどな
URLリンク(baike.baidu.com)

戦績なら寧夏と平壌大捷で十分だろ

399:世界@名無史さん
11/06/13 00:06:36.48 0
>>396
蔚山でも泗川でも篭城戦と城外での野戦の両方が行われてるんだが
まさかそんなことも知らずに書き込んでたの?

>>397
どんなに強力な軍隊があろうが、現地に協力組織を得られなければ外征は失敗する
朝鮮の統治に失敗して戦略が破綻してたんだから、どっちみち結果は撤退だったろうよ
あと明軍と朝鮮ゲリラは少なくとも現地の協力は得られるだろ。
朝鮮王朝が明軍のために必死こいて食糧かき集めてたの知らないの?
「懲毖録」くらいは読めw

400:世界@名無史さん
11/06/13 00:08:09.08 0
>>391
当時の海洋輸送技術ではまともに補給できないし
さらになれない風土病だのある
ナポレオンさえ現地調達だったから

401:世界@名無史さん
11/06/13 00:17:22.83 0
>>396
その理屈だと世界史上で成功した征服戦
はすべて現地の協力組織のおかげで征服
できたわけだ(笑)
アレキサンダーのペルシャ征服も(笑)
カエサルのガリア征服も(笑)
第一次十字軍の征服も(笑)
チンギスハーンやナポレオンの一連の征服戦も(笑)





402:世界@名無史さん
11/06/13 00:18:31.42 0
>>399
その理屈だと世界史上で成功した征服戦
はすべて現地の協力組織のおかげで征服
できたわけだ(笑)
アレキサンダーのペルシャ征服も(笑)
カエサルのガリア征服も(笑)
第一次十字軍の征服も(笑)
チンギスハーンやナポレオンの一連の征服戦も(笑)



403:世界@名無史さん
11/06/13 00:28:12.42 0
>>399
おまえ的にはそれを野戦にカウントするんだ。
俺的にはあくまでも篭城戦の一部と見るけど(笑)

404:世界@名無史さん
11/06/13 00:28:44.25 0
朕に北顧の憂いなし

405:世界@名無史さん
11/06/13 01:30:46.53 0
>>401
トンスルでも飲んで落ち着きたまえ

406:世界@名無史さん
11/06/13 02:59:16.80 0
ナポレオンは兵站無視、機動戦が一番で大成功した武将だけど
ロシアではそれが致命傷になったよ。
秀吉みたいな兵站マニアとは対極の武将だな。

407:世界@名無史さん
11/06/13 09:40:40.24 O
>>406
軍隊を機動させるには兵站の整備が必要です。
兵站の整備されていない軍隊同士が戦わば、兵糧矢弾のある町を一個づつ奪い合う戦いになります。

408:世界@名無史さん
11/06/13 12:06:59.57 0
>>401
落ち着いて世界史を勉強し直せ
あと軍事史の知識も少しくらい付けろ
いつまでも武力のみで征服地を支配し続けることはできない

>>403
蔚山では城外の援軍が襲い掛かって明軍壊走、三十里に渡って追撃されてるし
泗川じゃ城外へ打って出た島津勢が明軍を壊走させ、望晋まで退いて防ぎとめようとした明軍も撃破
さらにはるばる南江の岸まで追撃してる。この部分はどこからどう見ても野戦だろw

409:世界@名無史さん
11/06/13 12:19:43.99 0
>>395
李如松が名将なら諸葛亮でも国士無双クラスの超名将だよなw

410:世界@名無史さん
11/06/13 12:50:12.45 0
諸葛亮は優秀な政治家であり、有能な野戦指揮官だよ。
国士無双といっても良い。

411:世界@名無史さん
11/06/13 13:19:57.75 0
>>408
お前が蔚山(城)の戦いや泗川(城)の戦い
を野戦だと妄信するのならそれでいいや(笑)
でもさもともとはおまえが日本軍の方が明軍より強いと主張して
>稷山でも蔚山でも泗川でも明軍は野戦で負けてるじゃん
ていったことがそもそもの始まりなんだが
なぜ朝鮮半島南部を征服するために14万~18万もの大軍で
海を渡って攻め込みながら自分より弱い明軍相手に倭城
に立て篭もって戦っているんだ?
野戦で強い方が立て篭もる城に弱い方が攻め込むって変な話だな。


412:世界@名無史さん
11/06/13 13:24:04.01 0
14万人も常に駐屯してないぞ。
攻勢かけた後は居残り部隊で南部の橋頭堡の守りを固める戦略で、
明朝鮮連合軍の総反撃は失敗して朝鮮軍は再起不能のダメージ受けてるし、
秀吉の戦略大成功じゃん。

413:世界@名無史さん
11/06/13 13:29:55.37 0
慶長の役って倭城をめぐる攻防戦に終始していたように思いがちだけど
日本側が講和交渉で要求していた朝鮮南部の割譲を武力により達成しるために
始めた戦争なので、最初は日本側が下記のように攻勢に出ていた。
URLリンク(image.blog.livedoor.jp)
開戦以来日本側は連戦連勝で朝鮮南部の占領は目前だったが、ここで文禄の役同様
明軍が本格的に参戦してきた。
日本側は防御拠点の無い内陸で戦うのは不利と、もといた南岸に撤退し、倭城に籠城し、明・朝鮮側の攻勢を凌いだ。
URLリンク(image.blog.livedoor.jp)
結局再度の攻勢に転じられないまま秀吉の死後撤退するまで南岸の倭城に籠城し続けた。
URLリンク(image.blog.livedoor.jp)
以上が慶長の役の大まかなあらすじだ。


414:世界@名無史さん
11/06/13 13:42:13.76 0
>>411
全体としては「篭城戦」でまとめていいと思うけど
野戦もあったってことを言ってるんだが。日本語わかりますか?

>>でもさもともとはおまえが日本軍の方が明軍より強いと主張して
はあ?俺がいつそんなこと言ったんだ?朝鮮役では日本軍が勝ち越したが
勝負は時の運。平壌大捷を見ればわかるように明軍にも勝算はあった

>>なぜ朝鮮半島南部を征服するために14万~18万もの大軍で
海を渡って攻め込みながら自分より弱い明軍相手に倭城
に立て篭もって戦っているんだ?

拠点構築を進めてたんだろ
文禄の役の際に築いた倭城(一時的な橋頭堡的性格が強い)とは違う、
半永久的に維持できる近世城郭の構築が進められていた
また、全羅道・忠清道掃討を見ればわかるように、この頃には
文禄の役の時のように土地の征服にはこだわらず、攻めては引いて
敵を消耗させる戦法に切り替えている
なので、秀吉が死ぬまではおおむね日本軍の予定通りに進んでる

415:世界@名無史さん
11/06/13 13:49:04.77 0
ソウルのあたりまで攻勢をかける→南部に城を作る→どうだ南部はもう取り戻せまい、朝鮮南部は俺のものだ
って作戦だろ?不利だから南部に撤退したなら何で毛利とか帰っちゃうわけ?

416:世界@名無史さん
11/06/13 14:06:15.99 0
5万とか6万の居残り部隊で10万を超える明朝鮮軍の反撃を撃退したのだから秀吉の作戦大当たりじゃん。

417:世界@名無史さん
11/06/13 14:33:21.72 0
そうやって既成事実を作っていく作戦なんだね。
わりといいプランだと思うよ、秀吉の年齢を抜きにすれば。

418:世界@名無史さん
11/06/13 22:47:52.80 0
>>414
じゃあ、お前に聞くけど慶長の役の初期に
日本軍が大挙して内陸に攻め込んでたのは
なんで?(笑)
URLリンク(image.blog.livedoor.jp)
それが稷山の戦いの勝利後、明軍から逃げるように元いた朝鮮半島南岸
の日本海側に撤退したのはなんで?(笑)
>文禄の役の時のように土地の征服にはこだわらず、攻めては引いて
>敵を消耗させる戦法に切り替えている
まさかコレがその回答じゃないと思うけど、もしこれが回答ならさ、
ついでにこの戦法についての裏づけ資料も出してくれよ(笑)

419:世界@名無史さん
11/06/13 23:28:27.37 0
朝鮮の領土や水軍拠点を荒らしまわるためじゃね?
特に明軍に圧迫されてもいないのに、南岸に撤退してお城作ったら毛利も宇喜多も帰っちゃうんだぜ。
明の参戦で北進できなかった文禄の役とは様子が違うぜ。

420:世界@名無史さん
11/06/13 23:48:01.14 0
>>418
秀吉の作戦支持が「立花文書」慶長二年二月二十一日の朱印状に残ってるんだが

一、赤国不残悉一篇ニ成敗申付、青国其外之儀者、可成程可相動事。
・・・全羅道を残さず悉く成敗し、さらに忠清道やその他にも進攻せよ。

一、右動相済上を以、仕置之城々、所柄之儀各見及、多分ニ付て、城主を定、則普請等之儀、爲帰朝之衆、令割
符、丈夫ニ可申付事。
・・・それが済んだら仕置きの城を築き、在番の城主を決めてそれ以外は帰国せよ。

一、自然大明国者共、朝鮮都より、五日路も六日路も大軍ニて罷出、於陣取者、各談合無用捨可令註進、
御馬廻迄にて、一騎かけニ被成御渡海、即時被討果、大明国迄可被仰付事、案之内候之條、於由断者可爲越度事。
・・・大明の軍勢を朝鮮南部に誘い出して殲滅し、その後大明に進撃せよ。

文禄の役で土地の征服にこだわって兵力を分散させてしまった反省から、慶長の役では
「仕置きの城」を拠点にして在番と帰国の兵力を定期的に入れ替え、
敵に打撃を与えては引き上げるヒットアンドアウェイの戦略を取るつもりだったと考えられる
実際、全羅道・忠清道の征伐を予定通り終えた日本軍は沿岸部に戻り、「仕置きの城」の築城に取り掛かってる
そして三路の戦いで明朝の11万の大軍を三城それぞれで撃破と。
こうして見るとすべて秀吉の支持通りに事が進んでるなw
稷山の戦いはそんな中起こった遭遇戦であり、たかだか四千人程度の明軍が日本の大軍に蹴散らされたというだけで
日本軍の行動自体にはなんら影響を与えていない

421:世界@名無史さん
11/06/13 23:52:09.45 0
>>419
あのさー、朝鮮半島南岸の日本海側って
すでに文禄の役で占領し、講和交渉中にも
倭城を建設していたんだよ。
わざわざ慶長の役の初期に血を流して
手に入れた占領地を放棄してまで元いた占領地に
戻って倭城を増設をする意味がわからない。(笑)
あくまでも
>文禄の役の時のように土地の征服にはこだわらず、攻めては引いて
>敵を消耗させる戦法に切り替えている
と言い張るんならせめて秀吉の命令書を提示してくれよ(笑)

422:世界@名無史さん
11/06/13 23:54:55.45 0
>>421
俺とそれかいた奴は別人だが、>>420に資料あるみたいだぞ。
野戦軍をおびき出して叩くことが目的ならまさに作戦通りじゃん。

423:世界@名無史さん
11/06/13 23:55:57.00 0
>>420のあとにンなカキコしてる>>421、スゲー頭悪そうだなw

424:世界@名無史さん
11/06/13 23:59:49.88 0
>>420
あのさー、この文章のどこに占領地を放棄して
元いた沿岸部に城を作れって読めるんだよ(笑)
素直に読めば
>全羅道や忠清道やその他にも進攻して
仕置きの城を作れって意味じゃねえか(笑)



425:世界@名無史さん
11/06/14 00:03:19.36 0
>>420
あのさー、この文章のどこに占領地を放棄して
元いた沿岸部に城を作れって読めるんだよ(笑)
素直に読めば
>全羅道や忠清道やその他にも進攻して
仕置きの城を作れって意味じゃねえか(笑)
占領地を放棄して元いた朝鮮半島南岸の日本海側
に撤退して仕置きの城を作れなんて読めねねぞ(笑)



426:世界@名無史さん
11/06/14 00:05:24.11 0
>>424
>>421
頭が悪そうなんで赤くしてやろう。

427:世界@名無史さん
11/06/14 00:11:10.40 0
>>420
あのさー、この文章のどこに占領地を放棄して
元いた沿岸部に城を作れって読めるんだよ(笑)
素直に読めば
>全羅道や忠清道やその他にも進攻して
仕置きの城を作れって意味じゃねえか(笑)
>文禄の役の時のように土地の征服にはこだわらず、攻めては引いて
>敵を消耗させる戦法に切り替えている
コレについてのソースではないな(笑)


428:世界@名無史さん
11/06/14 00:14:55.45 0
>>427
落ち着け馬鹿なのはばれている

420の最後の文を読んで
>>425が論破されると思って修正したな


429:世界@名無史さん
11/06/14 00:19:40.91 0
>>420
>秀吉の作戦支持が「立花文書」慶長二年二月二十一日の朱印状に
>残ってるんだが
この朱印状の内容って結局は朝鮮半島南部を速やかに占領し
仕置きの城を作って城主を定めたら、城普請に関わった大名は
撤退しろ。
そして明軍を迎え打てってことだろ。(笑)




430:世界@名無史さん
11/06/14 00:30:32.58 0
>>425
>>占領地を放棄して元いた朝鮮半島南岸の日本海側
に撤退して仕置きの城を作れなんて読めねねぞ(笑)

じゃあ全羅道・忠清道を掃討した後諸大名が一斉に築き始めた城郭群は一体何なの?w
秀吉の支持通書通り定められた在番の大名がこれらの城に居残ってるけど、それでも「仕置きの城」じゃないと言うのか?w

無知なようだから教えてあげるけど、文禄の役の倭城と慶長の役の「仕置きの城」は本質的に違う
文禄の倭城はおおむね補給拠点の確保を目的とした「つなぎの城」であり、一時的な使用を想定していた
そのため朝鮮の城郭を改造するなどやっつけ仕事の城が多い

一方、慶長の「仕置きの城」とは豊臣政権の直轄的な支城として新規に築かれた純日本風の近世城郭であり、
総構や本丸、二の丸、三の丸を備え天守や多聞櫓まで配備していた
多くは船着場があり、本土からの軍勢が容易に出入りできるようになっている
そのへんの違いも知らずに書き込むから馬鹿を晒すんだよw

431:世界@名無史さん
11/06/14 00:48:14.55 0
>>430
お前それまじめに言ってるの?
もしまじめに言ってるなら重症だな。
朝鮮半島南岸の日本海側は文禄の役から
占領してるんだぞ。(1592年ころ)
それから5年近くも経った1597年6月からの
慶長の役で14万以上の軍勢を投入した目的が
沿岸部の倭城の増改築だというのかよ。
それに6月~9月までの攻勢についてはどう説明するんだ。
URLリンク(image.blog.livedoor.jp)
お前の提示したした資料を素直に読むと
>一、赤国不残悉一篇ニ成敗申付、青国其外之儀者、可成程可相動事。
>・・・全羅道を残さず悉く成敗し、さらに忠清道やその他にも進攻せよ。
このあたりだけど明軍が侵攻してきたら速やかに撤退しろとの命令はどこを
読めばいいんだ?
ましてこのあたりの主張については
>文禄の役の時のように土地の征服にはこだわらず、攻めては引いて
>敵を消耗させる戦法に切り替えている
お前の提示した資料のどこを読めばいいんだ?



432:世界@名無史さん
11/06/14 00:55:16.17 0
>>431

>文禄の役の時のように土地の征服にはこだわらず、攻めては引いて
>敵を消耗させる戦法に切り替えている
>お前の提示した資料のどこを読めばいいんだ?

URLリンク(kindai.da.ndl.go.jp)
↑ここで「立花文書」三月十三日付けの朱印状が読めるぞ!
これによると秀吉の戦略は仕置きの城を拠点として2、3年に一度大軍を渡海させて侵攻し、
それを繰り返して敵を疲弊させるという気の長い計画だったようだ
「来年はご人数を指し渡し高麗都まで進攻する」とあるように、慶長4年にも大規模な進行が計画されていた
どう見ても「攻めては引いて敵を消耗させる戦法」ヒットアンドアウェイだよなあ。違うか?


433:世界@名無史さん
11/06/14 00:58:07.28 0
あと

>慶長の役で14万以上の軍勢を投入した目的が
>沿岸部の倭城の増改築だというのかよ。

文禄の「つなぎの城」と慶長の「仕置きの城」は本質的に違うと>>430で書いたはずだが
ちゃんと読めよ

434:世界@名無史さん
11/06/14 01:07:25.06 0
>>433
それってお前の妄想だろ。
それともそれを裏付ける資料でも
あるのか?

435:世界@名無史さん
11/06/14 01:09:54.83 0
>>433
どのへんが妄想?具体的に頼む

436:世界@名無史さん
11/06/14 01:16:57.22 0
>>433
>文禄の「つなぎの城」と慶長の「仕置きの城」は本質的に違うと>>430で書いたはずだが
そのとおり、文禄の「つなぎの城」と慶長の「仕置きの城」は本質的
に違うだろう。
文禄の「つなぎの城」が沿岸部に築城したのに対して、
慶長の「仕置きの城」は内陸部に築城するつもりだっただろ。
それが明軍の本格的反攻が予想外に早かったんで「仕置きの城」
を作る暇もなく沿岸部に撤退した、これが事実だ。
けっして明軍をおびきよせるために沿岸部に撤退したんじゃない(笑)


437:世界@名無史さん
11/06/14 01:49:55.90 0
>それが明軍の本格的反攻が予想外に早かったんで「仕置きの城」
>を作る暇もなく沿岸部に撤退した、これが事実だ。

な、なんだってー!?

明軍の本格的反抗って一体何だ?まさか稷山の戦いのことか?
稷山の戦いの時点で明軍は半島全土に一万七千人ほどしかおらず、
稷山にもたったの四千人しか投入できていない
しかも日本軍に蹴散らされると慌てて漢江まで防衛線を後退させてる
(賊勢已迫, 京城闊大, 守禦未固, 沿江列守, 其勢最重。 安危、成敗,
決於江上, 而但令 崔遠 守備, 凡事疎虞, 極爲寒心・・・「宣祖実録」三十年九月九日)

「仕置きの城を作る暇もなく沿岸部に撤退した」?
馬鹿を言うな。稷山で明軍を大破した日本軍右軍はそのまま悠々と安城・竹山方面へ進軍して
忠清道の掃討という戦略目標を達成してから南岸部へ帰還してる
これのどこが「明軍の本格的な反攻」なんだ?w

438:世界@名無史さん
11/06/14 03:07:30.01 0
教科書では明や義兵の抵抗で戦線が膠着した事になってるな。
しかし10万の兵を押し戻すような明軍がいなかった以上、それは嘘だったのか。

439:世界@名無史さん
11/06/14 07:20:13.27 0
>>437
お前って見苦しいなー
話を摩り替えてごまかそうって魂胆か(笑)
>文禄の役の時のように土地の征服にはこだわらず、攻めては引いて
>敵を消耗させる戦法に切り替えている
これについてのソース出せばいいだけジャン(笑)
話を摩り替えても無駄だから(爆笑)

440:世界@名無史さん
11/06/14 09:05:47.21 0
俺は>>420と別人だけど、420に書いてね?城作ったら帰国組みは帰国しろ。
そうすると自然と明軍は朝鮮の都からはるばる出撃して来るから、そいつらぶっ叩けって。
明軍を撃滅したら進撃しようぜって。

俺は漢文とか苦手だけどさw

441:世界@名無史さん
11/06/14 09:08:07.19 0
>>439

はあ?>>432でソース教えてあげてるじゃん。
寝ぼけてんのか?w
ほれ、「立花文書」三月十三日付けの朱印状w↓
URLリンク(kindai.da.ndl.go.jp)


442:世界@名無史さん
11/06/14 09:12:20.80 0
>>437
お前に質問があるんだ
>秀吉の作戦支持が「立花文書」慶長二年二月二十一日の朱印状に残ってるんだが
この朱印状で
>一、右動相済上を以、仕置之城々、所柄之儀各見及、多分ニ付て、城主を定、則普請等之儀、爲帰朝之衆、令割
>符、丈夫ニ可申付事。
この部分をお前は沿岸部の防衛を強化する命令だと主張し、
慶長4年以降に本格的な進攻を行う予定だったということだけど
当然、明・朝鮮軍もその間に内陸部の防衛も強化してるはずだが、
それだと慶長4年の再進攻に際し、文禄の役の晋州城合戦のように
占領するにも味方に多くの犠牲が出たり、幸州山城合戦のように敵に
撃退されるような戦いを多く経験することになると思うけど。
そのあたりを秀吉はどう考えていたの。


443:世界@名無史さん
11/06/14 09:15:41.44 0
まさか明・朝鮮軍は内陸の防衛を強化もせず、
しゃにむに沿岸部に撤退した日本軍を攻撃すると
思っていたの。
もしそう考えていたならろくな作戦じゃないな。

444:世界@名無史さん
11/06/14 09:25:37.98 0
実際、明朝軍は沿岸部に撤退した日本軍をしゃにむに攻撃してるだろ
秀吉の予想敵中じゃん

445:世界@名無史さん
11/06/14 09:38:28.96 0
≫444
俺が言いたいのは明・朝鮮軍が内陸部の防衛力の
強化を図っていることを秀吉は想定してなかったのか?ってことだよ。
お前の主張では想定してなかったっぽいから
慶長4年の再進攻では文禄の役の晋州城合戦のように占領するにも味方
に多くの犠牲が出たり、
幸州山城合戦のように敵に撃退されるような戦いを多く経験することに
なるだろうな。
ずいぶん間抜けな作戦だね。

446:世界@名無史さん
11/06/14 09:44:42.51 0
ちゃんと根拠となる資料を出した相手に言いがかりだけでなく、挙句に秀吉の脳内を教えろとかw
少なくとも明に圧迫されて南岸に撤退したって自分の主張の根拠を出さないと駄目だろ。

447:世界@名無史さん
11/06/14 09:50:51.15 0
>>444
俺が言いたいのは明・朝鮮軍が内陸部の防衛力の
強化を図っていることを秀吉は想定してなかったのか?ってことだよ。
お前の主張では想定してなかったっぽいから
慶長4年の再進攻の成否はわからんけど、文禄の役の晋州城合戦のように
占領するにも味方に多くの犠牲が出たり、幸州山城合戦のように敵に撃退
されるような戦いを多く経験することになるだろうな。
慶長2年の進攻の際はあまり損害も出さずに占領したのに慶長4年の再進攻
では多くの損害の上に再占領できるかどうかもわからない。
お前の主張のとおりだとずいぶん間抜けな作戦だね。

448:世界@名無史さん
11/06/14 10:30:00.90 0
>>446
お前が出してきた慶長2年の立花文書での秀吉の命令は
>・・・全羅道を残さず悉く成敗し、さらに忠清道やその他にも進攻せよ。
>・・・それが済んだら仕置きの城を築き、在番の城主を決めてそれ以外は帰国せよ。
>・・・大明の軍勢を朝鮮南部に誘い出して殲滅し、その後大明に進撃せよ。
これを素直に読めば朝鮮半島南部四道を速やかに占領し、占領用の倭城を築いて
城主となる大名を決めたらそれ以外の大名は撤退しろ、そして明軍の来襲を
迎え撃って撃退し、明国まで攻め込め、としか読めないんだが。
このどこにせっかく占領した朝鮮半島南部4道を放棄して元いた沿岸部に撤退し、
そこにある倭城の増改築を命じて、明軍の来襲を撃退しろ、的な解釈になるんだ?


449:世界@名無史さん
11/06/14 10:58:09.92 0
>>448
それ出したの俺じゃねぇけどな。
まぁそんなことより、俺が聞いてるのは明に圧迫されて撤退したっていうお前の主張の根拠だよ。
日本軍を退却に追い込んだのはどの部隊だ?

450:世界@名無史さん
11/06/14 11:19:31.47 0
>>448
でもここまで消極的な戦法は秀吉らしくないし時間もかかる
島津攻めでさえ秀吉兄弟が出陣すれば短期間で終わったし四国攻めは秀吉抜きで楽勝だった
秀吉は相当明軍を警戒してるのは間違いない

451:世界@名無史さん
11/06/14 11:20:23.39 0
当初の命令が再占領した南部4道に倭城を複数構築し、
その倭城を守る大名を選んで、それ以外の大名は撤退しろ
との命令なんだから南部4道の再占領後、倭城の構築前に
明・朝鮮軍が来襲するという想定外の出来事が起きたので、
わざわざ勝利の覚束ない野戦や朝鮮式城邑での籠城戦を取らず
占領地を放棄して沿岸部に撤退しても命令違反にはならない。
特定の部隊とかではなく、明・朝鮮軍の本格的反抗を知り、
全軍戦わずに撤退したんだよ。
慶長の役に派遣された諸大名も文禄の役での失敗から秀吉の命令に対し
シビアに対応するようになったんだろ。


452:世界@名無史さん
11/06/14 11:43:00.09 0
そうか、いったいどこで築城を始めてたんだ。
作りかけの城はどこ?

453:世界@名無史さん
11/06/14 12:04:16.57 0
>>452
そんなことは知らん!
明軍の来襲が早すぎてまだ、築城工事を始めていなかったかもしれないし、
人の多く住む内陸部だから城址は壊されてなくなったのかもしれない。
ただ、慶長2年の立花文書から言えることは秀吉本人が明軍の実力を大変
評価していたことだ。
すでにある朝鮮式城邑ではなく、安土桃山時代に確立された日本式城郭を
構築して明軍を迎え打てとの命令からもそれはわかる。
その立場は朝鮮に派遣された諸大名も同じだ。
沿岸部に攻め込んできた明軍を日本式城郭で迎え打っている点からも
それはわかる。

454:世界@名無史さん
11/06/14 19:01:59.17 0
>>452
和平交渉期から占領で増えた地域に築いた城だよ

455:世界@名無史さん
11/06/14 20:08:50.82 0
>>453

>このどこにせっかく占領した朝鮮半島南部4道を放棄して元いた沿岸部に撤退し、
>そこにある倭城の増改築を命じて、明軍の来襲を撃退しろ、的な解釈になるんだ?

>明軍の来襲が早すぎてまだ、築城工事を始めていなかったかもしれないし、
>人の多く住む内陸部だから城址は壊されてなくなったのかもしれない。


おいおい、なんか慶長の役で沿岸部に築かれた城郭群は「仕置きの城」ではない、という前提で話が進んでないか?w
ご高説拝聴し恐縮なんだが、文禄二年の秀吉の朱印状にこう書いてあるぞ

「御仕置きは、領地を相抱えらるべき為にはこれ無く候の間、海辺に付いて然るべき所を見計らい、城々普請丈夫の申し付くべく候」
(小早川隆景宛朱印状 文禄二年七月十三日付け)

秀吉は「領地を相抱えらるべき為にはこれ無く候」という理由から
内陸ではなく沿岸部に「仕置きの城」を築くよう指示を出している
つまり南岸部に構築された城郭群こそが「仕置きの城」であり、
全羅道・忠清道を掃討した後南岸部に戻り拠点を構築、と日本軍の行動はすべて予定通り進行していたことになる
「内陸に仕置きの城を築きたかったけど明軍の襲撃にあって諦めた」なんて珍説は成立しない上に
「明軍の本格的な反攻により南岸部に撤退した」などという主張も成り立たない
残念だったなw

456:世界@名無史さん
11/06/14 22:55:57.47 0
国力で勝る相手と戦うのだから妥当な判断だな。
「朝鮮出兵はもうろくじじいの誇大妄想」というのは嘘だった。
秀吉は死ぬ直前まで一流の武将だった。

457:世界@名無史さん
11/06/14 23:09:35.91 0
>>455
慶長の役の話をしているのに文禄の役の際の朱印状を出してきて
なんの意味があるんだ。
それもソウルは明け渡し、明国との本格的な和平交渉のために
南岸に撤退しようとしている時期の小早川隆景宛朱印状に。
お前の脳内では文禄の役と慶長の役がゴッチャになっているんだな(笑)
お仕置きの城ってつまりは統治用の城の意味だぞ。内陸部だろうが
沿岸部だろうが統治用の城であればお仕置きの城だ。
ただ、慶長2年の立花文書での秀吉の命令は
>・・・全羅道を残さず悉く成敗し、さらに忠清道やその他にも進攻せよ。
>・・・それが済んだら仕置きの城を築き、在番の城主を決めてそれ以外は帰国せよ。
>・・・大明の軍勢を朝鮮南部に誘い出して殲滅し、その後大明に進撃せよ。
なんだぞ、すなおに読めば朝鮮南部を占領し、お仕置きの城を築けとしか
読めない。
文禄二年(1593年)七月十三日付けの朱印状で小早川隆景に命じて
占領統治を進めている沿岸部にわざわざ改めてお仕置きの城を作ることを
慶長2年(1597年)に立花宗茂に命じる必要があるんだよ(笑)



458:世界@名無史さん
11/06/14 23:32:07.63 0
内陸部に城を作らなかったのは正解だろ。
居残り部隊は6万くらいしかいないのに、南部4道に広く分散させたら
スッカスカの迎撃体制じゃん。

459:世界@名無史さん
11/06/14 23:55:21.00 0
|∀・).。oO( お仕置きの城ってナニ?w

460:世界@名無史さん
11/06/14 23:59:39.98 0
>>457
休戦期間中に構築され始めた仕置きの城と慶長の仕置きの城は定義が同じと言いたかったんだが
>>431の書状にあるように在番と帰国の衆を定期的に入れ替え、そこを拠点に攻めては退くと
そのためには沿岸部に築く必要があった(領地を相抱えらるべき為にはこれ無く候の間)

以前「文禄のつなぎの城」「慶長の仕置きの城」と書いたから語弊があったが
厳密には「文禄の戦中のつなぎの城」「休戦期間以降の仕置きの城」で分けて考えるべき
この二つは築かれた目的が大きく異なる

461:世界@名無史さん
11/06/15 05:12:39.32 0
>>457
休戦期の占領地域と比べて、慶長の役で占領地域は拡大してるじゃん。
蔚山、順天、泗川なんてのは慶長で進出した地域に築いた新城だよ。

462:世界@名無史さん
11/06/15 09:54:05.14 0
慶長の役作戦計画

A案(慶長2年2月立花宗茂朱印状参照)
敵の警戒が手薄なうちに戦略目標の南部4道を速やかに占領し、倭城
を構築して明軍の反攻に備えろ。

B案(慶長3年3月立花宗茂朱印状参照)
(敵の警戒が手薄のうちに戦略目標の南部4道を荒らしまわれ、そして明軍の
反攻がある前に沿岸部に撤退し)倭城の増設をして慶長4年の再進攻に備えろ。
( )内は現実の歴史上の行動と朱印状の命令からの推測

実際の慶長の役を見るとA案は失敗しているのに対し、B案は秀吉の死により
永遠に可能性だけは残ったのでおまえらがB案押しなのはわかるけど、
客観的にはA案の方が優れているだろ。
A案が失敗したのは秀吉が明軍を恐れるあまり、防御拠点の構築に朝鮮式城邑
を利用せず、新たに日本式城郭を建設するように命じたことだ。
その為、明軍の反攻までに間に合わず、沿岸部に撤退することになった。
B案だとせっかく敵の手薄の内に占領した内陸部を放棄して、敵に南部4道が
手薄なことを教えてあげ、なおかつ慶長4年の再進攻までに防衛拠点の強化を
する猶予まで与えている。
当然、慶長4年からの再進攻に際しては、防衛拠点を強化した朝鮮式城邑が
日本軍の前に立ちはだかり、文禄の役での第二次晋州城合戦のように多くの
犠牲の上でようやく征服できるか、幸州山城合戦のように多くの犠牲を払った
上撃退されて失敗に終わるだろう。


463:世界@名無史さん
11/06/15 09:56:24.19 0
もっとも慶長4年の再進攻は秀吉の死により中止されたのでB案成功の可能性
は永遠に残ったけどな(笑)
おまえらが頑なに慶長の役は当初からB案で行くつもりだったと主張している
のは『俺の秀吉がー、俺の秀吉がー、文禄の役に続いて慶長の役でも明・朝鮮
相手に負けるはずはねえー!もし秀吉が生きてたら慶長4年の再進攻で南部4
道を手に入れてたに違いない。』
と一縷の望みに託しているからだよな(笑)
それにしてもお前らと秀吉にとって朝鮮南部4道を征服するのってホント大変
なんだね。
何十万人もの兵を投入し、3~4年もかけて、秀吉なんてその為に命が尽きちゃった
ほど大変なんだ。
120年にもわたる戦国時代で鍛えられてきた日本軍って朝鮮南部4道を征服
するのにも足かけ7年もかかり、天下人の命が尽きても達成できないなんて
なんかはずかしいね(笑)


464:世界@名無史さん
11/06/15 12:42:43.42 0
もっとも「お前らの秀吉」だからきっと慶長4年には
自ら25万くらいの兵を率いて朝鮮にわたりそこに駐留してる
6~7万の兵を吸収し、全軍30万人以上で内陸部への侵攻を開始するよ。
そしたらお前、明軍10万や朝鮮軍民数十万を相手にしても多分(笑)
遜色なく各地で朝鮮式城邑を陥落させてくれるはずだ。
なんたって「お前らの秀吉」は城攻めの達人だから。
30万人をいれば何万人か犠牲が出るだろうが、そんなのへっちゃらだよ、
念願の朝鮮半島南部4道を手に入れるんだったらおつりがでらー。
あれ、秀吉の念願って明国を征服することじゃあ?!(笑)
まあ、細かいことは言いっこなし。
8年越しで朝鮮半島南部4道は「お前らの秀吉」のものになるんだから。
「チョン、チャンコロ、見てるか! 俺たちの秀吉はお前らの抵抗を打ち破り
 念願の朝鮮南部4道をトッタドー!」
なんか想像するだけでもわくわくするな(笑)

とそんな妄想を永遠に続けていてくれ(笑)


465:世界@名無史さん
11/06/15 12:53:25.76 0
>>462
>明軍の反攻までに間に合わず、沿岸部に撤退することになった

妄想で話を進めるなよw まず落ち着いてこれを見ろ。
慶長の役で南原城を攻略した日本軍左軍が全羅道井邑で軍議を開き、その結果を連署状として秀吉に送っている。

「一、先度全州より御使い衆へ申し上げ候如く、青国へ相働き、国中過半発向仕り、それより赤国のうち、相残るこほりこほり、
おのおの割府致し、発向仕る半ばに御座候、隙明き申し次第、御仕置きの城々、御普請に取り掛かり申すべき分に候事」
・・・全州会議で決まった通り、赤国(全羅道)と青国(忠清道)の掃討が終わり次第、仕置きの城々の普請に取り掛かるよ。

「一、御仕置きの城々、おのおの惣談相定まりし申し候、其れに就き、小西摂津守城の儀、最前はしろ国の内と御諚なられ候へども
、赤国順天郡内、所柄見合わせ候て、取り出し申すべく候事」
・・・小西行長の仕置きの城については全羅道の順天郡内に築く予定だよ。

言うまでもないけど、この時の日本軍は朝鮮水軍を殲滅して制海権を握り、南原・黄石山の両城を落として全州に無血入城するなど破竹の勢いの状態
つまり「明軍の反攻」を受ける前から、すでに仕置きの城は沿岸部に構築する方針だったということ
>>455で出した書状にある、秀吉の「海辺に付いて然るべき所を見計らい、城々普請丈夫の申し付くべく候」
という方針が慶長の役でも継続されていたことがわかる。なので>>420の書状にある「仕置きの城々」も
沿岸部の城を指していると解釈するのが自然。沿岸部への撤退とそこでの城郭郡構築は当初からの予定であり
「内陸部に仕置きの城を築け」なんて指示が出されたことは一度もないし、あるというのなら是非資料を見せていただきたいw

466:世界@名無史さん
11/06/15 13:10:53.95 0
>120年にもわたる戦国時代で鍛えられてきた日本軍って朝鮮南部4道を征服
>するのにも足かけ7年もかかり、天下人の命が尽きても達成できないなんて
>なんかはずかしいね(笑)

じゃあ、大国の後ろ盾もない高麗一国を征服するのに28年もかかったモンゴル帝国はもっと恥ずかしいよねw
とりあえずお前に世界史の知識がないのはよくわかったw

467:世界@名無史さん
11/06/15 17:44:26.52 0
なるほど政治的な思惑ってのが歴史をゆがめるのがよく分かるスレだ。
秀吉はもうろく爺でなければならず、その戦略は全部失敗したことにしないと駄目なのか。

468:世界@名無史さん
11/06/15 17:56:10.65 O
しかしこのスレ見てると日本の教科書って捏造されてるのがよく分かる

469:世界@名無史さん
11/06/15 18:16:48.92 0
徳川が朝鮮出兵に付き合わず、力をためたから天下とったみたいなこと書いてある本あるな
250万石は何なんだ

470:世界@名無史さん
11/06/15 18:29:14.02 0
慶長の役の目標が野戦軍殲滅だなんてどの教科書も書いてないな。
それだと明朝鮮の総反撃を撃退して作戦が成功したことになるからまずいのか。

471:世界@名無史さん
11/06/15 18:40:29.26 0
歴史教科書の記述だと慶長の役は
「ところは今度は朝鮮や明の激しい抵抗にあい、朝鮮南部から一歩も進むことができず・・・」
だもんなw 元寇と同じく、朝鮮役については世間にデタラメがまかり通っているのが現状

472:世界@名無史さん
11/06/15 19:12:15.25 0
>>466
高麗はかつて契丹を退けた武の国だったが
李朝は腐敗してたどうしようもない国だった

473:世界@名無史さん
11/06/15 19:21:31.94 0
武の国w
本当に歴史知らないんだな


474:世界@名無史さん
11/06/15 22:17:59.96 0
>>471
俺も教科書の記述信じてた。
ソウルの前で進撃が止まってるから、きっとこのあたりで明軍の大部隊が出現したんだろうなって。

475:世界@名無史さん
11/06/16 08:58:23.58 O
>>474
なぜか、押し返されて回頭撤退みたいな雰囲気で著述してあることが多いよな。
その後も年末まで二ヵ月くらい侵攻していた部隊もあれば、帰ってくる侵攻軍を収納するために新占領地に築城していた部隊もあったわけで。


476:世界@名無史さん
11/06/16 20:59:44.61 0
日本軍は大勝利の連続だったらしいけど
なんで寸土たりとも結局得られなかったの?

477:世界@名無史さん
11/06/16 21:10:36.77 0
馬鹿でもわかると思うけど上に書いてある通りじゃね?

478:世界@名無史さん
11/06/16 21:30:03.62 0
いや、馬鹿だから解らないんだ
領土化したらいくら本国から撤退しろと言われても離れないと思うけど?

479:世界@名無史さん
11/06/16 21:48:59.00 0
言葉通じない土地は支配したくはないなぁ

480:世界@名無史さん
11/06/16 21:51:20.31 0
>>479
そりゃ戦国武士を舐め過ぎだろう

481:世界@名無史さん
11/06/16 21:58:05.60 O
領土化しなかったから離れられたと思えばいいじゃん

482:世界@名無史さん
11/06/16 22:03:05.45 0
もともと武士は土地を自分のものとして領有する権利はない
土地はあくまで民のもんでその土地から税金を取る権利だけがある
海外の貴族とはその辺が違う

483:世界@名無史さん
11/06/16 22:09:14.87 0
だから日本軍が朝鮮で徴税権力を確立できなかったってことは
点(城)と線(街道)しか支配してなかったってことでしょ
それって負けも同然じゃないだろうか

484:世界@名無史さん
11/06/16 22:42:42.20 0
そもそも朝鮮を取る気があったかどうかすらあいまいだ
秀吉は明確な目的がなかったから当然戦略もなにもなかった
無礼な明国に開戦して朝鮮は道案内せい程度の認識で
朝鮮自体を植民地化する目的があったかどうか

485:世界@名無史さん
11/06/16 22:51:56.02 O
>>483
徴税権の確立を試みて失敗したって事?

486:世界@名無史さん
11/06/16 23:23:03.80 0
朝鮮の統治に完全に失敗していたことは散々言われてるだろ
結局日本軍は戦闘ではいくら勝っても戦争には勝てなかったということ
まあ、この戦役自体勝者のいない戦争と言われてるけどな

487:世界@名無史さん
11/06/16 23:35:31.91 0
大陸の戦争はどんな犠牲を払ってでも敵を追い出したら勝ちというものだから
李朝の防衛戦は勝利したと言えるだろうね
明を介入させたこと
焦土戦を行い現地調達を不可能にさせたこと
軍民の感情を日本への憎悪へと向けさせたこと
など戦略が全て日本を上回っていた

488:世界@名無史さん
11/06/16 23:48:32.35 0
>>476
田舎者だったからだよ
逆らう連中は悉く皆殺しにして、その地に自国民かよその民族を入植させるぐらいのことはしないと
あと、捕虜や地元民を矢面に立たせて、相手を消耗させるぐらいのことすらしなかったから
統治出来ないなら全て殺しちまえ!って発想を現場の連中がしなかった。

死に狂いや、「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候」なんて言ってる割には
戦国時代ってある意味甘ったれな所があるから


489:世界@名無史さん
11/06/17 00:12:27.44 0
>>488
海に守られた日本は、民族そのものの存亡をかけた殲滅戦の経験がない

490:世界@名無史さん
11/06/17 00:19:46.62 0
>>487
ふーん、そう。それなら李氏朝鮮の大勝利と思っとけばいいんじゃない?

491:世界@名無史さん
11/06/17 01:13:42.66 0
なんか>>487の脳内では、当時の李氏朝鮮指導部に
素晴らしい防衛戦略があったらしいな。w

492:世界@名無史さん
11/06/17 02:10:50.22 0
なんか>>487って本場の鮮人の思考そっくりだな
本場の奴らも資料より妄想を重視して結論を出すんで現実との辻褄が合わなくなる


493:世界@名無史さん
11/06/17 02:20:43.78 0
明史が分かりやすくまとめてる。
「自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息」
「中国と属国(朝鮮)に勝ち目はなかったが関白が死んで戦乱が終結した」と

494:世界@名無史さん
11/06/17 09:43:20.23 0
明史は敵国の清が編纂した歴史書だから話半分

495:世界@名無史さん
11/06/17 09:56:40.20 0
>>494
なんだそりゃ。不正確であるとの証拠ではないな

496:世界@名無史さん
11/06/17 10:14:58.71 0
いや、清は現王朝(清)の正統性を強調するため、前王朝を基本的に貶めて書く
清に限ったことではないけどね

497:世界@名無史さん
11/06/17 10:31:19.42 0
明史って中国正史の中では公正で評価が高いんじゃなかったっけ


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