世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察at WHIS
世界史に於ける秀吉の朝鮮征伐の考察 - 暇つぶし2ch14:世界@名無史さん
10/10/26 19:08:39 0
秀吉が勘合貿易を許された場合のリアクションは、この人物が参考になる。

アルタン・ハーン(俺答汗、1507 - 1582)
モンゴルを支配したハーン(在位:1551 - 1582)。ダヤン・ハーンの孫。
1542年には明遠征での功績により、正統ハーンを補佐する次席ハーンとなる。
これにより、内モンゴルの西半分に遊牧するモンゴル右翼3万戸の最有力指導者となった。
1550年にも明に侵攻し、北京にまで迫った。
1551年には正統ハーン位に推戴され、即位した。
その後も明・モンゴルで積極的な活動を続けて勢力を拡大する。

1570年に明と和平交渉を行ない、1571年に和平条約を締結した(隆慶封貢/隆慶和議)。
このとき、明から順義王に封じられ、一族の者や配下にも明の官職が与えられた。
そして朝貢を許され、その地位に応じて年金が与えられた。
1582年に死去した。76歳。長男がハーン位につき、明から次の順義王と認められた。

1542年に山西省に侵攻した際、20万人を虐殺し、200万の家畜を略奪し、8万軒を焼き払った。
1550年に北京に迫った際、明軍を北京に籠城させるまでに追いつめたこともある。
その反面、亡命漢人の官僚、白蓮教徒、生活苦で逃亡してきた農民などを積極的に受け入れ、
彼らの文化を受け入れて多くの都市を建設するという優秀な内政手腕も持ち合わせていた。


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