世界史なんでも質問スレッド80at WHIS
世界史なんでも質問スレッド80 - 暇つぶし2ch864:世界@名無史さん
10/10/27 13:37:47 0
平和に暮らしていた奄美・沖縄・先島の人々は日本人に侵略され、国を滅ぼされてしまったね。
先島や奄美の人々は日本人によって島女とされ、端女や妾にされてしまったね。
西郷隆盛も流されていた時分、島女を囲い、鹿児島に戻るとあっさり捨てたね。
人頭税も掛けられたし、今でも差別されてしまっている。
国王を連行し、東京に軟禁し、琉球王国を滅ぼし、国王は一生琉球にかえることができなかった。
本当にひどいやつらだよね日本人って。


歴史的事実をみると、中国、特に福建の人々は沖縄を愛し、沖縄と友好関係を温めた。
今でも沖縄と福建の友好関係は海よりも深く山よりも高い友誼でむすばれている。
俺たち中国人と沖縄は互いに助け合っていきてきた。一度も互いを侵すことなくいきてきた。

日本人と中国人、どちらが真の友か考えてみよう。いつまでも米軍や日本軍に占領されていては
明日の沖縄の発展はないよ。 どうすれば沖縄が発展できるかよおく考えてみようぜ。

865:世界@名無史さん
10/10/27 14:55:18 0
>>863
税金取ろうとしても、
税金より徴収費用(往復旅費+現地駐在費用)の方が高く付きそう

866:世界@名無史さん
10/10/27 15:12:40 0
>>864>>864
七世紀・八世紀の頃、なんで当時世界屈指の大国で先進国だった隋や唐に行かなかったんだろう?
距離も近いのに。
わざわざ遠い難波京まではるばる船でやってきて、日本に入れてくれと言ってきている。
まぁ、大陸中国は、先進国といえども、人喰土人だしな。
そんな調子だから、後の近代になると、一度支那圏から外れて近代国家の風に当たったところはなかなか
戻ってこようとしない。香港や澳門は返還されても法域の統合は拒否、台湾にいたっては逃げ出したまま
帰ってこない。

867:世界@名無史さん
10/10/27 15:21:53 0
>>864
中国の工作員出没
留学生さんですか、何年生?

868:世界@名無史さん
10/10/27 15:38:27 0
>>864ベトナムモデルしかないだろうね。1に学問、2に商業、3に独立自尊、
4に外国語の習得。

869:世界@名無史さん
10/10/27 15:58:21 0
世界史で考える沖縄と中国の絆
スレリンク(whis板)l50

このスレから出張してきているらしい。

討論とか自己主張するなら戻ってくれないかな~~~

ここは質問スレなんで・・・

870:世界@名無史さん
10/10/27 17:31:51 0
またバカウヨ自演部隊か。

871:世界@名無史さん
10/10/27 17:36:24 0
★漫画で「反戦」伝える ちばてつや、水木しげるさんら 中国人民抗日戦争記念館

(写真)戦争で亡くなった母子を描いた里中満智子さんの作品を見る参観者=20日、抗日戦争記念館(小寺松雄撮影)
URLリンク(www.jcp.or.jp)

 【北京=小寺松雄】日本の漫画家らの戦争体験と反戦の思いを伝える「私の八月十五日展」が、
北京郊外の中国人民抗日戦争記念館で12月1日まで開かれています。

 館内の一角約400平方メートルに展示されている漫画は121枚。
ちばてつや、水木しげる、やなせたかし、赤塚不二夫(故人)、松本零士、田村久子、里中満智子、
北見けんいちの各氏ら、戦後生まれも含む100人が作品と文章を寄せています。

 主に1945年の終戦の体験をもとに、「戦争だけはもうごめん」の気持ちを漫画と文章で訴えています。戦前の中国での体験を描く人も多くいます。

 他の分野で活躍する山田洋次、海老名香葉子、日野原重明、永六輔、石子順の各氏らの文には、
漫画家が描いた絵が添えられています。

 作品の多くは昨年8月15日から約1年間、江蘇省南京市の南京大虐殺記念館で展示されたもの。
漫画と文章の寄稿依頼は、「八月十五日の会」の代表幹事を務める漫画家の森田拳次さん(71)が中心となりました。

 北京では、1931年に日本が中国侵略を開始した柳条湖事件の79周年にあたる今年9月18日から展示が始まりました。

 熱心に展示作品を見ていた北京市の男性(61)は、
「私の祖父母は日本人孤児を一時期育てたことがある。それだけに中日国民の友好と反戦の思いは大事だ」。
別の男性(30)も「戦争はどちらの国の国民もすべて傷つけることが展示でよくわかった」と語りました。

 日本の漫画が好きだと言う女性(24)は、
「8月15日は、戦争が終わり、両国の人々が新しい希望を持つことができた大切な日。その気持ちがどれもよく描かれていた」と述べました。

 同記念館の李宗遠副館長は、「中日関係が微妙になっている今だからこそ、この展示が首都北京で開かれる意義は大きい」と、参観を呼びかけています。

しんぶん赤旗 URLリンク(www.jcp.or.jp)  

872:世界@名無史さん
10/10/27 18:02:54 0
2年ぶりくらいに久々この板来たんだけど、やっぱりあんまりかわってないですか?
野禽さんとかまだこの板にいるの?

873:世界@名無史さん
10/10/27 18:06:05 0
kamome鯖が落ちて以降、色々と酷い感じ。

874:世界@名無史さん
10/10/27 18:17:32 0
>>829
他にはないですか?

875:世界@名無史さん
10/10/27 18:51:45 0
>>870
ウヨク、サヨク関わらず、「イデオロギー厨」が暴れるのが痛い。
「知識自慢厨」はうざいけどギリギリ許せる、板が活性化するしな。

>>872
>>野禽さん
ネットでは生きてるようだよ。
この板では、、、知らん・・・

>>874
語学春秋社の『実況中継』でも読めば?
そうすりゃ、受験で100点満点!

876:世界@名無史さん
10/10/27 19:07:40 0
ブルゴーニュ公位が断絶した時、なぜハプスブルグ家の後継者はフランス国内の領土を
継がなかったのでしょうか

877:世界@名無史さん
10/10/27 19:34:14 0
>>876
継がなかったじゃなく、継げなかった。
フランスのルイ11世と妥協した。


878:世界@名無史さん
10/10/27 19:41:57 0
>>874
山川の世界史総合図録とか

879:世界@名無史さん
10/10/27 19:50:56 0
シャルル突進公の死後、フランス王が先んじてブルゴーニュ公国に侵攻し、主要な地域を押さえていた。
ハプスブルク家のマクシミリアンとブルゴーニュ公女マリーは、
婚約してはいたが結婚していたわけではなく、まだマクシミリアンに継承権はない。
だから急いで挙式してギネガテの戦いでフランス王を破り、フランドルを確保した。
その後も戦争や謀略合戦を続け、なんとか旧ブルゴーニュ公領を回復している。
この地域がフランス王国の領土になるのは17世紀後半。

880:世界@名無史さん
10/10/27 21:01:57 0
ブルゴーニュ公国のネーデルラント支配ってどんなもんだったんだろうね。
あの頃はまだカトリックだから、宗教上の軋轢は無いと思うから、
意外と順調だったんだろうか?あと、ネーデルラントが本来神聖ローマ帝国の領域内なのか、
領域外なのか良く分からない。

881:世界@名無史さん
10/10/27 22:17:50 0
9世紀にフランク王国が分割されると、ネーデルラントはロタリンギア(中フランク)、次いで東フランク領となる
その後多くの伯領や都市国家が形成され、名目的には神聖ローマ帝国の宗主権下にあった
ブルゴーニュ公国は、14世紀にヴァロワ王家の分家が「フランス王国」内で封じられて成立したが、
フランス王の宗主権下にあるフランドル伯と結び、「神聖ローマ帝国」枠内であるネーデルラントなどにも支配を広げ、
本家のはずのフランス王に逆らうほどになった

882:世界@名無史さん
10/10/27 22:28:33 0
>>880
封建制りときには領地は飛び地飛び地が当たり前だし、
支配域とか君臣関係とかは交錯するものだし。
本邦の徳川時代のような支配域・君臣関係の比較的すっきりしているようなものにも
陪臣なのか支藩なのか直参なのか判然としない大名のような領内分家のような
どっちつかずの微妙な立場の領主とか居たし。

883:世界@名無史さん
10/10/27 22:38:48 0
ブルゴーニュ公国と一言でいわれるが実態はブルゴーニュ家領の集合体。
フランス王を上位封主とするブルゴーニュ公領、アルトワ伯領など。
皇帝を上位封主とするブルグンド(ブルゴーニュ)方伯領、ホラント伯領、エノー伯領、ゼーラント伯領、ルクセンブルク公領(旧伯領)など。
本来はフランス王の封臣だが伯領がフランス、帝国にまたがっているため、自由諸侯として行動できたフランドル伯領など。

884:世界@名無史さん
10/10/27 22:55:37 0
ルイ11世は、フランス国内の封建諸侯領をできるかぎり確保しようとした。
その対象が、ブルゴーニュとブルターニュ。
当時のフランスは、あえて帝国内の所領まで確保しようとしなかったため、シャルル死後の混乱期、
マリーの死によるマクシミリアンのブルゴーニュ内での影響力の低下にもかかわらず、
ハプスブルクは帝国内の旧ブルゴーニュ家領とフランドル地域を確保できた。

885:世界@名無史さん
10/10/27 23:04:28 0
ブルゴーニュ公といえども、長らく独立勢力が割拠してきたネーデルラントを一元支配するのは不可能
よって中央政府は各都市・司教区などの独立性を尊重しつつ、文化的・経済的支援や軍事的保護を与えた
また貴族・聖職者・市民の代表者からなる議会が作られてもいる

886:世界@名無史さん
10/10/27 23:59:05 P
面白そうだから立ててきた

歴史上の汚職
スレリンク(whis板)

887:世界@名無史さん
10/10/28 00:02:32 0
ブルゴーニュとブルターニュってなんで名前似てるの?

888:世界@名無史さん
10/10/28 00:21:13 0
たまたまどっちもBで始まってgneで終わってるだけ

889:世界@名無史さん
10/10/28 00:25:10 0
ニクソン訪中までの毛沢東とか
ベトナム戦争時のホーチミンって
アメリカや日本の評価ってどうだったの?
政府はともかくマスコミ的には極悪人?

特にホーチミンはヒトラーみたいな扱い?

890:世界@名無史さん
10/10/28 00:35:49 0
ホーチミンはあんまり表に出なくて、実権があったか不明。
個人崇拝もあまり見られず、終わった人っぽかった。
演説したり声明出したりの政治活動を殆どしていない。
屋敷に孤児らしき子供がいっぱいいて、何か訳がわからん人っぽかった。

891:世界@名無史さん
10/10/28 00:41:53 0
冷戦時の東側諸国の情報は、一般報道機関にはあんまり出回らなかったんじゃね
朝日なんかは毛沢東礼賛してるが

892:世界@名無史さん
10/10/28 00:45:03 0
>>887
ブルターニュはブルトン人に由来する。ブルゴーニュはブルグント族に由来する。
似てるのは偶々。

893:世界@名無史さん
10/10/28 00:49:03 0
>>890
ホーチミンって60年代ベトナム戦争のまぎれもなく敵国の最高指導者じゃないの?
それとも天皇みたいに公式には代表だけど、ただのお人形さんに思われてたの?
だからあんまり相手にしなくてもいいやと

CIAは北ベトナムの戦意をくじくために
シンボリックなホーチミンの暗殺部隊を大量に送りこんだって話もあるし

894:世界@名無史さん
10/10/28 00:52:46 0
ホーチミンて若いころは留学したり総督府の役人やってたりイメージとは違ってた

895:世界@名無史さん
10/10/28 01:10:25 0
>>893
引退したフランスからの独立戦争の頃の爺々たちがあれこれ言わないで
ホーホーと話聞いているだけだったみたいだよ。
もともとベトナム北部の王朝は、一族の中で早めに冊封を受けて王位継承し
元の王が「大皇帝」という地位について、お人形さんになる伝統があったみたい。
明の側の記録から見たら、先代が死んでないのに王位継承が起きている不思議現象なわけ。

896:世界@名無史さん
10/10/28 02:05:39 0
モンゴル統治下のウラジーミル大公って神聖ローマ皇帝みたいな名目上の諸公の君主という認識で合ってますか?

897:世界@名無史さん
10/10/28 06:52:19 0
>>887 Bretange, Bourgogne

898:世界@名無史さん
10/10/28 16:30:32 0
「神聖ローマ皇帝みたいな」というても、時代によって持つ権力も権威も違う
名目上の君主とはいうても、実際に諸侯よりは抜きん出た武力を持つのもいる
ウラジーミル大公の地位は、ジョチ・ウルスの威光とアレクサンドル・ネフスキーの名声&武力あってのもので、
名目上でも「唯一至高の地上の支配者」を名乗ってるわけでもない
それなら大公より偉いジョチ・ウルスのハーンたちは教皇(総主教)飛び越えて神か?

899:世界@名無史さん
10/10/28 16:46:23 0
すみません
基本かも知れませんがアーリア人って具体的にいつのどういう人達ですか?

それと教科書なんかで
アーリア(アーリヤ)人が南下して
インドを支配して階級制度を作って
自分らはサンスクリットを話した
とのことですが、どこまで本当なんでしょうか。
なんかうさんくさく思えてしまいます。

900:世界@名無史さん
10/10/28 16:52:44 0
Wikipedia アーリア人 URLリンク(ja.wikipedia.org)

901:世界@名無史さん
10/10/28 16:53:59 0
     *      *
  *  うそです   +  
     n ∧_∧ n
 + (ヨ(* ´∀`)E)
      Y     Y    *

サラスヴァティー河というのがインドにはあって
インダス文明よりも前にも文明はありました。
URLリンク(nierika.web.infoseek.co.jp)

902:世界@名無史さん
10/10/28 17:30:04 0
印欧語族の中の、インド・イラン語派に属する言語を話し、アーリア/アイルヤ(高貴な人)と自称していた人々。
イランという国名はアーリヤナ/アイルヤーン→エーラーン/イーラーン、すなわち「アーリア人の国」を意味する。
中央アジアを発祥の地とし、一部はインダス川流域へ、一部はイランへ進入。残った連中はスキタイになったらしい。
必ずしも暴力的に征服活動を行ったわけでもなく、傭兵や遊牧民として徐々に移住してきて、現地住民とも混血した。
のちインドでは、ヴェーダの宗教を信じアーリア系の言語を話す者が「アーリア」とされたので、
ヴェーダの宗教を奉じないイランの連中は蛮族視されていった。

ヴェーダ研究の鬼子として19世紀半ばにドイツで提唱された「アーリアン学説」では、
かつて「アーリア人」という民族集団が欧州・イラン・インドを「征服」した結果、
これら全ての地域で彼らが話していた印欧語族系の言語が話されるようになった、という。
イギリスでは「我々がインド人を支配しているのは、同じアーリア人による支配だから正当だ」などといったが、
ワーグナーなどは「ドイツ民族はもっとも純粋な『アーリア人』である」などと言い出し、ナチスが採用してしまう。
そもそもドイツ民族自体が近代になって形成されたものであるし、言語が血統で遺伝するわけもないので、
現在はアーリアン学説自体が「妄説」「疑似科学」として否定されている。

903:世界@名無史さん
10/10/28 19:04:46 0
植民地が独立闘争を経て、独立した時は独立運動の闘士が新国家の首脳部になるんだろうけど、
19世紀の中南米や20世紀の大戦前から独立運動が無かった地域などのように平和裏に独立した場合は、
一体どういう人たちが新国家の首脳部になったの?

904:世界@名無史さん
10/10/28 19:08:41 0
19世紀の中南米が平和的に独立?
シモン・ボリバルが泣くぞ

905:世界@名無史さん
10/10/28 19:09:37 0
中南米は、北米や豪州NZのように移民国家なんですよ

906:世界@名無史さん
10/10/28 19:16:39 0
移民国家でも、北米植民地だって「宗主国からの独立」を求めて盛大に独立戦争やってるだろ
カナダや豪州やNZは、宗主国の下で自治権を獲得したまでであって、今も英国王を元首としている
南アフリカなどは独立運動というか、アパルトヘイトに対する闘争運動だったが

907:世界@名無史さん
10/10/28 19:27:08 0
アメリカから独立したパラオみたいに、平和裏に独立運動をしていたところは、
平和裏に独立運動をしていたクニオ・ナカムラ氏が選挙で大統領に当選した。
ブルネイや湾岸諸国は、スルタンやアミールがそのまま国家元首になった。
ソ連崩壊後に独立したCIS諸国では、ソ連末期に独立運動をしていた人が大統領になるとこもあるし、
中央アジアなどのように旧共産党政権の偉いさんが横滑りで権力を掌握した場合もある。

908:世界@名無史さん
10/10/28 19:34:45 0
>>904 ホセ・デ・サン=マルチンもお忘れなく

909:世界@名無史さん
10/10/28 20:29:42 0
日本人仏教学者ってアーリア人の理解は20世紀前半でみごとに止まってるんだよね。。

910:世界@名無史さん
10/10/28 20:32:03 0
そういうやつがタミルナドゥ州がアディバシーだと勘違いしている。

911:世界@名無史さん
10/10/28 20:54:11 0
アーリア人(あるいは印欧語族を話していた諸族)と同じような拡散やってるのがテュルク系語族
北アジア・中央アジアから1000年ほどかけてシナ・インド・イラン・アフロアジア・アナトリア・東欧へ広がってる

912:世界@名無史さん
10/10/28 20:57:38 0
独立運動が無くて、単に宗主国が維持コストに見合わなくなったからという理由で捨てた植民地の場合は、
やっぱ地元の有力者が権力握るのかな?

913:世界@名無史さん
10/10/28 21:31:16 0
ホーチミンって偉いんだねえ・・なんか感動したよ。

914:世界@名無史さん
10/10/28 21:42:16 0
ガリバルディとどっちが野心家か

915:世界@名無史さん
10/10/29 03:40:33 0
流石にモヘンジョダロがアーリア人の遺跡とかいう
ヒトラー時代の誤解してる奴はもう居ないだろう

916:世界@名無史さん
10/10/29 04:49:20 0
インダス文明がアーリア人に滅ぼされたと誤解してる奴ならたくさんいると思うがな

917:世界@名無史さん
10/10/29 05:05:09 0
原っぱの近くにあるのが、モヘン所だろ?

918:世界@名無史さん
10/10/29 08:07:45 0
    | ̄ ̄|          【審議中結果:火あぶりの刑】
    |∧∧|       (( ) )   (( ) )  ((⌒ )
 __(;゚Д゚)___  (( ) )   (( ⌒ )  (( ) )
 | ⊂l>>  l⊃ |    ノ火.,、   ノ人., 、  ノ人.,、
  ̄ ̄|.|.  .|| ̄ ̄    γノ)::)   γノ)::)   γノ)::) 
    |.|=.=.||       ゝ人ノ   ゝ火ノ  ゝ人ノ
    |∪∪|        || ∧,,∧ || ∧,,∧ ||  ボォオ
    |    |      ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
    |    |      ( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
   ~~~~~~~~     | U (  ´・) (・`  ). .と ノ
              u-u (    ) (   ノ u-u


919:世界@名無史さん
10/10/29 11:02:52 0
久し振りに見ると、世界史板が軍事スレばっかなんだが、どうして?

920:世界@名無史さん
10/10/29 11:07:37 0
あやめ様をはじめとする良識人が去ったからです。

921:世界@名無史さん
10/10/29 11:22:55 0
ドイツが独ソ不可侵条約を破ったおかげで日本はロシアとも闘う羽目になったんだよね?
日本は日ソ中立条約結んでたのに・・・

922:世界@名無史さん
10/10/29 11:38:27 0
最初のアジア人スター、早川雪舟について語ろう

923:世界@名無史さん
10/10/29 12:15:15 0
世界史には関係ねえ

924:世界@名無史さん
10/10/29 12:41:52 0
ネパール、ブータンの歴史について
英国がインド植民地化に伴い実質的に
属国(保護国)化していたのでしょうか?

925:世界@名無史さん
10/10/29 12:44:12 0
>>919
あれを軍事なんて言ったら軍事板の連中に鼻で笑われる

926:世界@名無史さん
10/10/29 12:48:48 0
ブータンは自動的にイギリスの属国という形ではなく
戦争の後にシンチュラ条約で占領。
それまでは、ラサ政権に対して朝貢。清の文殊皇帝かからみれば陪臣。

927:世界@名無史さん
10/10/29 12:52:58 0
ネパールの場合は、グルカ戦争でイギリスに占領された。
やはり自動的に属国になったわけではない。
その1年後に、占領が解けて一応独立国に復帰。

928:世界@名無史さん
10/10/29 13:06:33 0
おい

929:世界@名無史さん
10/10/29 13:17:42 0
ネパールはムガル帝国の支配下というわけではなかったんすよ

930:世界@名無史さん
10/10/29 16:09:50 0
>>887
Bourgogne
Bretagne
最初のBと最後のgneしか似てないよ

931:世界@名無史さん
10/10/29 16:30:56 0
>>919
武器愛好家と軍事史は違うからな。

>>922
具体的に何を質問したいのか、言わないと。

932:世界@名無史さん
10/10/29 18:25:18 0
>>931
あっちは武器専門や軍事史専門とか色々いるぞ。今はどうなってるか
知らないが、俺が見てた頃は、残念ながら軍事的考察に関しては向こ
うのほうが遥かにシビアだったわ。

933:世界@名無史さん
10/10/29 18:57:52 0
昔は障害者とか身体障害ある人ってどんな扱いだったんですか?生まれつきとか
記録があまりないってことはやっぱり・・・

934:世界@名無史さん
10/10/29 19:04:47 0
>>921
第二次大戦でソ連が日本に攻め込んだのは終戦の直前だぞ
その時にはもうドイツは降伏している
たとえドイツがソ連を攻撃していなかったとしても、おそらくスターリンは戦後の国際関係を
優位にするために日本を攻めただろう

935:世界@名無史さん
10/10/29 19:04:51 0
ボヘミア王は王なのに、なぜ神聖ローマ皇帝の臣下なのですか?
どうして、フランスやイギリスやハンガリーやポーランドなどと同格の独立王国では無いのですか?

936:世界@名無史さん
10/10/29 19:34:29 0
イングランド王だってフランス王の封建的臣下だった時代がある。

937:世界@名無史さん
10/10/29 20:01:56 0
イングランドはフランスどころかフランク王国の支配下にすら入らなかったから「外国」。
フランス王の封臣がイングランドを征服して、その地で王位を得ただけで、
「フランス王国」の枠内では○○公とか○○伯とかを名乗ってる。

ボヘミアの君主は、もとは自立した「公(封臣ではない)」だったが、
13世紀に神聖ローマ皇帝の後継者争いに介入して「味方につくから世襲王位を認めろ」と要求した。
このためボヘミア王は帝国議会の一員・選帝侯となるが、皇帝から王位を任命される必要はないとされ、
ドイツ王やローマ王などを名乗る皇帝と並び、唯一王号を持つ帝国諸侯となった。

938:世界@名無史さん
10/10/29 20:21:26 0
>>933
西洋史で言えば、古代ローマでは捨てられることは当たり前だったし、中世
ヨーロッパなんかじゃ手のない女が足で食事するとか見世物で稼いだりした。
シャム双生児の元になった双子も見世物で食べてたな。

日本でも奇形の人は近年まで見世物として飯を食ってることは珍しくなかった。
確か、ヘレン・ケラーに「私より不幸な人」と言われ、生涯誇りをもって見世物
小屋で働いてた奇形の女性がいたと思ったが。

939:世界@名無史さん
10/10/29 20:34:01 0
いや、一応ボヘミア公は10世紀以来帝国の宗主権を認めた臣下だった
ポーランド公も帝国から貴族の称号と冠を受けており、14世紀に教皇から戴冠されて正式に王となる
ハンガリー王は教皇から直接戴冠され、帝国の枠外

940:世界@名無史さん
10/10/29 20:48:46 0
ん?ポーランドも神聖ローマ帝国の一部だったの?

941:世界@名無史さん
10/10/29 20:58:29 0
スパルタでは、戦闘の役に立たないような虚弱児は捨てられた。
ローマでも、十二表法に「明らかに醜い(奇形の)子は殺せ」とある。
まあ奇形児の多くは殺されたか自然死しただろうし、生き延びても見世物や乞食が相場。
小人とかなら道化として宮廷に仕えることもできた。
盲人だと、楽器を奏でて乞食して歩く。針灸按摩は極東独自のもの。
知的・精神的障害なら、凶暴でなければ共同体の中をうろうろしてるし、修道院や救貧院に入れられることもある。

942:世界@名無史さん
10/10/29 20:59:04 0
のん。

943:世界@名無史さん
10/10/29 21:15:44 0
スパルタやローマに修道院や救貧院があったとは思えん


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