10/10/25 19:00:55 0
>>714
フランスや英国は、すでに毛皮や木材を求めてカナダ深くまで探検を進めていたが、
開拓して農地にできるようなところは少なかった。
探検や交易路の開発は、北西会社やハドソン湾会社といった国策会社によって行われ、
19世紀前半には米英がオレゴンの帰属を巡って紛争を起こしている。
1867年にカナダが自治領となると西部開拓が本格化し、大陸横断鉄道が敷設され、
1873年には北西騎馬警察が設置されて、開拓民の保護と治安維持にあたった。
19世紀末にはゴールドラッシュもあり、欧州からの移民が定住していく。
>>716
1763年、英国はフランス領北米植民地を獲得すると、先住民とは和平関係を結び、
「英国王室の許可なき先住民との土地取引を禁ずる」と宣言した。
北米植民地の開拓者はこれに異議を唱え、アメリカ独立戦争の発端のひとつにもなったという。
その後カナダ自治領が成立すると、西部開拓に伴い先住民は抑圧されていったが、
欧州系移民と先住民との間にメティという混血児もでき、ルイ・リエルというメティの人物は連邦政府に二度も反乱を起こしている。
カナダで先住民が選挙権を獲得したのは1960年。