10/10/20 08:39:56 Q
スペインはまだ19世紀終わりまで国際政治に顔を出してたからいいんだけど、ポルトガルの衰退っぷりが半端ない件。
かつて子午線で世界を二分した国がどうしてあんなになっちゃったんだろう?
やはり国力=領土や人口の大きさですか?
392:世界@名無史さん
10/10/20 08:47:19 0
1755年のリスボン大地震も衰退に一役買ってるのかな
393:世界@名無史さん
10/10/20 09:11:25 0
赤ちゃんから老人まで入れて300万のポルトガル人から
100万人の男が国を出て行って、国に残ったのは女と子供と老人だけ。
それでは稼いだ富も国許には貯め様がない。
それにポルトガルは結局略奪貿易でノルマン人や倭寇と大差なかったから
貿易の相手からも必要とされなかったので他のオランダやイギリスが来たらすぐ追い出された。
その後もろくでもなかったからポルトガル語圏国家の中で発生国のはずなのに味噌っかす。
現在のポルトガルは国語の表記をポルトガル式からブラジル式に改めている途中。
URLリンク(www.afpbb.com)
スペインは389に加えドイツに吸収されてドイツで無駄な戦争に散在しすぎたのも大きい。
それでも相手も利益を得ていたから支配も長続きしたし、スペイン語圏で盟主扱いされている。
南米諸国なんかでも未だにスペインの首相はこう言ったとかニュースになる。
394:世界@名無史さん
10/10/20 09:28:07 Q
>>392
欧州で地震が起きるんですか!?
>>393
どっちかというとコンキスタドール?だっけでスペインのほうが略奪してて、バスコ=ダ=ガマのポルトガルはインドや東アジアで真面目に貿易してるイメージがあるんですが、違いますか?
395:世界@名無史さん
10/10/20 09:49:50 0
>>394
それ、釣りでなく、マジで言ってんの?
地中海沿岸からイベリア半島にかけては火山帯・地震帯だぞ
ポルトガルもアフリカやインドで好き放題やってる
396:世界@名無史さん
10/10/20 10:05:46 Q
>>395
ゆとりでさーせんww
欧州は石造りの古い建物多いから地震なんて全く起きないと思ってた。
ポルトガルも結構やんちゃしてたのか
397:世界@名無史さん
10/10/20 10:43:16 0
リスボン大地震のあと実権を握ったポンバル侯爵は、
イエズス会を追放したり大貴族を弾圧したりして国家の建て直しにつとめた
リスボンの街も急速に復興され、耐震建築や先進的都市計画が導入され、
新興階級のブルジョワジーが都市の中核をなすに至った
しかし経済的打撃は大きく、植民地の拡大は止まり、植民地経済に依存するようになっていった
また、敬虔なカトリック国であるポルトガルの首都が地震で破壊され、
多くの聖堂も崩壊したことは、欧州の思想界にも大きな衝撃を与えている
398:世界@名無史さん
10/10/20 11:02:22 0
>>394
黒い伝説と言うものがある。
大国であるスペインに対抗する為にオランダ・イギリス・USAなどの国が
スペインの残虐性を広めたのが黒い伝説。
逆に中南米各国が独立後、スペインによる中南米への文化導入を功績と考え
これが中南米諸国とスペインを経済的・文化的に結び付けている。
しかし一方でフランコ時代にそれに対抗するように白い伝説と言うものが語られた。
スペインのお陰で中南米は発展し、現在のような発展した国を築く事ができたという意見だ。
これはスペインが一方的に主張しているわけではなく、当の中南米側からも賛同された意見である。
しかしその際気を付けなければいけないのが、南米の反米感情がUSAの委任統治下より
スペイン統治時代の方が良かったという反米的な感情と結びついている点だ。
この辺りは台湾の反国民党感情と日本統治時代への懐古とが結びつくような面もある。
現代の中南米諸国の住民は混血が多く、純粋なネイティブアメリカンは少数派である事、
スペインの血の混じった人間が枢要を占めている事を考えると、当時のネイティブアメリカンと
現在の中南米の人間とでは、現代の方がスペインよりになるという傾向は考えられる。
黒い伝説と白い伝説の両論が、真実を解りにくくしているという点はあるが、
それでも本当に反感が多ければ現在のように友好的になっただろうか。
あとポルトガルは真面目に交易なんてしてない。
元々インド洋にあった、信用第一の成熟した交易網を破壊し、
武器なんて持たないで交易していたインドやアラブの商船を片っ端から略奪しただけ。
お陰で平和な交易社会が壊れて社会システムが崩れ、ヨーロッパの侵略を容易にした。
詳しくは『ヨーロッパ覇権以前』という本を参照。
399:世界@名無史さん
10/10/20 11:12:00 O
アフリカ大陸が北上してやがて地中海がヒマラヤを凌駕する巨大山脈になる予定だからな
インドがユーラシアと合体したものとは比べ物にならんよ
まあ人類はそれを見る前にいなくなるだろうがな
400:世界@名無史さん
10/10/20 11:48:58 Q
>>398
ゲームの大航海時代にもそんなのがありましたね、黒い伝説。
スペイン人が中南米を荒らし回ったのは事実だけど…
スペインが植民地を繋ぎ止められなかったのはアメリカの影響もあるのかな?
401:世界@名無史さん
10/10/20 12:00:03 Q
>>398
バスコ=ダ=ガマがポルトガルに持ち帰った香辛料は略奪品だったってことですか?
それはひどいですね。
日本とはきちんと貿易してたのに
402:世界@名無史さん
10/10/20 12:05:17 0
>>394
バスコ=ダ=ガマも確かに真面目に貿易してた
苦労してアフリカ南端を回って、ようやくインド洋に到達すると、早速商業活動を開始している
巡礼に向かうイスラム教徒の船を接収し、乗客乗員に財産を出せと要求
拒否されると、女を含めて皆殺しにしている
ただの探検航海と誤解されることもあるようだが、主目的である金儲けの仕事もしっかりこなしてたんだぜ
403:世界@名無史さん
10/10/20 12:59:04 0
商売という観点でいうと、もともとインド海上ルートでは、
アフリカのモノモタパとかムスリム商人の交易ルートがあったんだ。
ボルトガルは紅海・ペルシャ湾・インド西岸・マラッカを交易のために制圧して、
交易ルートを独占しようとしたんだ。この意味ではポルトガルも征服活動的に振る舞っているかな。
ちなみにマムルーク朝エジプトがポルトガルの動きを止めようとしたけれど、
この時ヴェネチアは今までの地中海交易ルートを守るために、マムルーク朝を支援している。
404:世界@名無史さん
10/10/20 13:47:25 Q
ヴェネチアにとってみればポルトガルがチート使いやがったってんでショックだったんだろうね。
405:世界@名無史さん
10/10/20 14:40:57 0
>>391
近現代においては、
この板では常識かもしれないが、サラザールという独裁者が無理な政権運営をしたから。
アンゴラなんていうどうでもいい植民地維持のために総力を挙げて植民地戦争をしてた。
その結果、国力が疲弊した。
406:世界@名無史さん
10/10/20 15:30:50 0
ポルトガルは資金面で、新興の金融大国オランダに劣っていた。
やがてオランダがポルトガルを排除して、香辛料の原産地を押さえた頃には、
ヨーロッパでの香辛料の需要がそれほどではなくなっていて、
香辛料よりもインド綿製品・お茶が貿易での重要さを持つようになった。
イギリスは当初、アジアへの北極海ルートを探っていたため、
ロシア~イギリス間のルート開拓に成功したが、アフリカ喜望峰ルートには出遅れた。
また、アンボイナの事件でイギリスは香辛料市場に入れこめなかった代わりに、
綿・お茶の産地であった、インドでの拠点確保に力を注いだ。
それでインド貿易を独占するために、スペインやフランスと争って勝ったわけだ。
407:世界@名無史さん
10/10/20 15:53:44 0
どうしてブラジル開発にもっと力を入れなかったんだろ・・・
408:世界@名無史さん
10/10/20 16:03:56 0
どういうふうに?
409:世界@名無史さん
10/10/20 16:11:18 O
レオ10世はなぜドイツで免罪符を売ったんですか?
410:世界@名無史さん
10/10/20 16:22:26 0
金を稼ぐため
411:世界@名無史さん
10/10/20 16:24:45 0
サン・ピエトロ大聖堂新築資金を集めるため
芸術家のパトロンとしては見上げたものですね
412:世界@名無史さん
10/10/20 17:13:30 0
なぜドイツで、という理由となると、マインツ大司教アルブレヒトのせい。
もとはマクデブルク大司教だったが、選帝侯であるマインツ大司教の位も兼任しようと目論み、
ローマ教皇庁に多額の献金を行って特別許可を得ることにした。
この際フッガー家に借金したが、その入れ知恵で「サン・ピエトロ大聖堂建築のため」と称して贖宥状(いわゆる免罪符)の独占販売を始めた。
寺院建立の際に資金源として贖宥状を売ることは中世より行われていたが、
アルブレヒトの場合は売り上げの一部が自分の収益になり、大浪費家の教皇にも喜ばれるというので大量に売った。
ドイツ人は素朴で迷信深かったせいか飛ぶように売れ、見かねたルターが「おかしいんちゃうか」と言い出すことになる。
413:世界@名無史さん
10/10/20 19:07:07 0
エチオピアの皇室はかつては世界で一番古い帝統だったそうですが、
2000年以上の間ずっとエチオピア全土に君臨していたのでしょうか?
414:世界@名無史さん
10/10/20 19:29:57 0
実は続いていない。
19世紀後半の段階でも、地方豪族が群雄割拠している戦国乱世の状態で、
その中から有力な豪族がエチオピア全土を統一して皇帝になった。
だから、ハイレ・セラシェがソロモン王の子孫なんてのはインチキくさい。
ハイレ・セラシェの父親はマコーネン公爵という地方領主にすぎない。
415:世界@名無史さん
10/10/20 19:59:45 0
ソロモン王とシバの女王の息子メネリクが実在したとすれば紀元前10世紀末頃の人だが、
エチオピア最古のアクスム王国が記録に現われるのが紀元前後。
アクスムには古くからユダヤ教も入っており、4世紀にキリスト教(コプト教)化する。
ソロモンの子孫と称したのはこの頃からで、「王たちの王(ネグサ・ナガスト)」とも称したから、まあ皇帝と言える。
アクスムは7世紀以後イスラムの台頭で内陸へ追いやられ、12世紀にアガウ人のザグウェ朝に取って代わられる。
ザグウェ朝はソロモンの子孫でないということで嫌われたが、ラリベラの岩窟教会などを残した。
1270年、ザグウェ朝を倒したイェクノ・アムラクは「アクスム王の末裔、ソロモン王の子孫」と号し、ザグウェ朝を否定して正統を主張した。
これがエチオピア帝国の成立で、日本でいうと蒙古襲来の頃。
その後は繁栄と分裂を繰り返し、18世紀には諸侯が分裂して戦国乱世となり、19世紀半ばに再統一された。
416:世界@名無史さん
10/10/20 20:29:42 0
シャー・ハン・シャー(諸王の王)なのに国王と書かれてたイランのパーレビ国王もいるし、
日本語で「皇帝」と呼ばれるのがどこからどこまでなのかよく解らないけどね。
417:世界@名無史さん
10/10/20 20:48:02 0
また、やりすぎてしまっただろうか。
世界史はここで語るには非常に難しい。おそろしい。
質問見たから、思わず安直に答えてしまった>.<
疑問を感じたら、自力で調べるのが一番力になる。
URLリンク(viploader.net)
418:世界@名無史さん
10/10/20 20:50:49 P
ペルシャは帝王じゃなかったっけ?
419:世界@名無史さん
10/10/20 21:08:29 O
やはり孔子の子孫がダントツに長い家系か
420:世界@名無史さん
10/10/20 21:17:23 0
>>418
訳による
シャー=王
シャーハンシャー=王の王=皇帝
421:世界@名無史さん
10/10/20 21:17:50 0
アレも残ってるのは明代のものじゃなかったっけ?
422:世界@名無史さん
10/10/20 21:22:57 0
天皇家が姫姓だという話もあったな。
継体天皇とか南北朝とか怪しい所が満載なのに今更と言うのは置いといて、
何らかの証拠があるなら家系としての歴史はもっと伸びる。
423:世界@名無史さん
10/10/20 21:39:33 0
人類は皆アダムの子孫じゃよ
424:世界@名無史さん
10/10/20 21:46:41 0
孔子の家系はところどころ怪しいからな。
まあ、長さを誇る家系はだいたい怪しいところがあるんだけど。
425:世界@名無史さん
10/10/20 21:53:14 0
えっと、日本に帰化したあの人とか
426:世界@名無史さん
10/10/20 21:57:35 0
日本の古い家系って大陸や半島からの帰化人が多いんだけど。秦氏とか。
427:世界@名無史さん
10/10/20 21:59:55 0
むしろ確実なのが秦氏位しかいない
428:世界@名無史さん
10/10/20 22:31:03 0
宗教関係は古い家系多いぞ
紀伊国造家で日前神宮・國懸神宮の宮司の紀家
出雲国造家の千家・北島の両家、
阿蘇神社の大宮司である阿蘇家、
宇佐神宮の大宮司である宮成・到津の両家、
隠岐国造家であった億岐家、
籠神社の宮司である海部家、
熱田神宮の大宮司である千秋家、
住吉大社の宮司である津守家、
諏訪大社の大祝である諏訪家(神氏)
当代が八十何代目とかいう家もある
429:世界@名無史さん
10/10/20 22:33:07 0
みんな、親から子、子から孫と出アフリカ以降続いているわけだから、
古い家系など無い、全員同じように古い。
その古い中に有名人がいると、だれそれの家系というわけだが
一代さかのぼると祖先が2倍になるから、一代33年とすると
1000年前に10億人の祖先がいることになる。
すごく古い有名人の祖先だと言うのはあまり意味がない。
遺伝子は拡散する。
430:世界@名無史さん
10/10/20 22:33:13 P
家が古くても血がつながってるとは限らない
431:世界@名無史さん
10/10/20 22:47:12 0
それでも失われない特徴ってのがあるよ。
432:世界@名無史さん
10/10/20 23:03:31 0
封権世界における医者の身分はどのあたりなんでしょう?
地域によって違いはあると思うけど
あと、自分の先祖が医者
433:世界@名無史さん
10/10/20 23:25:35 0
医者にも種類がある。
大学を出たような宮廷医なんかは地位が高く、
特定の称号を持ってる訳じゃないにしろ、貴族扱い、というより高位の僧職扱いかな。
一方理髪店と兼業の民間医はもっと身分が低くて、普通の職人の親方レベル。
そして御婆ちゃんの知恵的な半分呪術医なんかは産婆みたいなもので、
後には魔女扱いされて殺されてしまう。
434:世界@名無史さん
10/10/20 23:56:46 0
>>323気になって調べてみたけど確かに頬骨が張ってる
435:世界@名無史さん
10/10/21 00:08:44 0
だいたい>>433であっているけど、
外科医(理髪店と兼業)は普通の親方よりかなり下の立場。
(収入と身分は必ずしも比例するわけではない)
というか聖職者以外で「死」に触れる職業は基本的に被差別階級。
436:世界@名無史さん
10/10/21 00:19:23 0
>>403シナの騎馬民族みたいな感じですね。
437:世界@名無史さん
10/10/21 01:07:34 0
貨幣スレとDVD見てるまに、面白い質問おわちゃってんのよね。
ホモ教皇レオーネあたり。
日本の古い家系って神話の天津神、国津神、地祇とかまでさかのぼるけど、
天皇家同様に神様の子孫ってのになんのよねー。ナンセンスねー。
438:世界@名無史さん
10/10/21 05:33:58 0
>>407
砂糖栽培や金採掘とか試みたようだけど・・・・そうした利益はバンデイランテどもが横取りしてたから
本国への見返りはあまりなかった
439:世界@名無史さん
10/10/21 10:48:33 0
>>438
あの時代だったら、熱帯を開発する技術がなかったから、
アレだけ熱いと、勤労意欲なんてうせるから
あのイギリス人でさえ、インドの開発に四苦八苦して
いろいろ科学技術を発明したりしてやっと開発できたくらいだから、
ピューリタンのアメリカ人も南部のほうはなかなか開発が進まずに
エアコンが普及してから、南部のほうに勢いが出てきたのだから。
440:世界@名無史さん
10/10/21 11:25:25 0
ブラジル開発の歴史は本国政府の主導より民間からの開発が中心だったな
開発・・・と言うより完全に武力征服だな、まずバンデイランテが反抗的な先住民を殲滅した後に
都市を建設し宣教師や商人らを呼び寄せ一つの共同体を作り上げる
この段階ではまだ点と線を結んだに過ぎないが次の段階で今度は森を切り開き農園を作り
奴隷を使い生産された産物を対外貿易に利用し経済の活性化を生み出す
この方式で次々とその領域を拡大していったらスペイン領にまで達してしまい現在のブラジルの形が出来上がった
何世代も月日が経つと白人、黒人、先住民の血筋が混じり合い独特の混血文化も形成された
441:世界@名無史さん
10/10/21 11:46:13 0
ヤノマミ族の少女達もバンデイランテに犯されたのだろうか・・・・いかん勃起してきた・・・
442:世界@名無史さん
10/10/21 12:03:58 Q
植民地って民を植える地って書くけど、アメリカや南アフリカ、オーストラリアに南米は当てはまるとしても、インドや中東、東南アジアに中国は厳密な意味では当てはまらないよね?
どっちかというと占領地と言ったほうがいいかも。
そういう区別は英語にはあるんですか?
例えば、日本語でいう「愛国心」が英語では「ナショナリズム」と「パトリオティズム」に使い分けられてるように。
443:世界@名無史さん
10/10/21 13:41:25 0
戦後は「植民」と書くけど本来は「殖民」であるのだ。
未開地に人を送り込んで開拓することなのだ。
444:世界@名無史さん
10/10/21 14:45:22 0
宗主国となんらかの従属関係にある、広義の「従属国(dependent state)」には、以下のものが含まれる。
冊封国・朝貢国(tributary state):交易などを目的として、名目的な従属関係にある
被保護国(protected state)or衛星国(satellite state):独立国だが、条約で定められた範囲で外交などに干渉される
傀儡国(puppet state):名目上独立しているが、宗主国の強い影響下にある
半主権国(semisovereign state)or付庸国(vassal state):宗主国の一部とみなされ、不完全な主権を持つ
植民地(colony):本国に対して従属的地位にある領土
植民地はcolonyの訳語で、ラテン語のcolonia「開拓地」から来ている。
統治の形態には、内政には原則として干渉しない保護領(protectrate)、
現地の政権を通じて支配する間接統治領、本国が外交と防衛を担当する自治植民地、
本国から統治者が派遣される直接統治領がある。
また租借地や租界は、潜在的主権は貸した国にあるが、統治権は借りた国に移り、治外法権の準領土となる。
445:世界@名無史さん
10/10/21 14:49:34 0
古代フェニキアやギリシャの植民地は、母都市(メトロポリス)から移民が出て行って、
開拓地に入植して独立した都市を作るもので、同盟関係はあっても従属関係はなかった。
未開無人の土地を新しく開拓するなら問題ないが、先住民との対立や同盟も多々ある。
やがてカルタゴやアテナイでは、征服地に「政治的独立性のない植民都市」を作り覇権を確立していくが、
ローマでも母都市ローマから武装移民を占領地に入植させ、「コロニア」とした。
他にも同盟国(ソーチ)などをケースバイケースで使い分け、イタリア半島を統一した。
総督(インペリウム保持者)が統治権を持つ属州(プロヴィンチア)が作られるのは第一次ポエニ戦争以後。
英語のプロヴィンスは州や地方を指す語になったが、植民地にはcolonyが総称として用いられた。
446:世界@名無史さん
10/10/21 16:09:43 0
これを見ると、「植民地」とはいうもののいろいろな分類がある。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
インド帝国は、英国と元首を同じくし総督が統治する半主権国。
アイルランド・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカは、総督が統治する自治領(ドミニオン)。
中南米・カリブ海・アフリカ・アラビア半島・セイロン・マレーシアなどは植民地(コロニー)。
イラク・パレスチナ・ヨルダン・アフリカの一部は、第一次大戦後の国際連盟委任統治領。
香港は永久割譲地と租借地。
447:世界@名無史さん
10/10/21 16:26:22 0
「36年の植民地支配」と大声で叫んでるけど、
韓国語では「植民地」と「colony」は結びつけて理解されているのだろうか。
448:世界@名無史さん
10/10/21 16:50:55 0
>>433
ありがとです
449:世界@名無史さん
10/10/21 17:20:23 0
ロシアにとってシベリアや中央アジアはやっぱり植民地だよね?
本国と陸続きで名目は連邦や独立国家共同体に組み込まれてるけど
450:世界@名無史さん
10/10/21 17:57:38 0
それも一概には言えない面があるんだな
陸続きであるか否かは、必ずしも植民地の定義に基づかないし
北海道が日本の植民地という考えがある一方で、
日本固有の領土という考えもあるのも事実
本州と北海道は陸続きではないが、日本におけるこの関係にも近い
451:世界@名無史さん
10/10/21 18:15:19 0
アメリカの西部や西海岸、アラスカとかも、
考えようによっては東部(独立13州)の植民地だよな。
452:337
10/10/21 18:17:54 0
アイルランドの件他、まとめてで恐縮ですが、色々とご回答ありがとうございました。
アイルランドの世界史的偉人はこの2名で納得。
アーサー・ウェルズリー(ウェリントン)
ロバート・スチュアート(カースルレイ(カスルリー))
まあ近世だし、連合王国時代なのでちょっとアレですが、この二人だけでもアイルランド
は、胸張っていい側の国なんだなぁと思いました。
453:世界@名無史さん
10/10/21 18:25:39 0
紀元前の年代の計算ってややこしくないですか?
紀元後だったら、歴史上の人物の年齢の計算とかわりと簡単だけど、
紀元前って数え方が紀元後と逆なんでしょ。
なんか、めんどくさそう。
454:世界@名無史さん
10/10/21 18:30:53 0
中学一年の数学を消化できていれば無問題
455:世界@名無史さん
10/10/21 18:45:18 0
紀元後だったら多い数から引くのを、紀元前は逆に足さなきゃいけないとか?
456:世界@名無史さん
10/10/21 18:53:34 0
アチェ戦争でオランダに占領されたスマトラ(アチェ王国)は、1904年に
なるまでは一応独立を保っていた、と捉えても良いんでしょうか?
457:世界@名無史さん
10/10/21 18:58:41 0
>>453-455
むしろ年代を数学的に取り扱う上で気をつけないといけないのは、紀元0年が存在せず、
紀元前1年の次の年が紀元1年であることだ
458:世界@名無史さん
10/10/21 19:30:11 0
中世のヌビアはどこの国の支配下にあったのでしょうか?
459:世界@名無史さん
10/10/21 19:43:41 0
中世のビザンツはどこの国の支配下にあったのでしょうか?
460:世界@名無史さん
10/10/21 19:59:25 0
紀元前6世紀から紀元後4世紀頃まで、ヌビアにはメロエ王国が栄えた。
ローマやエチオピアのアクスム王国の侵攻などで衰退・滅亡したあと、
ノバティア(ヌバ)、マクリア(マクラ)、アロディア(アルワ)というヌビア人の王国が成立した。
彼らは6世紀頃、エジプト経由でキリスト教(コプト教)を受容している。
7世紀にイスラム勢力がエジプトを征服すると、一挙にナイルを遡ってヌビアにも侵攻したが、
最終的に和平が結ばれ、6世紀にも渡り平和な交易活動が行われた。
13世紀からはマムルーク朝の攻撃を受け始め、ヌビア諸国は徐々に衰退とイスラム化が進み、
15世紀頃には南方から来たナイル・サハラ語族のフンジ人に滅ぼされた。
フンジ王国はムスリムで、19世紀まで分裂しつつ存続したが、1821年エジプトのムハンマド・アリに滅ぼされた。
461:世界@名無史さん
10/10/21 20:02:18 0
>>453
地球誕生の年が明らかになればそれを地球紀元元年として以後を数えればよし。
今年は、地球紀元4,592,013,002年あたりかも知れない。
462:世界@名無史さん
10/10/21 20:09:49 0
キリスト教やユダヤ教では、聖書から推計した「世界創造紀元」を使うぞ
ただテキストによっていつが紀元なのか、今が何年なのかまちまちなんだ
463:世界@名無史さん
10/10/21 20:45:08 O
ルイ14世がナントの勅令を廃止したのはなぜですか?
結果大失敗だったのに
464:世界@名無史さん
10/10/21 20:59:32 0
>>460
えーと、ヌビアの南って言えばエチオピア高原ですよね?
エチオピアってコプト教の国なのでは?
465:世界@名無史さん
10/10/21 21:10:34 0
>>463
国内の信仰をカトリックに統一したかったから
我々現代日本人にとってはピンとこないけど、当時のヨーロッパでは信仰の違いは
大問題なのだよ
466:世界@名無史さん
10/10/21 21:35:18 O
そうなんすか=
467:世界@名無史さん
10/10/21 21:53:57 O
カルウ゛ァン派のユグノーは信仰を捨てず国を捨てたってことさ
468:世界@名無史さん
10/10/21 22:07:51 0
>>463
ただ信仰上の問題だけでなく、プロテスタントには聖書に書いてあること以外は信仰の対象ではないという考えがあるから。
聖書に王(領主)に従えとは書かれていない
→だから反乱していいよね!、って話になるのを防ぐためだね。
実際にドイツ農民戦争や三十年戦争はそうやって起こったって前提があるわけだし。
469:世界@名無史さん
10/10/21 22:18:03 0
フンジは紅海沿岸部からエチオピアの端っこにいた黒人部族で、早くからムスリム化していた
同時期に西部にはムスリムのフール人がダルフール王国を築き、現スーダンはほとんどイスラム化した
エチオピアもコプト教ばかりでなく、紅海沿岸部にはアダルやイファトなどムスリム小国家があった
なにしろ対岸がメッカを含むヒジャーズ地域だから、スムーズに交易を行うにはムスリム化するのがてっとり早い
16世紀にはアダルからジハード運動が起き、オスマン帝国の支援により一時はエチオピアの大半を征服している
これを鎮圧するためエチオピアの皇帝はポルトガルの支援を受け、カトリックが入って宗教紛争になったり、
さらに南から異民族のオロモ(ガラ)人が侵入したりしてしばらく混乱する
470:世界@名無史さん
10/10/21 22:25:31 0
>>468
でも、新約聖書「ローマ人への手紙」第十三章にはこうあるぜ。
「人は皆、上に立つ権威に従うべきである。
なぜなら神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからである。
だから、権威に逆らう者は神の定めに背く者であり、自分の身に裁きを受けることになる」
471:世界@名無史さん
10/10/21 22:27:18 0
カエサルのものはカエサルに、神のものは神に
472:世界@名無史さん
10/10/21 22:38:43 0
>>382
遊牧圏は末子相続というけれど、真の意味での末子相続ではないよ。
末っ子に家督や家産やなんかの継承最優先権があるわけではない。
前提として。
遊牧という経済形態では、人が大勢一箇所に居るとたちまち資源の枯渇をもたらすような土地条件なので、
大きな集団を少人数に分割して分散しなければならない。大きな集団としては生き残り易いが、分割した
個々の小集団はいろいろな理由で全滅し易い。
ここで、大勢一箇所に居ない工夫として、或る程度の年齢なり技量に達した子供は、家畜やなんかを分け
与えて、親の小集団が大きくなりすぎる前に独立をさせる。相続でいうと、生前分与だ。
例えば、男児が五人いて、一人前と看做された長男・次男が既に独立し、三男もそろそろ独立する年齢・
技量に達したというようなときに、家長たる父親が死去したとする。
さて、このときに、親の天幕・家畜群を引き継ぐのは誰か。末子相続だから、また幼い末っ子か?というと、
そんなことはない。この場合には、次男を呼び戻すか、三男が引き継ぐか、どっちかだ。
次男が呼び戻された場合には、程なく、三男に家畜が分け与えられ独立を促される。以降、末っ子まで
順次独立し、次男が老母および独立前の弟の扶養義務を負い、次男の子が更に次代を引き継ぐ
三男が引き継いだ場合には、同じく、四男・末っ子の成人まで面倒を見て、年齢・技量の達したところで、
それぞに家畜を分けて独立させる。天幕・家畜群を最終的に引き継ぐのは三男の子孫だ。
分散している個々の小集団は、戦闘なり、事故なり、病気なりで、維持が難しい状況になりやすい。
その際には、新たに、家畜や家族の扶養義務の再分配が行われる。最初に独立した長男が親の天幕に
呼び戻されることも珍しいことではない。
こうなると、単に、長兄に継承の最優先権があるとは限らないというだけで、決して、末子相続がルールとは
なっているとは言いがたいだろ。
473:世界@名無史さん
10/10/21 22:45:00 0
>>383
いや、さー、古代は人的資源が不足している、別の言い方をすれば、人の数が多ければそれだけ
効率よく資源を利用できて、増えた人数以上に収穫の割合が増えるような世の中だ。
資源の奪い合いでも、できることなら、人的資源もモノにしたい、なるべくなら生け捕りにして連れ帰って
こっちの労働力として使いたい。
負けたヤツに武装だの参政権だの与えるのは癪だから、手っ取り早い言葉で言うと、奴隷として使役だな。
中世は、自然資源に対して人が余っている状態。もっと自然資源があれば今の人数のまま豊かになれる
というような条件だ。
だったら、殺したり追い出したりして、資源を奪うという形を戦争の勝者がとるのは道理だろ。
474:世界@名無史さん
10/10/21 23:00:19 0
満州人の相続形態はどのようなものだったのでしょうか?
また、漢土を征服した前後で変化はあったのでしょうか?
475:世界@名無史さん
10/10/21 23:05:14 0
>>393
経済や人口や政治力やなんかを持ってるところの方が、言葉やなんかの規範になるわな。
本邦でもよろしい標準語は江戸の武家言葉から作り直したろ。
英語もそうだ。文字はもはやイギリス風の綴りなんかしねーよ。イギリス風の発音もBBCすら怪しいし。
で、よ。
ポルトガル語圏の国って、あんまりないだろ。ブラジルがドカンとあって、モザンビークとアンゴラがちょっと
目立つ程度だが面積はデカくても人口は希薄で経済もサッパリ、あとは面積も人口も経済も特産物もこれと
言ったものが無い小国がパラパラ。
もし、ブラジルが「ウチの言葉はポルトガル語に似ているようで既に歴史的経緯も実際の綴も発音も既に別物」
なんて言い出したら、一挙に求心力を失うよ。別に旧本国・ポルトガルとのやりとりに通訳・翻訳が要ったって
いいんだよ、というふうになったら、それこそれ、誰もポルトガル語なんて見向きもしなくなる。
遠くの小国の言葉に合わせるくらいなら、近くの沢山の国と合わせた方が、ブラジルとしても利益が大きい。
実際にテレビも音楽も映画もシームレスで入ってくる、南米共通の事物・事情に関する語彙は近隣のスペイン語圏と
同じ、人的交流もあるからどっちも喋れる人、どっちつかつのごちゃ混ぜで話す人も結構な割合だし、それこそ
ブラジルをまるごとスペイン語圏に取られてしまうでよ。
476:世界@名無史さん
10/10/21 23:18:06 0
>>433
モンゴル帝国は武断政権の割には商人や文官の地位が高く、書記官や天文学者(暦の作成を行う)や
通訳など技能を持つ者も廷臣として厚遇され、医師や薬師も同様に重用されていた。
477:世界@名無史さん
10/10/21 23:46:09 0
>>444
冊封国・朝貢国ってひとくくりにできないわな。
琉球とか、マジャパヒトとか、シャムとかの、遠方で明・清の実質的な勢力が及ばないところは、
“交易などを目的として、名目的な従属関係”に合致するんだけれど、そうでないところも、
形式上は、冊封・朝貢なんだよな。
たとえば、明の永楽帝。この人、皇帝になる前には、燕州に領地を貰って、燕王の地位を授かってた。
皇帝の親族が国内に封土を貰って朝廷の意向に沿って統治している全くの国内だが、中央との関係は
冊封だし、納税は朝貢だ。これは、属国と同じ形式で行われていた。
もう一つ、冊封国・朝貢国とされている、清と朝鮮との関係。
朝鮮が従属的な立場に置かれるにあたって、清国皇帝の親征があり、一度朝鮮国王は捕縛されている。
清国を本国、朝鮮が従属的な立場との確認を行うことで捕縛を説かれ冊封国として自治権をみとめられては
いるが、内政・継承に度々干渉を受け、朝貢の品目・数量を厳しく指定され、対外関係については本国が
全く取り仕切っている。たとえば、1876年・日朝修好条規や1882年・米朝修好通商条約や清国と日本・アメリカとの
間に成立した条約を清国理藩院が朝鮮に突きつけるだったし、内乱(壬午事変)では朝鮮の王族が問責のため
清国に捕縛連行されいる。
そこに並べた定義で言うと、李氏朝鮮は、清国を宗主国とする、傀儡国どころか半主権国~植民地の地位だろ。
478:世界@名無史さん
10/10/21 23:49:20 0
>>451
でも、従属的な立場ではない、本国の一部だろ。
新しい州と、原加盟13州とで、権利や義務に於いて全く対等だし。
479:世界@名無史さん
10/10/21 23:49:25 0
フランス三部会が絶対王政の形成に役立ったそうですが、
一方では三部会により平民が発言権を有するようになったとか、
国王の放縦の抑制に繋がったというような記述も目にします。
二つは背反するものに思えます。どういうことなんでしょうか。
480:世界@名無史さん
10/10/21 23:55:33 0
>>461
ここ数千年は割と安定した自転・公転をしているけれど、それが、何億年も前から通用しているとは
考えにくいんだがなあ。
今の1年・1日の長さと、3億年前の1年・1日の長さと、40億年前の1年・1日の長さが、そんなに変わらない
ものだったのかどうか、とても疑わしい。
481:世界@名無史さん
10/10/22 00:25:19 0
>>479
弱体なカペー朝や初期のヴァロア朝は、各地で三部会を開き課税の承認と支持を得ることで、
王領以外の封建諸侯領での王家による課税をおこない、また領民に対して王権の存在を
知らしめることができたの。
また商業の発達にともない都市が本来の領主支配からのがれる手段として王家と結びつき
一定の自治権を獲得していく過程で、王室官僚が市政などの地方行政に進出するきっかけ
をつくる素地が三部会にあったからだと思うけど。
482:世界@名無史さん
10/10/22 05:48:02 0
>>479
三部会が出来た頃は国王以外にも独立系の大諸侯が割拠してたし、国王の権力も
弱かったから、都市民を味方につけることで課税枠を拡大して、国王権力の増大
を図ったんだよ。都市民も王権を味方にすることで、諸侯の勝手を抑制できるから
メリットがあった。だけど、絶対王政が確立されて国王のほうにそのような必要が
なくなったら三部会も開かれなくなった。
フランス革命の時には平民たちは過去の三部会を利用することで今度は逆に国王権
力の抑制、平民の権利拡大を狙った、ってところかな。
483:世界@名無史さん
10/10/22 11:36:21 0
中国の万里の長城って異民族の侵入から漢民族本土を守るために作られたと
言われていますが実際に防御効果はあったのでしょうか?
また、長城を作っているときに敵がやってきた場合どうしていたんですか?
484:世界@名無史さん
10/10/22 12:00:10 0
駐屯兵がちゃんと働き、ちゃんと補修され、内応者が出ない限り効果はあった。
敵がやってきたらそこで工事を中断して武器を持って戦う。
485:世界@名無史さん
10/10/22 12:15:54 Q
はしごを使ったり盛り土をすれば簡単に侵入出来そうww
駐屯兵って言ってもあれだけの長さを防御するわけだから当然密度も小さくなるわけだし
486:世界@名無史さん
10/10/22 12:29:43 0
長城とは国境警備軍の拠点でもあって、運用する兵士がいてこそ機能するものだった
その兵士がいて指揮系統も整っていれば防御効果を発揮できた。
当然、国内が乱れる等の理由で長城に兵を配する余裕が無くなり、放置されてしまえば、
単なる建造物なだけの長城なんて容易に突破された。
また、そんな時代には長城の整備もされず、朽ち果てていく傾向にあった。
まあ長城を効果的に運用した軍人という点なら、西漢(日本では前漢ともいう)の李広かな。
匈奴が長城に攻め寄ろうとしたら、城壁の上から弓射で狙い撃ちにし、撃退し続けた。
李広自身が弓の達人だったこともあるが、指揮下兵士の弓術もよく鍛えておいたんだな。
こういう防御戦に才能を発揮した軍人だから、後年の武帝の「討って出て匈奴を補足撃滅せよ」だなんて
攻勢型の命令を遂行しようたって、そりゃ無理なんでしょうが…
長城を作っているときに、ってのは何だかなあ…
近くに軍隊を駐留させて、警備されながらの作業だったけど。
というか漢の長城建造に関して言えば、建造作業自体、主に軍が担った。
まあ軍隊が蹴散らされてしまえば、作業は遅延したわけだけど。
487:世界@名無史さん
10/10/22 12:35:38 0
そのはしごや盛り土のための道具はどうやって持ってくる?
草原の彼方の敵兵を見つけたら敵兵が取り付くポイントへ守備兵が駆けつけることは考えられない?
488:世界@名無史さん
10/10/22 12:55:14 0
>>483
>また、長城を作っているときに敵がやってきた場合どうしていたんですか?
そもそも今「万里の長城」と呼ばれてるもの以外にも古代から北方の国境付近には
長城は存在しているわけでそういうのを修復や延伸しながら徐々に万里の長城が作られて行ったんだよ
当然、軍隊が守りながらの作業だった
489:世界@名無史さん
10/10/22 13:19:49 Q
>>487
馬に折り畳み式のはしごや土嚢を積んでこればいいだけだし
仲間の守備兵が駆けつけるまでにできるかどうかが問題だけど…
490:世界@名無史さん
10/10/22 13:27:45 0
「長城を作っているとき」という表現からして、なんだか質問者が
長城は一為政者の時代だけで成り立ったと誤解しているように思えてならない
491:世界@名無史さん
10/10/22 13:43:02 0
>>489
遊牧民が梯子や土嚢の袋を持ってるって? pu
492:世界@名無史さん
10/10/22 13:44:41 0
駐屯兵同士の連絡には狼煙を使っていたんでしょ?それでいて徒歩で侵入ポイント
に向かっていたなら当然間に合わないわな
長城はしょせん中華思想という名の漢民族歴代皇帝のオナニーww
493:世界@名無史さん
10/10/22 13:49:35 0
現在見られる明の長城でも、石積みや煉瓦積みの巨大なものは北京周辺にしかなく、
ほとんどの「長城」は版築で、突き固めた土の壁(土+成=城)に過ぎない。
内陸部に行くほど長城は低くか細くなっていき、単なる土製の国境線と化す。
要は騎馬兵が飛び越えられなければいいので、土壁を数メートル盛り上げ、塹壕が掘ってあれば事足りた。
そこで足止めを食っている敵を、砦の守備兵がうまく撃退できれば、どうにか守ることができる、という程度。
うまく使えば役に立たないこともないが、気休めや象徴といった部分が大きい。
また長城は中華と草原を分けるとはいうが、中華本土より北に一回り大きい。
しかし漢人の王朝は、長城を自分の支配が及ぶ「限界」としてしまい、なかなか越えることはできなかった。
それに長城の南北でいきなり「野蛮な」遊牧地と「文明的な」農耕地に分かれるはずもなく、
モンゴル高原から中原までは一続きの牧畜適地で、遊牧民は簡単に乗り越えた。
494:世界@名無史さん
10/10/22 13:54:47 0
>>492
十分間に合う、夜中に一人二人が不法入国するなら何とかなるが
数万に規模の軍勢だと、例え騎馬軍団でもなかなか統制は利かないし
馬や羊などを超えさせるとなれば、はしごじゃ駄目で、破壊するか
土嚢を積んで坂を作るしかないわけで、長城を越えて馬や羊を
捨てて侵攻すれば、騎馬民族は数が少ないから一発でやられる。
もっとも、これは国内がまとまっている時だけだけどな
495:世界@名無史さん
10/10/22 14:05:30 0
まあ長城に張り付いてる軍だって当然騎兵隊はいるだろうし
遊牧民は馬から降りて戦いはせんだろう
長城の内側にも羊飼ってる人々は山ほどいる
ふと思うんだが、漢人捕虜の奴隷兵士とか使えば歩兵もいるわな
そいつらに長城を破壊or土嚢積みさせればいいんじゃないか?
496:世界@名無史さん
10/10/22 14:06:24 Q
>>491
たぶん漢民族からの略奪品なんだよ!
侵攻過程としてはまず付近のいくつかののろし台駐屯兵にはしごを使い夜襲をかける(気づかれないよう勿論徒歩で)→夜が明けないうちに草原側と中華本土側に馬が通れる幅に土嚢を積む→明け方一気に中華領内に侵攻!
497:世界@名無史さん
10/10/22 14:08:55 0
その漢民族は長城の南側に・・・
498:世界@名無史さん
10/10/22 14:11:37 0
ここは三文軍略を披露するスレではないのだが
499:世界@名無史さん
10/10/22 14:22:53 Q
>>494
つてつはう ※但し、元時代以降に限る
500:世界@名無史さん
10/10/22 14:24:12 0
漢:匈奴支配地に攻め込んで長城(塹壕線)を構築、中華本土に組み込もうとする
晋:匈奴や鮮卑が中華の内乱に乗じて攻め込む
唐:突厥を分裂させて一時は草原世界にも覇を唱えるが、安史の乱で崩壊
宋:契丹に燕雲十六州を抑えられ、長城どころではない
元:長城?ああ、そんなのあったね(笑)
明:モンゴルこわいモンゴルこわい(永楽帝除く)
清:蒙古とシナで行政上の区域分けするのには便利じゃね?
501:世界@名無史さん
10/10/22 14:40:37 0
永楽帝でも拠点を持たない遊牧民を撃滅することは困難を極め、大遠征は多大な国費の消尽を招いた。
そのため長城を拠点とした防衛システムを構築したのであり、軍事面に秀でた将軍が守れば効果的であった。
が、あくまでシステムを運用するのは人間であるから、良将を讒言によって更迭・処刑したり、
守将や守備兵が弱すぎたり、守将が自分の管区外との相互支援を怠ったりすればどうしようもない。
遊牧民側もそんなことはわきまえていて、スパイを送り込んだり内通者を作ったり、
守備兵の少ない脆い箇所を突いたり、同時に複数箇所へ侵攻したりしている。
わざわざ真正面から堅固な防衛システムに突撃するのは愚の骨頂。
502:世界@名無史さん
10/10/22 14:47:48 0
>>492
世界遺産系の番組でよく長城特集やってるけどさ、あれなんで急こう配の山の尾根や断崖絶壁
の上とか防衛上問題ないところまで長城建ててるのかといったら、なるべく長城を途切れさせない
ほうが大勢の応援兵が駆けつけられるからだってな
503:世界@名無史さん
10/10/22 14:53:51 0
>>496
夜の見回りの兵隊が来たらどうするんだ?
挟み撃ちにされたらお終いだぞ?w
504:世界@名無史さん
10/10/22 16:30:41 0
日本独自の格言(?)に、「世界三大馬鹿建造物。ピラミッド、万里の長城、戦艦大和」というものがある。
これは太平洋戦争末期、世界に誇るスペックだった戦艦大和が大した戦果を挙げていないことに不満を抱いた海軍将兵が
大和を揶揄して言い出したことがルーツとも言われる。上層部の方も同様に大和は役立たずとする認識があり、
菊水作戦などという、たとえ成功しても船としては終わってしまう、見殺し的な策が立案された。
もっともレーダー関係の装備が英米に較べて大幅に遅れていたとは言え、
大和がそこまで役立たずだったのは運用法に問題があったからなのだが。
戦時中の日本人にとってのピラミッドは、無駄に巨大な王墓という程度の認識でしかなかった。
おそらくギザの三大ピラミッドのことを指していたのだろう。
ヘロドトスが自己の空想を書いたに過ぎない「十万の奴隷を用いて20年がかりで建造した」とする記述を真に受けていたほどだ。
(社会システムが奴隷労働力によって成り立っていたギリシア人らしい空想である)
ところが実際には、ピラミッドの建造目的は未だに謎である。
農民救済目的の国家事業説が登場したのが1974年、ナイル川護岸物説は1992年になってからだ。
そして万里の長城も並べられている。
実際には適正な運用がなされていた場合には異民族の侵入を阻止していた長城ではあるが、役立たずの引き合いにされてしまった。
近代戦で役に立たない点は事実だが、古来からずっと役に立ったことがないと断じるのは史実を知らない者の暴挙。
当時の日本が政治的にも押さえていた漢土は漢満蒙の混在地域であり、
満蒙人を比較的担ぐのと相対的に漢人を貶めようとする意識も影響したのかもしれない。
ともかく日本において、「万里の長城=役立たず」のフレーズが独り歩きを始めてしまった。
長城は役に立たなかったという妄想の中の結論が先にありきで、史実の指摘を無視する者も散見される。
日本人の一部にあることだが、その一例が>>492
505:世界@名無史さん
10/10/22 17:01:46 0
ピラミッドも万里の長城も観光資源としては大したものだよな。
特にピラミッドは、あれを見に世界中から砂漠へとやって来るわけだし、
エジプトとして見れば何倍もの利益を上げてる投資というとこだろう。
大和は無くなっちゃってるからな。
レプリカはそれなりに集客したという話だが。
506:世界@名無史さん
10/10/22 17:23:00 0
観光資源になっている長城ってのは、明の長城の中でも足を運びやすい北京近郊部分のことだろうな
秦や漢の長城の遺構は交通の便が悪い辺境だし、保存状態も極めて悪い
研究者にとっては古い遺物の方が興味深いのだろうけど
507:世界@名無史さん
10/10/22 17:29:37 0
おっと、漢の長城の遺構部分て、今では大部分がモンゴル国内だっけな
508:世界@名無史さん
10/10/22 17:34:31 0
長城は落書きとしょんべんだらけ
509:世界@名無史さん
10/10/22 17:39:01 Q
クラッシュバンディクー3のステージ、万里の超特急はアクション性も去ることながらBGMも風景もとても面白かった。
家族向けのゲームにも出てくるように万里の長城はやっぱり紫禁城に並んで中国の象徴だよ。
資金や労働力、時間をかけて造っただけの価値はある!
510:世界@名無史さん
10/10/22 17:54:31 0
あぁ元セガの人が作ったやつか・・・
政は良君なのか悪君なのか
511:世界@名無史さん
10/10/22 18:21:06 0
ところでヨーロッパにもこんなような長城ってなかったっけ?
水道橋とかじゃなくて。古代ローマがガリアに長城を作ったって資料集で見たことある。
512:世界@名無史さん
10/10/22 18:24:07 0
ブリタニアにも作ってなかったっけ
513:世界@名無史さん
10/10/22 18:26:39 0
古今東西の要塞すべてに言えることだが、壁の形成はそれだけで道を遮断し
補給線を切断できる。ちょこちょこ壊す程度では物資を詰んだ数十トンの荷馬車が何十と
通り抜けることなどとてもできない。
良い例が亡命を防ぐ壁だ。小ベルリンの壁は個人なら突破はそう難しいことはないが、
家具一式を持って行くとまず不可能になる。
514:世界@名無史さん
10/10/22 18:30:24 0
ブリタニアの長城なら痕跡が残っていたはず
ローマ衰退後のブリタニア南半にはアングロ族やサクソン族が流入してイングランドが樹立
北半のスコットランドとしばしば係争したが、講和の際に勢力境界線(国境みたいなものか)を定めるのに
長城を根拠にすることも
元来ブリタニア北半はケルト人の抵抗が強く、ローマは征服を諦めて守りに回り、長城を築いて境界線とした
ガリアの長城よりも後の時代のことだと思うが
515:世界@名無史さん
10/10/22 18:37:43 0
>>511
リメス・ゲルマニクスな。万里の長城みたいなのじゃなくて、木柵と土塁
と道路と軍団基地と砦の連携で構成されてる。
>>521
そっちは「ハドリアヌスの長城」と「アントニヌスの長城」だ。これは石塁の
遺構が残ってる。より北方に築かれたアントニヌスの長城はすぐに放棄されて、
ハドリアヌスの長城が実質的なローマ国境線になってる。
516:世界@名無史さん
10/10/22 18:41:32 0
日本にも長城と呼べるものではないにしろ、異民族(蝦夷)の侵入を防ぐために
東北地方に築地塀や土塁などの古代城柵がありますよね
517:世界@名無史さん
10/10/22 18:42:54 0
太宰府近くの「水城(みずき)」
518:世界@名無史さん
10/10/22 18:44:21 0
ラインとドナウの間に築かれた「リーメス・ゲルマニクス」の遺跡も一応残っており、
英国の「ハドリアヌスの長城」「アントニヌスの長城」とともに世界遺産登録された
東方ではシリアにも砦を連ねた一種の長城があった
519:世界@名無史さん
10/10/22 18:46:25 0
>>517
あんなものがなければ、今頃はジャパンウルスができてアジアの人々が朝鮮語をしゃべって平和に暮らしていたのに残念ですね。
空気嫁よ日王中大兄
520:世界@名無史さん
10/10/22 18:55:30 0
>>519
在チョンは半島に帰りな!
水城が長城の一種に入るなら、元寇防塁もそうだろうな
521:世界@名無史さん
10/10/22 19:02:14 0
でもこういう防衛の意義を失った長城ってまっさきに建築材料にされやすいよな…
ピラミッドとかはまだ原形をとどめるわけだけど防塁や長城は全体がどうであったか
なんて関係ないわけだし
522:世界@名無史さん
10/10/22 19:05:18 0
世界の常識と外交儀礼は北、南そろって半島人には通用しないからなー。
向うが天皇を日王って世界から外れたこといっても、朝鮮王、大韓皇帝と呼んであげる。
常識ある大人の対応ってやつかな。
523:世界@名無史さん
10/10/22 19:07:24 0
日王って呼んでいるのは特亜三ヶ国だけだものね。
同じレベルなわけだ。w
524:世界@名無史さん
10/10/22 19:17:17 0
特亜三ヶ国ってなに?
525:世界@名無史さん
10/10/22 19:24:18 0
2chの中でも底辺に位置する板で使用される用語
特定亜細亜三箇国の略で、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国を指す
使用者には頭が弱い者も少なくないため、間違って得意気に中華民国(台湾)に対して使っている場合もあるため、注意を要する
526:世界@名無史さん
10/10/22 19:27:02 0
>>516
日本の古代城柵なんてほぼ砦や政庁と同じ。長城ですらない…
527:世界@名無史さん
10/10/22 19:37:30 0
蝦夷がスコットランドみたいに強固な民族意識を持っていれば、長城が作られた
かもしれないね。
ただそれでも東北地方の急峻な山地自体が天然の長城みたいなもので、山間の
盆地や平野に砦を置けば事足りたのかもしれないが
528:世界@名無史さん
10/10/22 19:40:19 0
そもそも蝦夷ってのは、明解に区別できる異民族だろうか?
長年の間に少しずつ混淆していた人々を、ある日突然「征夷」という目的のために
「ここから先は蝦夷!」と勝手に境界線を引いただけのように見える。
529:世界@名無史さん
10/10/22 19:41:09 0
長城の意味ってなんだ?
かんがえてみろ。
あれは馬をとおせんぼするための物なんだ。
530:世界@名無史さん
10/10/22 19:42:25 0
ペルシャとかシリアとかエジプトとかインドとかには、
長城のようなものは無いの?
あそこらへんも結構外敵の侵入に悩まされたたじゃない。
531:世界@名無史さん
10/10/22 19:46:16 0
砂漠や山脈が障壁の役目
532:世界@名無史さん
10/10/22 19:46:38 0
>>521
別に意義を失って建築材料にされるのは長城に限らないさ。ってか、辺境にある
分、まだましだ。ローマ市内の建造物見てみろ。コロッセオは骨だけみたいなも
んだし、マルケルス劇場なんか今も人が住んでるぞ。
533:世界@名無史さん
10/10/22 19:51:09 0
漢代の長城は砂漠の中、明代の長城は山の尾根。
越えたからそれで終わりじゃなくてそこからまた何百里も馬で南下して始めて略奪できるような場所に着く
そして帰る時もまた狭い突破口から帰ろうとして渋滞するところを捕捉して撃滅する。
それで十分役に立つから何代にも渡って作ってる。
更に重要な拠点には関を作って防備して最初から突破さえできないようになってる。
山海関のように満州女直の侵略を食い止め続けた歴史もある。
534:世界@名無史さん
10/10/22 19:57:26 0
>>527
イギリスなんかは地勢的に異民族がごく短期間にいきなり入ってくるからね。
そりゃ激しく抵抗するだろうし…比較的平坦な土地なら明確な境界線が必要だ。
>>528
明確には区別できないだろうけど、渡来人の血が薄い毛深い人って認識はあったのかも…
城柵が北方に移動するにつれてより渡来人系との混血が進んでいったんだと思う。
535:世界@名無史さん
10/10/22 20:09:58 0
>>529
ということは間に馬を通せんぼする地形(河川や山脈、砂漠に深い森やジャングル)
がなくてなおかつ異民族の侵入に長期間晒されている地域に長城ができるんですね?
536:世界@名無史さん
10/10/22 20:18:29 0
>>535
リメス・ゲルマニクスは森の中にあるけどな。当時のゲルマン人は森の民
だし、防衛線たるライン・ドナウの両河川の上流部の間の隙間を埋めるよ
うに作られてる。
地勢や対峙する相手によって作られるから、馬の通せんぼとは限らないっ
てことだ。
537:世界@名無史さん
10/10/22 20:22:01 0
>>535
いや、その通りだけど、スレの流れからみて>>529の言いたいことは
蝦夷は騎馬民族じゃないから長城なんていらないよね、ってことじゃないかと。
騎馬は現在で言えば乗用車みたいなもんだからね。そんなので侵入されれば
一気に制圧されてしまう。だからその足止めが必要ということで長城が作られたんだろう。
538:世界@名無史さん
10/10/22 20:29:01 0
>>530
シュメル文明のウル第三王朝(前21世紀)は、
北方の異民族を防ぐためチグリス・ユーフラテス間に長城を築いている。
古代エジプトもシナイ半島の境あたりに城砦を築いていたようで、
「出エジプト記」にはミグドル(城砦)とかゼフォン(見張り台)という地名が出てくるが、
長城というほどのものではなさそう。
539:世界@名無史さん
10/10/22 20:29:50 0
>>536
>>515に書いてあるけど、リメス・ゲルマニクスは万里の長城みたいなのじゃ
なくてかなり特殊な長城なのでは?
540:世界@名無史さん
10/10/22 20:34:35 0
旧日本軍は、飛行機の一番高い部品である「パイロット」や「電信員」とかの人間を、
どうして使い捨てにしていたんですか?
もしかすると、米英に大和魂をみせつけるためですか?
541:世界@名無史さん
10/10/22 20:43:15 0
人を赤紙刷るのと同じくらいの金額だと思ってたから。
542:世界@名無史さん
10/10/22 20:44:22 0
それ以下の丸太とかいるけどね。
543:世界@名無史さん
10/10/22 20:45:03 0
つかさ。
長城は守る側がつくるもんなの!
なんで蝦夷の農地に侵略しまくっていった大和朝廷が長城なんかつくるのさ?
つくる必要があったのは蝦夷たちのほうだろ。
544:世界@名無史さん
10/10/22 20:49:32 0
>>538
もし蝦夷が騎馬民族で沖縄が中国に朝貢しないもっと強い国だったら
日本もイギリスみたいに連合王国になってたかもな。
日本列島(蝦夷王国、琉球王国を含む)及び南朝鮮連合王国みたいな?www
545:世界@名無史さん
10/10/22 20:49:41 0
長城は農地を荒らされないために作る物じゃないの?
546:世界@名無史さん
10/10/22 20:52:33 0
>>539
>>515も>>539も両方とも俺の書き込みだよ。>>535が馬に囚われすぎて、今一長城の意味
を掴んでないからリメス・ゲルマニクスを挙げたんだ。
>>515はあくまでも構造が万里の長城みたいなのじゃないって意味で書いてあるの
であって、異民族の侵入を防ぐ機能を持った防壁という意味は変わらないよ。
547:544
10/10/22 20:53:03 0
>>538じゃなくて>>528だった。 ていうか長城でスレ伸びすぎwww
548:世界@名無史さん
10/10/22 20:54:05 0
それとな。
いきなり初めから長城をつくるんじゃあねえぜ。
いくつかの砦をつなぐ形で長城に成るんだ。
このことの意味もかんがえなくっちゃあな
549:世界@名無史さん
10/10/22 21:00:11 0
ていうか、長城の城壁はおまけみたいなもんで、
真の用途は要所要所にある兵の屯所や監視塔や烽火台だろ。
550:世界@名無史さん
10/10/22 21:46:43 0
蝦夷もけっこう騎馬で戦ってたらしいが、まあ騎馬民族というほどではないわな
551:世界@名無史さん
10/10/22 22:17:26 0
原日本人=縄文人を3韓の人々=弥生人が征服して倭韓が出来た。 今でも和漢という言葉が一人歩きしているが、
古代朝鮮陣が和韓と自称したのがその起源ですからね。
552:世界@名無史さん
10/10/22 22:30:09 0
和韓無い。
553:世界@名無史さん
10/10/22 22:40:00 0
19世紀のオランダとボーア人国家は特別な関係は全く持ってなかったんですか?
554:世界@名無史さん
10/10/22 23:42:31 0
>>483
ねーよ。
だから、明は首府を南京から北京へ遷す必要があったし、それでも結局は満洲人が長城を超えて
雪崩れ込んできて国を取られてしまった。
造ったり補修したり有効に活用して人を貼り付けていると、費用がかさみすぎて重税に耐えかねた
民衆や他地域の有力者が暴れ出して内政不安。
放置しておくと、北方勢力が崩したり乗り越えたりして攻めてくる。
あんなものがあるために慢心したり、逆に政情不安や財政難の原因になったりしただけだ。
555:世界@名無史さん
10/10/22 23:48:34 0
>>496
きっちり塞がっているものでも無いんだよ。
大国の体面のために、使節が貢物を背負ってきたら入れてやらなきゃあならんし、支那の側も
畜肉・塩・砂金なんかは欲しいものだから、交易のために人が往来する。
ちゃんとところどころ門が造ってあってそこから人馬が出入りするし、攻防もその門の周辺で
行われる。
長城の南側も遊牧圏だから、攻めるときには、必ず、南側に仲間と呼応して、門の南北から
攻撃を行う。
556:世界@名無史さん
10/10/22 23:51:56 0
>>505
ギゼ大地は乾いているけれど、すぐ500メートル際くらいまでは氾濫原で古代からの農地、
今は灌漑農地と市街地が200メートルくらいのしか離れていないよ。
まあ、堺の旧市街と百舌鳥三陵との距離感くらいのものだ。
557:世界@名無史さん
10/10/22 23:54:03 0
>>514
ローマの言い方では、長城の南がブリタニアで自国領。長城より北はカレドニアで外国。
558:世界@名無史さん
10/10/22 23:56:54 0
>>543
蝦夷は農耕してないし。
559:世界@名無史さん
10/10/23 00:00:01 0
オランダが特にボーア人(ブール人、アフリカーナー)を支援したことはないようだ。
手元に残ったインドネシア植民地の経営に手一杯で、今さら強大な英国を敵に回したくもない。
ボーア人も英国の支配には腹が立つし、父祖の地たるオランダには親近感があるものの、
もとは貧しい農民(ブール)だったり、すでに親族がオランダにいなかったり、
ユグノーなどオランダ出身でないのもいたから、自ら「アフリカーナー」と称して独自の民族集団を形成した。
彼らの内陸部への「グレート・トレック(大移住)」は、聖書の出エジプトになぞらえられ、
黒人や他の白人に対する選民意識を持つようになっていく。
560:世界@名無史さん
10/10/23 00:04:09 0
シャンパーニュ伯がナバラ王を兼ねてた頃って伯自身はどっちに住んで統治してたの?
561:世界@名無史さん
10/10/23 00:10:02 0
>>516
東北地方の城柵は壁じゃなくて砦。
>>521
版築の長城は再利用出来ると思えん。
562:世界@名無史さん
10/10/23 00:14:03 0
シャンパーニュ側。というか十字軍に参加してて留守してることが多かったが。
563:世界@名無史さん
10/10/23 00:17:43 0
早速回答ありがとうございます
じゃあナバラの方は、普段は適当に地元貴族があれこれやって時折裁判見たりする感じなんでしょうかね
564:世界@名無史さん
10/10/23 00:19:14 0
>>562
ということは、軍事階級は必要=仕事がなくて先細り状態だった。
そのため、十字軍に飛びついた。
十字軍は失業対策ということなの?
565:世界@名無史さん
10/10/23 00:29:48 0
>>559
わかりやすい回答ありがとうございました
566:世界@名無史さん
10/10/23 00:38:14 0
つまり2ch史学というものが、実証より、
情熱に基づいて、己の印象をぶちまける文学だということですね。
人文科学万歳w!
567:世界@名無史さん
10/10/23 00:39:44 0
ほえ?
騎士に失業もなにも、領地収入ってもんがあるじゃろ。
そして領地を巡ってチャンバラやるのも婚姻結ぶのも、十字軍に参加するのも騎士の本業。
シャンパーニュ伯ティボー4世がナバラ王位を継いだのは、母方の血縁による遺産相続で、
代々十字軍に参加して破産状態だったのが、一挙に裕福になった。
さっそく十字軍を起こしてみたが、ティボーほか諸侯がぱらぱらという感じで、
先にフリードリヒ2世とアイユーブ朝の間で平和的に解決していたため、幸い戦わずに帰還した。
子のティボー5世は第8回十字軍に参加するがチュニジアで病死。
その弟アンリもすぐに死に、アンリの娘ジャンヌはフランス王フィリップと結婚して、
ナバラ王位はしばらくフランス王が兼ねることになった。
568:世界@名無史さん
10/10/23 00:58:22 0
>>558
蝦夷が農耕してない?
おまえ、知識不足。
縄文人系統であったのは確かだが、奈良時代には稲作文化が花開いていた。
それを大和朝廷が征服してくみこんでいったんだよ。
しらべてみんさい
569:世界@名無史さん
10/10/23 01:25:36 0
エミシとエゾがごっちゃになってるのでは
570:世界@名無史さん
10/10/23 02:52:39 0
>>554
明は遷都してないぞ。北京が陥落して崇禎帝も自殺したから南京の官僚が亡命政府
を作ったんだよ。
清の本軍が長城を越えることが出来たのは、それを知った呉三桂が清軍を通したからだ。
それまで長城線の突破は清軍も攻めあぐねてた。明も対満洲に色々防衛線を強化して
たしな。対満洲には長城もそれなりの効果をあげてる。
お前さん、時系列とか事実認識がかなりおかしいぞ。
土木の変じゃ北京包囲されたけど、あれはかなり異常事態でもあったしな。
571:世界@名無史さん
10/10/23 03:26:30 0
>>570
>>554が言ってるのは、永楽帝の北京遷都の話と思われ。
とはいえ、長城が無駄ではないというのは同意。
西方に行けば長城も貧弱なり、山海関を迂回して華北に侵入することもできる。
しかし、大規模な軍隊を侵入させるには、山海関を超えなければならない。
なぜなら、多くの兵を養うに足りる兵站を通せる地点は山海関しかないから。
長城、大運河、塩税。
こういうスケールのでかい事業には、あの国ならではの合理性がある。
572:世界@名無史さん
10/10/23 10:00:56 0
>>550
それは初耳だな。
ただ古墳時代に今の群馬県が良馬の産地みたいだったから、そこから手に入れてた可能性はあるね。
それでも騎馬民族?としての朝廷には圧倒的な劣勢だったんだろう。
573:世界@名無史さん
10/10/23 10:02:58 O
東インド会社と西インド会社の違いがわからないんですが…
574:世界@名無史さん
10/10/23 10:38:54 O
ヨーロッパに対して西か東かの違い
本物のインドは東側
コロンブスが勘違いした方は西側
575:世界@名無史さん
10/10/23 10:44:08 0
ヨーロッパから西側にあるのが西インド、東側にあるのが東インド。
コロンブスはカリブ海の島々を「地球を回ってインド(インディアス)についた」と誤解し、先住民をインディオと呼んだ。
しかしのちに本来のインドではないと分かり、英語などではこの地域を「西インド」と呼んで区別した。
それで英語では西インド諸島といい、南北アメリカ大陸も西インドと呼ぶことがある。
東インドは、本来のインドや東南アジア、シナまで含む広義のアジア。
西インド会社は、スペインの植民地からあがる利益を海賊行為でぶん取ろうという目的で設立。
英仏蘭が別々に作ったがあんまり利益があがらず、東インド会社より早く解散してしまった。
ただオランダは大西洋を渡る奴隷貿易や植民地経営に切り替えたので、アフリカ西岸部もこの西インド会社の管轄に含まれたりする。
まあデンマークなどは東インド会社が西インド諸島で活動してるが。
576:世界@名無史さん
10/10/23 11:05:14 0
本当にインド人は毎日ナンとカレーばっかり食ってるのか?
これは非常に栄養が偏りすぎだろう。
インドの結核羅患者数が世界1位なのと関係あるのか?
577:世界@名無史さん
10/10/23 11:08:02 0
おすもうさんが毎日、ちゃんこを食うのとおなじく。
インド人は毎日、カレーばっかくってるよ
578:世界@名無史さん
10/10/23 11:10:23 0
日本人がお米ばっかり食っていると同様の偏見だよね。
俺は日本人は鯨を食い、南京大虐殺してきた日本人は人類の汚点だと
常々思っているよ。
579:世界@名無史さん
10/10/23 11:12:25 0
向こうさんでは香辛料を使う料理はみんなカレーって呼ばれてるんじゃないの
580:世界@名無史さん
10/10/23 11:14:42 0
カレーというより、スパイス・香辛料の入った煮込み料理な。
これをイギリス人や日本人が自分の国に持ち帰って、カレーと称した。
(日本の煮込み料理を、全部すき焼きと呼ぶようなものか?)
だから、"スパイス煮込み料理"も非常にバラエティがあり、同じ料理を
食べ続けているというわけではない。
581:世界@名無史さん
10/10/23 11:28:51 0
毎日生薬食ってるようなもんだから、むしろ健康にはよさそうだが
582:世界@名無史さん
10/10/23 11:29:57 0
犬を食うと体が暖かくなるよ。朝鮮民族の高級料理です。補身湯体にいいよ。
583:世界@名無史さん
10/10/23 11:48:27 0
昔、ここが変だよ日本人、って番組で同様の話が出て
インド人が、日本人も毎日醤油ばっかっくってる、と指摘していたな
584:世界@名無史さん
10/10/23 12:15:06 0
そう考えると、キムチは最高のご馳走だよな。 世界中の人々がキムチ大好き!
585:世界@名無史さん
10/10/23 12:18:19 0
しつけえな
ハン板に帰れ
586:世界@名無史さん
10/10/23 14:17:11 0
日本製のキムチは不味い
587:世界@名無史さん
10/10/23 14:18:18 0
第一次世界大戦で
クレマンソーやロイドジョージがウィルヘルム2世を侵略の戦犯として裁こうとしていたがなんでなの?
ただの積年の恨みつらみだけが理由?
オーストリアの同盟国としてロシアと戦争状態になったロシアに対抗するために
その同盟国のフランスを叩こうとしたってのは当時では常識ではなかったの?
そりゃ中立のベルギー侵攻は問題あったかも知れんが
他国の皇帝を裁判で裁こうとするのは
敗戦国の君主が裁かれる可能性があるってのはイギリスも将来的にそういう前例を作りたくなかったと思うんだけど
あとドイツは帝国とは言え首相の名前はほとんど重要視されないが
帝国なんでウィルヘルム2世だけ知っていれば第一世界大戦のドイツは語れるので
首相は覚えていても仕方ない存在なの?
588:世界@名無史さん
10/10/23 14:19:46 0
犬食べた韓国人が中国人に殴られてたよ
犬食べると中国人に殴られるよ
589:世界@名無史さん
10/10/23 15:03:47 0
>>587向こうの君主は単なる土地の王じゃないからな。おそらく
プロテスタンとカトリック、そして共産主義などがくんずほぐれつ、
当時の国家の関係に影響してたのだろう。特に大陸で何か起こると
たいてい英国がとばっちりを受ける。それに他の君主たちも
明日はわが身と共産主義の拡大を恐れてそのようなことは
させなかったのだろう。
590:世界@名無史さん
10/10/23 16:36:22 0
>>580
インド人は手づかみで食事するそうだが、
カレーみたいなベチャベチャの料理を手づかみで食べたら、
手がベトベトになって汚くないか?
591:世界@名無史さん
10/10/23 16:52:56 0
>>587
勝者側としては、敗戦国の戦争指導者は厳しく責任を追及して罰しておかないと、後々禍根を残す
(島流しにされてさえ復位に成功したナポレオン1世の例もあるんだから)
戦争の理由が正当だったかどうかはあまり関係ないし、どうでもいい
戦争指導者であったこと自体が裁きの対象となる
その戦争指導者のヴィルヘルム2世が、たまたま皇帝だってだけのこと
592:世界@名無史さん
10/10/23 16:56:21 0
ナンでカレーを包んで食べるのは手づかみだが、その地方のカレーは固形状でドロっとしている
カレーを米と食べる地方では匙を使う。こっちのカレーは日本で知られるカレーに近い
手づかみで食べるという一面的な情報は英国人を通してインドの風習のステレオタイプに祭り上げられたようだが、
それをもって全てを量るべきではない
593:世界@名無史さん
10/10/23 17:03:57 0
ちなみに手づかみなのは、その方が食事が楽しい、美味しいからだそうだ。
食事は五感のあらゆる感覚をフルにつかった方が美味しく感じ、手づかみだと
触感をより多く感じることかでき、したがってより美味しく食事をとれるとのこと。
TVでテストをやっているのを見たが、寿司を箸で食べるのと手づかみでたべる
のでは、手づかみで食べる方が美味しいという結果が出ていた。
594:世界@名無史さん
10/10/23 17:56:25 0
>>592
俺がテレビで見た記憶ではご飯でも手づかみで食べてたけどなぁ。
595:世界@名無史さん
10/10/23 18:20:47 0
カレーの話じゃないのか?
それにインディカ米じゃないのか?
596:世界@名無史さん
10/10/23 18:54:18 0
トラペザス帝国について教えてください。
597:世界@名無史さん
10/10/23 18:55:27 0
第二次大戦で沖縄に侵攻した米軍は、遺棄された古酒や美味しい沖縄を、
戦利品として食べたりしたんでしょうか?
598:世界@名無史さん
10/10/23 19:08:00 0
食物と酒、嗜好品の歴史@世界史板 47皿目
スレリンク(whis板)
599:世界@名無史さん
10/10/23 19:12:33 0
トルコは連合国も枢軸国も味方に付けたがるような重要な場所だったのに、
どうやってどっちにも付かず、かといって攻められる事も無く、
第二次世界大戦を乗り切ったのでしょうか?
600:世界@名無史さん
10/10/23 19:13:18 0
>>597
米軍の兵站状況は終始安定しており本国からの補給で十分賄えていたが
だけど占領地で得られる物は末端の兵士らが自由にお持ち帰りしていたよ
最も人気だったのは軍刀やら工芸品など高く売れる物だが
日本軍から没収した大和煮や肉じゃが等は当然喰ってたんじゃない?
601:世界@名無史さん
10/10/23 19:25:57 0
>>570
永楽帝の時代に遷都してんじゃん。
完全に遷すには20年近くかかってるいが、それでも永楽帝の治世だ。
602:世界@名無史さん
10/10/23 19:34:37 0
>>573
旧西ローマの領域のヨーロッパ人の視点で、世界の真ん中が西ローマ帝国の領域、
その東側を近い順に、ローマ帝国の支配したことの或る地域=近東、マケドニアの
アレクサンダー三世王が攻略したことのある範囲までが中東、それより東のところを
漠然と極東と言った。
で、極東の中で一番最初に接するのがインドなので、極東全体を漠然とインドと呼んだ。
中東・近東の大部分は仇敵イスラム教徒の世界になって、まぁ知らない土地でもないが
その先というのは全く様子の判りにくいところで、西ヨーロッパ、中東・近東という
知っている世界と、それ以外のところという漠然とした分け方をし、且つ、西側に舳先を
向けて到達するところを西インドと呼んだ。
603:世界@名無史さん
10/10/23 19:35:27 0
>>591
それだとナポレオン三世が裁判にかけて死刑にしなかったのはなんで?
ドイツ側で敗戦国の君主を裁判に欠ける発想すらも無かったみたいだし
それに第一次世界大戦で同じ敗戦国のオーストリアのカール1世は裁判にかけずに
あくまでもウィルヘルム2世にだけ執拗に裁判にかけようとしたのもアレだし
604:世界@名無史さん
10/10/23 19:53:33 0
>>601
永楽帝は、南京に方孝孺みたいなのが多くて居心地が悪かったから、自分の地盤の燕に戻っただけのこと
もちろん、対モンゴル戦略の意味もあったが、彼の戦略は長城から外への遠征だ
それも、攻撃が最大の防御だから防御の代わりに攻撃したというわけでもなく、この時期にはたいして必要
もなかったのに、戦果を上げることで自己の権威を高めることが遠征の目的
(現代でも、人気取りのために対外強硬政策をとるのはアメリカ大統領あたりがよく使う手で、それと同じ)
要するに、永楽帝の北京遷都は、長城とは何の関係もない
605:世界@名無史さん
10/10/23 19:58:19 0
>>603
戦争責任を断罪して、指導者を裁くという発想がなかったんだろう。
第一次大戦までの19世紀型の戦争は、国際紛争解決のための外交の一手段だし、
君主や貴族にとっては、戦争はゲームやスポーツみたいな感覚だし、
負けた相手を裁いて処罰するなんて感覚はなかったんだろう。
(ナポレオン1世は例外)
606:世界@名無史さん
10/10/23 20:00:42 0
>>599
中立を宣言し、対外防衛のため軍備を増強し、終戦ぎりぎりになって連合国側で形式的に参戦した。
もちろん枢軸・連合両方から硬軟とりまぜて味方につけと言われていたし、
ソ連は南からこられたらやばいというので警戒してたが、正直トルコはいまや弱小国で、戦争なぞできる国力はない。
トルコ革命から間もないし、国父ケマルも死んでしまったし、経済もやばいし装備は古いし、
無謀な対外戦争に加わるより、国内のカオスな分裂状態を必死こいて食い止めるのが先決。
607:世界@名無史さん
10/10/23 20:14:05 0
>>603
正戦論を復活させたのが第一次大戦からだから。
戦後のパリ不戦条約で侵略戦争の禁止が明言されたのも、この文脈の内にある。
戦争の責任の所在を明確化し、敗戦国の指導者を裁くという考え方が醸成されたWW1は
戦争の犠牲があまりにも大きすぎたことを知らしめた。
ヴィリーについては敵の首魁、同盟軍の親玉として裁判にかける事が連合軍の一つの目玉であったし
開戦当時のオーストリア皇帝は前任者であり、「主犯ヴィリー」を抜きにして彼だけ裁くのも政治的に意味が無い。
連合側が開戦当時の「責任」をどのように見ていたかは分からないが、ドイツ皇帝の白紙手形は
開戦責任問題の中で最重要と呼べる事件だったよ。
608:世界@名無史さん
10/10/23 20:19:04 0
ナポレオンは処罰されていない。裁判にかけられてもいない。
公式には流刑に処されていない。
退位宣言後に、英国への亡命を希望して英国戦列艦に乗り込んだ。
乗り組まれたベレロフォンの艦長は、戦闘中でもないし他国の貴族でもあるし、
どうにも処置できず、そのまま賓客としてのせて上の判断を待った。
英国政府はナポレオンの希望を聞いたが、本国に亡命場所を指定するのは
政治的に問題外だった。
しかたないので、警備兵を付けて、一番害にならないところ、大西洋上の交易
中継点のセントヘレナ島に「邸宅」を与えて住まわすことにした。
公式には、英国はナポレオンを流刑させたのではなく、保護したことになっている。
なんてややこしい。w
609:世界@名無史さん
10/10/23 20:20:35 0
そもそも、戦争に負けた相手の国の責任者を裁判にかけるなんて、WW2後が最初じゃないの?
610:世界@名無史さん
10/10/23 20:35:36 0
そういう意味では
カール1世=亡命するも裁判にはかけられず余生を送る
ウィルヘルム二世=裁判にもかけられずに余生をおくる
ヒットラー=追いつめられて自殺
ヴィットリオ・エナヌエーレ3世=国民投票で王制廃止になったが裁判にはかけられずに余生を送る
昭和天皇=裁判にかけられず40年以上も余生を送る
敗戦国の国家元首で裁判にかけられたのは1人もいないわな
強いて言えばナチのデーニッツぐらいか
ちなにみ
ムッソリーニ=反ゲリラに公開リンチで殺される(裁判で処刑されたのではなく、あくまでもリンチで殺された)
ニコライ二世=革命軍に亡命される前にどさくさにまぎれて殺された
611:世界@名無史さん
10/10/23 20:47:52 0
近代以降だと君主や指導者そのものに価値がなくなり
国家とか民族そのものが強い力を持ち
頭を幾らでも挿げ替えても戦争ができるようになった
612:世界@名無史さん
10/10/23 21:25:54 0
戦争犯罪とかっていう概念はいつからでてきたの?
613:世界@名無史さん
10/10/23 21:32:31 0
>>595
wikipedia『インド料理』
「そこで食事中に直接料理に触れるのはきれいに洗った右手のみであり、調理された食材の触感を楽しむ
ため、また本当に清潔かどうかが不明であるため、スプーン・フォーク・ナイフなどの使用は基本的に嫌う。」
614:世界@名無史さん
10/10/23 21:37:49 0
戦争に負けた奴を勝った側が処刑する、ということなら人類の歴史と共に。
615:世界@名無史さん
10/10/23 21:40:07 0
>>612
正式には1945年ドイツ降伏後でしょうな
616:世界@名無史さん
10/10/23 21:44:09 0
そもそも、戦争が犯罪であるなんて概念は、法的根拠がない
負けたから悪いと素直に言えないから、そんな概念をでっち上げたんだろな
で、「平和に対する罪」なんてのをでっち上げて、
「オレらの平和を乱したおまいが悪い」
「負けたおまいの平和を乱したオレらは正義の味方」
って考え方を、戦争犯罪とか言う綺麗事で誤魔化したわけだ
617:世界@名無史さん
10/10/23 21:45:53 0
>>614
それはまさに動物的権利だったとおもうんだけど、戦争犯罪」みたいな理屈を付けたのは最近だよね。
618:世界@名無史さん
10/10/23 22:28:25 0
コピペだが、戦争犯罪に関する裁判は破綻していたっぽい
第1次大戦後,ドイツ軍将兵の残虐行為についての,カイザー・ヴィルヘルム2世の責任が問題となった。
連合軍は,ベルサイユ条約第227条で
「同盟および連合国は、国際道義に反し、条約の神聖を犯したる重大なる犯行につき、前ドイツ皇帝ホーヘンツォルレン家のヴィルヘルム2世を訴追す」
と規定して、カイザーを法廷に引き出そうとした。
しかし彼は休戦直前、皇位を放棄してオランダに蒙塵、オランダは彼の身柄引渡を拒否した。
これについては,連合国内においても囂々たる議論があった。
フランスは、ドイツの将軍、将兵による残虐行為に対する責任は、最終的には長の長たる皇帝にあると強硬に主張。
しかしアメリカ代表ランシングは、これに反対して、
「皇帝には道徳的見解からするならば、人類に対して責任はあるが、法的見地からするならば、
その国の臣民にだけ責任があるに過ぎない。他の国民に対しては何ら法的責任はない」と主張した。
さらに、その他の戦争犯罪人の裁判が、これまた当を得ないものだった。
1921年5月23日、ライプチヒにおいて戦犯裁判が開始されたが、裁く者はドイツ帝国裁判所戦犯処理委員会だった。
多くの戦犯達は、ドイツ人の手では逮捕されることがなかった。
結局、裁かれたのはドイツ側が起訴した2名、英国が起訴した4名、フランスが起訴した5名、ポーランドが起訴した1名の12名に過ぎなかった。
課せられた刑罰は、ドイツの起訴した2名が4年、英国の起訴した者の内2名は6ヶ月、1名が10ヵ月、
フランスの起訴した者の内1名が2年といういい加減なものであり、連合軍使節は12人の事件の結果に対して抗議して撤退。
すると、ドイツ法廷は800の戦争犯罪事件を訴訟取り下げ、あるいは証拠不充分として処理してしまう。
1922年1月、連合軍は、ライプチヒ裁判所をこのまま継続する事は無意味であるので、
ドイツ政府は速やかにベルサイユ条約228条によって連合軍側から起訴されている戦犯を引き渡すべきであると勧告した。
が、ドイツ裁判所及び国民は強く拒否。また、有罪判決を受けた戦犯6名も、間もなく脱獄・逃亡してしまう。
619:世界@名無史さん
10/10/23 22:40:27 0
>>616
報復の手段というより、報復を少しでも抑える手段として戦争裁判があるような気がするけど。
万全に機能してるとはいいがたいかもしれんけど。
620:世界@名無史さん
10/10/23 22:43:22 0
>>612
白人=キリスト教=正義という価値観を刷り込まれた侵略国家軍は、解放戦争した日本を白人による核の炎で「浄化」し、
キリスト教に逆らった異教徒を白人様に逆らったとして次々に処刑した。
621:世界@名無史さん
10/10/23 23:30:05 0
>>619
どんなに上手くやったとしても、万人が納得するように「万全に機能」させるのは基本的に不可能。
戦争裁判とは、勝者が敗者に軍事的か経済的か道徳的に罰を与えるための手段に過ぎないでしょうな。
どんなに糊塗しても、勝ったものは負けたものに説教を垂れる資格があるという意味合いでしょうね。
少なくとも、掠奪・殺戮よりはましかもしれない。
そういう意味で、「戦争裁判」という制度は昔よりは「文明的」かもしれないね。
622:世界@名無史さん
10/10/23 23:33:59 0
との白人の犬の戯言でした英霊に謝罪しろ。
623:世界@名無史さん
10/10/23 23:34:28 0
>>620
「次々に」とおっしゃるが、日本帝国の最高責任者として周知されている天皇及び皇族には、一指も触れませんでしたよ。
これは尊敬などと言う形而上の理由ではなく、統治状の理由に過ぎないにしても、君の言う乱暴な考え方ではないと思いますがね。
また君のレスは、>>612氏の
>戦争犯罪とかっていう概念はいつからでてきたの?
という問いの答には、なっていませんよ。
624:世界@名無史さん
10/10/23 23:35:34 0
>>622
正しい日本語で書いていただけませんか?
意味がわかりません。
625:世界@名無史さん
10/10/23 23:36:49 0
死ぬのは国民=奴隷の仕事。 国体を守るのは皇族の仕事。 問題ない。 在日がうるさいが日本人でないレスは区別が容易。
626:世界@名無史さん
10/10/23 23:37:02 0
>>622
なにが英霊だよ
創価信者と同じ気持ち悪さだな
敗者の亡霊だろww
627:世界@名無史さん
10/10/23 23:37:46 0
ハンニバルはローマに莫大な被害を与えた大戦犯なのに、
敗戦後は裁かれるどころか本国カルタゴの指導者になっちゃったな
内紛で亡命してのたれ死んだけど
628:世界@名無史さん
10/10/23 23:41:09 0
>>626
おまえはこれでもプレイして英霊の偉大さを感じるが良い。
URLリンク(freegame.on.arena.ne.jp)
防げ本土上陸 人間機雷伏龍
伏龍特攻隊の訓練生を体験できるゲーム
629:世界@名無史さん
10/10/23 23:55:23 0
ここは質問スレだ。レイシズムとイデオロギーの吹聴は余所でやれ
630:世界@名無史さん
10/10/23 23:58:48 0
だな。在日とシナ人は出て行け。
631:世界@名無史さん
10/10/24 00:01:35 0
いよいよ伝家の宝刀を使う時…
「次」
632:世界@名無史さん
10/10/24 00:08:32 0
>>630
お前も出て行く対象だよ
633:世界@名無史さん
10/10/24 00:15:57 0
>>632
お前がだろw
634:世界@名無史さん
10/10/24 00:44:51 0
イスラム教では右手を清浄の手、左手を不浄の手とし、
食事は右手で、トイレで局部を洗浄する際は左手で行うと言いますね。
この点がヒンドゥー教と全く同じという事ですが、どちらが先なのでしょう?
それぞれ根拠となる文献はどのくらい前まで遡れるのでしょう?
635:世界@名無史さん
10/10/24 00:53:16 0
スンニ派とシーア派なんであんなに対立してる
7世紀ぐらいでカリフの後継者争いで揉めたのはわかるけど
今の人間が互いに互いを憎しみ合う理由がよくわからないのですが
イスラム教の解釈も同じって言うし
636:世界@名無史さん
10/10/24 01:33:28 0
インドや中東では、古来排泄後は尻や局部を水(なければ砂)で洗浄する。
そのときに左手を使うというのは、宗教以前の風習で、いつどこが起源で誰が決めたというもんでもない。
インドは、遅くとも紀元前後の「マヌ法典」にあるというから、7世紀から始まるイスラームよりは断然古い。
イスラームでは、ハディース(預言者の言行録)に
「飲食には右手を使え。左手で食事をするのは悪魔の流儀である」と書いてあるのだそうだ。
まあ浄不浄というか一種のエチケットで、ムスリムはハディースにそう書いてあるから従っている。
637:世界@名無史さん
10/10/24 01:37:57 0
そうするとインドとかでは左ききの人は、右ききに矯正するのかな。
それとも、利き腕に関係なく食事の時は右手を使うという感じなのだろうか?
638:世界@名無史さん
10/10/24 01:49:49 0
オサマ・ビンラディンは左利きらしい。
それでも食事や物の受け渡し、文字を書くことなどは右手でするのが礼儀。
639:世界@名無史さん
10/10/24 01:55:57 0
戦争や事故で右手を失くしたらどうするの?
640:世界@名無史さん
10/10/24 02:05:07 0
>>635
シーア派の歴史は、スンニー派による迫害・弾圧の歴史で、
サファヴィー朝が出来るまでは、細々と命脈を保つ有様だった。
特に、カルバラーの悲劇は、シーア派にとって忘れられない迫害記念日になっていて、
シーア派法学者の指導の下、自虐祭りアーシュラーや悲劇タアジーエを行い、
シーア派とその歴代指導者たち味わった迫害・苦難の歴史の記憶を何度も再確認し続ける。
それゆえ、彼らは延々と迫害の記憶を忘れないだろう。
641:世界@名無史さん
10/10/24 02:15:52 0
結局のところスンニ派はシーア派の対立と
ヨーロッパにおけるユダヤ人って
歴史的経緯はともかく同じ構図?
つまり多数派が少数派をいじめてるって構図?
もちろんユダヤ人は少数派な上、排他的傾向が強かったから
より他の民族たちに、気にいらないと差別されてしまう経緯があったけど
642:世界@名無史さん
10/10/24 02:20:49 0
>>639
今はどうにでもつなげれるとは思うが
昔は腕を斬り落とされたりしたら
基本的には人生終わりだったと思う
有名な武将とかで戦闘で片腕切り落とされたけど生きながらえて、
その後どういう風に過ごしたかってエピソードってあったっけ?
643:世界@名無史さん
10/10/24 03:32:36 0
>>636
左手が不浄っていうのは、洗った後そのまま食事すると
菌が残っていることもあるわけだから、病気になりやすい、
避けるべきという経験則から生じたものと思う。
644:世界@名無史さん
10/10/24 03:51:01 0
>>642
鉄腕ゲッツ行状記
645:世界@名無史さん
10/10/24 04:09:49 0
>>635
今の対立構造は政治的なもの、民族的なものがあるからな。イスラムの場合、
宗派というより民族の軸で見たほうが分かりやすい。
昔から政治的な理由その他でスンニー派とシーア派が同盟結んだり共存してる
例はあるし、今のイラクだって、イラク戦争前は隣近所で仲良くしてたのにと
嘆く声はある。
現代の民族対立になると偏狭なナショナリズムを持った奴が力持った途端、タガ
が外れた民族主義者たちが力を持って、共存してた少数民族をいきなり迫害・虐殺し
た例がたくさんあるだろ。
ナチス然り、ルワンダ然り、旧ユーゴスラヴィア然り。
646:世界@名無史さん
10/10/24 10:08:41 0
全てはアメリカの責任だよ。 日本人はむしろイスラムになって中国と戦え!
647:世界@名無史さん
10/10/24 10:29:19 0
何かの責任を、自分以外のだれかに押しつけるのは気持ちいいんだろうなあ。
しかも無責任に他人を煽るのって、さぞ楽しいんだろうなあ。
648:世界@名無史さん
10/10/24 10:36:40 0
>チス然り、ルワンダ然り、旧ユーゴスラヴィア然り。
全部アメリカが関わっているな。
アメリカの陰謀だ。
649:世界@名無史さん
10/10/24 11:16:46 0
>>646
>>648
スレリンク(whis板)l50
で主張してくれ
650:世界@名無史さん
10/10/24 12:12:09 0
左翼の人たちは基地はいらない基地はいらないと言ってますが、
病気の人を差別して恥ずかしくないんですか?
651:世界@名無史さん
10/10/24 12:15:37 0
(´-`).。oO 何か季節の変わり目だな
652:世界@名無史さん
10/10/24 13:00:52 0
まあ、アメリカは重度のジャイアン病患者で戦争キチだしな。
653:世界@名無史さん
10/10/24 13:40:11 0
シーア派はアリーや歴代イマームを半分神格化してるから、スンニ派からすればアッラー以外を崇める異端
またアリーがササン朝の王女と結婚したとか言い出して、ペルシャ人のナショナリズムに呼びかけたりもした
ファーティマ朝とかイエメンのラシード朝とかを建てたのはいるし、完全に弱者だったわけではない
ただ内部でもザイド派とかイスマーイール派とか十二イマーム派とか抗争が激しい
654:世界@名無史さん
10/10/24 14:02:56 0
スンニ派=アメリカ シーア派=アメリカ 全部白人の手のひらの上で戦争しているだけ。
※
URLリンク(eritokyo.jp)
世界全体の40%を超える米国の軍事費
2001年9月4日、すなわち9.11直前、AlterNetのBen Cohen氏はホームページに次のコラムを掲載した。
「米国の政治家は3440億ドルの軍事予算を正当化するため敵を求めている」と。
Ben Cohen氏はその論考のなかで、米国が求める敵として、イラン、イラク、北朝鮮、キューバ、リビア、スーダン、シリアの各国名を掲げている。9.11が起る1週間前のことである。
図1と図2は世界主要各国の2000年と2001年の軍事費を示している。
米国の軍事費は、約8000億ドルに及び突出している。米国の軍事費は世界の約5分の2、40%になんなんとしている。またGDPや国家予算規模で象徴される経済力もさることながら、
軍事費に表現される軍事力でも圧倒的に他国を凌駕している。表1はまさにそれを示している。
表2にあるように、冷戦終結後、世界の軍事費は一端減少に向かった。だが、世界全体の軍事費の削減率に比べて米国の削減率は少ない。
世界30カ国※に軍事基地をもつ米国の軍事費は一向に減ることなく、世界の総軍事費の35%前後を占めるまで増え続けたのである。現在、米国の通常兵器の規模は、陸海空が約137万人の兵力、
戦闘・輸送・偵察等の航空機が7000機、ジェット戦闘機を80機搭載可能な空母が12艇と、突出している。これらの兵力は、量だけでなく陸海空どれをとっても最新鋭の兵器で武装されていると言う意味で
質的にも他国を圧倒している。
※ もし、30カ国に及ぶ米軍基地を駐留させている国家が負担する軍事費、防衛費を米国の軍事費
に加算すると、推定で米軍関連の軍事費は全世界の軍事費の50%をはるかに超える可能性がある
655:世界@名無史さん
10/10/24 14:19:39 0
NGword欄がパンパンだぜ
656:世界@名無史さん
10/10/24 18:32:50 0
スレチだったらスルーして下さい。
高校のとき世界史大好きだったんだけど色んな事情で進学できず今バイトしてる。
旧帝除けば県内に歴史学科ある大学がなくて、数学がマジ出来ない自分は
県外の私立に金貯めて行こうと思ってる。
ペルシア、中央アジア史に興味があるんだけどこれって東洋史に入るの?
あと歴史研究で有名な大学ってある?そりゃ東大が一番だろうが・・・。
あと実際に大学で史学学んだ人の感想ってか話聞きたい。
単に歴史知りたいだけならウチで本読めばいいんだけど、
やっぱり自分は高校時代の世界史の授業のワクワクが好きなんだ・・・。
657:世界@名無史さん
10/10/24 18:32:51 0
オーストリア帝国やオーストリアハンガリー帝国で、ドイツ人はどんな特権を持ってたの?
658:世界@名無史さん
10/10/24 18:52:22 0
>>610
>ムッソリーニ=反ゲリラに公開リンチで殺される(裁判で処刑されたのではなく、あくまでもリンチで殺された)
>ニコライ二世=革命軍に亡命される前にどさくさにまぎれて殺された
これ見て思ったが
チャウシェスクも処刑されたって言うけど
正式な裁判の結果の死刑ではなく
革命軍は逃亡される前にさっさと殺してしまおうと
初めから殺すつもりでリンチで殺されたの?
チャウシェスクは処刑されたのではなく、どさくさにまぎれて反乱軍に殺害された
ってのが正しい?
いわばルムンバとかムッソリーニとかアジェンデとかイラクのファイサル2世と同じ?
659:世界@名無史さん
10/10/24 19:21:50 0
ソ連は第二次大戦終了後、占領していたポーランド領はすんなりポーランドに返したの?
それとも、傀儡政権成立まで占領し続けてたの?
660:世界@名無史さん
10/10/24 19:31:08 0
はて? 占領というか、解放してやったというか…
661:世界@名無史さん
10/10/24 19:34:02 0
>>658
チャウシェスク処刑はアメリカの陰謀だよ。
いや、本当に謎の治安組織が民衆を殺害し、反政府組織を扇動し、
ルーマニア政権は倒れた。背後にはCIAの存在が噂されている。
南米に続いて、東欧を雨の植民地にして、その後、MD計画が推進された。
こたえは明らかだろう。
662:世界@名無史さん
10/10/24 19:45:58 0
>>661
アメリカが反ソ的なチャウシェスクを殺して何の得があるの?
もはや残忍な独裁者ってイメージはほとんどないし
イリエスクとか軍隊とか、低評価と相まってチャウシェスクを殺害した事自体に疑問が多いのは事実
少なくとも正式な裁判のもとで、法の下で処刑されたと思ってる人間はほとんどいない
ルーマニア自身の現在の評価として緩やかに高感度はアップしてる
現在のルーマニアの評価ではあれは処刑ではなく
反乱軍と軍隊が全責任をチャウシェスクに負わせた生き延びようとした政治的抹殺って評価がほぼ確定している
663:世界@名無史さん
10/10/24 19:50:08 0
質問です。
李氏朝鮮は1897年に国号を大韓帝国と改めますが、
なぜ大「朝鮮」帝国ではなく大「韓」帝国なのでしょうか?
朝鮮半島で韓の字が国号(?)に使われたのは
遠く三国以前の三韓時代までさかのぼってしまうと思うのですが、
「大韓」と名乗ることに何の意味があったのでしょう?
664:世界@名無史さん
10/10/24 19:53:40 0
>>656
まず大学は歴史を勉強する場所ではなく、歴史を研究する場所であるということを理解していますか?
歴史について書かれた本を読むのと、大学で歴史学を研究するのはまったくの別ものです。
歴史学では史料や先行研究から自分の意見・主張を考え出し、論文にまとめなければなりません。
知識を蓄えることはあくまで副次的なものです。
このことを良く考えてから入学しないと、入ったあとにきっと後悔すると思います。
それに、史学科は将来性ほぼ皆無です。大学を出たあとのことも良く考えてから決断したほうがいいと思います。
665:世界@名無史さん
10/10/24 19:56:08 0
あれだけ知識もっている山野も今無職らしいし、本当に将来性ないよな。
666:世界@名無史さん
10/10/24 20:02:46 0
>>656歴史は総合力の学問なので数学ができないと無理だと思う。
数学といっても暗算力じゃないよ。数論を知識として知ってるということ。
それと史学はまったく世の中の役に立たない。あるとしても政治家の御用学者だわな。
それでもいいというのなら史学部へどうぞ。芸術と同じ未来性の分野w
667:世界@名無史さん
10/10/24 20:03:13 0
>>663
中国から下賜された国号を敢えて避けて自立の意志を表示したのである
668:世界@名無史さん
10/10/24 20:07:58 0
東洋史スレ大荒れね。
669:世界@名無史さん
10/10/24 20:19:38 0
>>663
「朝鮮」は王朝名で国号、「韓」は地域名であり略称の役割もあります。
略称とはシナの省名や都市名を一字で表し造語に利用するもので、現在もあります。
「湖南」方言を「湘」語と言ったり、「山西」の軍閥を「晋」軍と言ったりします。
日本の略称は倭や和であり(略称以外の用途はここでは措きます)、朝鮮は韓が略称です。
かつて漢語の造語は三文字を嫌い、リズム的に二文字か四文字を好みました。
日本の「征韓論」の「征韓」は、当時の日本人の感覚では「朝鮮征伐」の略語化なのです。
さらに「論」が付いて三字になりましたが、内容的にはこれで語呂がいいのです。
さて、朝鮮が独立という運びになって大清と対等の名を付けたい、という事になり、
大を付けるかわりに略称の韓の字のほうを使ってリズムを整え語呂を良くしました。
当事者にはもう少し細かい理論づけがあったでしょうが、
言い換えとしては当時からすんなり受け入れられるものだったのです。
漢字を使わない現代の南北朝鮮人は当時の漢文の感覚を失っているため、
漢文世界における略称といった慣行が理解できず、「名前が違うのは日帝の陰謀ニダ!」と
とにかく日本のせいにしようとしますが、ヤクザ以下の無教養な言いがかりです。
670:世界@名無史さん
10/10/24 20:19:43 0
ペルシャ・中央アジアならまあ東洋史の範疇だが、
欧米史と日本史を除いたのを総称して東洋史と呼んでただけだから、近年はひとくくりにできん
大学で専攻しようってんなら、とりあえずイスラームの知識とペルシャ語は必須かな
671:世界@名無史さん
10/10/24 20:19:55 0
>>663、667
冊封関係からの自立ってやつよね。
東洋では王号は皇帝によって封じられるものだから自分も皇帝になちゃったの。
李朝期の『朝鮮』って国号も本来は明から与えられたものよ。
もう一個、国号候補があったけど忘れちゃった。
李成桂の故郷の和州だったかしら?
672:世界@名無史さん
10/10/24 20:24:35 0
>>667>>671
それだと北朝鮮が今も下賜された国号を使っている理由が不明になる。
まさか事大というわけでもあるまい
673:世界@名無史さん
10/10/24 20:28:24 0
そういえばカラコルムの漢字表記も和州よね。
朝鮮に興味ないけど元(モンゴル)大好き。
トゴン・テムルかっこいい!
674:世界@名無史さん
10/10/24 20:32:48 0
>>672
衛氏朝鮮とか古代から半島を朝鮮って伝統的に呼んるし、
地理的名称くらいの意味もあるんじゃない?
675:世界@名無史さん
10/10/24 20:33:59 0
>>664,665,666
ありがとう。
将来性ないのは分かってる。だから金が十分たまったら行きたい。
趣味・・って言っちゃ変だが。
やっぱり高校で勉強したことをもっと深く知りたい気持ちは卒業してバイト三昧の
日々を過ごしても変わらなかったから
歴史研究で著名な大学もあれば教えてください。
676:世界@名無史さん
10/10/24 20:35:36 0
>>664
>>それに、史学科は将来性ほぼ皆無です。
そりゃ、事実だけど、他の側面も紹介してあげたら?
>>656さんは真剣に質問してきてるんだし。
>>656さんはどこの県に住んでるかは知りませんが、県外に出ないと歴史学科がないのなら、いっそのこと東京に出れば?
大学が集中しているし、国内の学会や国際的な学会も東京で行われるから簡単に出席できる。
他には博物館の美術館の常設展及び、海外からの展示も充実している。
あと、私学<<<国立という認識を持たれているようだけど、
私立が国立に研究レベルで劣るということはないよ。
確かに学費が安い方がいいけどね・・・
大学入ったら、化学や数学なんて役に立たないんだし。
4年やって歴史学じゃ食えないと思うなら、民間に就職すればいい。
公務員や教員って手もある。
但し、ここのみんなが言ってるように「大学院」にだけは入らないように。
もし研究者の道を志しておられるようなら、水月照道さんの『高学歴ワーキングプア』を読んでおくことをおすすめします。
677:世界@名無史さん
10/10/24 20:40:28 0
>>672
朝鮮族(もしくは民族)の国って意味で使ってるてのが一番しっくりくるけどね。
678:世界@名無史さん
10/10/24 20:45:26 0
和寧
679:世界@名無史さん
10/10/24 20:47:37 0
>>674
「大韓」という期間は短かったのでソ連は国号を下賜するにあたり、
聞き慣れた「朝鮮」という名称しか思い浮かばなかったのでは?
680:世界@名無史さん
10/10/24 20:47:55 0
>>676
詳しくありがとう。出るなら東京だなと思ってます。
だから一人暮らしの費用もバカにならんなともorz
時給750円でバイト掛け持ちして休みなしで毎日9時間バイトしてるが
所詮バイトだからな・・。
全部返還不要の奨学金で進学出来ればよかったんだけどそこまで秀才じゃなくて。
パーにならんように興味のある本読みつつ英語のニュースサイトとか読みつつ
生活してます。まずは金貯めたい。
院生にはなれませんw
色んな話聞きたいのでレスお願いします。
681:世界@名無史さん
10/10/24 20:51:41 0
異文化異言語の国に滅ぼされた国の貴族や官吏やその他知識階級は、
どうなるんでしょうね?異教徒の国に滅ぼされた国の聖職者階級とか。
旧東ドイツの旧共産党幹部や知識階級は、専門知識を生かす場が無くなって路頭に迷ったそうですが、
中世以前ならもっと悲惨な事になったんでしょうか?
682:世界@名無史さん
10/10/24 20:54:21 0
>>678
国号候補は和州じゃなく『和寧』ね。
あとなんか違和感あるわーって思ってたら、
カラコルムって『和林』よね。
683:世界@名無史さん
10/10/24 20:58:06 0
>>681
ケースバイケースじゃないの?
ちなみにイスラームに滅ぼされたササン朝の官僚はイスラム時代でも普通に活躍してる。
ゲルマン部族国家に征服されたガリアのガロ・ローマ貴族は大土地所有者兼高位聖職者として生き残った。
684:世界@名無史さん
10/10/24 20:58:17 0
この場合「和林」は「わりん」ではなく「かりん」ね
685:世界@名無史さん
10/10/24 21:03:58 0
知識階級は貴重で、統治の道具として便利だから、反抗しなければ征服後も用いられた。
征服した土地を治め続けるには、地元の勢力を利用することが不可欠。
まあ十字軍やレコンキスタ勢は異教徒に寛容ではないが。
686:世界@名無史さん
10/10/24 21:05:05 0
>>681
東ローマ(ビザンツ)滅亡の場合、
貴族、保護からすぐに皆殺しへ、一部がイタリア亡命。
正教聖職者、捕虜・奴隷から保護へ(利用するため)。
役人、改宗組は保護、非改宗組は奴隷もしくは死。
一般の知識人、技術者は、他の庶民とかわらない扱い。
687:世界@名無史さん
10/10/24 21:06:05 0
>>674
楊雄の『方言』でも朝鮮って出てくるけど漢人のいる辺境みたいな扱いだな。
シンプルに朝鮮⇔韓で互換可能な地域名だったと考えるのがよさそう。
国号は「大」を付けるために略称の方を使った、と。
688:世界@名無史さん
10/10/24 21:09:57 0
インカやアステカの貴族や聖職者は協力した一部のぞいてスペイン人に根こそぎにされてるな。
おかげでアメリカ先住民の高度な文化と宗教はみんな消失してしまった。
689:世界@名無史さん
10/10/24 21:14:13 0
亡国のポーランド貴族たちはその教養の高さから重宝されたと聞く
690:世界@名無史さん
10/10/24 21:23:19 0
>>680
例えば、東京も北海道もおそらく家賃的にはそんなに大差ないと思います。
札幌なら4万、東京なら6万程度でしょうか。
大阪も東京と同じくらいだと思います。
私は、「東京」を経験できる方がいいと思ったので、東京を推薦したまでです。
それで月1万か2万生活費が上がっても仕方ないと思っています。
大学ですが、学歴は一生ついて回るものですので、できるだけ高い方がいいですね、常識的に。
>>680さんの現在の偏差値に合わせた大学で、例えば中央アジアやペルシャを専攻されている先生がいるところを探すといいと思います。
私学だと学費が学校ごとに変わってきますので、その点もご注意を・・・
その点は、大学一覧?でしたっけ?それに載っていると思います。
先生方の情報は大学公式HPにたいていは載っていると思います。
>奨学金
日本学生支援機構から奨学金を得る事が出来ます。
無利子の第一種と有利子の第二種があります。
無利子といえど借金ですから、注意して下さい。
第一種で月6万、第二種で最高10万程度だったはずです。
>英語
おそらく学部生でペルシャ語やアラビア語を大量に利用することはないと思います。
英語は卒業してからもいろいろな方面で役に立つと思うので、学んでおいて損はないと思います。
北京へ行っても、テヘランに行っても、共通して通じるのは英語ですから(笑)