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つぎに、前項であげたこれら中国領有説の論拠に対する反論を要約してみよう。
(1)は、『使硫球録』(一五三四)と『重編使琉球録』(一五六一)に、「古米山(久米島)からは琉球に属する」あるい
は「赤嶼(大正島)が琉球との境界」と解される文言があることから、「従ってそれまでの島は中国領である」との判
断である。が、しかし、この論拠を証拠だてるには当然、それまでの航路上にある台湾ならびに花瓶嶼、彭佳嶼など
の諸島がすべて中国領であることを前提としなければならない。ところが、清朝の古文書では、台湾が中国領になっ
たのは、この二つの古文書から約百二十年ないし百五十年後の一六八三年になってからである。さらに花瓶、彭佳
などの諸島が台湾行政編入されたのは、それから約ニ百二十年後の、日清戦争以後である。
このことから、尖閣列島が当時中国領であったという論拠は成り立たなくなる。 (2)は、林子平の『三国通覧図
説』(一七八五)の中の二つの地図に、魚釣り台と中国大陸の“色”が、同色の「赤」で描かれており、従って中国領
である、との説である。しかし、この「図説」の色別は、領土を表すものではなかった。もしこれが領土を示すとしたら、
当時はすでに中国領んあっていた台湾は、朝鮮領‘黄色)となり、旧満州(緑色)は日本領でなければならなくなる。