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薬物による幻覚症状は古代から複数存在したでしょうが、史書に記録された
のは、書き手が歴史の一部として書くべき事柄だと判断したからでしょう。
この場合、諸葛長民が非業の最期を遂げたのは、然るべき予兆あっての事で
あり、必然であったと言いたいが為に、史書に収録している。
実際に生前からこの手の話が言われていたのか、それとも死後に必然であっ
たとして話が作られたのかは分かりませんが、いずれにせよ、史書の中の設
定としては、そこに一定の意味があるとされている訳です。
前近代、少なくとも日本史も含めた東洋史における事件とは、個人の実力と
か努力によってその場で左右されるものというよりは、然るべき因縁なり天
なりによって、必然として起こったものと観念されている。
この場合、諸葛長民の死をそうした必然の観点から「やはり予兆があった」と
描写したもので、薬物中毒が実際にあったとしても、いちいち記されたので
はないという、史書の性格は考えておく必要があると思います。
中国の正史でここまではっきり記したのは珍しいと思いますが、概念自体は
特別なものではない。
史書というか史料に収録された時点で、単なる事実の記録ではなく、どんな
意図があって収録されたのかという、その史料の性質なり目的を考えないと
いけないと思います。
無視されたもの、書かれなかったものも、相応に存在する訳ですから。
ただあった内容を書かれたという、実験データではない訳です。