一次・二次史料で見かけた不気味な話at WHIS一次・二次史料で見かけた不気味な話 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト642:世界@名無史さん 11/08/11 22:39:05.91 O ネタないの? 643:世界@名無史さん 11/08/21 10:19:33.10 O 三国志魏書方技伝より 朱建平は人相見を良くし、民間にあってその予言は一再ならず的中した。 文帝が五官将だったときのこと、その御前に三十人ほどの者が集まったことがあった。 文帝は朱建平に自分の寿命を尋ね、同時にその席にいる者たち一人一人の人相をも占わせた。 朱建平がいった 「あなたさまのご寿命は八十歳ですが四十になられたときいささかご災難がございましょう。どうか気をつけて御身を守られますよう」 夏侯威に向かっていった 「あなたは四十九で州牧の位につかれますが、そのとききっとご災難がありましょう。その災いを切り抜けられればお年は七十まで、位は公輔にまで昇られることになります」 応キョに向かっていった 「あなたは六十二で常伯の位につかれますが、そのとききっとご災難がありましょう。それより一年前、あなただけが一匹の白い犬を見てほかの人には見えぬということがありましょう」 曹彪に向かっていった 「あなたは藩国をあずかられることになりますが、五十七できっと兵禍にあわれます。よろしく備えをなさいますように」 文帝は黄初七年、年四十で病気が危篤になったとき、左右に侍る者たちに向かっていった 「朱建平が八十といったのは昼と夜を別々に数えてのことだった。おれの寿命はきわまったのだ」 間もなくその言葉どおり帝は奉じた。 夏侯威はエン州刺史となったが、四十九のとしの十二月上旬に病気になった。 朱建平の言葉を思い出し、助からぬ命と思い定めてあらかじめ遺言を作って葬送の為の道具を整えて怠りなく準備させておいた。 ところが下旬になって病気は快方に向かい、ほとんど全快に近くなった。 三十日の日が西に傾くころ、役所の主だった役人たちを招いて酒席を設けていった 「おれが苦しんだ病気もようやく良くなり、明日の鶏鳴の時になれば年はもう五十だ。朱建平の戒めた時期も無事に過ごせたのだ」 酒席が終わった寝所にはいったところで病気が再発し、夜半にはそのまま亡くなった。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch