一次・二次史料で見かけた不気味な話at WHIS一次・二次史料で見かけた不気味な話 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト216:世界@名無史さん 10/12/03 22:02:59 O 晋書のはなし 南燕の慕容徳は桓玄の敗北を知ると、慕容鎮を前鋒とし慕容【金重】を大都督として歩騎二万五千を授けて出発させようとしたが病気を発した為に取り止めた。 徳はその兄の子超を長安から迎えていたが到着した。 徳の夢にその父が現れて言った 「汝は子がないのに何故超を立てて太子にしないのか。そうしなければ悪人が異心を抱くだろう」 徳は目覚めると妻に言った 「先帝が夢においてこのように告げられたからには、吾は死ぬこととなるだろう」 書を下して超を皇太子として境内に大赦を施行し、父の後を嗣いだ者の爵を二級進めた。 その月のうちに死去した。 217:世界@名無史さん 10/12/07 01:33:36 0 ↓易経を学ぶ人には有名な話。 元治元年のこと、佐久間象山は公武合体論と開国論を説くため、 一橋慶喜に招かれて上京することとなった。 象山は日頃、易占を行って行動を決していたが、今回は筮を立てようとしない。 不思議に思った弟子が尋ねても、象山はもっぱら 「易は心に惑う時にするものだ。今度のことは吉凶問うところでない」 と言うのみであったが、ついに弟子のたっての望みで占ってみた。 得た卦は、沢天夬の上爻変。易経には「无號、終有凶」とあり、 小人が泣き叫んでも遂には殺される、という明らかに最凶の卦。 しかし象山は動ぜず、駿馬を求めて京へと出立した。 途中、美濃国大垣にて知人、小原仁兵衛の邸に寄り、大いに歓談した。 その内、小原氏が象山にふと「今回は易占は立てましたか?」と問い、 象山が沢天夬の上爻変を得たことを告げると、その場で小原氏は黙してしまった。 小原邸を発して京都に上り、諸法を遊説して帰国しようとした矢先、 三条木屋町で、河上彦斎等の手にかかり暗殺された。 出典は象山の門弟で後の外務書記官、北澤正誠の談話を 高島嘉右衛門が聞きとったものらしい。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch