世界史なんでも質問スレッド78at WHIS
世界史なんでも質問スレッド78 - 暇つぶし2ch196:世界@名無史さん
10/08/19 21:16:40 0
ローマでは宦官を使っていたし、その後継国家であるビザンツも宦官を使っていました。
ローマの旧支配地域である北アフリカや中近東でも宦官を使っていました。
それなのに、なぜ西ヨーロッパだけがローマの旧支配地域なのに宦官を使わなかったのでしょうか?

197:世界@名無史さん
10/08/19 21:30:01 0
宦官というのはその必要性より多分に伝統に拠る風習で、
西方世界はそれを継承しなかったというだけだ

198:世界@名無史さん
10/08/19 21:54:59 0
地中海世界で宦官を使うようになったのは、ローマではなくてオリエントの影響。
もともと遊牧民が家畜の去勢技術を人間にも応用したもので、ペルシアやスキタイ、アラブなどで広く行われていた。
エジプトで宦官が使われたのはプトレマイオス朝以後で、ローマでもカエサルの頃はまだ宦官は珍しかったという。
さらに辺境のケルトやゲルマンでは、そもそも宦官を使う文化がなかったようだ。

199:世界@名無史さん
10/08/19 23:25:12 0
松風や赤兎なんかがスゲー馬としてよく聞きますがこういうスゲー馬ってほかにどんなのがいますか?

200:世界@名無史さん
10/08/19 23:31:17 0
>>199
項羽の愛馬『騅(すい)』辞世の句にも出てたと思う

wikiにこう言うのが有ったよ
名馬一覧 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

201:世界@名無史さん
10/08/19 23:37:53 0
>>199
穆王八駿。古代中国周王朝の穆王は八頭の駿馬を持っていたという。
土を踏まないほど速く走れる「絶地(ぜっち)」、鳥を追い越せる「翻羽(ほんう)」、一夜で5000kmを走る
「奔霄(ほんしょう)」、自分の影を追い越す事が出来る「越影(えつえい)」、光よりも速く走れる
「踰輝(ゆき)」と「超光(ちょうこう)」、雲に乗って走れる「謄霧(とうむ)」、翼ある馬「挟翼(きょうよく)」。
伝説によると穆王はこれら八頭の引く馬車で中国全土を回ったという。

202:世界@名無史さん
10/08/20 09:00:01 0
>>192
仮に王様の一粒種の息子が王位を継いでも、王族のお妃がついていなければ簒奪者扱い。
父系が代わると王朝交代のようだけれど、お妃が前王朝のお姫様ならばすんなりと王様と
認められて政権移行している。
ってことが何千年も伝統になっていたということは、やっぱり、女系継承だろ。

203:世界@名無史さん
10/08/20 09:11:03 0
>>181
チムール帝国。
ジンギスカン裔のハーン(王)を立てて、王家との婚姻を許された家柄の貴族という権威を
まとって実力を行使。


204:世界@名無史さん
10/08/20 10:37:26 0
外戚ちゃー外戚だが娘婿だな…

205:世界@名無史さん
10/08/20 16:35:38 0
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
「朝鮮国、権署国事、臣李某」から始まり、「国事をかりに処理する臣下の李」云々
ソース頼む
ハワイ大学図書館
URLリンク(library.manoa.hawaii.edu)
URLリンク(www.hawaii.edu)

206:世界@名無史さん
10/08/20 19:58:00 0
昔のヨーロッパの人(主に貴族?)は部屋に水をいれた桶?があってそれで手を洗ったり寝る前には局部だけを洗って
朝には仕えている部下が水をかえにくるってってきいたんだけど、その水を入れるもの(入れているもの)に名前ってあるの?

207:世界@名無史さん
10/08/20 20:39:34 0
ビデの原型か?

208:世界@名無史さん
10/08/20 20:48:05 0
摂関政治って日本独特で海外にはないのですか?

209:世界@名無史さん
10/08/20 20:59:09 0
摂政も関白も日本固有のものです

210:世界@名無史さん
10/08/20 21:20:07 0
>>208
摂政は外国にもあるけど、それを一つの一族が何世代も独占する事は稀。
ネパールであったぐらいか。

211:世界@名無史さん
10/08/20 21:23:50 0
イェニチェリはなぜ、キリスト教徒の子弟からのみ徴集されたのですか?
イスラム教徒の子弟を採用しなかったのはなぜですか?

212:世界@名無史さん
10/08/20 21:25:18 0
>>189
ヨーロッパに9条なんてないから、戦争は当たり前に政治手段、外交手段だよ。

213:世界@名無史さん
10/08/20 21:33:31 0
>>205
李氏朝鮮の建国者である李成桂は、明に冊封された高麗王を廃位して王位を簒奪し、
「権知高麗国事(高麗王の代理)」と称して明に使者を送り、その地位を承認された。
ただし国号を改めろと明に言われたため、新国号として朝鮮と和寧の二案を提出。
結局「権知朝鮮国事(朝鮮王の代理)」として冊封された。

しかし、李成桂自身は明から「朝鮮国王」としての冊封を受けることができず、次の定宗も在位2年で没したが、
三代目の太宗は明との関係を改善させ、正式に「朝鮮国王」に冊封されている。
まあ明清交替期には丙子胡乱とかあったし、朝鮮側は中華王朝に対して(国王と称するよりも)へりくだった書面を送ったのだろうが、
朝鮮国王というのが明清によって承認された対外称号で、中華皇帝の臣下であったことは確かだ。

なお高麗の建国者の王建も、当時の中華王朝である後唐に対して「権知国事」として朝貢し、高麗国王に冊封されている。
15世紀に成立した大越国の建国者も、明から「権署安南国事」に冊封されたが、在世中は安南国王の封号を受けられなかった。

214:世界@名無史さん
10/08/20 21:39:11 0
>>211
イェニチェリは当初はキリスト教徒との戦争の際の捕虜からなる奴隷の集まりだったから。

215:世界@名無史さん
10/08/20 21:39:45 0
>>211
イェニチェリはキリスト教徒ではない、
キリスト教徒の子供をイスラム教に改宗させた上で皇帝への忠誠を叩き込むんだ
皇帝の手足として洗脳し、非人間的な兵士に仕立て上げるわけだから
イスラム教徒の子供を使うわけにはいかない

216:世界@名無史さん
10/08/20 22:58:52 0
古今東西、新しい領土の有力者の子弟を連れてきて、征服者のところでそれなりの
役を付けて働かせるというのは、あたりまえの統治手段。

いくつか目的はあるけれど、一つは人質目的。イスタンブールに連れて行かれてる
息子や甥や弟なんかを案じて反乱起こしたりしにくい。
また一つは、宣伝。これから征服しようとするところへ、早々に降伏したら、そんなに
ヒドい扱いはしませんよ、元の土地も安堵しますよ、子弟は中央で出世もできますよ、
という具合に。取った支配地にも、地元の親分も従ってますよ、息子は中央で立派な
軍の中枢になって、同化が完了してますよ、本土編入済みですよ、という具合に。
もう一つは、とにかく、仲良くなること。若いうちなら仲良くなりやすい。日本の幕藩体制
の江戸参勤、妻子の江戸屋敷抑留とかは、まさにこの目的だし、ヨーロッパの植民地
支配で現地有力者の息子を宗主国側に留学させたり、支那圏でも土豪や外藩の子弟
を側用人に使うとかも、これだ。
ついでの目的として、最上位の支配者の側近は、譜代の貴族では扱いにくい。できれば、
力の有る古くからの貴族よりも、宮廷の力関係とは縁遠いところの者が良い。支那圏では
を世襲の道を断った上で使う宦官は外征時の捕虜や購入した奴隷だったし、日本なら、
側用人は旗本のなかの小身のものから抜擢だったし、ヨーロッパでも、宰相は宮廷貴族や
領地持ちではなく、下級役人から出世していたりする。

そういうのを見ると、新しい支配地の土豪の血縁者の若者を徴発して皇帝の側近や親衛隊に
育てるといのうは、別に変わったことでもなく、イェニチェリもごく当たり前の存在だ。


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