世界史なんでも質問スレッド78at WHIS
世界史なんでも質問スレッド78 - 暇つぶし2ch2:世界@名無史さん
10/08/11 00:00:15 0
世界史板住人がおすすめの本を紹介するスレ3
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3:世界@名無史さん
10/08/11 00:50:14 0
ジハードの考え方が理解できません。
宗教は平和を願うものではないのですか?
力づくで布教する、それがだめなら金を取る
という感覚がどうもわからない。

4:世界@名無史さん
10/08/11 01:07:36 0
>>3
宗教というものの性質を理解できていないと難しいかもしれない
宗教というのは、その宗徒にとっては絶対の教え。
理系で言う大統一理論にも等しい絶対の原理なわけ。
特に一神教の場合は解りやすくそうなってる。

宗教というのは営業なしでは倒産する企業と同じで、布教をその性質の中心に持っている
しかし厄介なことに、この地球上に布教の余地などというものは殆どない。
というわけで、異教徒を布教しにいくわけだ。
(ここで厄介なのは、そいつも宗教を奉じているわけだから、基督だろうがイスラムだろうが自分の教えを絶対と思って疑わない)
布教された異教徒からしてみれば、身の毛もよだつような異端話を堂々としたツラで説くのだからたまらない
異教徒同士というのは、そういう風に草の根レベルで対立しあう性質を持ってる。

国際政治的な問題もあり、それが戦争に発展することはあまりないが
ときたま、そういったナイーブな宗教関係のことに、無神経に突っ込んでくる指導者がいたり
何かの拍子で宗教対立が燃え上がることがある。
そういう時にジハードなんかが宣言されるわけだ。

5:世界@名無史さん
10/08/11 01:16:02 0
まあ、宗教徒っていうのは、誰でもそうだが、どうにも異教徒が鼻につくんだな。
特に宗教圏の中で産まれてズブズブに育った連中は。
だからどうしてもイラついて喧嘩はじめちまうのさ。

俺の死んだ母親が基督教やってて、基督式で葬式やったが
仕方なく呼んだ親戚連中は、日本だから宗教様式には拘らないのかと思いきや
ジジババどもはやっぱりしっかりと嫌悪感丸出しだったよ。
「バチがあたるぞ、こんなことして。御先祖様に……」なんぞという、阿呆のようなセリフを言う連中が
現実にかなりいた。

6:世界@名無史さん
10/08/11 01:38:57 0
基督教にこだわった母親が糞で宗教様式に拘った親戚の多くは阿呆と

7:世界@名無史さん
10/08/11 02:14:42 0
日本は単に江戸幕府の施策で儒教も仏教も世俗化してるだけ。
全然無宗教じゃない。神道も生活に密着してるし、
生活習慣で一番規制されてるのは仏教とか神道も合わさった日本型儒教。

8:世界@名無史さん
10/08/11 07:24:47 0
>>3
平和を願うからこそ、自分たちの平和を脅かす敵は力で屈服させなきゃならない
近現代ならともかく、前近代には別におかしな発想じゃない
まさか、祈ってさえいれば平和が維持できるなんて思ってないよね?

9:世界@名無史さん
10/08/11 07:29:51 0
そんな当たり前の平和構築と聖戦思想をいっしょくたにするなよ

10:世界@名無史さん
10/08/11 07:36:20 P
アメリカに負けた日本も大規模な社会改造を受けたな。
日本の側にキリスト教みたいな強固かつ頑固な精神的基盤がなかったから
まだましだったけど、戦前の文化はかなり破壊された。
にそういうものを想像できる文化だと、侵略がどんだけ怖いか

11:世界@名無史さん
10/08/11 14:20:58 0
ビスマルクはドイツを統一したくなかったって本当ですか?

12:世界@名無史さん
10/08/11 17:41:54 0
>>11
なんで・・・?
ビスマルクの行動みてたら、ドイツを統一したくなかったなんて
小沢一郎が「権力が欲しくなかった」って言うのと同じくらいアレなんだけど

13:世界@名無史さん
10/08/11 19:05:38 0
いや、ビスマルクはドイツ統一はしたくないという言葉を残している

14:世界@名無史さん
10/08/11 19:51:09 0
>>13
その証拠は?

15:世界@名無史さん
10/08/11 19:56:26 P
あと文脈だな。征服欲丸出しにしていい場所といけない場所がある

16:世界@名無史さん
10/08/11 20:57:01 0
>>10
>>にそういうものを想像できる文化だと、侵略がどんだけ怖いか

最後の一文がよくわからん。

17:世界@名無史さん
10/08/11 21:57:51 0
かつて正統カリフ時代に定められたカリフの資格に合致しない、
オスマンの君主がカリフ号を称して、
それをイスラム世界が認めたのでしょうか?

18:世界@名無史さん
10/08/11 21:59:38 0
認めた。

19:世界@名無史さん
10/08/11 22:04:02 0
日本の天皇をムスリムに改宗させてカリフにしよう、なんて馬鹿みたいな話もあったらしいぞ。
酒、もといコーヒー飲んでハイになった男たちの戯言だろうが

20:世界@名無史さん
10/08/11 22:21:58 0
やがてこころはぁ うっきうっき!

21:世界@名無史さん
10/08/11 22:24:59 0
ウズベキスタンなんか酒呑むやつ多いけどな

22:世界@名無史さん
10/08/11 22:26:27 0
ビスマルクはオーストリア併合を目標とはしなかった。
そういうことだろ。


23:世界@名無史さん
10/08/11 22:35:01 0
オーストリア併合は、その他のドイツ諸侯すべてを武力で併合するより難しいだろうからな。
ビスマルクがドイツを統一したく無かったと言うのは、
オーストリアを含めた大ドイツ主義を志向しなかったって程度に考えればいいんじゃね?

24:世界@名無史さん
10/08/11 22:36:01 0
オーストリアも含めたドイツ統一国家をめざす大ドイツ主義
オーストリアは除外したプロイセン中心の統一を目指す小ドイツ主義。
ビスマルクは後者であった。

25:世界@名無史さん
10/08/11 22:40:21 0
清仏戦争のころのフランス国内ってどうなってたんですか?

26:世界@名無史さん
10/08/11 22:48:19 0
どうなってたって?


27:世界@名無史さん
10/08/11 23:09:34 0
普仏戦争後なんとか第三共和政として復興するが、アルザス・ロレーヌ地方を喪失
共和国政府はブルジョワや右翼・左翼の寄り合い所帯で、野党の王党派やボナパルティストもまとまりを欠く
1882年には金融恐慌が起き、工業生産は米独に抜かれて世界第4位に転落
外交面ではビスマルク体制により国際的に孤立し、特に英独と対立を深める

かようによろよろしつつも一応列強ではあり、アジア・アフリカに植民地を拡大していったが
清仏戦争ではかなり苦戦したため、首相が引責辞任したり反政府運動が起きたりとしばらく混乱した
右派は欧州でドイツに復讐しろといい、左派は軍事費増大が国民に負担を強いると非難した

28:世界@名無史さん
10/08/11 23:23:36 0
>>27
ありがとうございます。
国内混乱してたのに戦争はできたんですね。

29:世界@名無史さん
10/08/12 00:19:35 0
むしろ国内をまとめるために対外戦争してるような

30:世界@名無史さん
10/08/12 00:53:47 0
>>10
文化的な破壊は明治維新ですでにやってるだろ

たとえば、その当時は日本は朝鮮文明にかなわなかったという意味で
頭に「チョン負け」という印を付けさせられていたのだが、
それを法律によってはずさなければならなくなったとか

31:世界@名無史さん
10/08/12 08:48:33 0
>>17
そもそも、オスマン朝にカリフ位を委ねた(ってことになってる)アッバース朝カリフ自体がもうその頃には
たいして権威のない名目上のカリフだったわけで
たとえば、藤原家が何の力も持っていない戦国時代に、秀吉が関白を称したって、公家はともかく諸大名
や民衆は秀吉にその資格があるかどうか自体は気にしないし、気にする者がいたとしても公式にはそんな
ことは言わないさ

32:世界@名無史さん
10/08/12 09:55:04 0
>>23
ドイツという概念はいつごろからあったんですか。
単にドイツ語を話す人という意味なのかな?

カリーニングラドとか今のバルト三国、ウィーンとかも当時だと、
ドイツ人だったんですか?

33:世界@名無史さん
10/08/12 13:49:48 0
なんでスイスはドイツ統一に入らなかったのですか?

34:世界@名無史さん
10/08/12 14:01:02 0
スイスはロスチャイルドが影から暗躍してたというけどどうなのかね

35:世界@名無史さん
10/08/12 19:11:51 0
スイスには「ドイツ人」という意識がなく、神聖ローマ帝国とは法的にも絶縁していた
スイス・ドイツ語はオーストリアやバイエルンに近いアレマン系で、北ドイツ語とはかけはなれている
永世中立国宣言をしているので併合すると国際世論がうるさそうだし、
イタリア語圏やフランス語圏もドイツ帝国に入れると近代民族主義がややこしそう
ことによるとバチカンが文句つけてくるかもしれない

36:世界@名無史さん
10/08/12 21:37:27 0
チェコスロバキアが第一次世界大戦後に独立した時、
もともと民族構成的にも文化的にも異なるチェコとスロバキアが一緒にくっついて独立したのはなぜですか?

37:世界@名無史さん
10/08/12 21:42:34 0
主権国家が成立する以前と後で、領域支配にどのような差異があったのか
うまくイメージできません。


38:世界@名無史さん
10/08/12 23:27:45 0
>>36
もちろん、チェコとスロヴァキアでは、言葉や文化は若干異なるけど、どちらも西スラブ系なのでその差違は
そんなに大きいわけじゃない
それまで両国を支配してきたゲルマン系のオーストリア人との差違に比べれば、方言の違いがあるといった
程度の差でしかない
強国ひしめくヨーロッパの中で独立して生き残るには、ある程度の国力が必要だから、とりあえず協力して
一国として独立したって感じだろう
実際、それでもナチス・ドイツによって潰されたわけだからね

39:世界@名無史さん
10/08/12 23:45:30 0
ハンガリー領で生まれた「汎スラヴ主義」の残滓、「チェコスロバキア主義」の影響。

チェコ人とスロバキア人は、共に西スラヴ系でほとんど同じ言語を話していたが、
チェコ(ボヘミア)が仮にも王国を築き神聖ローマ帝国の大諸侯になったのに対し、
スロバキアは1000年に渡り「ハンガリー王国の北部地域」でしかなかった。
19世紀になってようやく「スロバキア語」「スロバキア人」という言語・民族の名称が造られたほどだ。

第一次世界大戦では、オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアやロシアなどスラヴ人の国々と戦ったが、
チェコ人やスロバキア人は帝国臣民として「同胞」のスラヴ人と戦うことになった。

その頃、民族運動の指導者にトーマシュ・マサリクという人物がいた。
彼はチェコとスロバキアの間に位置するモラヴィアの出身で、父はスロバキア人、母はチェコ人だった。
マサリクは亡命先の欧米諸国で「チェコとスロバキアの共同国家による独立」を唱え、大きな反響を呼んだ。
前線にいたチェコやスロバキアの兵はロシア軍に続々と投降し、ドイツ人やハンガリー人と戦った。
米英仏はマサリクの説得でこれを同盟軍と認め、戦後のチェコスロバキア独立を約束した。

しかし、独立してみれば「チェコスロバキア人」をあわせても国民の59%にしかならず、国内には28%ものドイツ人がいたし、
ハンガリー人やルテニア(ウクライナ)人、ユダヤ人やジプシー(ロマ)などもいた。
スロバキア人はドイツ人の半分しかおらず、チェコ人が主導権を握る政府に不満を抱いてもいた。

40:世界@名無史さん
10/08/13 11:51:12 0
>>32
答えるのはめんどくさいので、講談社現代新書「神聖ローマ帝国」を読んで自分なりの結論を見つけてくれ。
URLリンク(www.art-nomad.net)

41:世界@名無史さん
10/08/13 21:44:55 0
漢の武帝は匈奴との大戦争の果てに勝利を収めましたが、
モンゴル高原から中央アジアにまたがる版図を有し、精鋭の騎馬軍団を誇り、
長年漢を圧迫してきた大帝国匈奴がなぜ武帝の代になって敗れたのでしょうか?
匈奴が負けた要因が良く分からないのですが。

42:世界@名無史さん
10/08/13 21:53:38 0
西域の情況が明らかになり対策が立てやすくなったのと匈奴内の内紛があったから。

43:世界@名無史さん
10/08/13 22:41:11 0
>>41
武帝時代の将軍が有能だった

44:世界@名無史さん
10/08/13 23:59:10 0
ちがぁう!
武帝の頃になって初めて中国側の製鉄技術が発展して鉄の鏃の弩を主力にすることが出来るようになった。
青銅の鏃とちがって鉄鏃は匈奴の盾も鎧も突き通すんだ。
汗血馬をもとめたり衛青や霍去病といった騎兵運用にたけた将軍が採用されたのも勝因ではあったが、実際は漢の機械化歩兵が匈奴の騎兵を圧倒したのだ。
かの名将李広は歩兵軍の指揮官だったんだぞ。
日露戦争時に機関砲でコサック騎兵をなぎ倒したのとおなじだ。


45:世界@名無史さん
10/08/14 00:26:21 0
鉄の鏃が青銅を~ってのはちと眉唾だなあ
確かに鉄は硬いが、そこまでの運動エネルギーを矢に持たせるのは無理だろう
よほど薄っぺらい、銅板というより銅箔みたいな代物なら抜けるだろうが

46:世界@名無史さん
10/08/14 00:44:52 0
漢土の政治的統一と、国家財政の充実も忘れちゃいかんざき

47:世界@名無史さん
10/08/14 01:19:18 0
機械化歩兵だの機関砲だの俺様言葉で何かを語りたがる厨の文章で夏休みを実感する今日此の頃

48:世界@名無史さん
10/08/14 01:19:33 0
鉄は武帝が専売制にしてたし、銅と錫がいる青銅よりは大量生産できたんではないかな
匈奴でも鉄器は作ってたようだが、漢に比べれば人口と生産量が桁違いに少ない
そのぶんを騎兵の質でおぎなうにしても、戦争で何万も死ねば部族連合の維持が難しくなる
漢は物量作戦と衛青・霍去病の騎兵戦術に加え、西域への進出と匈奴内部への離間策でなんとか粘り勝ちしたというところ
ただお互いに国内がガタガタになったので、匈奴と漢は和平を結び通婚するようになった

弩は確かに有効射程なら盾を貫く威力があるが、それを持つ歩兵隊は騎兵より遥かに機動力が劣る
相手が真正面から突っ込んできてくれればいいが、匈奴だって騎射ぐらいしてくる
弩は再装填に時間がかかるので、その隙に攻撃されると死ぬ

49:世界@名無史さん
10/08/14 01:35:56 0
>>31
秀吉は藤原摂関家の関白太政大臣近衛前久の猶子じゃん。

50:世界@名無史さん
10/08/14 02:02:39 0
>>41
実際は大敗したが、史書を偽ったため。

51:世界@名無史さん
10/08/14 08:38:18 0
あの司馬遷がそのへんの記述を偽るとも思えないが…
劉邦が冒頓に包囲されて屈辱的講和を結んだことも、武帝が匈奴の単于を騙し討ちにしようとしたことも、
漢に都合の悪い事だろうと包み隠さず書いているぞ
そのため武帝の生前には公表できず、孫の代になってようやく流布したほどだ

52:世界@名無史さん
10/08/14 09:04:02 0
>>51
そりゃ、ストーリーの味付だから。
あんなに強い匈奴に対しても屈せず最後に大勝してリベンジを果たしました。
というふうな。

53:世界@名無史さん
10/08/14 09:13:08 0
そうすると、漢に敗北することのなかった匈奴はその後どうなったのでしょうか?

54:世界@名無史さん
10/08/14 09:13:36 0
ん?
史記に武帝時代の対匈奴戦争は書いてあったっけ?

55:世界@名無史さん
10/08/14 09:38:23 0
司馬遷が泣くぞ…

李将軍列伝、匈奴列伝、衛将軍・驃騎列伝など、同時代史料として一級品だ
ただ「孝武(武帝)本紀」は危険すぎてか削除されたらしく、封禅書の写しでしかないが

56:世界@名無史さん
10/08/14 13:35:16 0
漢帝国5000万
匈奴100万

57:世界@名無史さん
10/08/14 15:51:20 0
あんなもん匈奴の内紛に乗じて局地戦で勝っただけの事だろ
別にお互い総力戦で勝負付けたわけでもないから

58:世界@名無史さん
10/08/14 16:59:54 0
「太平洋戦争初期にドイツがアメリカに対して、対日同盟を申し込んでいた」(アメリカに断られる)と言う記事を、
小さい頃に新聞で見たような記憶があるんだけど、事実でしょうか?

59:世界@名無史さん
10/08/14 17:10:37 0
2000年前でも支那人は支那人。数量やコトの善悪評価に信憑性は無い。
史記にしても同じだ。

60:世界@名無史さん
10/08/14 19:10:03 0
国内に重税と専売制と強制徴兵制をおっかぶせて、
何十年もぶっつづけで戦争するのは総力戦とはいわんのか?

>>58
真珠湾攻撃直後の12月11日には、独伊とも対米宣戦布告してるけど

61:世界@名無史さん
10/08/14 21:30:09 0
第一次世界大戦後、セルビア王国の領域に旧オーストリア領のスロベニア、クロアチア、ボスニアを統合して、
ユーゴスラビア王国が成立しまして、第二次大戦後もユーゴスラビアの枠組みは守られたまま、
社会主義国家になりましたが、汎スラブ民族主義を掲げたはずのこの国が、
どうして内部の民族対立の絶えない国になってしまったんでしょう?
汎スラブ主義と言うのは、国民統合の理念にはなりえないものだったのでしょうか?

62:世界@名無史さん
10/08/14 21:41:26 0
東方正教会、カトリック、スンニ派イスラム教がお互いに非寛容な態度をとって
いるから汎スラブ主義など吹き飛んでしまったのでしょう。
異教徒や異端に対する聖戦なのだから、対立も正当化されるのでしょう。

63:世界@名無史さん
10/08/14 23:19:30 0
ユーゴの人口の4分の1を占めるセルビア人が幅をきかせ、他の民族に恨まれるようになったから
チトーは巧みに民族対立を回避し続けたが、彼の死後はまとまりが薄れ
ミロシェビッチがコソボ問題でアルバニア人と対立してから全てが破綻していった
スロベニアもクロアチアもボスニア・ヘルツェゴビナもマケドニアもこれに異議を唱え、セルビアは孤立した
だから最初に民族対立があったのであり、宗教は民族主義の象徴としてあとから持ち出されたにすぎない
あと、アルバニア人は言語上はスラヴ系ですらない(印欧語族のアルバニア語派)

64:世界@名無史さん
10/08/14 23:21:24 0
最初から民族対立があったなら、汎スラブ主義ってのはなんだったんだ?

65:世界@名無史さん
10/08/14 23:26:53 0
アルバニア人ってスラブ系とは所作とか習慣がなんか違うんだよなー
スラブ系の中にするとちょっとセッカチで落ち着かない印象がある。

66:世界@名無史さん
10/08/14 23:53:40 0
>>65
だから、アルバニア人はスラブ系ですらないんだってば。

67:世界@名無史さん
10/08/14 23:56:09 0
バルカンの国でアルバニア人だけが過去に国家を作った歴史がないよな。

68:世界@名無史さん
10/08/14 23:56:32 0
アレクサンダー大王ってどうして西側ではなく東側を目指したんでしょうか?

69:世界@名無史さん
10/08/15 00:04:34 0
>>68
アレクサンダーの征服戦争は、長年続いたギリシャとアケメネス朝の対立の延長上だから、
アケメネス朝と戦うために東征した。

70:世界@名無史さん
10/08/15 00:19:52 0
ユーゴスラヴ主義について
URLリンク(www.h3.dion.ne.jp)

71:58
10/08/15 00:37:05 0
>>60
日本が太平洋戦争初期にアメリカにたいして想像以上の打撃を与えたことで日本に脅威を感じたドイツが、
アメリカに対して(ドイツとの)講和と対日同盟をもちかけていた外交文書が見つかったという記事だったと思う。
(たぶん、ソースは共同)

他に知っている人がいないということは勘違いだったのかな

72:世界@名無史さん
10/08/15 02:27:48 0
>>61 >>64
汎スラヴ主義は19世紀半ばに発生したが、やがてロシアに主導権を握られ、
中東欧・バルカンに対する進出を正当化し、独墺土のスラヴ民族を「解放」する名目として利用された
ロシア革命で民族主義運動は否定されたが、残滓としてチェコスロバキア主義とユーゴスラヴ主義が生じる
スラヴ人全体で団結するのは難しそうだから、近場の小さな民族同士で固まって独立しようといった感じ

こうして成立した「ユーゴスラビア王国」だが、当初からセルビアとクロアチアは対立していた
他にもムスリムのアルバニア人はいるわ、マジャール人やルーマニア人もいるわで、
純粋な南スラヴ系諸民族(ユーゴスラヴ)による国家とは到底言えない、まとまりに欠ける国だった
国旗は汎スラヴ色ではあっても、それはセルビア主導の汎スラヴ主義だった

第二次大戦でこの国は枢軸国に切り刻まれされて崩壊し、各民族が相争ったのち、
チトーがパルチザンを率いて独立を勝ち取り再統合を果たす
スターリンは対ドイツのため再び汎スラヴ主義を利用し、戦後にはベオグラードで会議を開くほどだったが、
ソ連に反抗したユーゴはそこからも離脱し、各々が同等な諸民族の共和国が結びついて連邦を作るという路線を歩んだ
ちなみに旧ユーゴの国歌「スラヴ人よ」も汎スラヴ主義の象徴だが、王政廃止後から1977年までは非公式の国歌

URLリンク(www.tky.3web.ne.jp)
URLリンク(ja.wikipedia.org)

73:世界@名無史さん
10/08/15 14:54:19 0
予備校の教師の話なのですが、ロベスピエールは恐怖政治をしましたが
最初はむしろ恐怖政治に対しては反対的だったというのですが本当ですか?

74:世界@名無史さん
10/08/15 15:44:38 0
亀ですがやはりビスマルクはドイツを統一したくなかったようですよ。

URLリンク(www.youtube.com)

75:世界@名無史さん
10/08/15 17:07:11 0
>>74
予備校では強く印象付けるために誇張表現や異説を取り上げることがよくあるので、
予備校の講義をソースにするのは難しいです。

ビスマルクは武力によってドイツ統一を目指していたのは彼自身の演説からも明らかです。

76:世界@名無史さん
10/08/15 17:19:45 0
>>73
理想家の秀才にはよくあること
野に居る間は綺麗事を並べても、実際に権を握り国を動かしてみると
そのままならなさ度し難さに癇癪を起こし、あっさりと反転する

77:世界@名無史さん
10/08/15 17:36:17 0
>>74
ええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ?
ビスマルクがドイツ統一したくないなんて言ったことあるの?
どの文献に書いていあるのさw

78:世界@名無史さん
10/08/15 17:59:19 0
古代ローマとかの昔の軍隊は軍役中の性処理とかはどうしていたんでしょうか?
やはり男色とかは多かったのでしょうか?

79:世界@名無史さん
10/08/15 18:05:52 0








                           ま た 古 代 ロ ー マ か !

80:世界@名無史さん
10/08/15 18:26:28 0
軍団基地には商売目的の娼婦もいただろ
軍役中の兵士は結婚できないが愛人を持つことは多く、退役後は正式に結婚した
まあ古代ローマだからガチホモやバイも無数にいただろうけど…

81:世界@名無史さん
10/08/15 19:28:58 0
いやローマ人は基本的に男色は駄目だったんだがな
法とか宗教とかの問題でなく、生理的に
ギリシャやペルシャ文化の影響を受けてる奴は、そういうのに抵抗はなかったそうだが

82:世界@名無史さん
10/08/15 21:14:39 0
世界史上において、しばしば少数の遊牧民の国家が、
多数の農耕民の国家を圧倒することが多いのはなぜでしょう?
生産力でも人口でも上回ってて、高度な文明を持ちやすい農耕民の方が圧倒的に有利と思うのですが。

83:世界@名無史さん
10/08/15 21:28:56 0
普通、遊牧民の方が総合的に見れば数が多い。
そして打っても打っても沸いて出てくるからいつかは蹂躙される。
ただし農耕側が同化すれば解消できるから、そう長い対立はない。どうせ蹂躙といっても
金目のものを取るだけで都市そのものの支配はないし。
チンギスハーンは例外だな。

84:世界@名無史さん
10/08/15 21:59:21 0
ん?遊牧民と定住民なら、砂漠のオアシス地帯とかでない限り、
定住民の方が数がずっと多いだろ。
遊牧ではそんな大した人口養えない。

85:世界@名無史さん
10/08/15 22:13:36 0
農耕は都市内までしか増やせないから周辺の遊牧の方が数が多いだろ。
農地を拡大するためには他国の領土に手を出すか遊牧民の土地に突っ込むしかない。

86:世界@名無史さん
10/08/15 22:17:15 0
遊牧民が農耕民より人口が多いというのはありえない

農耕地域では農耕に携わる人がいないと国家が立ち行かないから動員出来る割合と期間に限界があるが、
遊牧集団は交易・略奪によって経営しているから、戦時の動員率は極めて高い。

戦争に参加できる人数について言うならば遊牧民の方が勝っていたかも知れないが、
トータルの人数は圧倒的に遊牧民が多い。

87:世界@名無史さん
10/08/15 22:19:48 0
定住民は住む土地を広げれば広げるほど農耕地が増えて人口を増やせる。
都市から離れたところに存在する農村の方が多い。
しかし、遊牧民はどんなに広い土地にいても遊牧の性質上、
家畜が草を食いつくしたら移動って生活パターンなので広い土地に住んでても、
人口は増えない。

88:世界@名無史さん
10/08/15 22:42:28 0
遊牧民も部族連合レベルになれば都市を「作る」ぞ。

遊牧民自身は周辺の広大な牧草地で生活するが、交易や農作物・手工業製品の生産拠点として、
技術者や商人、農民や奴隷を連れてきて、いい土地に定住させる。
すでに都市があればそれを軍事力や交渉で服属させればよい。
庇護下の都市は貢税を遊牧民に払い、遊牧民は見返りに都市や隊商を護衛してやる。
点在する小さな都市国家が、個々にちまい兵力を雇うよりは効率的だし、武力の傘の下で経済圏も広がる。
遊牧民側も、覇権が揺るがなければ略奪や戦争せずとも定期収入が得られる。
こういうのは紀元前のスキタイがすでにやってるし、突厥や契丹なども行った。

89:世界@名無史さん
10/08/15 22:59:54 0
>>82
正直、何度も何度も出てくる質問なんで、これの一番下でも読んでくれ。
URLリンク(mltr.ganriki.net)

90:世界@名無史さん
10/08/15 23:16:30 0
>>68
それは帝国規模の遊牧国家ならどこでもやってるんじゃ?

91:世界@名無史さん
10/08/16 04:50:15 Q
素朴な疑問なんですが、インドネシアの諸王朝はなぜオーストラリア大陸に進出しなかったんですか?
距離的にもわりと近いし、先住民もアボリジニだけで容易に占領でき、広大な領土と資源が手に入ります。
やはり、航海技術の問題でしょうか?そもそも、オーストラリア大陸の存在は知られていたのですか?

92:世界@名無史さん
10/08/16 07:38:25 0
普通に行き来はあったそうだが
インドネシアに比べたらオーストラリアなんて不毛もいいところだし、別に欲しくはないだろう

93:世界@名無史さん
10/08/16 16:16:17 0
質問です。
ヨーロッパの領主階級はいつ頃どのように形成されたんでしょうか?
臣下に手持ちの土地を少しずつ分け与える事で権力を維持していたんですか?
そうするとだんだん土地が減ってジリ貧になりそうですね。

94:世界@名無史さん
10/08/16 19:25:11 0
封建制では王が諸侯に対して領地の保護を約束し、
代わりに諸侯が忠誠を誓う、というものです。

領土を与えることはもちろんありますが、
中世において王-諸侯-騎士の階級は領地の保護に対する中世、という契約的なものに過ぎません。

95:世界@名無史さん
10/08/16 21:16:58 0
保護に対する忠誠、でした

専ら制度の維持は相互の契約関係になされていたということです

96:世界@名無史さん
10/08/16 21:32:57 0
ヨーロッパ人が来る以前の中米や南米には大帝国が形成されたのに、
中米や南米より自然環境や資源に恵まれた北米に
大帝国ができなかったのはなぜでしょう?

97:世界@名無史さん
10/08/16 21:50:34 0
北米が自然環境に恵まれている?おまえ、北米の地図見て来いよ。

98:世界@名無史さん
10/08/16 22:38:18 0
砂漠から高山から寒冷地までよりどりみどりだが、
肥沃な大平原や河川も存在するだろ。
少なくとも中南米よりは過ごしやすい。

99:世界@名無史さん
10/08/16 22:50:31 0
「帝国」とまではいえないが、北米にも多くの部族国家が存在していた。
特にミシシッピー川流域には、トウモロコシ農業や大型墳墓を特徴とする、
それなりに大きな勢力圏を持つ首長制国家が栄えていたという。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(ja.wikipedia.org)

ほかにも南西部のプエブロ文化、オハイオのアデナ文化・ホープウェル文化などがあったが、
北米先住民の文化は大きなダメージを受けており、実態の解明は考古学的調査によるほかない。

100:世界@名無史さん
10/08/16 22:51:10 P
漢字文化圏では皇后でも諡された女性は少ないようですが、
皇后に諡するというのはあまり行われないものだったんでしょうか。

101:世界@名無史さん
10/08/16 22:55:34 0
世界史の授業でも教えないし日本語で書かれたアメリカ史の本では解説されていないけど
北米(UAE)にもアデナ文化、バスケットメーカー文化などがあったよ。ミシシッピ文化では町も作られた。
確かにそれらが大帝国に発展しなかった理由は興味深い。

102:世界@名無史さん
10/08/16 22:57:01 0
大帝国になるには近隣の部族(国家)を征服して大帝国になったわけだけど、北米大陸は土地が広大過ぎて
部族の分布もまばらで侵略するまでにはいかなかったのではないかと思う。

103:世界@名無史さん
10/08/16 22:59:51 0
侵略ってサヨク思想に毒されてるな

104:世界@名無史さん
10/08/16 23:24:12 0
>>100
歴史書をちゃんと読めばわかるが、皇后や皇太后には必ず諡されている。
ただ、一般向けの書物では省略されてるだけ。

105:世界@名無史さん
10/08/17 00:58:16 0
漢代には、皇后でも諡のない女性も多い。有名な呂后にも特にない。
前漢末や後漢・魏晋では皇后にも諡がつくので、儒教の影響かもしれない。
また個人名を記すこともなく、姓氏と皇后・皇太后などの称号の上に、
配偶者である皇帝の諡を冠して記される。これは皇后に諡がある場合でも同じ。
たとえば漢の宣帝の皇后は史書では孝宣・共哀・許皇后と記す。魏の文帝の皇后は文・昭・甄皇后と文・徳・郭皇后。

諡そのものが一文字か二文字ならこれでよかったが、唐宋以後は皇帝の諡が超長くなるので、
それにあわせて皇后のも長くなってしまい、上に皇帝の諡を冠することも略された。
清の西太后の諡は、孝欽慈禧端佑康頤昭豫荘誠寿恭欽献崇煕配天興聖顕皇后という。

106:世界@名無史さん
10/08/17 01:11:21 0
呂后の諡は「高后(高皇后)」だが、これも「高祖」の皇后だからかな
光武帝に剥奪されて、文帝の生母の薄姫に贈られているが
あと日本では和風諡号だったり院号だったりで、
漢風諡号になったのは奈良時代の一時期と明治以後

107:名無し募集中。。。
10/08/17 10:01:24 O
さしものアメリカも世界恐慌の頃は
麒麟の田村も
ゲゲゲの女房もビックリの貧乏人が
あふれかえってたりしてましたか?

108:世界@名無史さん
10/08/17 11:02:51 0
>>107
どうなんだろうね。みんなリンゴを売っていたとか聞くけど良くは知らない。

109:93
10/08/17 13:44:25 0
>>94
ありがとうございました。
それぞれ所有する領地の維持を契約関係で行うということですかね。
王-諸侯-騎士と階級が分化する以前はどのような社会だったのでしょうか?
原始的な部族社会でしょうか?

110:世界@名無史さん
10/08/17 18:41:21 0
高校で世界史がどうしても覚えられません。立て横のつながりや人名・年号・細かい事件。。。
なんかコツとかありますか?

111:世界@名無史さん
10/08/17 18:47:50 0
>>1-2

112:世界@名無史さん
10/08/17 18:49:00 0
あきらめること

113:世界@名無史さん
10/08/17 18:54:54 0
>>110
ひたすら叩きこめ。教科書100回読め。

114:世界@名無史さん
10/08/17 18:59:22 0
中公の世界の歴史とか、何か歴史関係の書籍を漁ってみたら?
因果関係が分かると物語化出来てスゴく楽

115:世界@名無史さん
10/08/17 19:11:58 0
>>110
年号なんて後で良いんだよ。地域別とか国別の流れをつかむんだ。
興味の持てる人物や事件を軸にするのも良い。

116:世界@名無史さん
10/08/17 19:20:34 0
>>110
まず流れを押さえな。細かい事柄や年号はそれからでもいい。

117:世界@名無史さん
10/08/17 19:22:30 0
>>116
はげど
流れをつかめば記憶の定着がよくなると思う。年号は後からでOK

118:世界@名無史さん
10/08/17 19:23:50 0
欧州に関しては各国がキリスト教や国家制度を中心に
密接に関係してるのでそれほど苦労はしない。日本史・アジア史なら頑張れとしか。

119:世界@名無史さん
10/08/17 20:25:34 0
>>110
あなたがもし受験や試験で世界史が必要なら過去問や問題集をやってみたら?
教科書をかじりついてもそれだけでは上手くいかない。教科書をサラリと読んで
該当箇所の問題を解く。どこが抜けていてどこが入ってるかをチェックする。
試験に出る内容と傾向は大体決まっている。

120:世界@名無史さん
10/08/17 21:07:31 0
>>109
中世の封建制はゲルマンの従士制と、ローマの恩貸地制が結びついたものと言われています。
従士制は詳細は各部族・集団によってかなり変わってきますが、
支配者層が男子によって軍役奉仕のための集団を作ったものです。
恩貸地制は土地を貸与する代わりに貢納や労役を負わせるもので、
日本で言うところの寄進地系荘園に近いかもしれません。

中世以前となると、ゲルマンの社会制度は彼ら自身が移動を重ねていることもあり分からない点が多いです。
ローマは大枠では王政⇒貴族制⇒民主制⇒帝政という流れです。
原始的な部族社会、の定義が非常に難しいですが、
ローマにおいては血族よりも「ローマ市民」という非常に広い範囲で同朋意識を持っていたと思います。


121:世界@名無史さん
10/08/17 21:15:54 0
>>119
世界史が苦手だって言っている奴の問題集を解けって拷問ですか?Sなんですか?

122:世界@名無史さん
10/08/17 21:38:31 0
東部13州から出発したアメリカが、独立からわずか一世紀で西海岸までの広大な土地を獲得しちゃえたのは、
それだけ東部13州の国力が大きかったと言うことでしょうか?
東部13州はヨーロッパの先進地帯並みの経済力があったのですか?

123:世界@名無史さん
10/08/17 22:13:42 0
>>122
開拓した土地は自分の物になるんだから移民が大挙押し寄せて奪い取ったのも無理は無い。

124:世界@名無史さん
10/08/17 22:24:20 0
>>121
苦手だからこそ問題集をやるんだろ

125:世界@名無史さん
10/08/17 22:27:55 0
問題集なんてあと。まずは歴史の流れをつかむことが先。間違っているのはおまえ。

126:世界@名無史さん
10/08/17 22:31:38 0
でも知識の定着を確かめるには問題集を解かないと。

127:世界@名無史さん
10/08/17 22:35:47 0
中・高生用質問スレ Part12
スレリンク(whis板)
●☆■2011年度世界史勉強法 Part1■☆●
スレリンク(kouri板)

128:世界@名無史さん
10/08/17 22:45:34 0
知識よりも問題集よりも、流れと概念が先。
年号と知識は流れの中で画期だったことを覚えているだけだから、
それを流れの中で認識できないと全く理解が出来ない。

129:世界@名無史さん
10/08/18 03:26:00 0
>>107
あふれてました

フーバービル
URLリンク(ja.wikipedia.org)

詳しくは、夏休みを利用して、スタイベックの「怒りの葡萄」を嫁

130:世界@名無史さん
10/08/18 04:26:16 0
中世西欧の巡礼について教えて下さい。
十字軍とともに民衆の巡礼も活発化。
騎士以外にも巡礼団は貴族から農民まで雑多な身分の人々で構成され集団で旅したようですが、
封建社会の荘園で暮らす農奴は自由な移動を禁じられていたはず。
どの様な理由で巡礼に参加することができたのでしょうか?
巡礼について書かれたいくつかの本では参加者として農民、貧民、物乞い達などが、
また犯罪者が罪の代償として巡礼に出るのを命じられたこともあった、などの記述がありました。
ここで言う農民、貧民、とは自由農民や、都市の住民のことなのでしょうか?
それとも土地を離れることを許されない農奴も、巡礼に関しては特例などがあったのでしょうか?
教えて頂ければ幸いです。よろしくお願いします。

131:110
10/08/18 13:37:59 0
昨日は回答ありがとうございました。流れをつかむことが大切なのですね。ありがとうございました。

132:世界@名無史さん
10/08/18 14:48:01 0
辛亥革命に関する記録を読んでると、絶対専制君主に対する自由主義運動というよりも
異民族の支配に対する国粋主義的革命って印象が強いんですが、仮に清朝が満州族ではなく明朝みたいな
漢民族王朝だとしたら、このような革命は起きなかった可能性は強いんですか?

133:世界@名無史さん
10/08/18 15:03:18 0
起きなかった可能性は低いでしょう。
広西のチワン族も漢民族のほうに溶出しちゃっているけど
その頃の基準で考えれば、異民族なので漢民族じゃないですよ。
国粋主義的革命だったら、苗族とか西蕃まで動員できないっす。

134:世界@名無史さん
10/08/18 15:09:18 0
ただ、清が科挙廃止後の立憲制移行に手間取らなかったら、
そして親貴内閣や鉄道国有化などで郷紳層を敵に回さなかったら、
ああもあっさり支配階層から見捨てられることはなかったと思う。

135:世界@名無史さん
10/08/18 15:12:40 0
>>134 それは無い物ねだり

136:世界@名無史さん
10/08/18 15:36:49 0
軍閥にしても地主層にしても、民主主義なんて理解も共鳴もしてないのに、
帝政を惜しげもなく捨て去ったのは、なんだったんだろう?

137:世界@名無史さん
10/08/18 15:42:36 0
外圧

138:世界@名無史さん
10/08/18 15:44:16 0
天津条約(1858年)より後だから外圧はひしひしと、、

139:世界@名無史さん
10/08/18 16:25:17 0
「中華皇帝」袁世凱は漢民族?

140:世界@名無史さん
10/08/18 16:47:33 0
自称してれば、誰でも漢民族

141:世界@名無史さん
10/08/18 16:54:26 0
民族のアイデンティティを投げ捨てて他民族を名乗れれば、そりゃあ誰だってその民族になるだろ
言うのは簡単だが、それができないから民族対立やらが起こるんだ、血は関係ない

142:世界@名無史さん
10/08/18 17:01:06 0
5世紀ごろに鮮卑や羌が漢民族を自称して、もとの漢民族のことを「南蛮」と呼びはじめておるのだが。
だいたい中国人で李さんは鮮卑、胡さんは家系図上は羌だぞw

143:世界@名無史さん
10/08/18 17:02:54 0
ま、袁世凱は皇帝即位の頃既に病身だったわけで、
もし大総統として10年くらいかけて権力を盤石にしておれば
皇帝即位はなんとか受け入れられる可能性はあったと思うのだが。

144:世界@名無史さん
10/08/18 17:13:23 0
>>142
べつに鮮卑や羌族を名乗ってるわけでも文化を保持してるわけでもないし関係なくね

145:世界@名無史さん
10/08/18 17:16:02 0
後漢や三国志の時代とその後では文化が相当違ってしまっているんじゃないのか?

146:世界@名無史さん
10/08/18 17:22:56 0
いや、清朝が滅びたのは王族が満州族だったって要素がかなり強いだろう。
しかも清は歴代王朝と違って、満州族の文化を徹底的に保護して、辮髪や易服で分かるように
それを漢族に対して強制していたというおまけもついている。
辛亥革命前に孫文が駆除韃靼をスローガンにしてたことからも容易に分かるように、辛亥革命は漢民族による
反満族運動であり、>>134が指摘する、革命直前の宮廷内のゴタゴタはおまけに過ぎない。

また、蒙古・チベット・ウィグル地域では、革命直後に清朝が倒れたことを理由に独立を宣言しているから
少なくとも革命の漢族による政権回復という面が、当時の時点で認識されたことは間違いない。

こう考えると、清朝の王族が漢族だった場合には「漢族の象徴」として一定の尊敬を受けることになるだろうし
少なくとも紫禁城を追い出される羽目にはならなかったと思われる。

147:世界@名無史さん
10/08/18 17:25:44 0
満州族の郷紳っていないんですか?

148:世界@名無史さん
10/08/18 17:33:50 0
満州族の場合、はじめから「旗人」という特権階級だし、
漢人官僚のように地方の地主・有力者の出身ではなく、
北京など都市の貴族・高等遊民だから「郷紳」ではないだろう。

149:世界@名無史さん
10/08/18 17:40:18 0
モンゴルにも黒龍江にも「旗人」が多くいた
これは今の蒙古族ではないのかな!?

150:世界@名無史さん
10/08/18 17:44:50 0
>>146
朱子学中毒のやつがいるな

151:世界@名無史さん
10/08/18 17:51:12 0
「風呂に入らず小便で顔洗ったり豚の脂を全身に塗ったりしてた連中」・・・とかは日本人の俺達が言いふらす必要がないよ

152:世界@名無史さん
10/08/18 17:57:55 0
仮に漢族王朝だったとしても、創業300年近くなって国の内外にガタがくれば
誰かが「天命が移る時期だ」とか言って易姓革命(or禅譲強要)を起こす
太平天国の乱みたいな宗教反乱は漢族王朝でも起きてるし、
明は李自成に滅ぼされたんであって、清はあとから来て残存勢力を潰したまで
海外列強は兵器を輸出して革命を煽ったりするかも

153:世界@名無史さん
10/08/18 18:35:24 0
列強が革命を積極的に革命を煽動する必要はないんじゃね?
彼らとしては、半植民地状態で何でも言うことを聞いてくれる窓口が欲しいだけだから。

154:世界@名無史さん
10/08/18 18:38:48 0
>>148
時々、現代中国の都市の構成民族を見てると、湖南省とかの県に1%ぐらいの割合で
満州族がいるんだが、こういうのは郷紳化した満族の子孫じゃないのか?

155:世界@名無史さん
10/08/18 18:46:32 0
そこまで裕福ではなく屯田兵がそのまま残った感じじゃね?

156:世界@名無史さん
10/08/18 20:50:57 0
駐防八旗つーのが反乱防止のために各省にも配備されてたから、その子孫だろう

157:世界@名無史さん
10/08/18 21:02:28 0
>>154
駐防八旗の子孫が暮らす福建省の琴江満族村
URLリンク(www.youtube.com)

158:世界@名無史さん
10/08/18 21:07:12 0
>>68
ギリシャは田舎で、ローマはもっとド田舎で、エジプトやバビロニアやペルシアが先進国だったから。
当時は、バビロニアもエジプトもペルシアの属藩になっていたが。

159:世界@名無史さん
10/08/18 21:10:42 0
>>78
戦時の略奪がなくなったのは歴史的に極めて最近のことだし、古代には人的資源そのものも略奪の
対象だった。
ようするに、勝ったら強姦し放題。

160:世界@名無史さん
10/08/18 21:15:44 0
>>81
ローマ人って最初っから、ギリシャなんかよりもずっと節操の無い、なんでもありあり
ホモりまくりだったような。
ギリシャの影響もなにも、自称アイネイアスの末裔でで、ゼウスとエレクトラとアフロディーテの
末裔だろ。

161:世界@名無史さん
10/08/18 21:15:56 0
>>159
ゲルマン人は戦場に女子供を連れてって、「負けたらあたしたちどうなるの?」と泣き喚く声を支えに頑張ったらしいな。

162:世界@名無史さん
10/08/18 21:21:33 0
>>96
十分な人口が無かった。
人口密度が低いと、村落以上のもが維持できない。国を形成するには或る一定数以上の人口が必要。
或る一定数をかき集めるための領域と、国を形成した方が都合がよい人口密度のつりあうところで
一国の大きさが決まる。
人口密度が低い古代に大帝国が形成されやすいのはそういう理由。

163:世界@名無史さん
10/08/18 21:42:57 0
ジャワ島やスマトラ島を統一する王朝が長年現れず、小王国が割拠してたのはどういう事情でしょう?
あの規模の島なら、統一期と分裂期が交互に訪れててもおかしくないと思うのですが。

164:世界@名無史さん
10/08/18 22:11:43 0
>>160
ねえよ
ローマは古代地中海では珍しいホモ嫌い

165:世界@名無史さん
10/08/18 22:12:14 0
>>163
割拠して小国乱立の方が普通だよ。
面積でいうと(単位万平方キロ)、スマトラ島47、ジャワ島13。他の地域で比べると、ブリテン島22
イタリア半島25、日本38、神聖ローマ帝国の領域50。
ブリテン島はこの400年くらい王様は1人だけれど、いまだに法域は2つで、統一王朝ではないよ、
2つの国に兼任の王様が1人。
イタリア、ドイツ、日本なんかは、19世紀半ばまで、何十何百の国に分かれていた。ドイツや日本は
形式上統一王朝だけれど、各地に世襲の領主が居て、統一王朝の最上位の首長の権限が、
各地の小領主の内政権を上回ることはなかった。

166:世界@名無史さん
10/08/19 03:45:23 0
>>162
すいません、便乗で質問させてください。
おいらも何で北米に南米みたいな帝国が出来なかったか疑問でした。
北米は狩猟が主で常に移動してたから、一定の場所で国を作ることがなかった、
一方南米は農耕が主で、定住してだから国が出来たってのは
間違った解釈でしょうか?
南米に比べて北米は人口が少なかったのでしょうか?
何か理由があるのでしょうか?

167:世界@名無史さん
10/08/19 04:03:21 0
東京裁判で民間人の大川周明がA級戦犯にされたのは何故なんでしょうか?

168:世界@名無史さん
10/08/19 04:39:42 0
>>167
A級戦犯のA級というのは最悪とかいう意味ではなく
戦争犯罪類型の中のA、B、C、どの項に属すかということを表している。
A級なら戦争犯罪類型A項目戦犯ということになる。
A項というのは平和に関する罪に該当するものをいう。
大川の場合は民間の右翼活動家の中で最も影響力が強いと目されたため起訴された。

169:世界@名無史さん
10/08/19 06:31:16 0
A組、B組、C組

170:世界@名無史さん
10/08/19 06:43:19 0
>>166
あったけど進入してきた白人に知られなかったという可能性もある。

171:世界@名無史さん
10/08/19 11:02:01 0
>>166
人口そのものが少ないから、精々都市国家の散在するレベルにしかならなかった。

172:世界@名無史さん
10/08/19 12:11:44 0
非定住民だって帝国作るけどな

173:世界@名無史さん
10/08/19 12:23:58 0
ホモ・サピエンス3万年の歴史から見れば誤差の範囲内なのかな

174:世界@名無史さん
10/08/19 13:11:32 0
>>130
農民は領主の許可を得て巡礼に出かけた。
巡礼は功徳を積むことになるので
領主は自分の功徳も願って旅に出してやったのだ。

175:世界@名無史さん
10/08/19 13:35:44 0
実は自前で仏教+ゾロアスター教+シャーマニズムを混ぜ混ぜした新興宗教を作り
領内で完結させていた地域もあったりする

176:世界@名無史さん
10/08/19 14:10:38 0
革命の光が及ぶ前は暗黒の農奴制宗教国家であったチベットのことですね

177:世界@名無史さん
10/08/19 14:39:37 0
世界遺産の東巴(トンパ)教や達巴(タパ)教のことですよw

178:世界@名無史さん
10/08/19 14:51:37 0
中国は外戚が実権を握るケースが多々ありましたがこれは中国独特のこと?
日本やヨーロッパや中東などではなかったことですか?

179:世界@名無史さん
10/08/19 15:00:44 0
中国は非常に多いですけど日本も蘇我氏や藤原氏が影響力を持っていたほか
鎌倉幕府や室町幕府にも外戚の力が強くありました。
水戸徳川家 - 一橋家 - 有栖川宮家も外戚関係が強いといえますが
江戸時代の公家で財力があったのはそんなに多くないので、日本は外戚の力が弱いと感じるのでしょう。

180:世界@名無史さん
10/08/19 15:01:10 0
日本の場合は摂関政治があるじゃん

181:世界@名無史さん
10/08/19 15:37:08 0
ヨーロッパ中東や他のアジアには外戚が実権を握った例はないんですか?

182:世界@名無史さん
10/08/19 15:52:30 0
モンゴル帝国や明王朝の影響が強い地域はあるんじゃないかな?
父方と同姓の氏族とは婚姻できない原則ができた一方
母方は同姓であっても構わないので、李氏の朝鮮は何世代かは同じ氏族から繰り返しきているので
端敬王后慎氏なんていう人がでている。
《女人天下》という韓ドラがあったが従来の悪人≒端敬王后のイメージを覆す有能な女性として描かれた。

183:182
10/08/19 15:54:17 0
文定王后尹氏なんかも同じパターンだろうか?

184:世界@名無史さん
10/08/19 16:22:26 0
ムガル帝国は18世紀に入ると外戚のサイイド家に宮中を支配され、
皇帝の首がころころすげ変えられている

185:世界@名無史さん
10/08/19 16:27:23 0
アラブでも外戚が力を持つ傾向があるわな
サダムフセインの母方の一族が猟官している

186:世界@名無史さん
10/08/19 17:48:00 0
ヨーロッパは逆に外戚が勢力を伸ばすというのはないね

187:世界@名無史さん
10/08/19 17:51:59 0
ヨーロッパでは外戚は他国の王室という場合が多いので
外戚が力を持つというのはとんでもない事態になる

188:世界@名無史さん
10/08/19 18:28:30 0
>>181
うそぉん。ローマでもエジプトでも外戚が実権じゃんよ。
外戚というよりは、女方の氏族に編入という形だ。婿殿が名目上の元首。
イスラム帝国の二代目(カリフとしては初代)のアブーバクルも、その地位を手に入れたのは、
自分の娘がマホメットの“最愛の妻”だったからだろ。

189:世界@名無史さん
10/08/19 18:31:09 0
>>187
ナンチャラ継承戦争とか、薔薇戦争とか、百年戦争とか、いっぱいやってるし。

190:世界@名無史さん
10/08/19 18:50:41 0
おまえら違うよ。外戚が権力を握る政治体制って東アジア固有のものだよ。なに勘違いしているの?

191:世界@名無史さん
10/08/19 19:11:21 0
外戚って父系相続原理での王位相続をすると
明(9代)の成化帝や北元(19代)ダヤン・ハーンの時代のように現れる
ヨーロッパは双系相続原理なのと父系同族結婚okだから現れる土壌がちがう

192:世界@名無史さん
10/08/19 19:13:29 0
>>188
エジプトは女系継承だって言うけど、日本で男の子が居ない時に家名を残す為に婿を取るのとどう違うのかねぇ。
エジプトも男の子が居ればそっちが継承する様だから同じ様に見えるんだけど。

>>189
それは外戚として政治運営に口出すのと違うんじゃね?

193:世界@名無史さん
10/08/19 19:15:59 0
>>192
日本は父系の一族でないところから養子をとるので
シナの明朝や朝鮮の李朝とは違うと指摘されている

194:193
10/08/19 19:17:48 0
あっ指摘しているのは「民法学者らよって」ね。「歴史家によって」じゃないよ

195:世界@名無史さん
10/08/19 20:42:39 O
朝鮮も昔は婿取りやってたらしい。

196:世界@名無史さん
10/08/19 21:16:40 0
ローマでは宦官を使っていたし、その後継国家であるビザンツも宦官を使っていました。
ローマの旧支配地域である北アフリカや中近東でも宦官を使っていました。
それなのに、なぜ西ヨーロッパだけがローマの旧支配地域なのに宦官を使わなかったのでしょうか?

197:世界@名無史さん
10/08/19 21:30:01 0
宦官というのはその必要性より多分に伝統に拠る風習で、
西方世界はそれを継承しなかったというだけだ

198:世界@名無史さん
10/08/19 21:54:59 0
地中海世界で宦官を使うようになったのは、ローマではなくてオリエントの影響。
もともと遊牧民が家畜の去勢技術を人間にも応用したもので、ペルシアやスキタイ、アラブなどで広く行われていた。
エジプトで宦官が使われたのはプトレマイオス朝以後で、ローマでもカエサルの頃はまだ宦官は珍しかったという。
さらに辺境のケルトやゲルマンでは、そもそも宦官を使う文化がなかったようだ。

199:世界@名無史さん
10/08/19 23:25:12 0
松風や赤兎なんかがスゲー馬としてよく聞きますがこういうスゲー馬ってほかにどんなのがいますか?

200:世界@名無史さん
10/08/19 23:31:17 0
>>199
項羽の愛馬『騅(すい)』辞世の句にも出てたと思う

wikiにこう言うのが有ったよ
名馬一覧 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)

201:世界@名無史さん
10/08/19 23:37:53 0
>>199
穆王八駿。古代中国周王朝の穆王は八頭の駿馬を持っていたという。
土を踏まないほど速く走れる「絶地(ぜっち)」、鳥を追い越せる「翻羽(ほんう)」、一夜で5000kmを走る
「奔霄(ほんしょう)」、自分の影を追い越す事が出来る「越影(えつえい)」、光よりも速く走れる
「踰輝(ゆき)」と「超光(ちょうこう)」、雲に乗って走れる「謄霧(とうむ)」、翼ある馬「挟翼(きょうよく)」。
伝説によると穆王はこれら八頭の引く馬車で中国全土を回ったという。

202:世界@名無史さん
10/08/20 09:00:01 0
>>192
仮に王様の一粒種の息子が王位を継いでも、王族のお妃がついていなければ簒奪者扱い。
父系が代わると王朝交代のようだけれど、お妃が前王朝のお姫様ならばすんなりと王様と
認められて政権移行している。
ってことが何千年も伝統になっていたということは、やっぱり、女系継承だろ。

203:世界@名無史さん
10/08/20 09:11:03 0
>>181
チムール帝国。
ジンギスカン裔のハーン(王)を立てて、王家との婚姻を許された家柄の貴族という権威を
まとって実力を行使。


204:世界@名無史さん
10/08/20 10:37:26 0
外戚ちゃー外戚だが娘婿だな…

205:世界@名無史さん
10/08/20 16:35:38 0
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
「朝鮮国、権署国事、臣李某」から始まり、「国事をかりに処理する臣下の李」云々
ソース頼む
ハワイ大学図書館
URLリンク(library.manoa.hawaii.edu)
URLリンク(www.hawaii.edu)

206:世界@名無史さん
10/08/20 19:58:00 0
昔のヨーロッパの人(主に貴族?)は部屋に水をいれた桶?があってそれで手を洗ったり寝る前には局部だけを洗って
朝には仕えている部下が水をかえにくるってってきいたんだけど、その水を入れるもの(入れているもの)に名前ってあるの?

207:世界@名無史さん
10/08/20 20:39:34 0
ビデの原型か?

208:世界@名無史さん
10/08/20 20:48:05 0
摂関政治って日本独特で海外にはないのですか?

209:世界@名無史さん
10/08/20 20:59:09 0
摂政も関白も日本固有のものです

210:世界@名無史さん
10/08/20 21:20:07 0
>>208
摂政は外国にもあるけど、それを一つの一族が何世代も独占する事は稀。
ネパールであったぐらいか。

211:世界@名無史さん
10/08/20 21:23:50 0
イェニチェリはなぜ、キリスト教徒の子弟からのみ徴集されたのですか?
イスラム教徒の子弟を採用しなかったのはなぜですか?

212:世界@名無史さん
10/08/20 21:25:18 0
>>189
ヨーロッパに9条なんてないから、戦争は当たり前に政治手段、外交手段だよ。

213:世界@名無史さん
10/08/20 21:33:31 0
>>205
李氏朝鮮の建国者である李成桂は、明に冊封された高麗王を廃位して王位を簒奪し、
「権知高麗国事(高麗王の代理)」と称して明に使者を送り、その地位を承認された。
ただし国号を改めろと明に言われたため、新国号として朝鮮と和寧の二案を提出。
結局「権知朝鮮国事(朝鮮王の代理)」として冊封された。

しかし、李成桂自身は明から「朝鮮国王」としての冊封を受けることができず、次の定宗も在位2年で没したが、
三代目の太宗は明との関係を改善させ、正式に「朝鮮国王」に冊封されている。
まあ明清交替期には丙子胡乱とかあったし、朝鮮側は中華王朝に対して(国王と称するよりも)へりくだった書面を送ったのだろうが、
朝鮮国王というのが明清によって承認された対外称号で、中華皇帝の臣下であったことは確かだ。

なお高麗の建国者の王建も、当時の中華王朝である後唐に対して「権知国事」として朝貢し、高麗国王に冊封されている。
15世紀に成立した大越国の建国者も、明から「権署安南国事」に冊封されたが、在世中は安南国王の封号を受けられなかった。

214:世界@名無史さん
10/08/20 21:39:11 0
>>211
イェニチェリは当初はキリスト教徒との戦争の際の捕虜からなる奴隷の集まりだったから。

215:世界@名無史さん
10/08/20 21:39:45 0
>>211
イェニチェリはキリスト教徒ではない、
キリスト教徒の子供をイスラム教に改宗させた上で皇帝への忠誠を叩き込むんだ
皇帝の手足として洗脳し、非人間的な兵士に仕立て上げるわけだから
イスラム教徒の子供を使うわけにはいかない

216:世界@名無史さん
10/08/20 22:58:52 0
古今東西、新しい領土の有力者の子弟を連れてきて、征服者のところでそれなりの
役を付けて働かせるというのは、あたりまえの統治手段。

いくつか目的はあるけれど、一つは人質目的。イスタンブールに連れて行かれてる
息子や甥や弟なんかを案じて反乱起こしたりしにくい。
また一つは、宣伝。これから征服しようとするところへ、早々に降伏したら、そんなに
ヒドい扱いはしませんよ、元の土地も安堵しますよ、子弟は中央で出世もできますよ、
という具合に。取った支配地にも、地元の親分も従ってますよ、息子は中央で立派な
軍の中枢になって、同化が完了してますよ、本土編入済みですよ、という具合に。
もう一つは、とにかく、仲良くなること。若いうちなら仲良くなりやすい。日本の幕藩体制
の江戸参勤、妻子の江戸屋敷抑留とかは、まさにこの目的だし、ヨーロッパの植民地
支配で現地有力者の息子を宗主国側に留学させたり、支那圏でも土豪や外藩の子弟
を側用人に使うとかも、これだ。
ついでの目的として、最上位の支配者の側近は、譜代の貴族では扱いにくい。できれば、
力の有る古くからの貴族よりも、宮廷の力関係とは縁遠いところの者が良い。支那圏では
を世襲の道を断った上で使う宦官は外征時の捕虜や購入した奴隷だったし、日本なら、
側用人は旗本のなかの小身のものから抜擢だったし、ヨーロッパでも、宰相は宮廷貴族や
領地持ちではなく、下級役人から出世していたりする。

そういうのを見ると、新しい支配地の土豪の血縁者の若者を徴発して皇帝の側近や親衛隊に
育てるといのうは、別に変わったことでもなく、イェニチェリもごく当たり前の存在だ。


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