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8月6日エノラ・ゲイは二度舞った-広島原爆投下の新事実を追う
◆ 広島市、米国、原子爆弾、B29エノラ・ゲイ、飛行コース
AERA(2009/08/10), 頁:29
2009年8月3日
広島 原爆投下から64年~なぜ警戒警報は鳴らなかったのか…
URLリンク(www.tv-asahi.co.jp)
今から64年前、1945年8月6日。広島では、前夜から夜通し何度も鳴り響いた警戒・空襲警報も7時31分には
解除され、人々は生活の営みを開始した。その40分後、3機の米軍機が来襲し、8時15分、広島に原爆を落とした。
この時だけはなぜか警戒警報は鳴らなかった。世界で初めて使われた原子爆弾は人々が無防備な中、投下された。
(略
いち早く原爆の開発を行い、世界をリードしようとしていたアメリカは、その威力と効果をライバル国ソ連などに見せ
付ける必要があったという。「原爆の視覚的効果や破壊力を最大限に引き出したかった。だから(投下の際)、
工場や軍事施設、一般住宅など区別しなかった」とスタンフォード大学のバーンスタイン教授は指摘する。
エノラ・ゲイの一団3機は、テニアン島からほぼ一直線にやってきたと言われているのに、なぜ日本側の発見は
遅れたのか。雑誌AERAの長谷川煕記者は、その疑問を長年抱き続けていた。そういった中、長谷川記者は、
エノラ・ゲイが一度、広島上空を通り過ぎ、警戒警報が解かれた隙に舞い戻って来たのではないかという、原爆の
研究家の説があることを知る。
(略