06/08/25 13:15:22 0
史学には全くの門外漢です。
このスレッドの方であれば、お答え頂けるものと信じて御伺いいたします。
1.『御成敗式目』にある「宮刑」に関して教えて下さい。
この刑罰は第何条に記されているのでしょうか?
その方法は宦官の腐刑と同じような全去勢だったのですか。
それとも睾丸だけを取り去ったのでしょうか。
2.また、法然の弟子が後鳥羽院の逆鱗に触れて「羅切された後、刎首された」という史譚は、何という文献に見出されるのでしょうか?
それは何という弟子ーーー遵西ひとりだったのか複数の門弟だったのか否かを含めてーーーが男根を切断されたのですか。
3.やや異なる拷刑ですが、日蓮宗の僧侶・日親が足利義教将軍の怒りを買って数々の責め苦に遭わされたうち、「陰茎に竹串を突き刺す」という呵責は赤松満祐が考案した拷責法だったのでしょうか?
この史話に就いても出典を御存じの方々の御教示を請い願う次第です。
勝手ながら、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。