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丸亀藩主京極家は近江源氏の佐々木氏の流れを汲む、
あのバサラ大名・佐々木道誉(京極道誉)の系流だ。
要地近江の守護を張り続け、室町幕府の四職家にも
名を連ねたかなりの名門だ。戦国末期には浅井氏の下克上を
受けて没落してたが、浅井三姉妹の「初」が京極高次に
嫁入りして再興を成したようだ。
高次は没落後、本能寺後に光秀側に付いて負け、相当な窮地に
陥ってたが、妹が秀吉の側室になったことで窮地を脱したし、
その後、初との結婚もあって徳川との縁も深くなった。なので、
「ほたる大名」と言われ続けたらしいな・・。つまり、
尻の七光りということw
すべては名門の家に生まれたことが運を呼んだ。名家に生まれた
ゆえか妹は美人だった。そして秀吉の目に留まり側室に迎えられた。
ブランド好きな秀吉だったからこそ、名家の血筋は威力を発揮した。
また、名門家ゆえに「初」の嫁ぎ先にも選ばれた。遠い先祖の威徳が
兄妹の運を開いたのだった。
そして、その子孫達が今に残る丸亀城を完成させ天守を築いた。
その石垣や天守や大手門などは今も昔のまま現存して我々の
目を楽しませてくれる。素晴らしいことだ。大名庭園の中津万象園や、
野々村仁清のコレクションも有名だな。