▽▲▽三島由紀夫の社会学▼△▼at SOCIOLOGY
▽▲▽三島由紀夫の社会学▼△▼ - 暇つぶし2ch470:名無しさん@社会人
11/06/15 11:15:14.33
「僕も商売だから、かうしてお宅のガタガタの鏡台や、安物の茶ダンスの上で、歯を見せて御愛想笑ひをしてゐるが、
あなたにして上げられるのは、これだけですよ、奥さん。もしあなたがヘンな気を起して、僕の家を突然訪ねてでも
来られたら、うちの玄関番が、うやうやしくお引取りねがふほかはないでせう。何しろ僕は、ひどく忙しくて、
ひどく疲れてゐるんですからね。今は僕も独身ですが、いづれ結婚するときは、十代か二十代はじめの、ピチピチした
若いきれいな娘をもらひますよ。奥さんと僕ぢやね、年もちがひすぎるし、生活感情も何もかもちがひすぎますもの。
くれぐれも己惚れてヘンな気を起さないで下さいね。僕たちの付合はこれだけにしておきませうね」
―もちろん知的な女も、美男俳優のブロマイドを見て、心を動かされることはあるだらう。しかし彼女が一切
その意志を表明せず、ブロマイドなんかを身辺に近づけないのは、右のやうな深夜のブロマイドの独り言を、
ちやんときいてゐるからぢやないかと思はれる。知的な高尚な女は、耳がとてもよく利くのだ。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栗ぜんざい『ミーハー奥さん』」より

471:名無しさん@社会人
11/06/15 11:20:47.76
さて本題に戻つて、いはゆるミーハー奥さんは可愛らしい。彼女の耳にはそんな独り言は永遠にきこえないのである。
しかもきこえないから、暴走するかといふと、さにあらず、適当なところで止まつて、よそへ行けば亭主の
惚気を言ひ、年をとれば、それこそ孫を相手に「裕ちやんはいいね」などと言つてゐる。
ミーハー奥さんのブロマイド道楽は、女性が無意識に出してゐる小さな可愛らしい尻尾であつて、かういふ尻尾を
出してゐる女性は、無意識の美徳を持つてゐるから、永遠に可愛らしい。おばあさんになつても可愛らしい。
男性はこの尻尾に感謝すべきである。こんな尻尾のどこにも見えない知的で高尚な女こそ本当の魔物である。
しかし、男性もへんないたづらつ気を出して、奥さんのこんな無意識の尻尾を気にして、その尻尾をギュッと
引張つたりしないはうがいい。引張られた尻尾は忽ち九尾に裂け、おそるべき魔性をあらはし、目は怒り、口は裂けて、
女性の怖るべき本質をむき出しにするであらう。賢明な男とは、女をして、女の本質に目をひらかせないやうに、
いつもうまく誘導してゆくことのできる男である。

三島由紀夫「社会料理三島亭 栗ぜんざい『ミーハー奥さん』」より

472:名無しさん@社会人
11/06/22 12:14:52.31
老人と若者のちがひは簡単なことで、老人はこの世の中が変はることを知つてゐるから、しひて変へようとも
しないし、若者はこの世の中が変はらないと思ひつめてゐるから、性急に変へようと努力する。そして結局、
世の中は多少とも変はるのだが、それはじつのところ、老人が考へるやうに「自然に」変はつたのでもなければ、
若者の考へるやうに革新の力によつて変はつたのでもない。両者の力がほどほどに働いて、希望は裏切られ、
目的はそらされ、老人にとつても若者にとつても、百パーセント満足といふ結果には決してならずに、変はるのである。
こんなことをいひだすと、ひどく悟りすましたやうであるが、さういふ見方が何とかできるやうになるときに、
人は四十歳に達するのだ。そして自分は五〇パーセントだけ「自然」に属し、五〇パーセントだけ「人間の意志」に
属することを、おぼろげながら理解するやうになる。
私は四十歳に達して、とにかく、変はる見込みのないと思ふ世の中が変はるのを何度か見てきた。

三島由紀夫「文学的予言―昭和四十年代」より

473:名無しさん@社会人
11/06/22 12:15:20.60
私の年齢は昭和と同年であるから、昭和といふ時代が、妙に周期的に、十年ごとに身じろぎをして、居ずまひを
変へるのを何度か見てきた。最初の意識的な強烈な体験は、いふまでもなく昭和二十年の敗戦である。つぎに
昭和三十年の、大衆社会化への明白な兆候は、そのときはよくわからなかつたが、いまになつて考へてみれば
歴然たるものがあり、それが昭和三十九年秋のオリンピックで、絶頂に達し、同時にその使命は終はつたといふのが、
いまの私の(多少希望的観測をまじへた)判断である。もちろん大衆社会化現象はますます進行するだらうが、
知識人がそのなかに巻き込まれて、西も東もわからずうろうろする時代は、もう確実に終はつた、と私は感じる。
それにつけても思ひ出されるのは、昭和三十二年にニューヨークに滞在してゐたとき、知識階級の孤立の状況を
まざまざと感じて、まだ大衆とともに、同床異夢にふけつてゐた感のある日本の知識階級の一人として、衝撃を
受けた記憶がある。

三島由紀夫「文学的予言―昭和四十年代」より

474:名無しさん@社会人
11/06/22 12:15:54.17
あのころの日本の大衆には、まだかすかに、古い観念的な教育体系(それは主としてヨーロッパ的なもので
あるが)への、よくいへば夢やあこがれ、わるくいへばスノビズムがのこつてゐた。知識人はさういふものに
乗つかつて、仕事をしてゐればいい、といふ暗黙の了解があり、そこにまた、日本の知識階級の、誠実さもあれば
不誠実さもあつた。それがその後の八年間に完全に根絶やしになり、わけても安保闘争といふ象徴的な事件によつて、
知識人と大衆とがまつたく遊離してしまつた、といふのが、私の見方である。
(中略)アメリカで起つた現象は、必ず、三、四年後に日本にも波及するといふのは、戦後史の定石だが、知識人の
孤立までが、これほど忠実に波及するとは、私も正直考へてはゐなかつた。もつともアメリカには、その孤立を
ささへる富める芸術愛好家のスノビズムが残つてゐるけれども、日本にはそれもない。
(中略)もはや知識人の大衆への媚びは、お笑ひ草となるだけであらう。それでも媚びたいと思ふ人は、本格的な
娼婦になるほかはないであらう。もはやセミ・プロは通用しないであらう。

三島由紀夫「文学的予言―昭和四十年代」より

475:名無しさん@社会人
11/06/22 12:16:39.72
本多秋五氏の文学の「有効性の上にあるもの」をもぢつていへば「無効性の上にあるもの」を信じなければ
ならぬ時代がくるであらう。サルトルが、文学が一塊のパンに値するかどうかといふ、昔ながらの議論を
むしかへしてゐるのを思ひ出しつつ、私はたまたま「自然居士」といふ能を見てゐて、哀れな子供を人買ひから
救ひ出すために、居士が遊芸の限りをつくし、つひに人買ひを感動させて、目的を達するといふ物語に、日本で
古くから信じられてきたこの種の思想を新鮮に感じた。芸術それ自体がかうして人命を救ふといふ物語は、
厳密にいつて、ヒューマニズムとも目的意識とも縁のない、いはば遊芸が、人を感動させるといふそれ自体の原則に
忠実にしたがふことから、ゆくりなくも生まれた結果についての物語である。観客は、物語に感動する前に、
まづ人買ひとともに、居士の遊芸に感動しなければならない。そして、そこに少しでも媚びが見えたら、観客と
ともに、人買ひも感動することはないだらう。媚びとは目的意識のことである。

三島由紀夫「文学的予言―昭和四十年代」より

476:名無しさん@社会人
11/06/29 20:35:27.23
渡辺

477:名無しさん@社会人
11/06/29 22:18:43.12
多分「文芸文化」を通じて、はじめて得た外部の友人は、詩人の林富士馬氏であった。林氏によって、そう
言ってはわるいが、私ははじめて、真の文学青年の典型を知ったのである。氏はもちろん個性的な詩人で、
あたかもゴーディエの回顧録の中の人物のような浪漫派であったが、文学および文壇というものが、これほ
ど夢の糧になるものかを、私ははじめて知った。それまで母校のなまぬるい文学的雰囲気においては、文壇
とは、白樺派の作家たちの立派な客間に直結するものでしかなかった。熱に浮かされたような文学への憧憬、
佐藤春夫氏をはじめとする浪漫派作家の日常座臥の伝説化、いろんなゴシップの熱心な蒐集、食糧難の東京
における芸術家のダンディズムへのあこがれ、・・・・林氏はそういうものすべての象徴であって、氏の周
りには何人かの若い詩人が集まっていた。その中には御多分にもれず狂人もいて、みみっちいけれどもヴィ
ヴィッドな、浪漫派的な雰囲気を醸し出していた。それは母校の文学的交際ではついぞ味わったことのない
ものであった。「いいですね。・・・ね、そういうところ、佐藤さんらしくて、いいですね」というような
話し方を林氏はした。私は一人の文学者を、そういう風に肉体的にとらえる表現方法をそれまで知らなかったのである。

三島由紀夫「私の遍歴時代」より

478:名無しさん@社会人
11/06/29 22:21:47.27
次のエピソードは、実は本稿の終結点にしようと思っている一九五一年から一九五二年へかけての最初の世界
旅行よりも、もっと後の話なのであるが、私がその外国旅行からかえって数ヵ月後、すなわち一九五二年の十
月に、加藤道夫氏の「襤褸と寳石」が、俳優座によって三越劇場で上演された。
私は正直、私は加藤氏を大劇作家とも大激詩人だとも思っていないが、誇張無しにいって、戦後今までに接し
た多くの劇作家の中で、氏ほど純にして純なる、珠のごとき人柄は見たことがない。それがまた、氏をして、大
劇作家たらしめなかった主な理由であったかもしれない。
それはさておき、氏があれほど上演を待ちわびた代表作「なよたけ」さえ、文学座によって完全上演されたのは
氏の死後であり、生前の死は、いつも不満と不安におびやかされながら、ジロオドオへの至純なあこがれと宝石
のような演劇の夢を、心に抱き続けた青年であった。

三島由紀夫「私の遍歴時代」より

479:名無しさん@社会人
11/06/29 22:22:57.32
「襤褸と寳石」の初日には、芝居に関心を持つ若手文士が総見のようなぐあいに集まったが、エンタテイメントと
わざわざ銘打ったこの芝居が、一向楽しくもおかしくもないのには閉口した。そこにはっきり提示されているのは、
一人の清純な青年の傷ついた心で、これならば誰の目にもみえた。しかし作者が意図した笑いやたのしみはどうし
ても見えて来ず、むしろこの作品にエンタテイメントと銘打とうとした作者の心の、言うに言われぬいたましさだ
けが感じられるのであった。一人の傷ついた青年があらわれて、どうかみなさん笑って下さい、と言ったところで
笑うに笑えぬとはこのことである。あとあとまで忘れがたい小事件は、この初日の幕が下りたあとで起こった。

三島由紀夫「私の遍歴時代」より

480:名無しさん@社会人
11/06/29 22:26:02.61
「襤褸と寳石」の初日は、作者の親しい友が多かっただけに、却って幕間におけるみんなの態度はよそよそしく、作者
の昂奮と不安とがありありとわかるだけに、却ってしらずしらず周囲が冷たくなった。当時は今と違って、一つ一つ
の芝居の初日が念入りに祝われていたから、初日がハネると、友人知己相集まって、作者を中心にして飲みに行くこ
とが多かった。どこえ行こうかということになって、だれかが音頭をとって、有楽町の寿司屋横丁へ行ったが、同行
者の人数がだんだんふえ、向こうへついたときは、とても一軒の寿司屋には納まり切らない数になった。そこで二手
に分かれて、お向かい同士の寿司屋の二階座敷に陣取ることになり、私は作者と共に、一軒の二階へ上がった。
道を隔てた向こうの二階にも十人ほどいて、しばらく両方とも窓をあけはなし、大声で野次り合ったりして、それが
あたかも芝居の舞台装置のような感じがあり、芝居の昂奮の続きでふざけ合っていたが、あとで考えると、こんなふ
ざけ合いも、まじめな演劇論に陥ることを避けたい空気がみんなにあったからだと思われる。

三島由紀夫「私の遍歴時代」より

481:名無しさん@社会人
11/06/29 22:27:29.40
小路一つ隔てただけとはいえ、向こうのふつうの会話は聞こえない。叫べば届くという程度だ。ビールが注がれ、一同が
加藤道夫氏のために祝杯を上げたまではよかったが、そのとき、お向かいの二階の窓障子がスルスルと閉められてしまった。
これが実にスムースに左右から、芝居のように閉まったので、私はオヤオヤと思ったことを覚えている。その障子の白さが
へんにキッパリとして見えた。まだ十月だから、そんなに寒かったはずはない。みんなは期せずして加藤氏の顔を見た。
加藤氏の顔色は変わっていた。だれかが、「畜生、悪口を言おうと思って、障子を閉めやがったな」などと、わざとその場の
空気を解きほぐそうと思って言ったのが、ますますいけなかった。お向かいの障子のかげには、加藤氏のもっとも信頼する
友人たちもいたのである。私はこんなことになるまでは、加藤氏に今夜の初日の率直な意見も言おうとおもっていたのであるが
この瞬間から、言えなくなってしまった。不幸な初日の作者の心があまりにもありありとわかったからである。そこまで氏自身
がわかっているものなら、誰がそれ以上、氏の傷口に手をつっこむような真似をする必要があるだろうか。

三島由紀夫「私の遍歴時代」より


482:名無しさん@社会人
11/06/29 22:29:46.20
どんな芝居にだって、多少の取り柄はあるもので、私は「岸輝子さんの乞食婆さんの、半間外したセリフが面白かったね」
などと、長所を拾い集めて、作者をはげまそうとしたのを覚えている。そのあと、渋谷の酒場まで付き合い、そのときは
障子向こうの御連中も合流していたが、加藤氏はこの晩最後まで、一生けんめい自分を抑えようと努力しながらも快々と
してたのしまない表情を隠すことができなかった。-------------加藤氏が自殺したのは、このいたましい初日から一年後
の十二月だったが、このときの傷がその一年後にも癒えず、自殺の遠因の一つをなしたとも考えられる。このことがあって
以来、ますます私は、芝居に心中だてするものじゃない、と固く心に決めるところがあった。私などは加藤氏に較べれば、
ずっとスレッカラシの人間だが、不純は不純なりに傷つくもので、そのためには心に鎧を着なくてはならぬ。

三島由紀夫「私の遍歴時代」より


483:名無しさん@社会人
11/06/29 22:31:13.58
芝居の世界は実に魅力があるけれど、一方、おそろしい毒素を持つてゐる。自分だけは犯されまいと思つても、
いつのまにかこの毒に犯されてゐる。この世界で絶対の誠実などといふものを信じたら、えらい目に会ふのである。
或るアメリカ人が、ニューヨークで、芝居を見るのは実に好きだが、劇壇の人たちはcorrupt people(腐敗した
人たち)だからきらひだ、と言つてゐたのも、一面の真実を伝へてゐる。
しかし、煙草のニコチンと同じで、毒があるからこそ、魅力もある。こればかりは、どう仕様もない。
「御清潔で御信頼できる」などというほめ言葉は、芝居の場合、最大の悪口かもしれないのである。

三島由紀夫「私の遍歴時代」より


484:名無しさん@社会人
11/06/30 12:40:37.11
(『詩を書くのが趣味の交際相手の男性が女々しく思えて許せない』という相談者に)
 美輪明宏『文学者でも例えば三島由紀夫や中原中也なんかは男らしかった思うけれど…。
貴女ももっと本をお読みになったらどうかしら?』
 相談者『(憤然として)読んでますよ』
 美輪明宏『どんなのを読んでらっしゃるの?』
 相談者『秋元康とか』
 美輪明宏『(一瞬判らず)あきも……(ピンと来て)オホホホホホwwwww』
 相談者『?』


485:名無しさん@社会人
11/07/01 22:59:37.88
人生にはそんなに昂奮の連続もなければ、世界記録の更新もない。金メダルもなければ、群衆の歓呼もない。
手に汗にぎるスリルもなければ、英雄主義もない。
あるのは、単調なくりかへしと、小さな喜び、小さな悲しみ、小さな不愉快だけであつて、「思ひがけないこと」と
云へば、概してよくないことのはうが多い。
かういふ生活にどうやつて耐へるか、それについては、大体二つの方法がある、といふのが私の考へである。
一つは「葉隠」の武士道のやうなもので、いつも架空の危機を自ら想定し、それに向つてたえず心身を緊張させて
生きることである。緊張ばかりしてゐては疲れてしまふといふのは怠け者の考へで、弛緩こそ病気のもとで
あることはよく知られてゐる。いけないのはテレビ・プロデューサーのやうな末梢神経の緊張の連続であつて、
豹のやうに、全身的緊張を即座に用意できる生活こそ、健康な生活であることは言ふまでもない。
もう一つは、単調なくりかへしの先手を打つて、自分の自由意志で、さらにそのくりかへしを徹底させる生き方である。

三島由紀夫「秋冬随筆 歓楽果てて……」より

486:名無しさん@社会人
11/07/01 23:00:30.47
人間は孤独になればなるほど、予想外の行動に出るものであつて、「一人きりでゐるとき、人間はみんなキチガヒだ」
といふモオリヤックの言葉は、人間性を洞察した至言にちがひない。

三島由紀夫「秋冬随筆 タッチ魔」より


テレビによつて、いくらでも雑多な知識がひろく浅く供給されるから、暇のある人はテレビにしがみついてゐれば、
いくらでも知識が得られる代りに、「中国核実験」と「こんにちは赤ちゃん」をつなぐことは誰にもできず、
知識の綜合力は誰の手からも失はれてゐる。無用の知識はいくらでもふえるが、有用な知識をよりわけることは
ますますむづかしくなり、しかも忘却が次から次へとその知識を消し去つてゆく。


天空の果てまで見とほす天体望遠鏡も、暗黒星雲の向う側は見透かせないとすれば、万能らしきマス・コミと
いへども、やはりわがままな人間の心を支配できない盲点があるにちがひないのである。
三島由紀夫「秋冬随筆 無用の知識」より


文学は、どんなに夢にあふれ、又、読む人の心に夢を誘ひ出さうとも、第一歩は、必ず作者の夢が破れたところに
出発してゐる。

三島由紀夫「秋冬随筆 世界のをはり」より

487:名無しさん@社会人
11/07/11 11:15:28.65
オリンピックを大義と錯覚する心は、少なくともそのはげしい練習と、衰へゆく肉体に対するきびしい挑戦のうちに、
正に大義に近づいてゐたのだと考へるはうが親切である。一切の錯覚を知らぬ心は、大義に近づくことができない、
といふのが人間の宿命である。この贋物の大義を通じて真の大義を知つた青年の心は、栄光のどこにもない時代に
かつて栄光の味を知つてゐた。


現代は、死を正当化する価値の普遍化が周到に避けられ、そのやうな価値が注意深くばらばらに分散させられて
ゐる時代である。


私は円谷二尉の死に、自作の「林房雄論」のなかの、次のやうな一句を捧げたいと思ふ。
「純潔を誇示する者の徹底的な否定、外界と内心のすべての敵に対するほとんど自己破壊的な否定、……云ひ
うべくんば、青空と雲とによる地上の否定」
そして今では、地上の人間が何をほざかうが、円谷選手は、「青空と雲」だけに属してゐるのである。

三島由紀夫「円谷二尉の自刃」より

488:名無しさん@社会人
11/07/11 15:14:37.71



【民主党】公安、米情報機関も関心 売国菅の“北献金”、深まる闇★5


菅直人首相に対する北朝鮮絡みのスキャンダルが再び炸裂した。日本人拉致事件の
容疑者の親族が所属する政治団体の派生団体に、菅首相の資金管理団体が計6250万
円もの政治献金をしていた問題が国会で追及されたのだ。菅首相はかつて、拉致実行犯
である元死刑囚の釈放を韓国政府に求める要望書に署名したことでも知られる。献金先
の団体には公安当局や米情報機関も関心を寄せており、背後には深い闇が広がっていそ
うだ。

 「(北朝鮮による拉致事件)容疑者親族の関連団体に、多額の寄付をしている。首相
としておかしいと思わないのか。どんな関係があるのか。



スレリンク(newsplus板)
祭りは終わらない、終わりのみえないこそ祭り







489:名無しさん@社会人
11/07/17 23:24:43.36
人間性を十全に解放したらどうなるか。こはいことになるんだよ。紙くづだらけはまだしも、泥棒、強盗、強姦、
殺人……獣に立ち返る可能性を人間はいつももつてゐる。

三島由紀夫「東大を動物園にしろ 核兵器だつて使ふだらう」より


未来社会を信じない奴こそが今日の仕事をするんだよ。現在ただいましかないといふ生活をしてゐる奴が何人ゐるか。
現在ただいましかないといふのが“文化”の本当の形で、そこにしか“文化”の最終的な形はないと思ふ。
小説家にとつては今日書く一行が、テメへの全身的表現だ。明日の朝、自分は死ぬかもしれない。その覚悟なくして、
どうして今日書く一行に力がこもるかね。その一行に、自分の中に集合的無意識に連綿と続いてきた“文化”が
体を通してあらはれ、定着する。その一行に自分が“成就”する。それが“創造”といふものの、本当の意味だよ。
未来のための創造なんて、絶対に嘘だ。

三島由紀夫「東大を動物園にしろ 未来を信ずる奴はダメ」より

490:名無しさん@社会人
11/07/24 09:43:25.10
われわれが住んでゐる時代は政治が歴史を風化してゆくまれな時代である。歴史が政治を風化してゆく時代が
どこかにあつたやうに考へるのは、錯覚であり幻想であるかもしれない。しかし今世紀のそれほど、政治および
政治機構が自然力に近似してゆく姿は、ほかのどの世紀にも見出すことができない。古代には運命が、中世には
信仰が、近代には懐疑が、歴史の創造力として政治以前に存在した。ところが今では、政治以前には何ものも
存在せず、政治は自然力の代弁者であり、したがつて人間は、食あたりで床について下痢ばかりしてゐる無力な
患者のやうに、しばらく(であることを祈るが)彼自身の責任を喪失してゐる。

三島由紀夫「天の接近―八月十五日に寄す」より


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