11/01/20 16:09:46
例えばフランスでは中学生ですら哲学を学ぶが、
日本は教育現場で思想や哲学を学ばせることを避けている感すらある。
(大学の哲学科ですら、哲学すること自体よりも哲学者たちの作を洗うことに重点が置かれる)
だから日本では、思考構築および論理構築の基本であるところの、
『客観的な根拠をきちんと提出して理論を述べる』
ということが出来ない人間がたくさん育つ。(ニュースのコメント欄などを観察してみてほしい)
真実でもなく、根拠もないのに、「○○に決まってる」系の屁理屈で押し切ろうとするアホが大量発生。
無知の知じゃないが、アホはアホであることを自覚できないので、
理知的な人が根拠をもって対抗したりすると、
「そんなこと言うのは甘え」「根拠なんかなくても当たり前のこと」というようなレッテルパターンで逃げるか、
怒って屁理屈を一点張りするか、論点を(自覚なく)ずらして回避する。
悔い改めることが滅多にない。論点アレルギー、根拠アレルギーといってもいいだろう。
そこへ多数決が使われると、黒は白、白は黒にされかねない。
これでは議論が進まないのも当然だ。
話の進まない社会システムに進化などあるわけがない。日本教が長く続くわけだ。
決まった操作でフリーズするパソコンのようなものだ。