10/07/22 11:06:14 4HlEfVgE
三島:…つまり、どこかでなあなあでなれ合いで、おれはこうやっていても、おれの
偉いということは人がわかってくれているのだぞ、ということがどこかに残っているからですよ。
そんな意識は捨てたればいい。
ぼくの理解者がどこかにいて、ぼくのことを偉いと思っていたら、ぼくは偉いというふうに
すればいいじゃないですか。人が偉いと思ったら偉いと思えばいいし、人が滑稽だと
思ったら滑稽であればいいので、それについて自分は偉いとか滑稽とかいう必要は毛頭ない。
安岡君はいつも自分はクラウンだというふうに自己規定する。あれは狡いと思う。
安岡君をまじめにとっている人がいくらでもいるだろう、そういう人間に対して失礼だと思う。
読者を考えた場合に、読者に対する礼儀というものは非常に大事だと思う。読者がもし
ぼくをある一点においてまともにとってくれているなら、ある一点でまともなんですよ。
三島由紀夫
中村光夫との対談「対談・人間と文学」より
309:ナナシズム
10/08/05 12:34:10 l7vHHYmj
戦後二十二年間、私は原爆について発言しなかつた。…
第一に、原爆に関しては、体験した者と体験しない者、被曝者と被曝しなかつた者といふ二つの立場以外、
絶対ありえないからだ。これがベトナム論などと根本的に違ふ点であり、そのことを忘れた発言はすべて
ウソである。被曝しなかつた者が、いくら「おかはいさうに」と同情してみせても、そんなことで心慰められる
被曝者は一人もゐない。(中略)
広島に“新型爆弾”が投下されたとき、私は東大法学部の学生であつた。(中略)
それが原爆だと知つたのは数日後のこと、たしか教授の口を通じてだつた。世界の終りだ、と思つた。
この世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある。もつとも、原爆によつて突然発生した
といふより、私自身の中に初めから潜在したものであらうが……。
三島由紀夫「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より
310:ナナシズム
10/08/05 12:35:06 l7vHHYmj
ヒロシマ。ナチのユダヤ人虐殺。まぎれもなくそれは史上、二大虐殺行為である。だが、日本人は「過ちは
二度とくりかへしません」といつた。原爆に対する日本人の民族的憤激を正当に表現した文学は、終戦の詔勅の
「五内為ニ裂ク」といふ一節以外に、私は知らない。
そのかはり日本人は、八月十五日を転機に最大の屈辱を最大の誇りに切りかへるといふ奇妙な転換をやつてのけた。
一つはおのれの傷口を誇りにする“ヒロシマ平和運動”であり、もう一つは東京オリンピックに象徴される
工業力誇示である。だが、そのことで民族的憤激は解決したことになるだらうか。
いま、日本は工業化、都市化の道を進んでゐる。明らかに“核”をつくる文化を受入れて生きてゐる。日本は
核時代に向ふほかない。単なる被曝国として、手を汚さずに生きて行けるものではない。
三島由紀夫「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より
311:ナナシズム
10/08/05 12:36:20 l7vHHYmj
核大国は、多かれ少なかれ、良心の痛みをおさへながら核を作つてゐる。彼らは言ひわけなしに、それを
作ることができない。良心の呵責なしに作りうるのは、唯一の被曝国・日本以外にない。われわれは新しい核時代に、
輝かしい特権をもつて対処すべきではないのか。そのための新しい政治的論理を確立すべきではないのか。
日本人は、ここで民族的憤激を思ひ起すべきではないのか。
戦後二十二年間、平和はまさに米ソの核均衛の上に保たれてゐた。だか、お互ひの核ドウカツだけで均衛が
保たれたかといふと、さうは思へない。第二次大戦中、広島で原爆が使はれたといふ事実、たくさんの人が死に、
今も肉体的、精神的に苦しんでゐる人がゐるといふ事実がなかつたとしたら、観念的にいくら原爆の悲惨さが
わかつてゐても、必ず使はれたらう。人間とは本来、さういふものである。その意味でヒロシマこそが、
最大の「核抑止戦略」であつた。
三島由紀夫「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より
312:ナナシズム
10/08/05 12:37:38 l7vHHYmj
加へて、第二次大戦を転機に、世界的に被害者と加害者の逆転がおこつた。先進国が後進国に負ひ目をもち、
大国のアメリカが外ではベトナム、内では黒人問題で手をやく―といつた一連の現象である。つまり弱者が
優位に立つといふ“逆勢力均衡”なのだが、その先端を切つたのは、被害者の極、ヒロシマなのであつた。
将来、小型爆弾が使はれる可能性は、皆無ではないだらう。ベトナムのやうに、今使ふかと世界の注目を
あびてゐる地点よりも、未開の国で突如使はれるかもしれない。大国が、中程度の国をそそのかして核使用の
口実をつくることも考へられる。
だが、いちばん危険なのは、防衛力としてのABM(弾道弾迎撃ミサイル)が開発されて、攻撃力としての
ICBM(大陸間弾道弾)との均衛が成立したとき、つまり大国がICBMに対して自国の安全を守れるといふ
考へに達した時であらう。
三島由紀夫「私の中のヒロシマ―原爆の日によせて」より
313:ナナシズム
10/08/08 22:57:52 sUZSpA5V
私が望んでゐるのは、国軍を国軍たる正しい地位に置くことだけです。国軍と国民のあひだの
正しいバランスを設定することなんですよ。(中略)
私が一番疑問に思ふのは、万一いま大戦争が起つたら自衛隊全部がアメリカの指揮下に
はひるのではないかといふ危惧です。この問題については、隊内のいろんな人たちとも
話合ひました。
私の考へはかうです。政府がなすべきもつとも重要なことは、単なる安保体制の堅持、
安保条約の自然延長などではない。集団保障体制下におけるアメリカの防衛力と、
日本の自衛権の独立的な価値を、はつきりわけてPRすることである。たとへば
安保条約下においても、どういふときには集団保障体制のなかにはひる、どういふときには
自衛隊が日本を民族と国民の自力で守りぬくかといふ“限界”をはつきりさせることです。
三島由紀夫「三島帰郷兵に26の質問」より
314:ナナシズム
10/08/08 22:58:35 sUZSpA5V
私はあらゆる国家は固有の自衛権を持つてゐるといふ考へから自衛隊を合憲と見る人々の主張に
反対してゐない。しかし、本来民主国家の国民的権利に属する国防の問題を義務化することには
反対といふ観点から徴兵制度には賛成でない。若者にとつて団体生活が必要だといふ私の考へは、
徴兵反対となんら矛盾しないのである。いまの青年に自制心とか規律とかが欠けてゐるのは
事実だから。(中略)
私が望んでゐるのは国軍を国軍たる正しい地位におくこと、国軍と国民の間の正しい
バランスを設定することなのである。
三島由紀夫「青年と国防」より
315:ナナシズム
10/08/11 11:31:01 ncfUF6/5
武士的理想が途絶えた今では、金を目あてでない生き方をしてゐる人間はみなバカか
トンチキになり、金が人生の至上価値になり、又、死に方も、無意味な交通事故死でなければ、
もつとも往生際のわるい病気である癌で死ぬまで待つほかはない。
武の心持がなければ、人間は自分をいくらでも弱者と考へることができ、どんな卑怯未練な行動も
自己弁護することができ、どんな要求にも身を屈することができる。その代り、最終的に
身の安全は保証されよう。
ひとたび武を志した以上、自分の身の安全は保証されない。もはや、卑怯未練な行動は、
自分に対してもゆるされず、一か八かといふときには、戦つて死ぬか、自刃するかしか
道はないからである。しかし、そのとき、はじめて人間は美しく死ぬことができ、
立派に人生を完成することができるのであるから、つくづく人間といふものは皮肉にできてゐる。
三島由紀夫「美しい死」より
316:ナナシズム
10/08/11 11:31:16 ncfUF6/5
現代の人間が、自分の良心の力だけで自己の魂にベルトを締めることができるかどうか。
人間は、目で見えるもの、なにか形のあるものに直面することによつて魂をゆすぶられるんです。
だからカトリックの荘厳な儀式、祭服、音楽、彫刻といつたものは大切です。ヒンズーも
同様だが、生きてゐる宗教とはそんなものなんですよ。
日本文化の源流を求めりやみんな天竺へ行つてしまひますね。それは、もう、みんな
あすこにあります。
三島由紀夫「インドの印象」より
317:ナナシズム
10/08/11 11:31:30 ncfUF6/5
一切の錯覚を知らぬ心は、大義に近づくことができない、といふのが人間の宿命である。
現代は、死を正当化する価値の普遍化が周到に避けられ、そのやうな価値が注意深く
ばらばらに分散させられてゐる時代である。
私は円谷二尉の死に、自作の「林房雄論」のなかの、次のやうな一句を捧げたいと思ふ。
「純潔を誇示する者の徹底的な否定、外界と内心のすべての敵に対するほとんど
自己破壊的な否定、……云ひうべくんば、青空と雲とによる地上の否定」
そして今では、地上の人間が何をほざかうが、円谷選手は、「青空と雲」だけに属して
ゐるのである。
三島由紀夫「円谷二尉の自刃」より
318:ナナシズム
10/08/15 10:44:05 pd4shGDU
Q:あの戦争をどう呼ぶのが適切だと思ふか。
三島:大東亜戦争でいいぢやないか。歴史的事実なんだから。
太平洋戦争といふ人もあるが、私はゼッタイとらないね。日本の歴史にとつては大東亜戦争だよ。
戦争の名前くらゐ自分の国がつけたものを使つていいぢやないか。
Q:あの戦争をどう意味づけてゐるか。
三島:あの戦争の評価は、百年たたないとできないね。
いま侵略戦争だつたとかなんとかガチャガチャいつてもどうにもならん。
三島由紀夫「歴史的事実なんだ」より
Q:自衛隊が存在しなければ、日本は侵略されると思ひますか?
三島:もちろん侵略される。日本はこれまで、ただの一日でも、力に守られなかつた平和を持つたことがない。
侵略に対処するには力しかない。
三島由紀夫「これでいいのか日本の防衛」より
319:ナナシズム
10/08/16 09:45:39 N8s+PH3i
私は必ずしも栄誉大権の復活によつて「政治的天皇」が復活するとは信じません。
問題は実に簡単なことで、現在の天皇も保持してをられる文官への栄誉授与権を武官へも
横辷りさせるだけのことであり、又、自衛隊法の細則に規定されてゐるとほり、天皇は
儀仗を受けられるのが当然でありながら、一部宮内官僚の配慮によつて、それすら
忌避されてゐるのを正道に戻すだけのことではありませんか。
いはゆるシヴィリアン・コントロールとは政府が軍事に対して財布の紐を締めるといふだけの
本旨にすぎないが、私は日本古来の姿は、文化(天皇)を以て軍事に栄誉を与へつつ
これをコントロールすることであると考へます。
三島由紀夫「橋川文三への公開状」より
320:ナナシズム
10/08/16 12:27:58 N8s+PH3i
天皇は、いまそこにをられる現実所与の存在としての天皇なしには観念的なゾルレンとしての
天皇もあり得ない、(その逆もしかり)、といふふしぎな二重構造を持つてゐる。
すなはち、天皇は私が古事記について述べたやうな神人分離の時代からその二重性格を
帯びてをられたのであつた。この天皇の二重構造が何を意味するかといふと、現実所与の
存在としての天皇をいかに否定しても、ゾルレンとしての、観念的な、理想的な天皇像
といふものは歴史と伝統によつて存続し得るし、またその観念的、連続的な天皇をいかに
否定しても、そこにまた現在のやうな現実所与の存在としてのザインとしての天皇が残る
といふことの相互の繰り返しを日本の歴史が繰り返してきたと私は考へる。そして現在
われわれの前にあるのはゾルレンの要素の甚だ稀薄な天皇制なのであるが、私はこの
ゾルレンの要素の復活によつて初めて天皇が革新の原理になり得るといふことを主張して
ゐるのである。
三島由紀夫「砂漠の住人たちへの論理的弔辞」より
321:ナナシズム
10/08/16 12:49:42 N8s+PH3i
現代に政治を語る者は多い。政治的言説によつて世を渡る者の数は多い。厖大なデータを整理し、
情報を蒐集し、これを理論化体系化しようとする人は多い。しかもその悉くが、現実の
上つ面を撫でるだけの、究極的にはニヒリズムに陥るやうな、いはゆる現実主義的情勢論に
墜するのは何故だらうか。このごろ特に私の痛感するところであるが、この複雑多岐な、
矛盾にみちた苦悶の胎動をくりかへして、しかも何ものをも生まぬやうな不毛の現代社会に於て、
真に政治を語りうるものは信仰者だけではないのか? 日本もそこまで来てゐるやうに思はれる。
三島由紀夫「『占領憲法下の日本』に寄せる」より
322:政治にテロする
10/08/17 21:37:52
3:欧米駄犬男は全部コンクリ事件並にして殺す :2010/08/17(火) 21:10:21 ID:??? [ソンテチャク殺す]
374:殺したい男全部殺す :2010/08/17(火) 20:44:52 [インドネシアの黒猿全部コンクリ事件と同じ目にあわせる]
ビルダーバーク会議の男全部殺す
柔道の山下、柔道のメダル、柔道世界選手権
朝鮮様にも元寇、日清、日露、日独戦争のような偉大な戦史がほしい
友愛元年はインドネシアの糞猿、インドネシアで好き勝手に暴れまくるw ヒトラーはユダヤ人、メルケルはヒトラーの娘
ケロイドインドネシアの黒猿全員殺す 山口組の男全部殺す
醜い男全部殺す、醜い女は抱けるように整形しろ、乗っとられた飛鳥朝廷 戦国時代から奴隷の倭猿女ww
チャンコロ男コンクリ事件並にして全部殺す 藤原氏の正体 成長するため、正しい地図を手にしよう やたがらすの系譜で検索[日本人総源氏化計画で検索]
cia男全部殺す時代精神、日本を騙した悪魔、ハルノート、abc包囲網。東京男、馬関西男全部殺す、バーニング、ジャニーズの男全部殺す、ヌル山チョン男殺す 、人類の恥亀田一族全員殺す
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エラ通信 金福子殺す
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異国の豚男全部殺す 小泉売国レイプ殺人チョン一郎殺す 竹中平蔵インサイダー取引韓国人殺す 倭犬で検索 、倭猿で検索
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さてはてメモ帳
オルタナティブ通信書いてるチョン殺す
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ベンジャミンフルホード殺す
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2ちゃんねる裏の歴史
黄金の金玉
お笑いみのもんた劇場 鳥肌実 東アジア人
人間の屑ジャニーズの裏の全て 日米欧三極委員会
フリーメーソン殺す
政教分離違反ソンテチャク殺す コイルミョンきもい殺す
汚職、腐敗、賄賂、パチンコ天下りチンピラ警察官男全部殺す 百式のブログ アイヌのウィキぺディア、密入国マルハンチョン社長殺す、枕営業
323:ナナシズム
10/08/18 10:05:38 mQ/i+ys7
氏が、天皇に心をとらへられることを、単に十九世紀の制度の作つた新しい侵略主義的感情だ
といふならば、階級が感情を作るといふこの古くさい退屈な理論は、尊皇思想のみの力が
明治天皇制を形成したといふ唯心論の裏返しにすぎない。(中略)
私が特に制度の問題を論ずるに当つて、歴史的「文化的」伝統との関聨を重んじ、
このエトス=パトスに重点を置くのは、文化とは非常に高度な洗練を成立条件としつつ、
一方民族の根底的なエトス=パトスの原始性と切り離されたとたんに、その生命力を
失ふやうな繊細な花だといふ考へがあるからである。高度な宮廷文化(みやび)の保持者として
機能しつつ、民族的原質とつねに相関はつてきたものこそ天皇であり、それを措いて、
他に日本民族の最終的なアイデンティフィケーションは不可能であると私は考へる。
三島由紀夫「再び大野明男氏に―制度と『文化的』伝統」より
324:ナナシズム
10/08/18 23:31:15 mQ/i+ys7
家庭にはひりこんでくるテレビの威力の前に、子どもたちを守らうとしても、もうむだです。
よい言葉やよいしつけについては、おとなでさへ忘れてしまつてゐる時代です。何がよいことで、
何がわるいことか、子どもたちはわかりやすい簡単な基準を与へてほしがつてゐるのですが、
それを与へることのできない親たちは、子どもたちをしかる資格さへ失つてゐるのです。
ある形に結晶し完成された生活や道徳は、その安定した美しさで、別の美しさを誘ひ出します。
一つの美しさは別の美しさと照応し、一つの美しさによつて別の美しさが誘ひ出される。
これが美の法則でもあり、道徳の法則でもあります。美しさは「誘ひ出される」のです。
…遠い歴史と風土の中に咲く花であつても、小さく咲いた完全なえにしだは、日本の可憐な
夕顔の親せきになり、われわれの心に、忘れてゐた夕顔の美しさを誘ひ出すのです。
三島由紀夫「序(セギュール夫人作 松原文子・平岡瑤子訳『ちっちゃな淑女たち』)」より
325:ナナシズム
10/08/19 19:10:08 F+ySkL/6
革命には神秘主義がつきものであり、人間の心情の中で、あるパッションを呼び起こす最も
激しい内的衝動は、同時に現実打破と現実拒否の冷厳な、ある場合には冷酷きはまる精神と
同居してゐるのである。
遠くチェ・ゲバラの姿を思ひ見るまでもなく、革命家は、北一輝のやうに青年将校に裏切られ、
信頼する部下に裏切られなければならない。裏切られるといふことは、何かを改革しようと
することの、ほとんど楯の両面である。なぜならその革命の理想像を現実が絶えず
裏切つていく過程に於て、人間の裏切りは、そのやうな現実の裏切りの一つの態様に
すぎないからである。革命は厳しいビジョンと現実との争ひであるが、その争ひの過程に
身を投じた人間は、ほんたうの意味の人間の信頼と繋りといふものの夢からは、覚めて
ゐなければならないからである。一方では、信頼と同志的結合に生きた人間は、論理的指導と
戦術的指導とを退けて、自ら最も愚かな結果に陥ることをものともせず、銃を持つて
立上り、死刑場への道を真つ直ぐに歩むべきなのであつた。
三島由紀夫「北一輝論―『日本改造法案大綱』を中心として」より
326:ナナシズム
10/08/19 19:10:34 F+ySkL/6
もし、どこかに覚めてゐる者がゐなければ、人間の最も陶酔に充ちた行動、人間の最も
盲目的行動も行なはれないといふことは、文学と人間の問題について深い示唆を与へる。
その覚めてゐる人間のゐる場所がどこかにあるのだ。もし、時代が嵐に包まれ、血が嵐を呼び、
もし、世間全部が理性を没却したと見えるならば、それはどこかに理性が存在してゐることの、
これ以上はない確かな証明でしかないのである。
三島由紀夫「北一輝論―『日本改造法案大綱』を中心として」より
327:ナナシズム
10/08/21 10:57:49 c6LO1WfQ
―生、虚構(フィクション)、事実(ファクト)について。
あらゆるものがニセモノ。政治も芸術も、どこかで有効性にすがりついてゐる限り
フィクションだ。事実は死だけ。存在証明の最終的なものは死だ。焼身自殺などは事実の最高。
かうした日常性=フィクションに対して、一人の芸術家が抵抗しようとする時、死しかない。
事実としての死。主義(イデオロギー)なんか問題ぢやない。
―貴族(アリストクラット)について。
あらゆる政治形態に長短がある。貴族政治は金があり、美を鑑賞する力もある。
ブルジョアジーはそれを代行できない。共産主義、独裁は程度が低い。明治維新は
官僚革命だつた。田舎侍のストイシズムと上品でありたいといふスノビズム、それが
俗悪化を救つた。山手文化はそれだ。鴎外がその象徴である。戦後の日本の金持の趣味の悪さ。
戦前はこれほどひどくはなかつた。
三島由紀夫「壮麗なる“虚構”の展開」より
328:ナナシズム
10/08/21 10:58:12 c6LO1WfQ
―現代について。
(中略)知識人が守りたがつてゐたものは何か? 守るためには何かしなきやならない、
ことがわかつてきた。“守る行為”を今まで何と思つてきたか?
暴力が平和を、平和が暴力を守る時もある。暴力の等価性、それが紛争状態で証明された。
デモクラシーは、他の国へ入つて他の国の人を殺すこともできるのだ。ベトナム戦で
はじめて現実を知つたんぢやおそいのだ。日本人は絶対性を好む。相対的、簡易主義に
立脚してゐるデモクラシーを絶対化したところに誤りがある。
三島由紀夫「壮麗なる“虚構”の展開」より