11/10/23 13:36:55.26
>>386
例えば「石」は「石」自体で存在することができるが、「自我」はそれ自体としては存在しない。
「私」には石のような実体はない。「私」が「私」であるのは他者との関係における「私」であって、
他者との関係を切り離したところに「私」は存在しない。「私」は常に他者との関係における「私」でしかない。
別の言い方をすると、「私」にはこの世界の中での「役割」がいろいろとある。例えば「どこどこの会社の社長」
とか「父親」であるとか「男」であるとか・・・。そういう「役割」はすべて「他者との関係」を表すが、そういう「役割」
を剥いでいくと「自我」には何も残らない。
「私」には中心に「私の核」のようなものがあって、それがいろいろな役割を背負っているというのではない。
そのような「核」は存在しない。
すなわち、「自我」は役割の集合体であり、他者との関係の集合体だ。
つまり、「自我」の根拠は「自我」自体にはなく、外部との関係に支えられるしかないということだ。