11/08/14 15:09:44.24
>>261
仏教とは関係ありません。
実際、「現実」は「解釈」に先立って存在しません。
何か客観的な「現実」がまずあって、それを各自が「解釈」していると考えるのは間違っています。
「現実」は常に「解釈された現実」です。誰かの「解釈」とは無関係な無色透明な「現実」は存在しません。
例えば、この世界に「木」とか「桜の木」とか「松の木」というモノは存在しません。
それは、人間が人工的な言語で「木」「桜の木」「松の木」と切り取った結果、そういうモノが言語の世界の上で
存在しているだけです。そして、それが私たちの言う「現実」です。