悟りに近づくためにat PHILO
悟りに近づくために - 暇つぶし2ch79:考える名無しさん
11/10/03 01:26:47.85 0
>>75
認めたものと否定したものについては分かったけど、
「見えるけど実際は存在しない」ものの場合はどうなるの?

80:哲人
11/10/03 05:23:39.86 0
>>73
個人が個々の事象に対し、ただ単に気付いたこと・感づいたことを悟ったと表現する場合が有りますが、今そのような戯れ言を語り合う場では有りません。
仏教で【悟り】とは「まよいが解けて真理を会得すること。」【悟る】とは「心の迷いを去って真理を体得する」とされていますが、君の場合には真理を無視しています。
君は哲学の迷路に陥り、真理を幻想のものと捉える、自分の作った道具と一体化してしまったのですよ。

81:考える名無しさん
11/10/03 05:27:37.59 0
768 名前: 年金払えよ。 [sage] 投稿日: 2011/09/18(日) 20:20:03.49 0
>>80
ドットコムて何を生業にして暮らしているの?
もしかしてニート君?

82:哲人
11/10/03 05:41:28.63 0
>>74
>私は貴方の説明を見て、理を突き詰めて達成したことを感じ取りました。
>私は、いつの間にか知っていたことに気付いて、そこから理を組み上げます。

では、君が組み上げたと言う「理とは如何なるものか」を説明して下さい。




83:哲人
11/10/03 05:58:52.72 0
>>78
>形ないものを捉える方法だもんなぁ。オカルト扱いされやすいし。証明が難しい。
>形を与えたらそれは別物になってしまうし、突き詰めるほどそうなりやすい。

では、どうしますか?
君が、物事の理を悟ったのであれば、全てを適切に処理する智恵を産みだせます。
その智恵を使い、崩壊せずに方法を聞かせて下さい。


84:考える名無しさん
11/10/03 07:34:08.99 0
>>79,80
見える、ということはその存在を既に認識しています。それを見ようとし続ければそれはある意味での信仰であり、そのものをよりはっきりと形作ります。
実際に物質として存在することは無くても、その存在が少しづつ強まり、多くの人が捉えていくことになる。
でも、見ることにはある程度それを定める力があります。捉える人が増えるほど、捉え方が少しづつ違っていく。
そのうち、違うということは別のものではないか、となって分裂を始めたり、「そもそもそんなもの必要ない」と、見ることをやめて消えていく。
今私たちが話している対象も同じものです。
その両面を理解した上で、それが持つ性質、特性を見ていけばそれが"何"だったのか少しづつ判ってくるはずです。

>>80
定めることで、不安はある程度消えます。しかしその定まったものを壊す存在を否定できない場合、結局まだ不安を抱えてしまいます。
"定まる"という個体としての局地をやめ、"分散する"というこの否定をやめ、自由にそれを選びつつ自己を変化させてみてください。
必要次第で集め固まり強大化すればいいし、それに危険を感じれば抜け出せばいい。
何事にも対応する手段になりうるために、"心の迷い"になり得る不安は消すことが出来ます。
ある程度使っていくことで、次元の壁とでも言うようなものに突き当たります。
その時気にせず直進していっても、気がつくと元の位置に戻されてしまいます。進むだけではなく、壁を捉えて超える手段を見つけていけばいい。
個体の壁を抜けた所に、現実の物質の様々な性質をもつ世界があり、その壁を超えた所に、見えないものが見えないまま定まらない世界があります。
個体の中にも、ひとつの世界の成り立ちがあり、それらが上手く働いて個体を構成しています。
上の世界を見て新たな力を創りだそうとしてもいい、下の世界からまだ気づいていない力を見つけてきてもいい。
それらを上手く使うことで自由に主体として見る世界を選びとり、自在に自己を駆使していけるはずです。

85:考える名無しさん
11/10/03 09:17:23.37 0
要旨が意味不明。

86:考える名無しさん
11/10/03 14:24:08.77 0
>>84
>見える、ということはその存在を既に認識しています。

スマン、「見える」というのは網膜に映る画像をただ見るって意味で書いたんだけど・・・

87:考える名無しさん
11/10/03 14:31:41.57 0
日本語が不自由な長文な人がいるな。

88:考える名無しさん
11/10/03 18:48:38.10 0
今生きてる事がもうすでに悟りなんすよw


89:考える名無しさん
11/10/03 19:08:40.79 0
>>86
その場合は、貴方がモノと見なしていないだけ。
それが在ってもなくても自分に何の影響もないと感じるから。見る必要がないんですね。
再度見た時になくなっていた場合、それを見間違え、もしくは初めから無かったのだ、と感じる筈。

>>87
恥ずかしい限りです。続けることで、身につけます。

涅槃が目指す状態とありました。また、無我と無常がその手段だとも言っています。
ココからそれらを上手く使うことで、希望通りに物事を流せると感じ、その技術を完成させたのだと見ます。

しかし、それは希望以外を否定する事であり、邪魔するものを無力化する力です。
目指す理想がそれで達成を出来るんでしょう。そして必要ないものを必要ないと切り捨ててしまうのでしょう。

でもそれが効かない対象を意識しなければいけない。
それで否定した対象が、自らの生を保っていた可能性を無視してはいけない。
それでは唯の思考停止です。

そのままでは、いずれ自分が生んだ綻びが自身にまで害を及ぼします。
それを警告しています。

それらを全てうまく成り立たせる術を伝えたい、しかしその本質が"漠然"なのです。
漠然さを表すために、漠然とさせたまま表現します。そこから少しづつ形を読み取って欲しい。

>>88
有る意味正解。一番単純に言えばそれです。その奥の"真人"や、"超人"等の多彩な在り方へ至る道を示したい。

90:哲人
11/10/03 19:49:39.21 0
>>84
君が悟りを会得した、と言うのであればもう少し物事を体系的に捕らえたら如何ですか。
ああでもなければ、こうでもない、こうでもなければ、ああでもない、と君の話は悟った振りをする隠者の如くですよ。


91:考える名無しさん
11/10/03 19:51:46.04 0
>>80
まよいが解けて真理を会得するといわれて真っ先にイメージするのは死だね。
煩悩もなくただ座して骨と皮の物質となり果てたお釈迦様はすごいね。
仏教では開祖のそういった悟りを目指して結構。
彼よりさらに死の漸近線に近づく戦いは苦しいし、今や殆どの仏教は生活規範に成り下がったけども。

ただ、哲学として広く悟りを捉えてみようかな、と。真理とは死だけでない自然。
本能のまま獲物を追うチーター、馬並みのセックス、人に媚を売る犬、職場の人間関係に悩む人
どれも自然。ただ、自然淘汰され残ったものが言葉でくくられみんなに共有され「悟り」となる。
そういう意味で仏教の悟りは強く、長く残るものではある。

92:考える名無しさん
11/10/03 21:09:09.18 0
>>90
各個人が別々の世界を形作り、そこで生活をしています。その世界の広さの違いが視点の大きさや、その対象の大小等、多くの認識の差を生みます。
私が貴方に伝えられないのは、貴方の居る世界が見えないでいることが一番大きい。
それを上手く合わせていくことで、深いコミュニケーションが可能となっていきます。

貴方は自分が居る世界を、自分が認識できる範囲に閉じてしまっています。
そしてそこに引きこもっている。その外など触れるに値しないと思い込んでいる。

貴方の真理は貴方の世界の中で絶対的なものです。
しかし、それが別の世界に居る者にも当てはまるとは限りません。それを外に出て試してみてください。

きっと引きこもったまま、人が近づいてくるのを待っているだけ。
自分が相手に近づこうとしなければ、単純な会話すら成り立ちません。

93:考える名無しさん
11/10/03 21:13:37.62 0
悟りによって得られる考えとかを知ってしまっていると遠のきそうだよね
自分の場合哲学にも宗教にも殆ど前提知識なく
個人的に気になる事があって自分なりに政治思想を体系的にまとめてたら突然開けてマジびびった
でもそのせいで理解されない事が辛すぎて一時期相当精神不安定になったが

94:考える名無しさん
11/10/03 21:46:12.18 0
>>93
お仲間か先輩のヨカーン

こういうことは自分一人で考えることが多いから
一つ真理に気付いてしまってもそれが自分の世界だけでしか成り立ち得ない場合に気付きにくいね。
それが適用される世界も同時に見ていく必要があった。

私はある程度外に適用できたことで満足していたけど。世界の構成方向の多様性を今日改めて知りました。

95:考える名無しさん
11/10/03 23:33:08.33 0
悟るとか悟りが最終的な目的、目標なんですか?

96:ユーサネイジア ダニエル・カール
11/10/04 00:11:55.24 0
それでさあ

破壊光線の話だけどさあ

97:考える名無しさん
11/10/04 02:14:41.19 0
>>95
むしろ悟りを経験してからの人生のが大変だよ
劇的に変わったのに何も変わってないからな

98:哲人
11/10/04 02:30:25.78 0
>>91
>まよいが解けて真理を会得するといわれて真っ先にイメージするのは死だね。
またまたバカなことを、
【悟り】とは「理解すること。知ること。また気づくこと。感づくこと。察知。」を意味します。
〔仏〕で【悟り」とは「まよいが解けて真理を会得すること。」(広辞苑より引用)ですが、
君は何故、悟りで真っ先にイメージするのが死なのですか?

君は言葉の意味が分からなければ先ず辞書を見なさい。
そして、辞書に記されている語義に思惟を巡らすだけの知能を育てることが先決ですね。

>>92
支離滅裂。





99:考える名無しさん
11/10/04 04:03:04.07 0
>>98
おまえバカだろ、悟りを知らないものが悟りを知らない人から聞いて
悟りとは何かを記述したのがその辞書であって。
それの辞書を読んだら悟りが理解できたと思うのはバカの無能さを
証明しているようなもの。

100:考える名無しさん
11/10/04 05:23:39.23 0
>>98
知覚とはまよいであり会得するとは自然との一体化と知覚したから。
言葉も数字も道具でしかないから真理を完全に表現することはできないけども知覚を捨て縛りを捨てれば真理と一体化できる。
ただ、一体化してしまうとだるまさんのように戻れなくなるけど。

まよいさえも自然に内包されるものだと考えればあなたのように辞書の言葉だけが真理ともおもえないし、くだらないおしゃべりも、戦争も
なんでも真理になってしまう。となると悟りの中身をあーだこーだ言うのは正しくないとは言わないが「好ましくない」。
悟りは筆舌に尽くせない、語るほど遠のくのに無限の修辞を必要とする。

101:哲人
11/10/04 07:24:47.25 0
>>95
>悟るとか悟りが最終的な目的、目標なんですか?

自然界の全ては、摂理という理法に従い時を刻んでいます。
ところが、人類だけは理法に抗う非理という思考に心に大半を委ね生きています。
理法は人の心の中の理性や真理や道理や理解から知性や知能、そして知ることや知識を集め智恵を産みだすはたらきを受け持っています。

理法に対する、非理は悟性や欲望や自我などを主体として人の心を錯覚という思い違いに引き込むはたらきが有ります。
その中で、本当のことを何一つ知ることの出来ない錯覚から抜けだすために、理法の一つである真理や道理を求める行為を悟り、とか悟ると表現します。







102:考える名無しさん
11/10/04 07:30:18.07 0
自分が望むもの、自分を支える世界を作ることに躍起になっているうちに、それがないと自分を支えられなくなっているんだよ。
その世界がなくても壊れない自分を作るのを忘れてしまっているから。

103:考える名無しさん
11/10/04 07:37:04.96 0
いったん世間の常識を捨てた方がいい。ただ、捨てたままだと戻れなくなるから、捨てたあとで世間の常識がどのようなものであるのかを正しく理解し客観的に評価できるようにする。
そうすればほとんどの悩みは消滅する。僧侶が山にこもって修行するのもこの一環。常に日常生活に追われているとなかなか世間のマインドコントロールから脱却できない。

104:哲人
11/10/04 08:04:46.32 0
>>99
君は>>98を読み、その内容を理解できますか?

>君は言葉の意味が分からなければ先ず辞書を見なさい。
>そして、辞書に記されている語義に思惟を巡らすだけの知能を育てることが先決ですね。

辞書を読むだけではなく、語義に思惟を巡らすだけの知能を育てることが先決だと書いてあります。
君も私の言葉を読むだけではなく、私の言葉に思惟を巡らすだけの知能を育てなさいね。



105:考える名無しさん
11/10/04 08:07:59.04 O
え?でもそういうことじゃないんじゃ

106:哲人
11/10/04 08:12:37.89 0
>>100
>悟りは筆舌に尽くせない、語るほど遠のくのに無限の修辞を必要とする。

要するに、君は悟りについて何も知らないので何も語れないと言っているのです。


107:考える名無しさん
11/10/04 08:16:51.23 0
ここでも自分の悟りが1番、他人の悟りは間違いって言う人が多いね。
本当に悟ってたら、こんなところで自分の悟りについての見解は書かないだろうね。

108:哲人
11/10/04 08:46:24.74 0
>>103
修行で常識という煩悩を捨て去り、悟りを開いた者は一人もいません。
人の心を一つの器に例えれば、その器の底に僅かな良識を残し、残りの全ては常識で満たされています。
その常識の全てを、心の器から掻きだすことは不可能なことですし、例え常識の全てを掻きだせたとしても残るは空っぽの心だけです。

最良の方法は、人の心の底で息づく僅かな良識を育てれば、良識より比重の軽い常識は心の器からこぼれ落ち、二度と再び心に戻ることは有りません。




109:哲人
11/10/04 08:59:45.86 0
>>107
悟りに自分も他人も有りません。
【悟り】とは「理解すること。知ること。また気づくこと。感づくこと。察知。」を意味します。
〔仏〕で【悟り」とは「まよいが解けて真理を会得すること。」です。

理解とは、道理で解き明かすことですので、悟りとは道理をさとり知ると言うことです。
つまり、悟りとは道理をさとり知ることで全てを解き明かす脳のはたらきを得ることです。


110:考える名無しさん
11/10/04 11:41:23.75 0
>>107
悟りを自覚した人と、悟りにあこがれている人の差。
同じ説明を連打する奴ほど自分の思い込み(希望)を試しているだけ。

111:考える名無しさん
11/10/04 12:15:45.80 0
悟りたければバックパッカーになって海外を一人で歩きまわるのが一番手っ取り早いと思う
沢木耕太郎の本でも読んで旅しようぜ

112:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
11/10/04 12:36:40.13 O
バックパッカーは確かにいろいろ気付かされるよな。
社会構造やら自心の社会性やら。
仏教のいう悟りとは関係ないけど。


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