11/10/04 07:37:04.96 0
いったん世間の常識を捨てた方がいい。ただ、捨てたままだと戻れなくなるから、捨てたあとで世間の常識がどのようなものであるのかを正しく理解し客観的に評価できるようにする。
そうすればほとんどの悩みは消滅する。僧侶が山にこもって修行するのもこの一環。常に日常生活に追われているとなかなか世間のマインドコントロールから脱却できない。
104:哲人
11/10/04 08:04:46.32 0
>>99
君は>>98を読み、その内容を理解できますか?
>君は言葉の意味が分からなければ先ず辞書を見なさい。
>そして、辞書に記されている語義に思惟を巡らすだけの知能を育てることが先決ですね。
辞書を読むだけではなく、語義に思惟を巡らすだけの知能を育てることが先決だと書いてあります。
君も私の言葉を読むだけではなく、私の言葉に思惟を巡らすだけの知能を育てなさいね。
105:考える名無しさん
11/10/04 08:07:59.04 O
え?でもそういうことじゃないんじゃ
106:哲人
11/10/04 08:12:37.89 0
>>100
>悟りは筆舌に尽くせない、語るほど遠のくのに無限の修辞を必要とする。
要するに、君は悟りについて何も知らないので何も語れないと言っているのです。
107:考える名無しさん
11/10/04 08:16:51.23 0
ここでも自分の悟りが1番、他人の悟りは間違いって言う人が多いね。
本当に悟ってたら、こんなところで自分の悟りについての見解は書かないだろうね。
108:哲人
11/10/04 08:46:24.74 0
>>103
修行で常識という煩悩を捨て去り、悟りを開いた者は一人もいません。
人の心を一つの器に例えれば、その器の底に僅かな良識を残し、残りの全ては常識で満たされています。
その常識の全てを、心の器から掻きだすことは不可能なことですし、例え常識の全てを掻きだせたとしても残るは空っぽの心だけです。
最良の方法は、人の心の底で息づく僅かな良識を育てれば、良識より比重の軽い常識は心の器からこぼれ落ち、二度と再び心に戻ることは有りません。
109:哲人
11/10/04 08:59:45.86 0
>>107
悟りに自分も他人も有りません。
【悟り】とは「理解すること。知ること。また気づくこと。感づくこと。察知。」を意味します。
〔仏〕で【悟り」とは「まよいが解けて真理を会得すること。」です。
理解とは、道理で解き明かすことですので、悟りとは道理をさとり知ると言うことです。
つまり、悟りとは道理をさとり知ることで全てを解き明かす脳のはたらきを得ることです。
110:考える名無しさん
11/10/04 11:41:23.75 0
>>107
悟りを自覚した人と、悟りにあこがれている人の差。
同じ説明を連打する奴ほど自分の思い込み(希望)を試しているだけ。
111:考える名無しさん
11/10/04 12:15:45.80 0
悟りたければバックパッカーになって海外を一人で歩きまわるのが一番手っ取り早いと思う
沢木耕太郎の本でも読んで旅しようぜ
112:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
11/10/04 12:36:40.13 O
バックパッカーは確かにいろいろ気付かされるよな。
社会構造やら自心の社会性やら。
仏教のいう悟りとは関係ないけど。