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―「終わりなき日常」に触れた論考が散見されます。本紙「論壇時評」でも
批評家の東浩紀さんが震災を「『終わりなき日常』が突然断ち切られる」瞬間と表現しました(3月31日付)。
「意外です。僕自身はこの15年、使ってなかった言葉なので」
―えっ、15年も前?
「使っていたのは96年までの約1年間だけです。
URLリンク(www.asahi.com)
簡単に言えば、過渡的な近代では青天井だったものが強固な天井によって画され、
透明だったさまざまな問題が圧倒的に不透明になったということです。
そうした天井や不透明さは永久に消えません。成長の限界が意識されなくなることは永久にないし、
万人が共通の物語(意味)に心酔することも永久にない。
こうした状況が解消するネクスト・ステージがありえないという意味で「成熟社会」なのです。
僕たちはそのことを受け入れた上で、(生きたいなら)生きるしかないということ。
「終わりなき日常を生きろ」とは、そういう意味です。
『これが答えだ!』p159(1998年12月19日第1刷発行)