東浩紀466at PHILO
東浩紀466 - 暇つぶし2ch838:考える名無しさん
11/07/07 15:41:20.01 0
>>832
ちょこちょこ言ってるな。

2010年08月10日(火)
いずれにせよ、ぼくは(当日も議論ではなかったと記憶していますが)ソーカルは基本正しくて、
ただ、あのとき言ったのは、(1) たとえば、ラカンは完璧アウトだけど、ドゥルーズは中ぐらいで、
デリダはちょっととばっちりじゃなかろうかとか、そういう細かい差異はあるのはあるのだということと。
posted at 13:39:55
(2) ひとには比喩を使う権利はあるし、(ここ大事ですが)そもそも大陸系の哲学の一部はとうの
昔に科学ではなく文学になっているのだから、比喩を比喩として使っている人間をあまり暴力的に
断罪するのもいかがなものか、という2点につきています。
posted at 13:41:43
たとえばフランスだとわかりにくいのでドイツの例で行くと、フッサールの科学的誤謬を衝くのは
意味があるけど、ハイデガーの誤謬は衝いても意味がない。あれはカルナップが同時代に
正確に指摘したように科学よりも詩に近い言語だからです。
posted at 13:43:17
そしてラカンはそもそもが、「フロイトのハイデガー的解釈」のひと、つまり「科学言語の詩的
再構成」をやっているひとなのであり(そんな彼が精神分析という「科学」を標榜していたことは
責められるべきでしょうが)、したがってあまり彼の科学的誤謬を衝いても意味がないのです。
posted at 13:45:11
だからソーカル事件の起源はじつはハイデガーなのです。さっきカルナップの名前を出しましたが、
ハイデガーと論理実証主義(ウィーン学派)というのは同世代です。強力に科学志向の論理
実証主義(のち英米系の分析哲学)と、強力に文学志向のハイデガーに分化するところから
20世紀の哲学は始まった。
posted at 15:10:18

2010年08月16日(月)
しかし、ソーカルだかなんだか読んで声高に人文の愚かさを説く人々は、ハイデガーとか
ラカンとか一冊でも読んだことあんのかな。「そこは専門じゃないんで」とか言うのであれば、
「超越論性」とか「物自体」とか「弁証法」とか「存在」とかも専門用語なんで哲学徒以外は
一切使わないってことでOK?w
posted at 10:47:31


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch