11/03/09 23:46:18.76 0
>>677
>>676は>>665さんの法学的な指摘に対する自分の、あくまで法学上の返答ですので、
哲学の議論をしたいのであれば自分はすでに>>520で意見をあげているので、そちらからお願いします。
で、あなたのおっしゃる「罪の起源」(?)についてですが、自分の立場としてはあくまで、
「われわれヒトは何かを持つ(所有)ことができるのか?」と問うものです。
そしてそれに対して「所有は不可能だが作ることは可能」と答える立場です。
たとえば「権利」や「神の恩寵」、あるいは「忠孝仁愛」といった考え方をつくり、われわれは「罪」を禁じてきました。
中近世まではそれは宗教の一部としての哲学の役割でしたが、近代以降それは非道徳化、
倫理化された哲学の役割となりました。
このとき参照されるべきものとして、自分は現在のところ、スピノザの哲学を念頭に置いています。
一般に「汎神論」として知られ、相当難解で自分などには到底要約することすら及びませんが、
スピノザは何よりも「自由」を尊び、『エチカ』という本の中では、
一般に「自由」(自分勝手)とされるものを「感情への隷従」と捉え、より高次の「自由」へと到達しなければならないと説きます。
「罪」ということもまたたいていはこの感情への隷従から発しますから、当座の説明としてはこれが有効なのではないかと
自分は考えています。
まぁ異論は相当あるでしょうが。