11/03/09 21:19:15.76 0
>>665
あらかじめお断りしておきますが、自分も法学の徒ではないので、あまり詳しいお話はできません。
そのことは了承してくださいね。
罪刑均衡原則が崩れると罪刑法定主義は実質無効になります。
というより、罪刑均衡原則というのは簡単に言えば「これこれの罪にはこういう刑罰が相応しい」ということなので、
応報刑主義であれ目的刑主義であれ、罪刑法定主義を採る限り必要なものです。
そうでなければ、中世や古代の君主国家のような、刑の私物化が起こってしまいます。
「人を殺したけど、犯人は王族だから無罪、庶民なら斬首」というような(現在でも中東辺りではありそうですが)。
これは個々の判例の問題ではなく、制度設計の問題です。
問題は「均衡」というときの、その基準です。
つまり「刑法」として条文化する際の、罪に対する刑罰内容を確定する基準ですね。
「合理性」ということを言われました。
何が合理的か、ということは人によって、時期・時代によって、また地域によっても違ってきます。
保守的な地域と革新的な地域とでは価値観も違いますし、それを決める合理性の基準も違うわけですから。
これを議会制民主主義では討議ないしは多数決によって決めています。
たとえばフランスの場合は80年代までギロチンによる死刑制度が存在していましたが、時のミッテラン政権によって、
合理性がなく人権蹂躙的だと判断されて廃止されました(ちなみに当時の世論調査でも存置派が多数派でした)。
つまり他の政策との整合性やプライオリティー(優先度)を量った上で、有権者が法の合理性を判断したわけです。
死刑廃止の危機よりも財政再建や政治不信の解消が優先されるべきだと考える有権者が多ければ、
それを主張する政党・政治家が多数票を得るわけです。
日本でも、最近殺人など重大かつ凶悪な罪に対しては時効を廃止するという法改正がありましたが、
「合理性」の基準はこのように、時代や施政者によってずれていくわけです。
自分などは、そのこと自体は決して悪いことではないと思います。