11/03/07 18:55:28.03 0
>>608
正当防衛とは「やむなく殺してしまった」という意味があって、殺したいという独善的な
「理由」に基づいて行われるものではありません。
今日の社会においての正当防衛という情状酌量の余地は、「防衛の意」に付け加える「正当な理由」(太郎においては殺されそうになったという理由および、
その次郎との関係性の説明)がなければ適応されません。
ですから正当防衛に「殺したかったから」という理由は適応されません。
戦争においても、国個々の利益による(食っていけないので戦争を起こすよりほかなかったという一例による)
人を殺すことというのは、「仕方がなかった」のではなく、「そうしたい」
という欲望の表れであって、正当防衛には当てはまりません。
そうしなければいけなかった、というのはまさに自国の利益だけにのっとった、他の国はどうなってもいいという考え方に
属していますから、貴方の人類の消滅という前提になぞらえるなら、まず矛盾します。
そうしなければいけなかった、は、そうしたい、の表れであることを理解してください。
>明らかに人類の進歩に叶う人、A博士の心臓が傷みました、臓器適合者がB君です(心臓移植すると死ぬものとします)
B君にA博士が人類の発展のために心臓をくれ、というのは殺意なのかどうなのか
以上の説明により、戦争と正当防衛は区別されるでしょう。
私は人を殺すことというのは人に手にかけることそのものだと定義しております。
ですから正当防衛においても人を殺してしまったことには変わりはありません。
善も悪もないというのは、人を殺すという行為は人によって捉え方が違うからそう言いました。
事故と捉える人もいますし、「人殺し」と捉える人もいるでしょう。
だからこそ「人を殺してはいけない」と、抽象的故我々は区別して物事を見ることができるのではないでしょうか。
行為そのものだと定めるから故の、人一人一人の命を重んじるわけです。
死刑制度がまさにその具体例でしょう。