11/02/09 19:54:24 0
社会の成り立ちは、主観の主観との対立によって、かつそれらが結合することによって、新たな観念(例えばルールとかマナーとか)
が出来上がんのよ
じゃあもしここで人を殺してもいいルールが出来上がったとしよう
まず社会は崩れていく一方だわな?そのままだと
でも人は反省するという自分自身を理性的に見つめ直す能力を持っているから
そのままずっと人を殺していいとは思わないだろう
だがこれは裏を返せば一見人を殺すことによってそれを学べるんだから
人を殺すことってむしろ社会的にも必要じゃん!
とかいう全く持って誤った解釈をしてしまう馬鹿もいそうだけど
でもそういう意味じゃないよ?
ってことを先に言っとくよ?>馬鹿ども
俺が言っているのは、理性的に自分を見つめ直せる能力を持っているということは、
体で覚えなくても頭で想像できるレベルにまで達しているっていうわけね?
まぁその人間の中にも人を殺してもいいと思っているようなやつもいるかと思うけど、
そいつらは人殺しとは思っていないと思うから、
そういう奴らは例外として考えて、人は理性で「人を殺していけない理由」を無意識のうちに知っているということが言える
このよく聞く「人を殺してはいけないのか?」という議題も、予め「人を殺してはいけない」
ということを理解しているからゆえに議論することができるわけであって、
人を殺していいと思っている奴らがまずこのような反証的な議論なんてさせても無理だわな?
もうすでにお前らが人を殺してはいけない理由というのを無意識に理解していることの論拠となってるわ